朝焼けのスピネル
- ナノ -

24

降り注ぐ雪のような想いを凍らせて、胸の内に秘めようとしていた少女の無垢な恋。
きっと幼い自分は言うだろう。不器用な自分が彼に伝えられる訳が無いのにどうして?と。
彼からの提案が大きかったけれど、少しのきっかけに、手を伸ばしてみた。

雪は朝焼けに溶けて、光に反射して煌めく。
それは、美しく愛おしい光景だった。


「ねぇ、エスカ」
「なに?」
「最近、キバナの機嫌がやたらと良いんだけど。何なら戦績も上々」
「……そうだね」
「本っ当に分かり易いっていうか」


ナックルシティのカフェに集まっていた二人の女性は、モニターに映し出されているキバナの試合の再放送を見ながらケーキを食べていた。
帽子を被って変装したバウタウンのジムリーダーのルリナと、ローズとオリーヴが居なくなった後のガラルリーグの運営で多忙を極めているエスカだ。
付き合ったということを後日二人の親友に報告した時は彼女の長年の片思いが実ったことを二人は盛大に祝い、表情があまり変わらない彼女は照れたように微笑んだのだ。

しかし、それ以上に付き合ったことで浮かれているのはキバナの方だろうとルリナは感じていた。
何せ、ダンデがチャンピオンではなくなったことで明確な目標を失って空元気になっていた所があったキバナだが、少し調子が戻って来ている。
恋人が出来ただけではなく、一緒に暮らし始めたからだろう。ルリナとソニアにはその実、キバナの借りていた一室を借りてお隣さんとして暮らしていたことはエスカも言っていないのだが。


「分かり易いも何も、キバナは隠す気もないしね」
「……私はちょっと、恥ずかしいけど」
「あれだけ普通に公言されたらエスカみたいな大人しい性格だとそうよね」


ルリナの指摘に、エスカは気恥ずかしそうに視線を逸らした。
彼女との密会と記者に書かれて大騒ぎになる前に、普通に公言した方が今後の為にも気楽だろうと判断したからだ。
SNSを頻繁に利用し、公私共にメディアへの露出が多いキバナだからこその判断ともいえるだろう。
ただ、今回ばかりは世間的な印象的にも、相手が良かったのだろうとルリナは客観的に思っていた。

(エスカって真面目だし、一途だし、……何より、ジムチャレンジの時代からライバルで、その実力に遜色がないってことはこの間証明したばかりだし)

唯一無二とも言えるだろう。
エスカもトップクラスの選手でもあったのだ。それが過去の栄光でもないことを、彼女は先日の選手としての復帰戦で見せつけた。
これまでのリーグ運営での動きや、ローズ委員長が起こしたナックルシティでの異変の際にリーグ委員代表として真っ先に現地に駆けつけた誘導等、ポケモンバトルに復帰する際にも真剣に取り組むその姿勢は多くの人にとって尊敬に値する。勿論本人はすましている訳ではなく、あくまでも淡々としているのだが。


「何かあったらすぐ連絡するのよ。私でも、ソニアでもいいから」
「……ありがとうルリナ。うん、ルリナって格好いい。私にとってはソニアもルリナもそうなんだけど」
「え?」
「普段、こうやって助けてくれるのもそうだし、ジムリーダーとモデルの両方のトップを目指して突き進むルリナは本当に格好いいから」
「そんな私に勝ったこの口が言う?」
「う……」
「あはは、冗談だってば。寧ろ凄く勉強になって俄然やる気になったわ」


ダイマックスのタイミングや、弱点の筈のポケモンの指示の出し方や技の使いどころ等。
親友だからこそ刺激されたものがあったのだとルリナは笑った。
ルリナらしさを良いと純粋に伝えてくれる二人の親友の存在は、ルリナにとって時に心の支えとなってくれていたのだ。

雑誌の取材もあるということで現場へと向かったルリナを見送ったエスカは、グレイシアと宙を漂うシャンデラと共に家路についていた。
現在ナックルシティの担当をしている訳ではないエスカだが、彼女の住居は相変わらずナックルシティだ。
シュートスタジアムで開かれる大きな大会の運営を主に担当しながら、各ジムの担当者とやり取りを行っている立場のエスカはシュートシティと行き来することも多々あるが、ナックルシティから引っ越す予定はなかった。

ナックルスタジアムの方に近づくと、人だかりが出来ているのを見付けて、エスカは目を留める。
この街において人だかりが出来る理由は大概、この街のジムリーダーだ。
人に囲まれていても高い身長と相棒のジュラルドンで分かるのが彼らしい。どうやらファンサービス中らしいキバナに、流石キバナらしいと微笑みながらエスカは密やかにその場を通り過ぎようとしたのだが。

「あっ、エスカさん……!?」

逃げられないことに気付いてエスカは困ったように顔を顰める。
ざわつき始める自分の近くの人々にエスカは口元に指を当てて静かに、と訴えてみるのだが、ふと顔を上げた瞬間に本人と目が合ってしまったのだ。


「お仕事頑張ってね、キバナ」
「おいおい、待て待てエスカ。やっぱり逃げようとするのかよ。というかオレ様も今終わって出た所だっていうのに」


人々を挟んで会話をし始める二人の様子に、ファンは微笑ましそうに笑い、一人一人と道を開けていく。
感情が希薄に見えるとファンの間でも昔から有名だったエスカだが、彼が近付いて来るとその表情がふっと綻ぶのが誰の目から見ても分かった。
「悪いな、またサインとかリーグカードは改めてな」と声をかけると、ファンも渋る訳でもなく、一定の距離を開けて二人が並ぶ様子を見守っていた。
ひっそり先に帰ろうとしていたのに、とエスカは肩を竦めるが、嬉しそうに笑うキバナを見上げてまぁこれもいいかとエスカの表情も緩むのだ。


「キバナ、そっちはどう?ナックルシティ担当になった子も頑張ってるかな」
「エスカがオレのナックルジム担当じゃなくなったのはやっぱり残念だけどなぁ」
「でも、それ位の節度は大事だと思う。キバナの所を贔屓してると思われると、ダメだから」
「まぁな。ネズのやつがマリィにジムリーダー譲ったのもあって、スパイクタウンの運営はやりやすいって零してたけどな」
「そうかな……ネズも偶に吃驚することはしてたけど、話の分かる人だったよ」
「はは、そりゃエスカだからだっての」


今回から新しくナックルシティとスパイクタウンを堪能している男性だと、ネズのジムの運営はなかなか苦戦していたことだろうとキバナは笑う。
普段礼儀は正しいが感情表現が激しいネズと、大人しく感情表現が乏しいが真摯に人と向き合う穏やかな彼女は相性が良かったようだ。


「そうだ、私明日また朝からシュートシティなの」
「ダンデのやつが作ったバトルタワーにも今協力してるんだろ?……本当に大丈夫か?」
「この間の修行しながら仕事する経験があるからかな。それに、ダンデ君の方が全然、忙しそうだし」
「アイツも考えてからの行動が早いよなぁ、バトルタワーの支配人なんてよ!今じゃ色んなトレーナーと色んなポケモンを使って戦える環境に生き生きしてるって話だ」
「……キバナ、寂しいの?」
「あー……まぁ、少しはな。エスカの時に一度思ったっきり忘れてたが……盟友が居なくなったような感覚だよ」


キバナが零した本音は、多くの人が抱くチャンピオンダンデとしてのパフォーマンスがもう見られないという寂しさとはまた別の物だろう。
幾ら個人競技で自分自身との戦いであるとは言っても、競い合っていた友が居なくなるその感覚は何時だって寂しさが残るものだ。
トレーナーであるこもを諦めた者や、チャンピオン・ジムリーダーであることを辞めた者達全員がそうだという訳では無いが、そのフィールドを離れた者は新しい舞台に向かって突き進んでいってしまう。
振り返ることなく、新しい目標へと。
バトルタワーの支配人となったダンデも、リーグ委員になったエスカもそうだ。

笑顔を見せながらも寂しいという感情が隠しきれていないキバナの手をそっと握ると、彼は目を開いて大きな手で握り返す。


「今週末の休み、シュートシティに行こうぜ。勿論遊びにな」
「うん。シュートシティに行っても仕事ばっかりだったから、楽しみ」
「おう!あそこはナックルシティにも無いものが沢山あるし、買い物も捗るからなー」


選手として寂しくは、あるけれど。
それでも隣に居てくれる人が居るのは幸福なことだと噛み締める。ーーまだまだ最強のジムリーダーとして君臨し続けられる。
勿論、目標はダンデを破った新しいチャンピオンを破ってチャンピオンになることではあるが。

足元を歩いていたグレイシアはキバナを見上げて微笑む。
主人がこんなにも楽しそうなのは、キバナのお陰であると認めているからこそ、グレイシアなりに彼に感謝していた。


「ただいまー。……おっと、癖になってたせいでエスカが先に帰ってる訳じゃないってのに言っちまった」
「ふふ、ただいま」


もう廊下で分かれて部屋に戻り、時々ベランダ越しに会話をするような事はないけれど。
ナックルシティのアパルトメントの一室の鍵を分け合った二人の恋人は同じ部屋へと帰宅するのだった。