虹彩に焦がれる純白
- ナノ -

戦場に咲いた花の願い

キャメロットでの異変は収まり、オーダーは無事に達成された。
だが、イフの世界でベディヴィエールの無事を祈りながら眠ったナマエが、彼の旅の果てを見届けて消えていったことを、立香たちの判断で伝えてはいなかった。異なる世界で自分が無事を祈り、その果てにシャドウサーヴァントになり果ててしまい、特異点に変化を齎していたことを、わざわざ伝えるべきではないだろうと判断したからだ。
イフの世界の彼女に忠誠を捧げる呪いのようなものをかけてしまったのは自分であるとベディヴィエールは考えていたし、真実を伝えることで彼女にもその感情を共有させてしまうのではないかという不安があったのだ。

彼女の忠誠はマシュにも言われた通り、強制ではなく、本物であることは解っている。光栄なことにも、彼女は他の円卓の騎士には遠く及ばない実力である自分を慕い、仕えることを幸せだと本当に思ってくれていたのだ。
その身に余るような幸福を、こんなにも時間が経ってから当然のことではないのだと気づくなんて、鈍いにもほどがあるのかもしれないが。

だからこそ、もうこれ以上騎士として、上司として彼女を自分に縛り付ける訳にはいかない。
そう考えていると言うのに、新たに芽生えた独占欲というのは、あまりにも欲深い。

一人の男として、ベディヴィエールとして、この泡沫の夢のような時間の中だけだとしても、他の誰かにその役割を任せるのではなく、彼女を幸せにしたいと心の底から想っているのだから。
例え、彼女が抱く願いが「ベディヴィエール卿には絶対に叶えられないもの」なのだとしても。

ベディヴィエールが自由時間で行動を共にすることが多いのは、円卓の騎士の中でも特にトリスタンだった。何せ、彼はベディヴィエールにとっては同胞以上に友人という面が強いからだ。


「……レイシフトから戻ってきたかと思えば、前よりは晴れやかな顔になったように思いますが、何やらまた妙に悩んでいる様子。どうかしましたか、ベディヴィエール」
「いえ……自分の柔軟性のなさに頭を悩ませているだけなので……」
「ベディヴィエールが頑固であることは以前から変わりありませんが」
「トリスタン……貴方は悪気がない分、本当に減らず口と言いますか。えぇ、確かに私は頑固ですが!頭を悩ませるときもありますので!」


ベディヴィエールが一体何を想い悩んでいるのか見当もつかないトリスタンは的外れなことを言って、彼を拗ねさせてしまう。
だが、トリスタンもまさか、ベディヴィエールが久方ぶりに、それも親しい相手に恋心を抱いたことを悩んでいるだなんて思いもしなかっただろう。
彼らのように愛に素直に生きることが出来たならよかったかもしれない。だが、ベディヴィエールは妻子が居た身である。その最期は世俗と離れた修道院に入り、家庭に居る男ではなかったかもしれないが、それでも結婚していたことは事実だ。
ガウェインのように、過去は過去、現在は現在だと簡単に割り切ってしまえば楽だと理屈では分かっているのだが。だが、彼女を幸せにしたいという思いは事実だ。


「何を怒られているのか私には全く心当たりがなく悲しいのですが……ベディヴィエール、貴方は難しく考えるのが得意ですね。いざという時はとんでもなく思い切りのいいことをするというのに」
「えぇ、まぁ……自覚はあります。恐らくここまで考える必要が無いということも、解っています」


自分が一体誰に対して罪悪感を抱いているのか――王を優先して、騎士としての役割を終えた後も家庭に戻ることは無かった家族に対してだろうか。
それとも、ベディヴィエールのそういった事情も知っているナマエに対してだろうか。恐らく、どちらに対してもだ。
アーサー王への忠誠心は、自分の命以上に大切にしている――魂に刻んでいるといっても過言ではないものだからこそサーヴァントとなった今も、胸に抱き続けている。
だが以前の愛は、生きていた頃のベディヴィエールが貫いた。

今の自分は、サーヴァントだ。


「マシュさん、キャメロットで異変があったとお聞きしましたが、大丈夫でしたか?」

一方、マシュの元を訪れていたナマエは、つい先日の案件について問いかけていた。
ベディヴィエールも同行したらしいが、どうやらそこで起こった詳細については自分だけではなく、他の円卓の騎士にも伝えていないようだから、言いづらい内容の物なのだろうと察していたため、別に一から十まで語って欲しいということではないのだ。
ただ、ベディヴィエールに対して余計な心配をし過ぎていることは事実だ。例え、現在気まずい関係にあろうとも。
避けるばかりではなく、謝らなければいけないとは分かっているのだが、タイミングがつかめなくなっていることも事実だった。


「はい。聖杯もありませんでしたし、異変は特別な危険もなく、迅速な事態収拾に務められたかと。ベディヴィエールさんにもご活躍して頂きましたし!」
「そうですか、ベディヴィエール卿が……場所が場所だけに心配していましたが」
「私たちもそのことを懸念していましたが、第六特異点で確認されたサーヴァントはいませんでした」
「……!アーサー王……獅子王の姿がそこに在ったら、と心配していたので安心しました」
「……」


嘘はついていないけれど、まるで騙しているような感覚に、マシュは眉を落とす。サーヴァントの姿はなかったけれど、シャドウサーヴァントはそこに居た。イフの世界でベディヴィエールを見送ったナマエというシャドウサーヴァントが。
しかし、以前話をしたことがあるマシュは、ナマエがイフの世界での自分の存在を認識していたことを知っていたからこそ、複雑な感情を抱いていた。
このカルデアに居るナマエも、違う世界に居る自分が彼の旅を願い続けて死んだことを、彼女は知っていたのだ。それでも、彼女は自身の健気なまでの――身が擦り切れるような献身と忠誠を、ベディヴィエールの負担にしないように口を閉ざす。


「……本来なら、私も同行したかった所でしたが……それは野暮というものですね」
「……あの!差し出がましいことだとは重々承知ですが、それでもお聞きしたいことがあります!……ベディヴィエールさんと、何かありましたか?」
「!」


ベディヴィエールの部下として同行したいと言いながらも、そこに躊躇いが見られるその反応に、ここ数日抱いていた疑問を口にする。マシュの問いに見せた表情の変化は、図星であることを示していた。
あまり人のことに口出しをするべきではないと分かっていながらも、言わずにはいられなかったのだ。
お互いを信頼し合っているのに、大切に思っているのに、遠慮して何かの本音を隠すがゆえに、肝心な部分が唯一噛み合っていないのではないかと。


「……互いに、遠慮をし過ぎているように見えるのです。口出しすべきではないとは分かっているのですが、ベディヴィエールさんが行動と、言葉をもって伝えたからこそ届いた、尊いものを見て来たからこそ……もし、何かがあるって伝えることを躊躇っているのなら、後悔して欲しくないのです」
「マシュさん……」
「一度生を手放したけれど、彼は私に命を託してくれました。だからこそ見られた景色、抱けた感情、大切なものが数え切れないほどに沢山あります。私は、この奇跡の上で得たものを大切にしていますし、こういう奇跡は本来あり得るものでもないと解っているのです」


――先輩と呼ぶ、業火の中で手を握ってくれた彼と共に再び歩める奇跡など、現実そう都合よく誰にでも起こることでもないのだ。本来なら、立香の顔をもう一度見られる日なんて、訪れなかったかもしれない。
それは、ベディヴィエールとナマエにも当て嵌まることだった。
本来ならばそもそも英霊の座に登録されることが無かった両者は、イフの世界での過ちがあったからこそ、英霊の座に召されることになり、このカルデアで再び出会うことになった。普通ならばもう一度出会えることが無かった筈の二人が再会できたのは奇跡に他ならないだろう。
たった一度しかないかもしれないチャンスで、後悔をしてほしくないと、マシュは心から想っていたのだ。
それは痛いほど、ナマエの胸の奥に響いた。もしもこのまま仲違いをして、たった一度しかない機会をこんな形で終わらせてしまったら――余りに、悔やんでも悔やみきれない。


「……私も、英霊となったこと自体が奇跡みたいなものです。そのお陰で出会えたマシュさんに、私は多くの物を頂いています。それは……ギャラハッド卿だからではなく、マシュさんだからこそなのでしょう。貴方との出会いに感謝せずにはいられません」
「ぁ……」
「ありがとう、臆病で卑怯な私の背を押してくれて。騎士として、英霊として、心より尊敬致します」


この感情に終止符を打つためにも、淡い恋心は伝えた上で、前に進もう。報われないものを胸の内に秘めて距離を取りながら付いていくよりも、曝け出して、もう終わった恋心なのだとけじめを付けるべきだ。
だって、報われることを望んでいる訳ではないのだから。そういう想いを抱いていた自分は生前の自分であり、今の自分は英霊であるのだと区切りをつける為にも。

臆病で卑怯――マシュの目にはそう言えない程に、礼儀正しく騎士として礼をする彼女は、誰よりも美しく、そして凛とした姿に見えた。
散る儚さを知りながらも咲き誇る薔薇の如き騎士。そう称するのも、相応しい程に。


1500年前は口にすることは出来ず、墓にまで持って行ったその本音を打ち明けるともなると、きっと色々なものがお互いの中で変わってしまうだろう。
――これまでだって、一度としてこの恋慕が報われたいと思ったことは無かった。それは遠慮以上に、戒めでもあったからだ。
自らはアーサー王に仕える騎士であり、女であるよりも騎士であった。ベディヴィエールに対しての忠誠心を、慕情で曇らせてはいけないと律し、右腕になることに努めてきた。

例え本音を打ち明けたとしても、英霊は別の場所で呼ばれた記憶を保持しない場合もある。つまり、英霊の座に登録された本体であるベディヴィエールには『ナマエがベディヴィエールに対して好意を抱いていた』という記憶が残らないかもしれない。
それに、両者共に人理焼却という特殊なケースだったから英霊の座に登録され、召喚されたという面が強い。他の聖杯戦争では召喚されない可能性の方が高いと考えた方がいいだろう。つまり、チャンスは本当にたった一度きりだ。

ナマエの足は、ベディヴィエールの居る部屋の前で止まる。半開きした扉から、武器の手入れをしているベディヴィエールの姿が見えたのだ。別の誰かがそこに居たら機会を改めようとしたが、丁度いいだろう。
自らの心に問いかけ、大丈夫だと数回頷く。そして「失礼します」と声をかけつつ扉を開くと、ベディヴィエールの驚きに開かれた目とばっちり合った。

「ナマエ……?」

あの日以来、露骨に避け続けていたのは自分だ。彼が驚くのも無理はないだろう。
身勝手な感情で彼を振り回していることは重々理解している。そして、この後もまた私情を挟んで彼を振り回そうとしているなんて、余りにも不敬な話かもしれない。

「ベディヴィエール卿、お話が、あります」

けれど、どうか。
墓場まで持って行った水底に沈んだその想いを。
泡沫に還す為のたった一度しかない機会を。
私にお与え下さいと願ってしまうのは、聖杯に望むよりも贅沢な願いというものなのかもしれない。

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