虹彩に焦がれる純白
- ナノ -

虹彩に焦がれる純白

生前、ナマエには人生の伴侶は居なかった。
それは当然、騎士になると決めた日に女としての人生を捨てたことも要因となっていただけではなく、恋心を抱えたまま生涯を終えようと決めていたからだ。
胸を占める存在が居るのに他の男性を愛することも出来ないし、そもそもアーサー王が死した後は騎士の役割を終えたとはいえ、切り替えて剣を捨てて一般の女性に戻ることは自らの王への忠誠心故に出来なかった。
つまり、初恋に生き、初恋に死んだ。
それでも構わないと思っていたし、幸せな人生だったと自ら語れるほどではあるが、まさか死した後も初恋に生きられるばかりか叶えられる日が来るなんて、可能性も考えていなかったほどだった。


ベディヴィエール卿――ベディヴィエールと、恋人という関係になってからは、煌々と世界は輝いていた。
別に特別恋人らしいことをせずとも、ただ一緒に居るというだけでも幸せだと感じずにはいられなかった。
寧ろ何かを大きく変えようと互い気張らずに居られるのは、共に過ごして来た時間が長すぎたという所もあるだろう。
そして。互いに純真かつ初心という点に起因していた。


「今日はベディヴィエールとのシュミレーターの日……ふふ、楽しみです」

彼と共に戦場を駆けることは今でも楽しかった。それはやはり騎士である以上、変えられない性というものだろう。
当然常に消滅の危険性もある戦場ではあるが、生死を賭けながらも常にアーサー王の為に彼と並んで戦うことが当たり前だったからこそ、再びそれが叶うこの状況に堪らなく高揚するのだ。
一騎当千ではなかったベディヴィエールの隊ではあるが、サーヴァントとなってからは両者共に宝具を得て、マスターの力となれていることを実感すると共に感謝さえしていた。

ベディヴィエールとの戦闘訓練であるシミュレーションを楽しみにして足も軽くなり、剣を磨いていこうかなんて考えていたのだが。
廊下を歩いてきたマスター、立香はナマエの顔を見るなり「あっ!」と声を上げて駆け寄った。


「よかった、探してたんだ。ナマエ、ちょっと来てくれないか?」
「は、はい、マスター!」


マスターの用事に疑いも持たずについて行くナマエだったが、立香の様子が何時もと異なることには気付いていた。
まるで何かを楽しみにしているような、弾んだ声音に朗らかな笑顔。
そしてその笑みは何処か自分に向けられているような気がしてならなかったのだ。気のせいかもしれないと首を横に振り、ナマエは立香が止まった部屋の前で足を止めた。
わざわざ場所を移すような大切な話があるのだろうか、なんて考えたナマエの思考は、立香が開いた扉の先に広がっていた光景に吹き飛ぶことになった。


「え、っと……あの、マスター?何故円卓の騎士の方々が揃い……こちらを、微笑ましそうに見ているのでしょうか……?」
「いえいえ、お座りくださいナマエ」
「えぇ、どうぞどうぞ」


まるでこれから会議でも始まるかのように、円卓の騎士達がテーブルを囲うように着いていた。
戸惑うような視線を立香に向けて急に子犬のような態度に変わり、逃げ腰になるナマエに対して、ガウェインは笑顔で中央の椅子に座るように促す。
上司である彼らに逆らうことは出来ず、ちょこんと座るが、彼らの笑顔と気まずそうで羞恥心をかみ殺したような表情をするベディヴィエールに妙な違和感を覚えて、一体何が始まるのだろうかとびくびくと震える。

トリスタンはフェイルノートを鳴らしたと同時に、パン!と大きな音が耳を突き抜けた。
吃驚して肩が跳ねたと同時に、目の前で色とりどりの紙テープが宙を舞った。それがクラッカーという、現代におけるパーティグッズであるという知識はあるが、何故今自分に対して円卓の彼らとマスターがクラッカーを使ったのか分からず、ナマエは思考が停止していた。
だが、唯一クラッカーを持たずに、恥ずかしそうに顔を覆っているベディヴィエールの姿に、ゆるゆると意識が引き戻される。


「へ」
「おめでとうございます」
「えぇ、ベディヴィエールから話はお聞きしました」
「まさか、二人の関係が変わる日が来るとは……召喚されるものですね」
「……!……っ!?」
「……すみません、ナマエ……その、私の様子があまりにも浮かれていたせいで直ぐに勘付かれまして」


気恥ずかしそうに咳払いをして謝るベディヴィエールに、ナマエはかあっと耳まで真っ赤に染めた。
つまり、上司にあたる彼らは、自分とベディヴィエールがただの上司と部下であり、アーサー王に仕える騎士仲間という関係から恋人と言う関係に変わったことを全員知ってしまったのだ。何て恥ずかしく、何て恐れ多いことなのだろうかとナマエは飛び上って立香の後ろに隠れ「……こ、こんなに大事にするつもりはなかったのです……!」と震える声で呟く。


「ベディヴィエールの鈍さにさぞ苦労し、健気な清き愛を死ぬまで貫いて生きたことでしょう。個人的にサーヴァントになったらその生を楽しんで恋をすることも有りだと思っていますし、ただ純粋に祝福しております」
「……えぇ、本当にそうですね」
「……何故目をそらすのですか、トリスタン卿。ランスロット卿」
「また貴方たちは……ごほん、確かに鈍かったことは否定できませんが……嬉しいお言葉、ありがとうございますガウェイン卿」
「ふふ……っ、ありがとうございます。……本当に、光栄です」


健気な清き愛、というガウェインの評価に刺さる所があったのか、視線を逸らすトリスタンとランスロットに冷ややかな視線が突き刺さる。そんな彼らのやり取りを見ていると、やはり彼らが再び共に同じ空間に居る奇跡に感謝を覚えると共に、くすりと笑みが零れるもので、立香の後ろに隠れていたナマエはひょっこりと顔を出した。
ふわりと笑う彼女のその時の表情は、戦場に凛と佇む騎士というよりも、やはり薔薇のような華やかで可憐な女性だった。


「ナマエ。貴方の願いは、叶いましたか?」
「はい、トリスタン卿……!」


彼に再び出会いたいという願いとはまた別の、彼に想いを遂げたいという諦めていた、叶える気もなかった願い。
それが叶えられたばかりではなく、ベディヴィエールもまたナマエに慕情を抱いていたことに気付いて通じ合うようになるだなんて、身に余る幸福だ。
それを彼らに祝福されることもまた、ナマエとベディヴィエールの純白な恋心を華やかに彩るのだ。


「今日の晩はお祝いのご飯を用意しましょう!マスターも如何ですか?」
「いいじゃないか!早速エミヤに相談して……」
「?私達が用意しますが」
「はい?」
「え」
「同僚の祝いの席です。ブリテンの晩餐は用意するのが当然では……」
「ナマエ!ベディ!和食好きだよね!?大好きだよね!?」
「は、はい!大好きです!」


ガウェインが作ると発言した瞬間に青い顔でナマエとベディヴィエールに必死な視線を送って叫んだ立香の心境を本人が知るよしもなく。
だが、比較的味覚がまともである彼らが如何にアーサー王語録に「栄養はゲテモノでも変わらない」という文言があったとしても、ガウェインとモードレッドの腕前が酷い有様だったかを知っているから、円卓の騎士でも作るのを避けて欲しい二人だった。
「二人が和食がいいと言っているのだから厨房は彼らに任せよう」というランスロットのフォローもあり、悲惨な晩餐は回避できたのであった。

そして、晩餐の前に予てから今日の予定に入っていたシミュレーションへと向かい、何時ものように戦闘訓練を行おうとしたのだが。
突然モニターが付いたかと思うと、ダヴィンチは二人に和やかにやっほーと手を振った。
ほしてダヴィンチがモニター越しに「今日は仮想のエネミーと向き合うのではなく、ハネムーンを楽しみたまえ!」とメッセージを送って、一方的にモニターの電源を切ってしまったもので、二人は顔を見合わせてぱちぱちと瞬いた。


「ど、どういうことでしょう……」
「立香に気を遣わせてしまいましたね」
「えぇ、申し訳ない程です。……戦闘訓練ではなく、一時の休息にしてもらうなんて」


立香なりの気遣いだと思うとそれを無碍にも出来ず、ナマエとベディヴィエールはその厚意を受け取った。
以前立香をシュミレーターで休息させた時に使い方は一応学んでいたベディヴィエールが場所をとある場所に設定すると、無機質だった部屋の風景が一瞬で変化した。
事前に登録されているエリアしかフィールドとして設定できないが、ベディヴィエールが設定したその風景に、ナマエは目を開いた。萌黄色の草原がさっと風に吹かれて揺れ、シュミレーターとはいえ、薄い雲が広がる青空が目の前に広がる。
この場所自体を知っている訳ではないけれど、非常によく似た景色をナマエも、ベディヴィエールも知っていた。


「シュミレーターで再現したこの風景……不思議ですね、貴方と初めて戦場に出たあの場所に似ていますね」
「えぇ、だから気に入っているのです。ナマエは、周囲の騎士が魔女だと囁く中、剣を掲げて誰よりも騎士らしく戦い抜きました。はは、戦場の薔薇のようだと思ったこともあります」
「薔薇……ですか?そんな大層なものに例えられる程、可憐な振る舞いとはほど遠かったですが……」
「ふふ、本人はそう言うだろうと皆言っていましたが」


初耳の事実に、ナマエは他人事のような気分だった。
何せ、女であることを捨てて騎士として生きた以上、佇まいに清潔感は求めても可憐さは余分なものだと気を遣っていなかった。それに、後々認められるようになったとはいえ当初の自分は魔女だと囁かれていた程なのに、戦場の薔薇だなんて。
そもそも女性が騎士となること自体が少なく、アーサー王やモードレッドという例外は除いてガレスや魔術師でもあるナマエくらいしか名高い騎士はブリテンには居ない。そういう意味でも男ばかりの隊に一人いると紅一点として花となるし、真っ白な甲冑に返り血を受けながらも戦場に立つ彼女は、戦場に散らす薔薇の花弁のようだったのだ。


「女性らしい可憐さに欠けてしまっていた私ですが、ベディヴィエールにそう言って頂けるのは嬉しいです」
「そんなことはありませんよ」
「!」


自嘲するナマエの手を取り、ベディヴィエールは首を横に振る。
その指は細長いけれど、手の平は剣を持って鍛錬を繰り返して来たからか固くなっている。無骨な手だと以前彼女は笑っていたけれど、そこも含めて彼女なのだ。寧ろ、彼女が魔術の使える町娘のままで居て、剣を取った騎士でなければベディヴィエールと出会うこともなかったのだから。
ベディヴィエールはその指に自分の指を絡めて、ぎゅっと握った。奥手で控えめなベディヴィエールが、真剣な眼差しで女生徒の距離を詰めるという姿は、円卓の騎士の同輩でもあまり見たことがないだろう。

顔立ちは見目麗しいとはいえ、長身の体格やその手も、一人の女性に対して恋心を抱き、守ろうとするその信念も。ベディヴィエールは何処までも男性なのだ。


「ナマエ。私たちの関係はこの召喚でしか成立しないかもしれません。守ると言っても互いに剣を持ち、共に戦うという在り方に変わりはない。それが多分ナマエと私の起源と言っても過言ではないでしょうし。……それでも、幸せにさせて下さい」
「……はい」


彼の誓いの言葉が、胸の奥に温かさを伴って染み渡る。
召喚されている短い期間だけでも構わないのだ。本来ならばあり得なかった再会だけではなく、こうして恋人と言う関係であることが自体が奇跡に他ならない身に余る幸福なのだから。
しかし今日からは身に余る、などと卑下するのはやめようと、心の中で唱える。その引け目は純粋に好意を向けてくれているベディヴィエールに対しても失礼なことだろう。


「ベディヴィエールとは本当に、格好良い男性ですね、ちょっと、困ってしまうくらいに」
「そ、それを言うなら貴方は魅力的な女性ではないですか。ごほん、私も男ですので……そう褒められるとお返しがしたくなります」
「お返し?」
「えぇ、そうです」


浮かびそうになる涙を堪えながら、満面の笑みで微笑む。
何て綺麗な表情なのだろうかと息を呑んだベディヴィエールは腰を折って、ナマエと目線を合わせた。
そしてどちらともなく目を瞑った二人の距離は近づき、零になる。重なり合った唇の感触は柔らかく、それまで感じていた羞恥心は溶けて消えていた。

長きに渡る旅の果て――その先にあったものは、忠義に生きた二人の新たな可能性と言う未来だった。


――夢の世界に生きてしまえば、人は自ら望んだ絵しか見なくなる。
人生において妥協と選択と言うものは確かに大事であるが、それでも、全てを諦めることで他者の幸せだけを願って死ぬというのは何とも目覚めの悪い、悪夢の類だ。彼女は英霊の座に登録まで、その悪夢を自ら見続ける道を選んでいた。

あの時、イフの時間軸でエクスカリバーを携えてアヴァロンに辿り着いた、今にも土くれとなって崩れ落ちそうなベディヴィエールの炎を再び燃やさせ、キャメロットへと送り出したが、過酷な道を与えたことは重々ボクにも分かっていた。
それでも。その選択は間違っていなかったと思うんだ。何様だと言われるかもしれないけど、二人が迎えた結末は何とも心地の良い物だ。それが例え泡沫の夢のような出来事だとしても、永遠に続く悪夢とは比べ物にならない。

もしも、ベディヴィエールとナマエが通じ合ったと知ったら――きっと、アルトリアも喜ぶことだろうね。
忠義の騎士である二人の恋はそれ程までに、儚くも綺麗な愛だった。

- 9 -

prev | next