虹彩に焦がれる純白
- ナノ -

旅の果てを見届けた少女

未だにナマエとのすれ違いが続いているベディヴィエールの元に、管制室に来るように伝えられたのはその日の午後だった。マスターである立香、そしてマシュが呼ばれていた上で、ベディヴィエールにも話があるということで招集されたのだが。
管制室に緊張感が走っていることから、今回の件が人理を崩壊させた特異点ほどではないとはいえ、深刻なものであることはベディヴィエールにもすぐに理解できた。
だが、一つだけ引っかかっていたのは、なぜ自分がこの場に呼ばれたのかということだ。

何せ、立香とはまだ特異点の旅を行っていない、サーヴァントとしては新人であり、実力に関しても他の円卓の騎士である彼らには劣る。自分が呼ばれるような理由がそこにはある筈で。
緊迫した空気の中、ロマンに問いかけたのはマシュだった。


「ドクター、何が起こったのですか?」
「それがね……特異点自体は確かにこの間の君たちの活躍によって消滅した。それは確かだ。だが、イェルサレム……というより、キャメロットに反応があるんだ」
「キャメロットに……!?」
「正しい歴史に戻そうとする中で一際反応が強い歪……聖杯が絡んでいる訳ではないだろうけど、調査するに越したことは無いと判断して君たちを呼んだわけだ」
「……私が呼ばれた訳が分かりました。王都キャメロット、そこに何か異変があるのなら、私としても気になるところです。ぜひ、その調査に同行させてください」
「ベディヴィエール……了解しました、ドクター。任せて下さい」


王都キャメロットで何かが起こったということなら、円卓の騎士の中でもベディヴィエールだけが呼ばれたのは立香達も納得できた。召喚されたばかりの彼らをキャメロットに連れて行くのは、躊躇われても仕方がない。
それならナマエに声をかけるのはどうかと考えた所で、ベディヴィエールは首を横に振る。
気まずさは確かにあれども、今の彼女を戦場に連れて行くのは、自分が参加することが決まっている以上危険だ。騎士ではあるが、自分をサポートする立場にあった彼女の判断が鈍ってしまう可能性もある。

マシュと立香に声をかけられ、ベディヴィエールはコフィンに入る。
眩い光に包まれて意識が一瞬飛んだと思ったのもつかの間、目を開くと懐かしい城の風景、そして故郷の香りが鼻を掠めた。
この場所こそが、ベディヴィエールがアーサー王の元に仕えていた懐かしき白亜のキャメロット城だ。しかし、特異点自体は既に消滅している筈なのだが、亡霊と化している粛清騎士が城を徘徊している。


「ドクター、異変の発生源はどちらにありますか!」
「キャメロット城内に入った中庭の辺りの反応が強い。そっちに向ってくれ!」
「了解です!まだ残ってる騎士たちと戦いになるかもしれないけど、マシュ、ベディヴィエール、行こう!」
「承知しました、マスター!」


城門をくぐり、立香たちはキャメロット城内へと入って行く。途中、粛清騎士が襲い掛かってくるのをマシュとベディヴィエールが防ぎ、そして打撃を与えて沈黙させる。
一人一人の練度はなかなかのもので、一度戦って彼らの実力を知っているとはいえ、苦戦させられていた。乱れた息を整えたマシュは、立香の無事を確認するために振り返り、ほっと一息吐く。

剣を振り払ったベディヴィエールは"初めて見るキャメロット城"の様子に言葉を失っていた。
その有様に――という訳ではない。この場所に騎士王、いや、獅子王が確かに居たのだ。それはかつて自分が仕えたその人というよりも、イフの世界の王だったが、それでもベディヴィエールが忠誠を誓うその存在に変わりはない。
今の自分に、長い長い悠久の時を跨ぎ、このキャメロット――イェルサレムを旅していた時の記憶は無い。
自分が漸く成し遂げたという王への忠義も、獅子王がどんな顔をしてこの特異点を去ったのかも、知らない。
だが、確かに胸が満たされる感覚だけはあるのだ。

どんな形であろうともこの場所で獅子王は生きて、そして恐らくは悔いることもなく、その生涯を終えたのだと。
キャメロットに来たことで、それを感じ取れただけでも、ベディヴィエールは『違う世界の自分の行い』が正しいものだったのだと実感することが出来た。


「ベディヴィエールさん?」
「あ、いえ……つい、感傷に浸ってしまって。いけませんね、ここは戦場であり、危険が待ち受けていると言うのに」
「思い入れのある故郷なんだから仕方ないさ。ベディは」
「ここは私が居た場所と全く同じではないなんて分かっていますから」


そう、この場所はキャメロットであって、自分が居たキャメロットではないのだ。
立香達に気遣わせてしまったことを詫びて、立香を守るようにマシュと共に前を歩き、問題の場所であるキャメロット城の中庭へと向かう。

その空間は一目で見ただけでも分かるように、その空間だけは異様な雰囲気が漂っていた。怨念とは違う負の感情――それはまるで、妄執のような。絡みつくような執着心を感じるのだ。
マシュとベディヴィエールは警戒心を強め、立香を振り返る。その中央には、黒い煙を纏った人影がそこに在った。甲冑を身に纏っているようだが、粛清騎士のそれとは違うことは分かる。
度々レイシフトした先に現れるシャドウサーヴァントであることはすぐに分かったが、待ち構えるわけでもなく呆然と時を刻むように立ち竦んでいた。そのシャドウサーヴァントは、立香達の気配に気が付き、振り返った。


「シャドウサーヴァント!……こ、この姿は……」
「これは、まさか……」


その姿を確認したマシュは狼狽し、ベディヴィエールは声を震わせる。
シャドウサーヴァントといえども、カルデアに居るサーヴァントとは似て非なる存在なのだとは理解しているが。
ナマエの姿をしていたことに驚きが隠せなかった。何の因果があって、特異点となったキャメロットには存在していなかった彼女が、このキャメロットという地に呼び出されることになったのか分からなかった。
確かに縁があるからこそ、消えゆくこのキャメロット城に何らかの理由で召喚される可能性があったのだろう。

彼女は立香達を見ていたけれど、見てはいなかった。その眼差しはもっとどこか遠くの、夢を見ているかのような虚ろな眼差しだ。


「ナマエ、なぜ貴方がこの地に……このような形で……」
『私は虚ろな意志、虚ろな願いの形……あぁ、全てが終わった後のキャメロットに呼ばれる私は、此度もその結末を知ることは叶わなかった……』
「そうか、分かったぞ、立香くん!ナマエが英霊の座に登録されて召喚されたことで、この特異点であるキャメロットでは霊体でしかなかった彼女の意思はシャドウサーヴァントとして現れたんだ……!」
「ナマエさんが召喚されたからこそ、実体化して異変となっていたということですか……!?」


特異点キャメロットの時点では、彼女は英霊の座に登録されていなかった英霊だ。故に、サーヴァントとして現れることもなかった。ベディヴィエールもまた英霊の座に登録されていなかったが、彼はキャメロットにおいては生者だった。
シャドウサーヴァントのナマエは、ベディヴィエールの顔を見ながらも、彼だと認識しているかどうかは怪しかった。彼女は空を仰ぎ、うわ言のように呟く。


『ベディヴィエール卿……貴方は旅を、終えることが出来ましたか。その忠義が報われることはありましたか』
「――」


その意味を理解しているのは、もしかしたらカルデアに召喚されたベディヴィエールではなく、生者としてイフの世界を生きたベディヴィエールの旅の果てを見守った立香とマシュなのかもしれない。
だが、特異点での記憶が残っていないベディヴィエールにも、このシャドウサーヴァントである彼女が、自分が為そうとした王への忠義を示す為の果てしない何らかの旅の無事を祈り続けてくれていたことに気づいたのだ。
きっとそれは、彼女が寿命を迎えるその最後の日まで。
こんなにも周りの円卓のメンバーに比べて実力の劣っていた自分に、身に余るような献身と忠誠を、彼女は捧げてくれていたのだ。

何て光栄なことだろうかと思う以上に、それは彼女を縛り付けていたのではないかという思いが過る。
それと同時に脳裏に浮かぶのは、彼女が先日自分に対して告げた本音だ。
――私には叶えられない願いを彼女は確かに抱いていた。だというのに、その生涯を、その忠誠心を、彼女はこんな自分に捧げたのだ。自分のせいで彼女を不幸にしてしまい、こうしてシャドウサーヴァントとして現れるほどに追い詰めてしまっていたのではないかと思うと、己の罪深さにベディヴィエールは奥歯を噛み締める。

「私を、責めてもらっても構いません、ナマエ。大切に思っていた貴方の願いを知らぬうちに潰していたばかりか……私の旅の果てを心配して眠ったその未練ごと、今断ち切ろうとしているのですから」

ベディヴィエールは剣を引き抜き、その銀の腕を光らせる。
その決意を感じ取ったマシュもまた盾を握って前に出て、立香へと合図をする。ベディヴィエール達から戦意を感じたことで漸く彼らを敵だと認識したナマエは、その剣を引き抜いて立ちはだかった。


「来ます!」
「彼女は接近戦以上に魔術を得意としています!お気を付けください!」


ベディヴィエールとマシュが飛び出したと同時に、激しい戦闘が始まる。剣と盾がぶつかり合う金属音が城に響き渡る。
違う姿とはいえ、まさか彼女と剣を本気でぶつけ合う時が来るなんて、思いもしなかった。手合わせをすることはあっても、こうして命の駆け引きを彼女としなければいけないだなんて。
あぁ、これも罰なのだろうか。

ナマエが放った炎の熱に痛みが走るが、ベディヴィエールは剣でその炎を振り払い、彼女の懐に潜り込む。
私と同じで、魔術の才はあれども剣はせいぜい人並み以上で、努力を重ねてきたことはベディヴィエールも知っている。
自分の手で彼女の妄執に引導を渡す――あまりに、それは傲慢なことのようにも思えたが、この地に今はもう居ないイフのベディヴィエールを心配しながら留まり続ける彼女を放って置くことは出来なかった。
私に記憶は無いけれど、確かにそのベディヴィエールは自分が為すべきことを成して消えていったのだと、伝える為に。

「スイッチオン――アガートラム……!」

金の光を帯びた銀色の腕の一撃が、彼女の闇を切り裂いた。
がくんと膝が折れて、身に纏っていた靄は薄れて、目に光が僅かに宿る。わき腹を押さえて苦し気に息を吐いたナマエだが、ベティヴィエールを見上げた彼女は目を開いて、そして潤ませた。


「あぁ……ベディヴィエール卿……あなた、だったのですね……」
「はい、私です。ナマエ。……貴方をこの地に縛り付けてしまったばかりではなく、このような……」
「いえ、いえ、いいのです。よかった……私の旅も……やっと、終われる……」


ベディヴィエールがナマエに対して謝ろうとしたことを彼女は察したのだろう。
首を横に振り、崩れて消えかかるその腕を伸ばして、ベディヴィエールの頬を撫でた彼女の瞳からはぽろりと一滴の涙が伝い、零れ落ちた。
安堵し、幸せを噛み締めるかのように微笑んだ彼女に、ベディヴィエールは堪らず消えゆくナマエを抱き留める。彼女は、自分を恨む訳ではなく――こんな時に於いても、ベディヴィエールの王への忠義と献身が果たされることを、自分の喜びとしているのだ。

腕の中に居たナマエが景色に紛れるようにふっと消えていった。
抱き締めていたその存在はもうなく、ベディヴィエールは拳をぎゅっと握りしめ、振り切るように立ち上がる。その表情が悲しさを押し殺すような笑みだったからこそ、立香とマシュは咄嗟に声をかけられなかった。


「……彼女は……私が行ったという旅の無事を、祈り続けてくれていたのですね」
「イフの世界のナマエさん……正しい時間軸で亡くなったんですよね。でも、ベディヴィエールさんが果てしない旅に出たことを知っても見送って、無事を祈り続けた……」
「なるほど、彼女が英霊の座に登録された理由はこれだったのか。その献身が、死した後も願いとして残り続け、獅子王に届いていたんだ」


ロマンの指摘に、ベディヴィエールは声を詰まらせる。
永き月日、自分の旅の無事を祈り続けてくれた。自分の身を心配し続けてくれている人が居た。実力も劣っていた自分を信頼し、忠誠を尽くしてくれた人が居た。
あぁ、なんて恵まれていて――そして彼女に何も返すことは出来ていない。それどころか傷つけている己の無力さに、ベディヴィエールは表情に影を落として俯いた。


「私では、この泡沫の夢のような召喚の時くらい、彼女を幸せには出来ないのでしょうか。私では……彼女の言った通り、幸せには……」
「いいえ!それは違います!」
「ま、マシュ!?」
「この身に宿る霊基もそう言っているのです!私自身が彼女と話して感じたことでもありますが、願いは確かにかなえられなかったかもしれなかったけど、ベディヴィエール卿の仕えたことを彼女は確かに生きがいにしていましたし、幸福だと思っていたことに違いありません。……それは否定しないであげて、ください」
「マシュ殿……はい、そうですね」


彼女の信頼感までを否定するのは確かに間違っているだろう。それはきっと、自分のアーサー王に対する忠義を王自身に正面から全て否定されるようなものだ。
ナマエが隣に居ることを当たり前だと思っていたことを気付かされたけれど――彼女が隣に居たことがどれだけ幸せなことだったか身に染みるのだ。
例えこのカルデアでの召喚がたった一瞬でしかないとしても、彼女を騎士としてではなく、そして部下としてではなく。幸せにしたいというのが、ベディヴィエールに湧き出た強い意志だった。

彼女は自分では叶えられないものだと言ったけれど――もし他の誰かが、彼女を自分と過ごした時間以上に幸福にするのなら。それがナマエにとっては最善の選択だと認められなかった。
否、自分がナマエを幸せにしたいし、笑顔を見たいのだと思ったところでふと気づく。
それは、恋慕と、情愛と変わらないのでは?


「ベディヴィエールさん?」
「いえ……はは、私はつくづく鈍い男だと実感したのです」


こんなに時間が経ってから変わるものもあるのだろうか。
だが、それも全て獅子王による恩恵と、カルデアという場所で召喚された奇跡のような巡り会わせがあったからこそだろう。
――イフの世界の私の旅に、意味はあったのか。
確かに意味はあったのだ。全てがこうして繋がっているのだから。

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