朝焼けのスピネル
- ナノ -

10

猛々しい轟雷の音が、嫌いだった。
静かな世界を切り裂くような音と衝撃。たった一瞬しか見えないけれど、視覚と聴覚を揺らして、気付いた時には衝撃を落されるその天候が苦手だった。
それなら他の、激しい気候はどうなのか。その問いに、思案する。

雪は、特に好きだった。時にしんしんと静かに降り積もり、しかし時として激しい吹雪となってその寒さの厳しさを伝えるその静と動を兼ね備えた天候が。
だからこそ、その空間を活かして戦うことも多かったのだが、色んな天候を見せてくれた人が居たからだろうか。他の景色もまた美しさがそこにはあると気付いた。
そして、ただの偶然かもしれないけれど、彼はその落雷を使うことは無かった。
本当にただの偶然なのだが。



振動した端末に気付いたエスカは、メッセージが来たことに気が付いてそれを取り出す。ルリナとソニアから連絡が入っていたのだ。
中身を確認するとダンデが推薦状を渡した二人が、どうやらジムチャレンジで挫折するトレーナーが一番多いとされるカブのエンジンスタジアムを突破して、ワイルドエリアを進んで来ているらしいとの事だった。
エスカはどれ位に二人が着きそうかの見込みの時間の連絡を受け取り、ナックルシティの入口に居たソニアに会いに向かった。


「エスカ!わざわざ来てもらってごめんね」
「ううん、いいの。私もソニアとダンデ君に聞いてた子達に会いたかったし」
「ありがとね。二人にはここに来るように言っておいたからもうすぐ来るはず……」
「ソニアー!あれっ……」
「誰かと居るね」
「おっ、来た来た」


ソニアを呼ぶ明るい声の先を見ると、二人の少年少女が居た。ソニアがその二人に手を振っているから、彼等が話に聞き続けていた二人なのだと気付くのは容易かった。


「この子達が散々話してたホップとユウリ」
「こ、こんにちは!」
「ダンデ君の知り合いのエスカって言います。トレーナーをサポートする運営委員を任されてるから宜しくね。街自体はこことスパイクタウンの担当だけど」
「アニキの友達!?ソニアと雰囲気大違いだなー」
「こらホップー?」


笑顔が眩しいダンデと肌の色や髪の色が同じ少年がホップ。そして彼の幼馴染の女の子がユウリ。
彼らの話はダンデからさらりと聞いたことがあったエスカは、ポケモン三体を急に用意して欲しいと頼んできたダンデの行動に気付いて納得した。
ポケモントレーナーとしてデビューする彼らに新しいパートナーと出会わせる為で。そしてそんな彼らの初バトルを見て、未来を期待したからこそ推薦状を与え、彼らは本当に第一関門と言われるカブの試練を突破してきたのだ。


「二人の話をよくダンテ君から聞くの。ホップ君の話は特に。ダンデ君、弟さんか大好きみたいだから」
「へへっ……自慢のアニキだからな!」


兄を慕うホップの姿に、エスカは表情を緩める。
たった数回言葉を交わしただけでも伝わる人柄の良さ。そこが兄弟という仲があるとはいえ、ダンデがホップを可愛がっている所以なのだろう、と。

それだけ、エスカはダンデからポケモンバトルに関する話以外にホップの話を聞かされていた。
ホップに対してただ甘やかすという訳ではなく、自分で気付いて貰いたいとあまり口出ししない所はあるのだが、それでも十分伝わってくるのだ。


「ナックルシティに来たなら、キバナに会って行ったら?戦えるのはもっと先だけど……多分二つ返事で会ってくれると思うから」
「あーうん、きっとそうよね。気前がいいから」
「キバナ、さん?」
「このナックルシティのジムリーダーで、ジムチャレンジ最後の関門を任されてる人」


エスカの紹介に、ユウリとホップは目を輝かせる。
そう、キバナという人はそういう人なのだ。最強のジムリーダーであり、それに見合うだけの強さと人柄を兼ね備えた人。
ダンデとはまた異なるタイプだけれど、トレーナーにとっての憧れの的であるのだ。

「エスカ、やっぱりキバナ君のこと話す時楽しそう」と耳打ちしてきたソニアに、エスカは驚いたのか目を丸くした後、キバナに会いに宝物庫へと向かった彼らの背を見送って。
それから、顔が赤く染まっていった。そんなに分かりやすかっただろうかと手で頬を押えるが、エスカをよく知らない人間からしたら『そんなに楽しそうに話していたか?』と首を傾げていたことだろう。


次々とエンジンジムを突破した挑戦者達がこのナックルシティに辿り着き始めているとはいえ、このナックルジムに挑戦できるわけではない。
ここからあと4つのジムを巡った後でないと、このナックルジムのキバナとは戦えない。エスカの大仕事はまだまだ先になるのだ。
今日はこの後ナックルジムの一室を借りてまだまだ期限が先の報告書でもまとめようか悩みながら足をそちらに向けた時。
再びポケットに入れていた端末が着信音と共に振動する。またソニアだろうかと思って画面をつけると「キバナ」の名前があった。


「もしもし、キバナ?」
「お、エスカ。突然連絡して悪いな。さっきダンデが推薦したっていう二人が来たんだけどな」
「そうそう。さっき私が会いに行ったら?って勧めたんだけど、忙しかった?」
「いや、それは気にしなくていいんだけどな。エスカさんに教えて貰って〜って言ってたから取り敢えずオレ様のリーグカードあげて、激飛ばしておいた」
「そっか。あの二人、きっと最後まで辿り着くし、何か起こしてくれるかもしれないから、楽しみだと思って」


機械越しに聞こえるエスカの弾むような声に、自分も何となく感じたことではあるが、いよいよあの二人は自分の元に辿り着きそうだとキバナも笑みを浮かべる。
トレーナー同士、それもその道を極め始めている人間の中にはそのトレーナーがどこまで成長できるのかと見抜く目が養われることもある。
キバナとエスカだけではなく、ダンデから見ても二人がジムチャレンジを突破できるトレーナーに成長できるに違いないと予感させるものがあったということなのだ。


「ホップ君とユウリちゃんを見てると少し、懐かしかったな」
「あー、オレ様はあんな感じだったけど、エスカはあんな感じだったか?大分落ち着いてた気がするが」
「そうかな……」


エスカの当時からの落ち着きようは、今のチャレンジャーで類似している人間をあげるのならマリィに似たものがあるだろう。
ネズと気が合うのもそういう所があるからなのかもしれないと、キバナは画面越しに納得する。

あの当時、エスカをここまで意識していたかと問われたら、首を横に振るだろう。
キバナにとって、エスカはライバルでもあり、ジムチャレンジを通してできた友人でもあった。
その時はバトルに対しての好奇心が突出していて、他の感情が芽生える余地がなかったという方が正しい。

(ルリナに感謝はしないとな。まあ、本当かどうかはまだ分からないけどな)

キバナの意識が変わった切っ掛け。それは間違いなくルリナが零した言葉だ。
本人は知っているだろうと思って呟いたからか、その後にかなり気まずそうに慌てて撤回をしていたが。


「ワイルドエリアを旅してた頃が懐かしい。数日だけ一緒になったこともあったよね」
「……なら、行くか?」
「え?」
「今日、天候が雪の所多いみたいだぞ。オレ様のフライゴンに乗ればひとっ飛びだぜ」
「え、いいの?」


「おう!」と笑顔で応えたキバナは通話を切り、エスカが待っているという場所に向かって駆け出す。
どんなに有名になっても。どんなに注目を浴びても。浮ついた心になって調子にも数々の誘惑にも乗らなかったのは、ダンデとエスカの存在があったからだとキバナは自覚していた。
本人たちがキバナにとってそういう存在であるという自覚は、当然ないだろうが。

途中途中「キバナさんだ!」とかけられる声に彼は手をひらひらと振って、ナックルシティの入口へと向かうと、エスカはそわそわとした様子で待っていた。
遠巻きに彼女の姿を見て「エスカさんが居る……」と囁かれていることには、本人は気付いていないのだろうとキバナは苦笑いを浮かべた。
昔から彼女にはそういう所があるからだ。人からの興味関心に疎い。それは、人から受けるはずもないと思っているからだ。


「待たせたな、エスカ」
「ううん。こちらこそありがとう、キバナ。フライゴンも数日ぶり」
「こいつもエスカならどうぞって言ってるぜ」
「ふふ、ありがとう」


エスカを見下ろしてにこやかに笑うフライゴンの背に、キバナは乗ってからエスカを後ろに乗せて、掴まらせる。
遠慮がちに服を掴もうか彷徨っている手を誘導すると、控えめに握ってきた彼女の手に、キバナは堪らず唸り掛けた。
エスカが空を飛べるポケモンを所持していないことに感謝しつつ、フライゴンの首を撫でて飛び上ると、そのままナックルシティを飛び出してワイルドエリアへと入って行く。

アーマーガアタクシーを普段利用していたエスカだが、タクシーが通るルートはだいたい決まっている。
キバナの指示を受けて悠然と飛ぶポケモンの背に乗るのは、直接風を感じながら空を飛ぶのは新鮮な体験だった。
ワイルドエリアは実に広い場所で、徒歩で進もうとすれば数日かかるような規模だ。そして、この広大な地だからこそ、不思議なことに地域によって天候が異なる。
雪の天候になっている場所に進むまでの最短ルート。そこに着くまでのエリアで、一か所雲行きが怪しい所があるのを見付けてキバナは首を伸ばす。


「!」
「通ろうとしてたルートの方、雷なのかよ……、……ん?」
「……あの」
「遠回りしていくか、掴まってろよ」


無言だが、一瞬びくりと跳ねたエスカがしがみついてきたのを、キバナは感じ取った。
轟雷の音が聞こえる度に、その手が震えているから、否が応でも気付いてしまうのだ。
エスカは恐らく、雷が嫌いなのだろうと。

(怖がってるんだろうなとは分かってるんだが、正直美味し過ぎる状況というか)

服を握り締めてくる彼女の弱々しい手を、思わずぎゅっと握ると、エスカの肩が音ではないその体温にびくりと跳ねた。
それでも、エスカに対して「雷が嫌いなのか?」と茶化すようなことはしない。
深くそのことに追及せずに迂回して進んでくれるキバナの気遣いは、胸の奥に染み渡って、温かいものが広がる。


「……ねぇ、キバナ」
「なんだ?」
「何時も思うけど……優しいよね、キバナは。人がいいから」


人が良い、その褒め言葉が何時もは嬉しく感じるキバナだが、今だけは違和感を感じて遠くの空を見詰める。
誰に対してもあまり物怖じせず、人見知りもすることなく気さくに話しかけたり、面倒を見る所は美点とは言えるのだが。
エスカに対して今そう思われるのは、彼にとって本意ではなかったのだ。
意識してほしいと願ってしまう。『お前だからこんなに声をかけるのだ』と自覚してほしいと願ってしまう。


「誰にだってリーグカードあげたり写真撮らせてくださいっていうのは応じるけどなー……誰でも誘う訳じゃないからな?」
「?それはそうだろうけど……」
「……おう。キバナ様の後ろっていうのは特別席だ」


誰でも誘う訳では無い、特別席。その言葉に瞬きをゆっくりと繰り返す。
キバナがどんな顔をして言ったのかは、後ろに居るエスカには分からない。だからこそ、自分も顔を見られないのをいいことに、エスカは顔を赤らめる。
ワイルドエリアに行こうと誘ったのはトレーナーとして誘ったからなのだろうから特別な意味は無いのだろうけど。

――これ以上、温めないでほしい。
零れそうになってしまう程の、恋心を。

エスカは服を握り締めていた手を緩めて、白くなる息を吐く。
ちらちらと降ってきた雪で冷やすように、鼓動を、感情を落ち着かせようとしたのだが。
自分の耳元まで聞こえてきてしまう鼓動の音に白旗を掲げるように、その大きな背に、とんと頭を乗せる。

どれだけ冷まそうにも、この恋心だけは、薄れたりはしないのだ。