朝焼けのスピネル
- ナノ -

13

一人暮らしをしていても、常にポケモン達は居たけれど。
誰かが傍に居るというのは非常に安堵するものだとこの日、思い知ったのだ。
心細いという感覚もなく、朝を迎えられるのは特別なことなのだろう。その温かさは、胸に染みた。


「……もしかして、朝……?」

起きた直後、改めて呆然とするしかなかった。
キバナの部屋で寝かせてもらった記憶は何となく残っている。
朝から気怠さを感じていたけれど、スパイクタウンに向かって、それからまたナックルシティに戻ってきた。そして、熱に浮かされて目を閉じていた所、キバナに家に運んでもらってしまったのだが。
熱が出ている状態で物を取るのは大変だろうということで、隣の部屋であるキバナの家で寝かせてもらったのだ。

間取りは同じなのに、自分の部屋とは少し異なるインテリア。そして鼻を掠める香り。
自分には少し大きすぎるサイズのベッド。紺色の布団。
――流石に、緊張してしまう。昨日はあまりの気怠さに促されるまま優しさに甘えてしまったけれど。

「私の……ばか……」

好きな人に、こんな形で迷惑をかけてしまうなんて。穴があったら入りたい気分だ。
ポジティブな人間なら、きっとこの機会を運が良いと喜ぶべき場面なのだろう。
けれど『迷惑をかけた挙句、呆れられて幻滅されていたら?』という可能性が頭を過ってしまう人間だ。
勿論、キバナが面倒見が良い気さくな性格であることなんて解っているのだけど。

周囲を見回すと、キバナのポケモン達が部屋でうとうとと寝ていた。部屋が少し暖かく感じるのはコータスが居るからだろう。
ジュラルドンが目を覚まして、私を心配そうに見下ろす。

「一晩ここに居てくれたの?ありがとう、ジュラルドン」

ジュラルドンの体を撫でると、嬉しそうに目を細める。昔からこの子は私に懐いてくれていた。
例え大舞台の決勝戦で最後の一体同士で戦った仲だとしても、清々しい澄んだ気持ちになれるような戦いが出来た相手だからこそ、後腐れというものはない。

「キバナは……もしかしてソファで寝てる、のかな」

昨日の眠った前後の記憶が朧気になっているのだが、キバナと会話した記憶は薄く残っている。
彼の部屋で寝てしまっていることを謝ったような記憶はあるのだ。
身体と額を触ってみるけれど、平熱に戻っているような気がした。
一応病院には行ってみようと思うけれど、案外気だるさや体内の違和感はそこまで感じなかった。あまり無茶は出来ないけれど、外出は普通に出来そうな気がした。

ジュラルドンと、起きたコータスを呼んで、寝室を出る。以前にも食事をする際に来たことのあったリビングに、彼の姿はあった。

「……」

既に起きていたキバナは部屋着のまま何かタブレットを見ていることに気付く。
キバナが真剣な顔をしてタブレットで見ていたのは、ダンデのポケモンバトルだったのだ。
メモを時折取りながら、真剣に、食い入るように見つめるその横顔は虎視眈々と王座を狙う挑戦者の顔だ。

(こういう所だよね。キバナが強いのは)

キバナは、一見遊び人に見えるかもしれないけれど、ストイックで真面目だ。
そうでなければ、ジムリーダー最強の座を守りながらダンデに挑み続けてはいられない。
じっとその様子を静かに見守っていたけれど、ジュラルドンが声を上げて、キバナは振り返った。真剣だった眼差しは、無邪気な人懐っこい穏やかなものに変わる。


「エスカ!起きてきてもう大丈夫そうか?だるくないか?」
「ごめんね、キバナ。ソファで寝させちゃって。もう大丈夫」
「そりゃよかった。いやー流石に昨日はふらふらしてたから驚いたぜ」
「今日もジム行く用事あったよね。ごめんなさい、すぐに隣の部屋に戻るから」


今度は分かりやすいくらいに、不満げな顔に変わる。キバナの表情は本当によく変わる。
思っていることはあってもそれが表情にあまり出ていないらしい私と、大違いだ。
何か気に触るようなことでも言っただろうかと心配になっていた私を、キバナは手招きする。


「だから迷惑だって思い込むなよなーオレ様は頼られて嬉しいんだけどな」
「……」
「スパイクタウンでぶっ倒れてたらネズなら色々と世話してくれただろうけど……いや、この話はいい。オレ様としてはそうならなくて良かった。……エスカ?」
「なん、でもない……本当に、ありがとうね、キバナ。今度お礼するから」


沸々と、収まったはずの熱が再び沸騰していくような感覚がして、胸をぎゅっと握り締める。
心配して看病してくれていたジュラルドンとコータスを再び撫でて、かけてくれていたコートを手に取る。

「今日も頑張ってね、キバナ。それと、連れて帰って来てくれて、看病してくれて本当にありがとう」

再びお礼をして「お世話になりました」と頭を下げて頭を掻くキバナに見送られて家を出る。
扉を閉めてから息を吐いて。
熱くなる顔を自覚する。頼ってもいいと言ってくれる彼の優しさは、胸を高鳴らせてしまう。

「……お世話されてくれていいのにな」

そんな呟きを扉の向こうで零していたなんてことは、知らなかった。


部屋に戻ってから軽くシャワーを浴びて、心配をかけたポケモン達に無事を報告した後。
病院に行って診察をしてもらい、風邪ではなかったと聞いてほっと胸を撫で下ろす。近くに居た人に移す心配はどうもなさそうだ。
熱が下がった後とはいえ、薬を貰って今日は家でメールの確認等をしようと考えていたけれど、ふと鞄の中の荷物を見て思い出す。

キバナが端末等は鞄に入れて持って帰ってきてくれたけれど、昨日ナックルスタジアムに置いていってしまった書類を取りに行かなければ。
行先は自宅から少し寄り道になるナックルスタジアムだ。

試合がない間のスタジアムは、比較的静かだ。朝からここに向かったキバナは、今日もフィールドでジムトレーナーと一緒にダンデを倒すべくトレーニングを積んでいるのだろう。
集中している所を昨日のように妨げてはいけないと事務室にひっそり向かおうとしたのだけど。


「ですから……」
「……?」


雑誌のインタビュアーがナックルジムのジムトレーナーに声をかけていたのを、受付で目撃して、ふと足を止める。
自分はナックルジムの人間ではないのだから、他人行儀を貫いて見なかったふりをすれば良かったのかもしれないが、耳に届いてしまったのだ。
心無い、悪いコメントを引き出すような誘導する質問に。険しい顔をしているジムトレーナーの表情に、自然と足はそちらに向かっていた。


「……ジムリーダーは今準備を整えている所だからお忙しいのですが」
「本当に準備を?私共もキバナ選手のSNSを拝見しているのですが……」
「失礼、このジムチャレンジの多忙な期間に、スケジュールの確保はお済みですか?」
「あっ、エスカさん……!」


助かった、というような安堵の表情を浮かべている青年に、声をかけて良かったと認識する。
インタビュアーは当然、厳しい声で跳ね除けてきたこちらに意識が向かう。
私の顔に見覚えがあったのか「あっ」と声を上げたのが分かった。ジムチャレンジをしていた頃なんてもう大分前になるのに、よく覚えられているものだ。チャンピオンであるダンデ君が唯一名指しで委員に指名してくれたからなのかもしれないけど。

「貴方にもお聞きしたいです。キバナさんはつい最近チャンピオンに10連敗目となりましたが、SNSにも乗せているような華やかな生活が影響しているのではと思いますか?」

あぁ、こういう声。
リーグ委員になってからどれだけ聞いたことだろう。
キバナは華やかで野心家で己を鼓舞するために自信家に見える言葉を並べて、バトルスタイルも派手なせいか、不真面目に見られがちだ。
SNSを頻繁に更新するその余裕やサービス精神も、ある人にとっては親しみ易くファンサービスに溢れた魅力があると思うだろうし。ある人にとってはポケモンバトルに集中していないからダンデに勝てないのだと批判の種になるだろう。

「エスカさんは当時、キバナ選手と決勝で戦ったライバルですよね?その彼の現状はどう映りますか?」

不真面目に挑んでいるからダンデに勝つことは出来ないのだーーそう、批判をしたいのだろう。
ーー貴方は、キバナのことを何も知らない。


「キバナは熱心ですよ。誰よりも努力家で、悔しさを抱えても腐らず、ひたむきに研究して試行錯誤して。あんなに真面目に取り組む人を私は知りません」
「え……」
「ただ、ダンデ君……チャンピオンもそれだけの研鑽を重ねているから、頂点に立っている。唯一言えるのは、彼を孤独なチャンピオンにしていないのは、キバナが追い続けているからです」


二人とも大切な友人であるという前提があるから、どちらの肩を持つことも出来ないけれど、積み重ねている努力を知っている。
「これ以上キバナについて聞きたいということであれば、相応の時間と場所でお願い致します」と返すと、インタビュアーは何とも言えない顔で立ち去って行った。
追い返すことには成功したみたいだとほっと一息をついていると、横で話を聞いていたジムトレーナーの青年は狐につままれたような顔で視線をこちらに向ける。


「エスカさんがあんなにもさらさらとキバナさんについて答えてるの驚きました。僕以上にインタビュアーの方が驚かれてましたが」
「……ジムトレーナーを困らせるようなインタビューなんて、よくないのに」
「……エスカさん、もしかして」


彼は驚いた顔でこちらを見てくる。
ジムトレーナーの彼の言葉は、思いもよらないものだった。

「……怒ってます?」

怒っている。
その言葉を理解するのに数秒かかった。
キバナを侮辱されて怒りを覚えていたことに気付かされて、瞬いた。
感情的にあまりならない方ではあるのだけど、それだけ感情を剥き出しにしていたのだ。

キバナがどれだけの努力を重ねているかを、私も、ジムトレーナーも知っている。
それを印象だけで否定されることは我慢ならなかったのだ。
自分のことでもこれ程感情を露にすることが出来ただろうか。あまり記憶がなかった。

「大人げない所を見せたかも。……また今日みたいな人が来たら、他の人を呼んで対応していいからね」

きっと彼も今からトレーニングに合流する所だっただろうに。
ありがとうございました、と頭を下げてフィールドの方へと駆けていく青年を見送り、事務室に置きっぱなしにしてしまった書類の入ったファイルを回収する。
スタジアムの方から聞こえてくる砂嵐が巻き起こっているのだろう轟音に、思わずふっと笑って一瞬視線を向けたけれど、背を向けてナックルスタジアムを出る。
後で改めてメッセージは送ろうとは思うけれど、リーグ戦に向けて調整しているキバナの邪魔をこれ以上するわけにはいかない。

スタジアムを出た桟橋に、見覚えのある人影を見付けて、小走りで駆け寄る。
辺りをきょろきょろと見まわしているダンデ君がそこに居たのだ。駆け寄って来る私の姿に気付いたのか、ダンデ君は手を振ってくれる。
周囲が突然現れたチャンピオンの姿に黄色い声を上げているその人気ぶりは流石だ。


「ダンデ君、こんな所で会うのは珍しいね。どうしたの?」
「委員長に呼ばれていてな。リザードンのお陰でナックルシティには迷わずに来られた。……んだけどなぁ。集合場所が分からなくて足を止めていた所だ」
「ふふっ、ダンデ君本当に道に迷うよね」


自信を持って違う方向に進み始めてしまうのを、一体何度ソニアや相棒のリザードンに引き留められて迷子を回避したことだろうか。
ダンデ君のジムチャレンジの頃の様子は知らないけれど、ワイルドエリアではよく道に迷って街に辿り着けなくなりそうになっていたという話を、当時一時期でも旅を共にしていたソニアから聞いている。
スマホロトムを取り出して、この場所らしいと示してくれるダンデ君に、そこまでの行き方を手で方向を示して説明する。
しかし、ローズ委員長も一体何の話が合って彼を呼び出しているのだろう。チャンピオンへのリーグに関する話だろうか。


「ねぇ、ダンデ君は、周りから見られる自分っていうものを気にしたことがある?」
「ん?周りから……世間的な印象というやつか」


ダンデ君は少し考えた後「あくまでも俺は自然体で居るつもりだが、皆からチャンピオンとして見られていることは、考えてない訳じゃない」と真剣な眼差しで応えてくれる。
彼が『チャンピオンタイム』という決め台詞を使っているのは、そういう意識の表れでもあるのだろう。
彼の器の大きさと、頂点に立つ者の責任を感じて、人のことなのに少し寂しくなる。
チャンピオンの称号を背負い続けているダンデがまるで神格化されるように勝ちを求められ、絶対的な強者であって欲しいという人の理想を背負い続けるーーそのプレッシャーは生半可な物ではない。


「さっきそんな内容をキバナに聞きに来ようとしてたインタビュアーが居てね」
「成程。勝負師でもあるチャンピオンやジムリーダーの俺たちは、常にそういう評価も付きまとうからな」
「うん。……それを聞かれて、考えたんだけど。ダンデ君のことも、ふと気になって」
「……エスカ?」
「私はダンデ君の『ガラル地方のトレーナーを強くしたい』っていう願いを聞いて、リーグの運営委員を引き受けた」


ダンデ君の理想に共感したからリーグを盛り上げるために委員になった。その事に間違いはない。
けれど、ただダンデの理想を叶える為にやっている訳でもない。


「頂点に登ったダンデ君が何時か強くなりたいっていう夢をまた楽しみながら追い掛けて、ガラル地方のトレーナーの一人として強くなりたいと改めて思った時に、助けられるようにって」
「……エスカは、堕ちる星にも手を伸ばそうとするんだな」
「?失敗や挫折を知らない人なんて居るの?ダンデ君もガラルのポケモントレーナーの一人でしょう?」


きっとそれはダンデ君というトレーナーの原点の、原初の夢。
貴方は神ではないのだから。輝き続けなければいけない決まりなどないのだ。
彼はそうあって欲しいと人々に思われているようだけど、そんな価値観の押し付け偶像化に他ならない。


(……キバナはポケモンバトルで俺を引き止めてくれて、ホップやソニアはダンデというただの男を昔から知っていてくれるから俺も気を緩められて、エスカは……そうか、こういう所なんだな)

ーー当たり前のように言われた言葉、それが染み渡り、広がっていく。
師匠であった元チャンピオンよりも短い年数ではあったけれど、必然とガラルのトレーナー達と同じステージに立つことは出来なくなり、絶対的な勝利を求められる。
慕われ、尊敬され、愛されるが故に孤独になった。貴方は人とは違うのだと。

完全燃焼出来るようなバトルを望むのは傲慢なのだろうか。頂点の先を歩むことは、出来るのだろうか。強者の貪欲さは、周囲を呑み込んで、潰してしまうのではないか。
そんな疑問や葛藤を抱きながらも進み続けてきたけれど、エスカは当たり前のように、チャンピオンとして以前に、ガラルのトレーナーの一人であることを突き付けてきた。
そしてキバナは、無敵なチャンピオンだからというよりも、ダンデというトレーナーだから倒そうとしてくれている。


「やはり、エスカはキバナと似ていると実感するな」
「え……?い、今の話の何処が……というより、私とキバナはかなり似てないと思うんだけど……」
「いや、君が友人で本当に良かった。俺が委員になって欲しいと声をかけたのも、そういう所だ」


ダンデ君は、笑った。
本当に嬉しそうに、無邪気に。一点の曇りもなく。

どの言葉が一体、ダンデ君に響いたのか自分では分からないし、何をもって性格は明らかに違うだろうキバナと似ていると言われたのかは分からないけれど。
友人でよかったというのは私にとっても同じことだ。ダンデ君に委員になって欲しいと言われなかったら、今頃何をしていたのだろう。
ジムに挑戦をするポケモントレーナーを続けていたのか、それとも。想像が付かなかった。
だからこう返すのだ。
「ダンデ君が友人でよかったのは私の方」と。一点の曇りもなく。


――エスカとダンデが話している時間帯。
ナックルスタジアムでは、一試合を終えて汗を拭いて休憩をしているキバナの元に、インタビュアーに捉まっていた青年が戻って来る。
時間に必ず間に合うように来るはずの真面目なジムトレーナーばかりだからか、珍しいと思いながらキバナは声をかけた。


「遅かったな、どうしたんだ?」
「インタビュアーの方に掴まってしまって。お待たせしました」
「あー時々来る面倒なタイプのやつか。気分悪い対応させちまったな。言ってくれたらオレ様があしらって帰したんだが……」
「それなんですけど、キバナさん」
「ん?」


時々来る、煽るようなインタビュアーを邪険にすることはなく、キバナは丁寧に対応こそはするが、辟易するのも事実だ。
嫌な思いをしたのではないかと心配したのだが、彼の表情が妙に楽し気なことに引っ掛かかる。
ジムトレーナーはまるで自分のことのように喜びながら、キバナに先ほどの出来事を語り始める。

「たまたま忘れ物を取りに来たらしいエスカさんに助けられたんです。キバナさんがかなり喜びそうなお話なんですけど、聞きたいですか?」

その話を聞いて、顔が分かりやすいくらいに赤くに染まっていくキバナに、ジムトレーナー達は微笑ましそうに見守る。
「あー……エスカさんがそんなこと言ったらキバナさん嬉しいに決まってるよね」と囁く。
好きな人がフォローしてくれるばかりか、表情や声音には感情が出辛いエスカがキバナの為に怒ったという事実は、それだけ意味を持った行為だったのだ。