朝焼けのスピネル
- ナノ -

15

スパイクタウンのマリィとネズの試合を見届けてから、ネズに「ナックルスタジアムに向かってください」と声をかけられて、エスカは一週間ぶりにナックルシティへと帰って来ていた。
スパイクタウンを締め切ったと聞いた時は卒倒したが、スパイクタウンの住人だけが集まるジム戦はスタジアムでのバトルと異なり、非常に面白く感じたのだ。
ダイマックスを使わないバトル。
それはダイマックスを使う試合に慣れた人々からすれば、地味に映るのかもしれない。

エスカが見ていた一週間の間に来た挑戦者でネズの関門を突破して行ったのは、ソニアから紹介されたホップとユウリ。
それから彼の妹であるマリィだった。その後にも数人突破したようだが、キバナの元に行けるジムチャレンジャーはやはり、エントリーの人数から考えれば数が少なかった。
どの試合も見ごたえがあるものだったが、ネズとマリィによるポケモンバトルはこの先も記憶に留めておきたい試合だった。
中継が入っていない為に、ガラルの人達にあの試合を見てもらえていないことが切なくて堪らない。
だが、人に見られなくても、彼等にとって意義のある試合だったのだ。

――ネズがあんなにも、悔しさ以上に優しい笑みを浮かべてマリィが自分に勝ったことを称賛したのだから。

スパイクタウンに戻ってきたエスカに、マリィから街に着いたという連絡が入る。
彼女がキバナと試合をするのも、数日以内だろう。最後の関門を突破すれば、チャンピオンカップも見えてくるのだが。
ジムリーダー最強の座に着き続けているキバナの強さを、エスカは身をもって知っている。幾らジムチャレンジ用に最強のメンバーを揃えていないとしても。


「マリィちゃんとネズの試合、凄く良かったよ。ネズがあんなに満足気なの、初めて見た」
「エスカさん、エール団のことだけじゃなくてアニキのジム、フォローしてくれてありがと」
「ううん。寧ろ本部に『私が混乱を収めてジムチャレンジャーを誘導した』……なんて、ネズに庇われたから」


ネズの嘘に自分が助けられたと申し訳なさそうにするエスカに、マリィは首を横に振った。
エスカがエール団の各地での騒ぎをフォローしつつ、リーグ委員――マクロコスモスの指示でスタジアム出入り禁止になる事態も防いでいたことはマリィも知っていたからだ。
「……アニキの最後のジムチャレンジ、担当がエスカさんでよかった」と呟かれた言葉に、エスカは目を丸くする。
驚いているのは何となくマリィにも分かったが、自分にも負けず劣らず表情が分かり辛いと再認識する。
何せ、沈黙が何秒か続いた後に、彼女の頬が僅かに赤く染まったからだ。


「頑張ってね、マリィちゃん。キバナは強いけど……きっと、勝てるはず」
「もちろん。あたしはジムリーダーじゃなくてチャンピオンになるけん」
「ふふ、そっか」


彼女が見せた笑顔に、エスカはふっと表情を緩めて微笑んだ。
ネズは彼女を自分よりも才能があるからスパイクタウンのジムリーダーになってほしいと望んでいるようだけれど。
ジムチャレンジに参加するトレーナーならば、誰しもチャンピオンになるという夢を掲げている。
その想いを、エスカは痛いほど分かっていた。


朝から最後の調整に出るマリィを見送ってから、ポケモンセンターを後にした。
今日のナックルジムの試合は明後日からだが、スタジアムの運営の為に午前から今日は大忙しだ。
何せ、明日は宝物庫の方で、キバナのジムのトレーナー三人とのバトルが行われる。彼等に勝たなければ、キバナへの挑戦権はもらえない。
誘導や受付は全てリーグスタッフに任せているとはいえ、動員数の把握や配信トラブルの対処等、この一年に一回のイベントを成功させるために配慮しなければいけないトラブルの可能性が数多くある。

宝物庫を使ってのジムチャレンジは初めてなもので、エスカは明日の最終打ち合わせの為に宝物庫に足を運ぶ。
明日はこの場所を使うとはいえ、スタッフも出入りが制限されている場所であることもあり、キバナの指示を受けて準備をしているらしいジムトレーナーの姿が見える。
そして、キバナ本人は一階のフロアで端末を開き、ダブルバトルの動画を見ながら確認を行っていた。
本番を明日に控えている中、集中力を切らしてはいけないだろうと、エスカはジムトレーナーに手短に状況を確認しようとしたのだが。

キバナ本人が漸くスパイクタウンからナックルシティに帰ってきたエスカの姿に気付いて八重歯を見せてにこやかに笑い、手を振ってエスカを呼んで手招く。


「ナックルシティでエスカを見ると安心するな。ネズん所のジム戦も終わったみたいだし、お疲れさまだな」
「ありがとう、キバナ。行ってる間も連絡ありがとう。あの時は卒倒したけど、ネズの試合、凄く良かったから行ってよかったよ」


スパイクシティに向かってから一週間ほど帰ってこれなかったエスカを案じて、キバナは休憩時間や家に居る時間中にエスカに連絡をしていた。
「大丈夫」という報告と共に、「キバナこそ大丈夫?そっちのジムチャレンジに影響出ないようにするからあと暫くの準備期間頑張ってね」という気遣いのメッセージが送られてきたことに、キバナは頭を押さえながらジュラルドンに「こういう所だよなー」と呟いていた。
連絡を切ろうとする話し方は素っ気なくも聞こえるかもしれないが、キバナがジム戦に向けて集中力を高めているのを邪魔したくはないという前提の考えがあるのを知っているから、寧ろその気遣いは胸を温かくする。

「次こそはお待ちかねのオレ様のジム戦だな。運営頼んだぜ」

キバナの期待に応えるように、エスカは頷く。
ジムトレーナーに「ちょっといいですかキバナさん」と声をかけられて、咄嗟に指示をしているジムリーダーとしてのキバナの姿に、エスカは息を呑む。
これまでだって、数多くのジムチャレンジが行われる直前の準備期間や本番を経験してきた。
一番多くのチャレンジャーが訪れるターフジムだって経験をしてきたけれど、最後と最後から二番目のジムを請け負う緊張感はこれまで経験したことのないものだった。
その雰囲気にのまれずに居られるのは、責任感は勿論だが、ジムリーダーの頼れる姿があるからだと実感せずにはいられない。

――一週間ほど前に、宝物庫での仕事ぶりを褒めた時に言われた「褒められると期待する」という言葉が頭を過る。

(……ジム戦をもう数日後に控えてるキバナに、私は何を考えてるんだか……)

雑念を持ち込むなんて、真剣に明日から始まるジムチャレンジに取り組んでいる人に失礼だろうと己を戒める。
感情をろ過して、純粋な敬意をもって彼らに向き合うべきなのだ。ポケモンバトルが自分とポケモンの為に戦うものであるのならば、そのサポートは戦うトレーナー達の為のものだ。
胸を押さえて心音も正常に戻ったことを確認して頷いたエスカをキバナは振り返り「途中で話しを切って悪かったな」と笑いかける。


「宝物庫でバトルする予定は聞いてるよな?」
「うん。こっちは観客入れない代わりに中継流すって聞いてる」
「おう!その後は突破したそのチャレンジャーと一緒にスタジアムに移動して最後のジムチャレンジだ」
「……キバナのバトルをまさか、担当として見られる日が来るとは思わなかった」
「そうだよな。エスカと試合した当時はこんなことになるとはなぁ」


二人の友人関係が始まったのは、当時のジムチャレンジがあったからこそだ。
目の前で相対してお互いのバトルを見ていた過去とは異なり、今ではエスカがモニター或いは観客席や関係者席からキバナの試合を見る状況に変わっている。
目を閉じれば今も思い出せるような熱狂、歓声、高揚。
あんなにも沢山の人に囲まれて、放送もされていたけれど、その空間から切り離されて二人しか居ないような感じられるほどに集中していた。

今では、きっとキバナの焦点はダンデにしか向けられていない事は分かっている。自分ではトレーナーとしては役不足になってしまった。
その現実を、あのフィールドでもう一度突き付けられるのを恐れて、ジムチャレンジを断ったあの一回で終えてしまったことを去年ポプラに指摘されていたことを思い出す。

(……私は、我侭すぎる)

自分というトレーナーに目を向けて欲しいなんて。その先の決勝戦という戦いの為の通過点として流されたくはないなんて。
ダンデやキバナが苦手としているメロン以外の誰かに負けることがあれば考えたい所はあるが、初めてキバナのナックルジムの担当になったのだ。
――最後までサポートをして、見守りたい。


「チャンピオンカップ、来るだろ?」
「それは勿論。その辺りの運営は流石にローズさんとオリーヴさんが手配してるみたいだけど、私も一応席は用意されてるから」
「されてなかったらオレ様の招待枠で招待する気満々だったけどな」
「キバナは人が好過ぎる」
「いやいや、オレ様とエスカの仲を考えたら当たり前だろ」


人が良いも何も、当然のことだとキバナは肩を竦める。しかし、エスカにとって予想外の言葉だったのか、目を丸くされることに対して違和感を覚えずにはいられない。
エスカの中で『キバナの中でエスカという存在は本来小さいもののはずだ』と認識されているような気がしてならなかったからだ。
意識させるための行動が足りていないのか、それとも薄々思ってはいたがキバナの友人であること自体がいまだに不思議だと過小評価されているせいで鈍いのか。

(……小さかったら、そもそもオレ様が使ってる家を使っていいなんて言わないってのにな)

手のひらを見詰めて、拳を握り締める。


「なぁ、エスカ。チャンピオンカップでオレ様がどんな結果で終わろうとも、とりあえずはお疲れ様ってことで打ち上げでもしようぜ」
「いいの?」
「初めての担当というか、タッグ組んで終えたジムチャレンジの記念の打ち上げは必要だろ?」
「キバナ……うん、ありがとう。楽しみにしてる」
「勿論、オレ様がダンデに勝ってチャンピオンになってるのが最高だけどな!」


柔らかく笑って「キバナがチャンピオンになる日が楽しみ」と応援をする彼女の言葉は奥底まで染み渡っていく。
ジムリーダー最強なんて言われているのにも関わらず、ダンデに何度挑んでも勝つことの出来ない挑戦者と世間では言われてしまっているけれども。
彼女はダンデの強さも十分に知り尽くした上で、世辞ではないキバナへの声援を送ったのだ。

チャンピオンカップが終わったその時。
彼女に対して、長年言うことが出来なかった言葉を言うべきだと、キバナは覚悟を決めていた。
出来ることならチャンピオンの栄光を掴んで伝えたいという理想は抱いているが、十回もダンデと戦ってきているキバナにはそれが容易ではないことは理解している。
だがせめて彼女の前で位は格好いい所を見せたいという意地がある。


「見直されたいしな」
「?」
「こっちの話だ、何でもないぜ」


今年こそ――チャンピオンカップでの優勝をする。
その気概は何時にも増してキバナの高揚感と集中力を高めていた。