虹彩に焦がれる純白
- ナノ -

Knight of oath

正しい歴史に於いても、イフの世界に於いても。
その想いは禁忌として、胸の内に封じた。何故か?それはあまりに単純な理由だ。
例えるのならば、童話作家としてかの著名な英霊アンデルセンが描いた人魚姫のように。
恋焦がれて愛する相手にその想いを打ち明けてしまえば、騎士としての私は死ぬ。つまりアーサー王に忠誠を誓った誇り高きブリテンの騎士として生きると剣を取った日に決めた"私"は、死ぬのだ。それも、恋をした相手に深い傷をつけて。

そんな在り方を私自身が許すことは出来なかった。
私は、貴方にとって良き部下で居られたでしょうか。良き右腕で居られたでしょうか。
もしもそうであるのなら、騎士として生きることを決めたナマエという存在は間違いなく幸せな死を迎えられたのだ。

だと言うのに、人間と言うものの醜い欲望を自ら実感するばかりだ。
墓場まで持って行き、今後その想いを伝えることなど二度とないと思っていたのに、たった一度しかない奇跡のような機会を目の前に、想いが自ら制御できない程に、溢れ出てしまったのだ。
互いにサーヴァントとして英霊の座に登録されるには逸話の足りなかった身であったが、イフの世界での行いがあったからこそ、このカルデアの召喚システムに於いて、現界が叶った。勿論、彼に最初に語った自らの願いは召喚され、ベディヴィエール卿と会えた時点で叶ったようなものであるというのは嘘ではない。
もしももう一度貴方に会うことが出来たのなら――それは"あり得ないことである"から、神に感謝する程のことであると。

目を瞑れば目の前に広がるのはブリテンでの、キャメロット城でのありし日々だ。
ヴォーディガンを討ち果たしたアーサー王の名はブリテン中に知れ渡り、かの王の民の幸福を願う理想を知り、女でありながら魔術師でありながらも剣を取ることを決め、騎士となった。
そこで出会ったのが、ベディヴィエールという青年だった。

配属が決まり、王の世話役である彼の部下になることが決まった日、円卓の騎士の一人であるベディヴィエール卿が待機する応接間に訪れた私は、煩く逸る胸を抑えて、彼に膝をついた。
輝くような長い銀髪に、慈悲深く優しい翠の瞳。男子とは思えぬ程に整った顔立ちをしながらも、誰よりも芯の強さを感じるような佇まい。
そして、何よりも特徴的な隻腕。片腕ながら、並みの騎士よりも腕が立つのだ。この方が、アーサー王の世話役の方。そう思うとごくりと生唾を呑まずには居られなかった。

魔術師であることを彼はどのように受け取るのだろうか。
地元で、そして同期である騎士たちにも、魔女だと密かに囁かれていたことを知っている。
それは間違いのない事実だ。それが私と言う存在だ。マーリン様のような大魔術師ではないけれども、母が自分を身籠っている時に精霊に受けた加護の魔術を行使出来る。

「我が名はナマエと申します、ベディヴィエール卿。若輩者ですが、以後宜しくお願い致します。我が剣と魔女と謳われし魔術……貴方の下で、アーサー王の理想を叶える為、ブリテンを守る為に存分に振るいましょう」

仰々しく地面に膝を付いて挨拶をし、首を垂れていた為に、ベディヴィエール卿の顔は見えなかった。微力ながら、その力をアーサー王を守る為にも使って頂きたいという私の想いを知ってか。彼は丸く開いた瞳を優しく細め、あろうことか手を伸ばしたのだ。


「貴方の話は他の騎士からも耳にしています。貴方の力は精霊が授けてくださった尊きものです。そして、貴方は魔術師でありながら……騎士としての道を選んだ。同志である貴方は、騎士は、道具ではありません。アーサー王を、アーサー王の守るブリテンを守る為に剣を掲げるということはそれぞれの信念と意志が無ければ、成長を止めるでしょう」
「ぁ……」
「とはいえ、私自身も人に説教を出来るほど立派な騎士である訳ではありません。私は、ベディヴィエール。他の円卓の騎士には遠く及ばぬ未熟者ではありますが、宜しくお願いします」


そもそも何故彼に恋心を抱くようになったのか。
きっと、この時彼に言われた言葉と、伸ばされた手を取ったことにあるのだろう。あまりに些細だったのかもしれないけれど、私には十分すぎる意味を持っていたのだ。私の力を精霊から授かった尊きものだと語り、魔女ではなく、同輩である騎士だと言ってくれた。
それは確かに、私には意味のあることだったのだ。
1500年もの時が経って、ブリテンとは異なる場所に再び呼ばれることになっても、消えない程に刻まれていた程に。


突然彼が居た部屋を訪ねたことに驚いたらしい彼は目を丸くしていたけれど、私の様子に対して何かを察したらしく、静かに話を聞いていた。
こんなにも時が経ってから打ち明けられても困ることは、十分理解している。受け取っても困る愛情――とは、このようなものを云うのだろう。だからこそ、現在進行形で抱いている愛情に、身勝手ながら終止符を打ちたいのだ。瞳が曇るような事なく、共にマスターのサーヴァントで在り、貴方の隣に仕える"騎士"として胸を張る為に。


「ベディヴィエール卿、私は貴方にずっと。嘘を吐いていました」
「……うそ、ですか……?」
「えぇ。本当に臆病で卑怯な人間だったのです、私は」


けれど、ギャラハッド卿ではなくマシュ自身の経験に基づいた声に、目を覚ました。
奇跡と言うものは都合よくあるものではなく、その奇跡の上に存在しているからこそ見られた景色、抱けた感情、大切なものが数え切れないほどに沢山あるのだと。

確かに、その通り。
この奇跡があったからこそ、円卓の騎士達が主に対して共に肩を並べて剣を掲げる姿を見ることが出来た。その一員になることが出来た。
再び淡い恋心を抱いたまま、マスターのサーヴァントとして、彼の部下として仮初の生を得た。イフの世界で長い旅に出たベディヴィエール卿の結末を知ることが出来た。ベディヴィエール卿に対して、想いを告げてしまう機会を得た。
――あぁ、なんて尊いものを得られているのでしょうか。


「私は、貴方程誠実な女性は見たことがありません。忠義を全うして、私が立ち去った後のカムランの丘にて……実に多くの騎士を救った。多くの者を還る場所へと導いた。そんな、自身を卑下するようなことはないのですよ」
「いえ、いえ。ベディヴィエール卿。ガウェイン卿にもお言葉を頂きましたが、アーサー王をお守り出来なかった無力さはありながらも、私は私なりに騎士としての使命をあの日まで全う致しました。ですが、それは同時に貴方に対して嘘を吐き続けていたことに値します」
「……その嘘は、私ではなく……貴方を傷つけていたのではないですか……?」
「!それは、」
「違うとは、思いません。そうでなければ貴方に悲痛な叫びをさせることは無かった筈です。私はこんなにも遅く、確信しました。……私はきっと貴方を傷付けていたのだと」


どうして、そんな言葉が出てくるのだろう。
貴方は本当に、常に人に対して謙虚で、自分に責があるのだと自分自身を戒める。
だって、この傷は自らの分を弁えないような身勝手な恋心から出来たものだ。彼のせいではない、自業自得なものなのだから。貴方が責任を感じる必要はないのに。

首を横に振ってそうではないのだと訴える私に対し、ベディヴィエール卿は伏し目になる。貴方は優しいから、自分のせいだと自身に枷を付けてしまう。

「ベディヴィエール卿。貴方が悪いのではありません。全て私の自己責任なのです。寧ろ貴方を巻き込んでしまいましたことをお詫び申し上げます。……そして重なる非礼をお詫びしますが、どうか、お聞きください」

これで、最後にしましょう。
無礼な女としての感情を捨てられないあまりに、彼に気を遣わせてしまうことも。女としての未練も。
何せ、私の本質はアーサー王とベディヴィエール卿に忠義を尽くすブリテンの騎士なのだから。


「私は、部下としてでも騎士としてでもなく。貴方をお慕いしておりました」


ごめんなさい――そう言うべきだったのかもしれないが、謝罪の言葉が喉に閊えて出てこなかった。墓にまで持って行った言葉を口にして、自ら瞳が潤むなどなんて情けない事だろうか。恋をしてはいけない相手に恋をし、その想いを告げた代償はよく分かっている。女性としてのナマエは、騎士になる時に村娘である自分を捨てたあの日のように、泡沫に還そう。

けれど、後悔は無かった。
この告白が優しいベディヴィエール卿をどれだけ傷付け、悩ませるかと解っている筈なのに。
今日でその未練も終わりにしますと言うように、彼に仕えた一騎士として戻ろうと出会ったあの日のように膝をついて頭を下げようとしたそれより前に。
手が、伸ばされた。


「……ベディヴィエール、卿……?」
「……私はつくづく、鈍い男ですね。自分で飽きれてしまう位に。本当に、ずっと貴方を傷付けてきたのですね」
「っ、いえ、それは私が……!」
「そして今、複雑な気持ちです。驚きや安堵――高揚に歓喜という感情だけではなく、先を越されてしまったことに、男としては悔しくあります」


照れ臭そうに、優しく微笑むベディヴィエール卿の表情に、一瞬夢を見ているのではないかと疑ってしまう。困惑し、罪悪感を抱いた彼に憂いを帯びた表情をさせてしまうことを確信していたからだった。
驚き。それは、分かる。こんなにも長い時を経て突然、内に秘め続けていた想いを、部下に告げられたのだから。
安堵。それは、もしかしたら何となく分かるかもしれない。私が一体何で悩んでいたのか漸く判明して、閊えが、取れたのかも、しれない。
高揚。歓喜。それは、どういう意味?

その瞳は彼の内面が滲み出るような慈愛に満ちたものではあるものの、何時もと違うような気がした。内側に揺らめくような、彼の強固な意志や信念のように静かに灯し続けるような蒼い炎のようなものだったからだ。長い時、彼の元に仕えて来たけれどこんな顔は見たことが無かった。
伸ばされた手を掴むことを躊躇っている間に、彼は宙をさ迷う私の手を取った。


「……先ずは、貴方の誠意に敬意を。そして私も応えましょう。私はこの刹那の時だけでも……貴方を幸せにしたいと思っています」
「……っ」
「例え他の誰かが貴方を幸せに出来るとしても、その役割を譲りたくないと思うのです。確かに私は、貴方に恋をしました。……気付くのも、伝えるのも貴方より遅くなってしまいましたが。男としては少々不甲斐ないばかりです」


あぁ、なんて、幸福なことなのだろうか。
頭が真っ白になると同時に、自然と瞳からは雫が零れ落ちる。無意識に流れたそれはぽろぽろ、と次から次へと落ちて止まらず、泣き方も、泣き止み方も忘れてしまった子供のようだった。

身に余る光栄で、本当にこれが現実であっていいのかと思ってしまう程に信じられなかったけれど、繋がれたその手の暖かさは確かなものだった。
後手に回ったことに苦笑いをするベディヴィエール卿は目の端に溜まった涙を指で拭って「無骨な手ですみません」と苦笑する。隻腕に付けられた、銀色のアガートラム。体温とは違って冷たいけれど、それもまたベディヴィエール卿であるのだ。
繋がれていた手を離したベディヴィエール卿は背中に腕を回してふわりと抱きしめる。すっぽりと彼の身体に包まれ、その体格差を改めて実感するのだ。どれだけ見目麗しいと言われても、彼は男性なのだ。


「奇跡のような再会で漸く気付けた私の愛情は、騎士として上司である私に縛り付けている貴方を再び傷つけるものだと思い込んでいましたが、こんなにも、嬉しいなんて」
「ベディ、ヴィエール卿……」
「貴方に想われていたことに気付かなかった生前の私の過ちを反省したいですが、今はただただ嬉しいばかりです。私は、貴方の願いを叶えられるでしょうか……?」
「っ、……はい……!」


そんなの、当然だ。
あの時「ベディヴィエール卿には叶えられないもの」だと告げてしまったけれど、私の哀れな女としての願いは、彼にしか叶えることの出来なかった事実の裏返しだったのだから。
血と死が蔓延する荒野で、アーサー王の身体を抱えて戦場を立ち去る時も、エクスカリバーを返還出来ずにアーサー王が消えたことでその剣を返還する旅に出た時も、武運を祈って静かに見送ったことに後悔は無かったし、生前のナマエも確かに幸せだったと断言できる。けれど、彼の腕の中で泣くことが許されるという願いが叶った幸福には勝らない。

泣き顔を見せてしまった羞恥心が遅れてやってきて、ベディヴィエール卿の腕をとんとんと叩いて彼の名前を呼ぶと、ベディヴィエール卿は何かを考えこんだような顔で思案すると、彼もまた"お願い"を口にしたのだ。


「以前も二人の時はもう少し砕けた口調で話すことが出来ましたが……名前を呼んで欲しいんです。ベディヴィエール卿、というのは騎士としての敬称でしょう?」
「え、えぇ!?じょ、冗談ですよね、ベディヴィエール卿?」
「ですから、そうではなく」
「う、うう……」


別に彼は困らせようとしている訳ではなく、単に純粋な願いを口にしているのだとは解っている。困ったような顔をして無理を言ってしまっているでしょうか、と眉を落としているのが何よりの証拠だ。
だからこそ羞恥心と、これまでの慣れのせいで違和感を覚えてしまう躊躇いでなかなか「ベディヴィエール」と呼ぶ勇気が湧かない。だって、つい先ほどまで彼は忠義を尽くすべき尊敬する騎士だったのだから。

どうしようとおろおろする自分に突き刺さる期待の眼差しに遂に耐え切れず、震えそうになる声を絞り出す。


「……、ベディヴィエール」
「はい。やっと……私の名前を、呼んでくださいましたね」


常にベディヴィエール卿と呼んでいたことで隔たれていた最後の壁は、取り払われた。

純粋な少年のように嬉しそうに微笑むベディヴィエールに、こちらの胸まで満たされる気分になり、瞳から零れ落ちていた筈の涙は気付けば止まってしまっていた。
彼に忠誠を誓っていた騎士の自分は、右腕とは言いながらも常に一歩下がっていた関係だったからこそ、関係が変化してしまうとこれからどういう立ち位置になればいいかが分からなかった。サーヴァントとして彼と共に征く時は、何時もと変わらずにマスターの身を守り、そしてベディヴィエール卿を支える騎士であることに徹する。それはブリテンの騎士、ナマエとして召喚されている以上、変わらぬ本質だ。
けれど、こういう、二人の時は?
難しい顔をしていることに気付いたらしい彼は、くすっと笑い、身体を話したかと思うと流れるような動きでその膝をついた。
それは、部下が主や上司にすることだと慌てて「た、立ってください!」と声をかけたのだが、彼は首を横に振り、証を立てるのだ。

「いえ、これは私の忠義の証。騎士としてではなく――ベディヴィエールという男が、貴方という一人の女性に対する忠義です」

――あぁ、貴方は余りにも狡い。
騎士として力が劣っていると卑下していたけれど、誰よりも共感性があり誠実で、優しくも観察力や洞察力に優れた格好いい人。
だから、私は1500年が経とうともその想いを一番の願いに掲げるほどに、愛したのだ。
その想いを受け取って、伸ばされた手を再び重ねた時、止まっていた筈の涙は自然にまた零れ落ちたのだった。

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