虹彩に焦がれる純白
- ナノ -

忠義で埋めた叶わぬ願い

罪を自覚して、贖罪を果たすことで成し遂げられる忠誠が存在する。
決してその罪が消えることは無いけれども、許されるという結果になることだってあるのだ。それは偏に、その者の罪悪感を踏まえた上での心構えや誠意による要因が大きいだろう。
――だが。罪を自覚していない場合は。
例えどれだけ優しさを積み重ねようとも、相手を気遣おうとも。それが相手の為になるどころか、傷付けてしまうだけなのだ。
確かに、相手にも秘密があったことは事実だが、幸せになって欲しいと願って一番残酷なことをしていたことを今更になって気付くだなんて「知らなかった」なんて無責任な言い訳で許される訳でもないことを、青年は知っていたのだ。
故に、ただ己の無知さを、鈍感さを、後悔するばかりだった。


カルデアで待機している間は、サーヴァントたちは各々自由に行動をしている。食堂など、家事に関わることを当番制にしているサーヴァントも居るが、そういう作業に向いていないサーヴァント達は、交代で立香と共にシュミレーターで訓練を行っている。
しかし、これだけ多くのサーヴァントが召喚されているとなると、暇を持て余すサーヴァントも出てくるというもので。
この日はトリスタンの誘いに乗って、開いている訓練場で手合わせをしていたベディヴィエールだったが、トリスタンは彼が何処か集中力を欠いていることに気が付いて、弦を弾く手を止めた。


「貴方にしては珍しく、集中力を欠いていますね、ベディヴィエール」
「……すみません」


トリスタンがそう問いかけてくる原因もベディヴィエールは自覚していたから、否定することは無かった。寧ろ彼ほどの腕前で、長い付き合いにもなると、自分がこの手合わせに集中出来ていないことなんて分かって当然だろう。
彼に対して失礼なことをしたと、ベディヴィエールはトリスタンに頭を下げるのだが、トリスタンはそのことを咎める訳ではなかった。
そもそも、トリスタンがベディヴィエールを手合わせに誘ったのは、彼の様子がおかしいことに気が付いて、気晴らしになれば――と思ってのことだったのだが、その程度では解決することのない問題だったのだ。彼は一度悩みを抱えると、抱え込むタイプであることを、親友である彼は知っていた。


「……ベディヴィエール、最近の貴方は暗い顔をしていますね」
「トリスタン……私は、自覚をしているよりも愚か者だったのです」
「愚か……ですか。どちらかというと愚直に生きているという方が合っている気もしますが」
「今だけはその言葉を褒め言葉だと受け取らせて頂きます。ですが、正直な言葉を言うだけでは、相手に伝わらない……いえ、愚直故に配慮に欠けてしまっては相手を傷つけてしまうことを、今更ながらに学び……私は自分を恥じました」


数日前にナマエが叫んだ声が、今も耳から離れないのだ。
それはあまりに悲痛な物だった。怒りとは違う、拒絶と喪失感に、途方のない悲しみが込められた訴えだったからこそ――ベディヴィエールは自分の軽率な発言で彼女を苦しめてしまったことを、後悔した。
彼女は何かの理由で隠していただけで、真の願いが存在した。けれど、恐らく自分に対しては決して言うことの出来ない、本人さえ叶うことのないと諦めている願いだったのだろう。それに、安易に触れてしまった。

――彼女のことは自分が一番よく分かっていると思っていた筈なのに、騎士としてその生涯を捧げた彼女の真の望みも、夢見ていた未来図さえも、何も知らなかったのだ。
それどころか、忠誠心という呪いで彼女を補佐として今も縛り付けているのだ。

ここ一週間ほど、あれだけ親しく会話をしていたベディヴィエールとナマエが話していないどころか、ナマエが彼を何となく避けているような気がしていたが、彼が吐露した感情に、トリスタンは漸く確信したのだ。

「ナマエと、何かあったのですか?しかし……初めてのことではないですか?」

そう、それは初めてのことだったのだ。
ベディヴィエールとナマエのやり取りを実際にトリスタンが見ていたのは、彼がキャメロットを去るまでだが、確かにカムランの丘の戦いでアーサー王の軍勢が散ることになったその日まで、ベディヴィエールとナマエが正面から衝突したこともなかったし、些細な喧嘩のようなすれ違いも一度も無かったのだ。
以心伝心とも言えるほどに彼らは互いのことを理解していたし、尊重もしあっていた。

いや――だからこそだろう。
彼女は文字通り、ベディヴィエールに対して、本音を墓場まで持って行ったのだ。彼には言うことが出来なかった彼女の願いは、きっと騎士としてベディヴィエールに仕える彼女自身を否定するものだったのではないか。
相手が誰にせよ、もし、女性としての幸せを諦めてしまったことを悔いているのだとしたら。仕えた相手であるベディヴィエールに対しては当然打ち明けられないことだろう。


「トリスタン、私は、彼女を不幸にしていたのではないかと、思うのです」
「それは……そればかりは、本人に聞かなければ分からないことですよ。それに、彼女が貴方に向けていた忠誠心が偽りのものだったとは思いませんし、そこを否定してしまうのは、それこそ残酷なことだと思います」


何も、ベディヴィエールの部下として過ごす日々は嘘ではなかったし、彼の隣に居ることに我慢していた訳ではない。
もしもベディヴィエールが、ナマエの過ごしてきた日々すべてが我慢をさせて傷付けて来ただけだと思っているのなら、それは間違いだろう。本当は自分の隣に居ない方がよかったのではないか――なんて、過去を否定してしまうのは、本当に忠誠心をベディヴィエールに抱いていたことを知っているからこそ、あまりに残酷だ。

ベディヴィエールは閉口し、剣を鞘へとしまう。
――私も、ナマエが自分の隣で戦い続けて、支えてくれていたあの日々を嘘だとは思いたくなかった。しかし、拒絶されてしまったからこそ、彼女にその本心を問いかけるのが恐ろしくて堪らない。
傍に居て当然だと心の何処かで思っていた自分に対する罰なのだろう。彼女に避けられているという現実が、ベディヴィエールの胸をちくちくと刺すのだ。


訓練室とは別の場所。多くのサーヴァントが集まる談話室のような場所で、ひとりぽつんと席に着いてぼうっとしながら、物憂げに溜息を吐くナマエは話しかけ難い重たい空気が流れており、彼女と話すサーヴァント達も下手に声をかけるのではなくそっとしていたのだが。
そんな気にせずに声をかけたのは、彼女の知り合いであるガウェインだった。


「貴方がこんな所に居るなんて、珍しいですね」
「が、ガウェイン卿……!?」


ぼうっとしていたせいか、誰かが近づいて来ていることに気づかなかったナマエは、顔を上げて視界に映った人に驚いて、ガタッと音を鳴らして椅子から反射的に立ち上がろうとする。即座に円卓の騎士の配下としてのスイッチを入れようとするナマエに、ガウェインは「立ち上がらずともいいですから」と声をかける。


「お気を遣わせてしまって申し訳ありません、ガウェイン卿……」
「いえ、驚かせてしまったようで私こそ申し訳ないです。ですが、貴方のような人が暗い顔をしていれば、気にかかるというものです」
「あ……すみません……公私混合をするなど、未熟ですよね……」
「そういう訳ではないのですが……というよりも、その点に関しては私が人に言えるようなことではないですから」


私事で悩んで、周囲に気遣わせてしまうなど騎士としてはあってはいけないことだと、自らの未熟さを反省するナマエだったが、ガウェインはそのことを指摘したいわけではなかったし、そもそもガウェイン自身が私情を切り離すことが出来ずに、ブリテンの崩壊に拍車をかけてしまった位だ。


「私は……自らが忠誠を誓った相手に対して、言ってはいけないことを言ってしまいました。本来ならば、……死後も、その先も。口に出すつもりはなかったのに」
「ベディヴィエールの様子もおかしいとは思いましたが……ふむ、貴方たちに何があったかは知りませんが。しかし、貴方は『勢いで思ってもないことを言ってしまった』とは言わずに、口に出すつもりではなかった本音だと言いました」
「っ」


ナマエの言葉を素直に正面から聞いていたガウェインが零した見解に、ナマエは顔をさっと青ざめる。そう――ベディヴィエール卿に言ってしまったことを後悔はしているが、勢いで口をついて出てしまった八つ当たり紛いな言葉なのではなく、死しても、サーヴァントして現界を果たしても隠し通すつもりだった本音だったのだ。
ガウェインには、彼女たちに怒った事の詳細は分からない。
そして、ガウェイン自身がもし彼女と同じように、主に対して主を傷つけるような不忠を口にしたら自らを許せないと自覚していたが、ナマエがベディヴィエールに対して抱いている忠誠心が、アーサー王への忠義とまた違うことは知っていたからこそ、彼女が働いてしまったという不義に苦言を呈することは出来なかった。


「寧ろ……貴方は、何か私情があったとしても、ブリテンの崩壊まで……最後の日まで、それを優先せずに忠僕の騎士としてアーサー王を、そしてベディヴィエールを支えました。それは……私には、出来ないことでした。騎士として当たり前の精神かもしれませんが、実行しきれる者は、そう居ないのですよ」
「ガウェイン卿……ですが、私は、祖国を救えた訳ではありません。円卓の皆様のように大役を担っていた訳でもありません。運良く、生きていたというだけです。残った騎士を導きはしましたが……他に、私は何も果たせなかった」


アーサー王の死を防げた訳でもない。モードレッドの進撃を止められた訳でもない。円卓の騎士たちのように、人離れをした力などなく、戦局を変えるような一線に赴いていた訳でもない。偶々戦場に生き残っていた騎士、ただそれだけなのだ。
ガウェイン卿ほどの忠義の騎士であれば、アーサー王が戦うあのカムランの丘の戦いまで。最期まで共にしたかった筈だ。彼が胸の内に秘めている後悔に触れることは、残念ながら恐れ多く、とても出来はしないが。
彼なりに、私情を挟まずに仕え続けた在り方を、称えてくれているということは分かったのだ。


「……私、ガウェイン卿に、我が騎士としての忠義を叱られると思っていました」
「おや、私はそんな怖い上司だと思われていましたか?確かに、己の或る騎士は騎士としては正しくない――ただ一振りの剣であるべきだとは思っていますが。貴方はそれを実際に貫いた人です。それに……」
「なんでしょう……?」
「ベディヴィエールは彼の友と比べてしまうとレディへの対応に慣れ切っていない所もあるので、そこで揉めてしまう所も出てくるのは仕方がないかと」


ガウェインが笑顔で零した冗談に、ナマエはぱちぱちと瞬きをした後、くすりと笑った。確かに色恋沙汰が多かった騎士の中で、彼は浮いた話などなかった人物だ。紳士的ではあるけれど、多少女心に疎い所があるのは事実だろう。ガウェイン自身が、人のことを言えるような立場かどうかは置いておいて。
ベディヴィエールに傷付いたであろう悲しげな顔をさせてしまった愚かさは消えない。膨らんでしまったこの想いに折り合いをつけて、謝罪をしなければならない。
だが、自らの不忠を気に病んでいたからこそ、ガウェインのような尊敬する騎士に、自らの忠誠心を認められたことは救われた思いになるのだ。

――それぞれが思い思いに過ごしている丁度その時間。
管制室で作業を続けていたロマンは、観測器に映し出された異変に眉を顰め、早急にスタッフ数人と観測と解析に当たっていた。本来ならば、異常が計測されるはずのない場所に、確認されてしまったのだ。

「どういうことだ……?いや、反応自体は大きくないが、それでもこの場所は……」

聖杯などの影響によって出来上がった特異点という程ではない、揺らぎだ。だが、それがついこの間、解決したばかりの特異点なのだ。獅子王は既に消滅している筈なのだがこの小さい異常を放って置くことは出来ないだろう。
観測された地点は特異点キャメロット――キャメロット城だったのだ。

- 5 -

prev | next