虹彩に焦がれる純白
- ナノ -

遠ざかる君の背中

君はまた、夢の世界に、自らが夢見た世界を閉じ込めてしまうんだね、ナマエ。

ボクは彼女が見つめる空の先に見ているものを知っていた。自らが愛したものが忠誠を貫くことが出来る旅の終わりを案じて、願った。最期の最期まで、自らの人生を振り返るのではなく、彼の歩むべき未来を夢見て瞳を閉じた。
報われることを望まない献身は、確かに最期まで彼女を鎖で締め付けた。だが、それを哀れな人生だと罵るつもりは毛頭ない。
確かに人類というものは愚かな存在かもしれない。しかし、その感情が、愛が生み出す人間模様は尊いものだった。
人は夢を見るからこそ、成長を遂げようとする。前に進もうとする。だというのに夢を夢の世界に閉じ込めてしまったら――そんなの、楽しくないだろう?


「また……あの夢」

朝を迎えて瞳を開き、溜息を吐く。この夢を見るのは一体何回目だろうか。
ブリテンが崩壊した後も、空を見上げて長い月日を重ねて、旅の無事を祈る日々。その記憶は、自分には無いものとはいえ、確かに別の自分が経験した事実なのだとナマエは理解していた。
自分が召喚される直前に修復された特異点の話は、マスターやドクター・ロマン、そしてマシュに聞いている。当事者であったサーヴァントたちにその記憶は無く、カルデアから観測していた者、そしてマスターにしか残っていない物語だった。ベディヴィエールにはまだ詳しく説明していないようで、彼は第六特異点での自分自身を把握していないようだった。
例え彼の長き旅が特異点と共になかったものになったとしても、意味のあるものだったのだと実感する。
彼の忠誠心は、旅は、報われたのだ。

マシュが一人、部屋で本を読み更けていたところに、ナマエは訪れた。彼女は円卓の一人である魂を受け継いでいるデミ・サーヴァントであるマシュに対しても敬意を払っており、マシュに馴れ馴れしく自ら話しかけることはあまりなかった。
マシュとしてはそんなに気遣わなくていいと言う所だが、最も親しいベディヴィエールに対しても、周囲に人が居るから常に敬語で接している位だ。
ナマエが来たことに気が付き、マシュはしおりを挟んで本を閉じた。しかし、ナマエの表情が僅かに険しいような気がして、マシュは眉を潜めた。


「こんにちは、ナマエさん。……どうかされましたか?神妙な顔をしているようですが」
「マシュさんは鋭いですね。少し、お聞きしたいことがあったのです。でも、答え辛い事だったら答えなくても大丈夫ですから」
「は、はい。でも答えられることならマシュ・キリエライト、全力でお答えします!」
「ふふ、ありがとうございます、マシュさん。私たちが召喚される前に、皆さんが解決したという特異点のお話を、詳しく聞きたいのです」


第六特異点、キャメロットでの出来事。
何が起きたのか、概要だけはこのカルデアに居るサーヴァントは大体知っている。1237年のイエルサレムに神聖円卓領域キャメロットが出現し、獅子王もとい、アーサー王が円卓の騎士一人一人にギフトを授け、清浄な魂をロンゴミニアドで保護、救済しようとしていたことで特異点となり、その問題を解決するためにベディヴィエール卿が旅を続けていたことを。
それは、現在カルデアに召喚された、キャメロットで敵となっていた円卓の騎士たちも知っている事実だった。
だが、ナマエがわざわざ自分に聞いてきたということは、そういった概要ではなく、もっと深く掘り下げた話が聞きたいのだとマシュにも解っていた。

特に、彼女はベディヴィエール卿の補佐である。
生者としてさ迷い続け、身体は朽ち果て、ぼろぼろの肉体や魂になったとしても王への忠誠を胸に、剣を還すことを目的として長い旅の果てに辿り着いた騎士の話を、聞きたいのだろう。あの出来事は消え去ってしまったけれど――確かに残るものはあった。意味はあった。
だからマシュ達は、ベディヴィエールの描いた軌跡を尊んだ。敬意を示し、記憶した。だが、このカルデアに召喚されたベディヴィエールが一切その時の記憶を保持していないのは寂しくもあった。途方もない時間を忠誠に捧げてきた彼の行いが、他でもない彼の中から消えてしまっているのは、やはり悲しかったのだ。


「マシュさん達が、ベディヴィエール卿に詳細は伝えていないと知った上で聞いていますので、言いづらいことでしたら構わないのです。ただ……あのブリテンの崩壊から始まった、ベディヴィエール卿の長い長い、旅の果てを個人的に知りたいというだけでしたから」
「なぜ、それを……」


ベディヴィエールが長き旅をしていたことを何故、ナマエが知っているのだろうか。
カルデアにおいて、ベディヴィエールはイエルサレム、キャメロットにこの特異点の鍵として現れ、共に戦い、そして消滅したことしか伝えていなかった。だから、彼がブリテンの崩壊からエクスカリバーを携えて死ねない生者としてさ迷い、ぼろぼろの状態で旅の果てに成しえたことを、彼女は当然知らないはずなのに。
しかし、特異点での記憶を保持したまま召喚されるような例外も、あるのだろう。だが、彼女はあの第六特異点に召喚されていなかった筈なのだ。


「何故かは……確かに、ご尤もな疑問ですよね。私自身、何故かは分からないのです。ですが、私はもう一人の私の記憶を、夢を通して知っていた。勿論、第六特異点に私は存在していなかったので、その旅の詳細は全く知りません」
「夢を、通して……あのイフの世界にも、かつて生者として生を全うしたナマエさんが居た筈ですし、あり得ない話ではないのかもしれません。第六特異点のベディヴィエールさんは……彼は、誇り高き忠誠の騎士でした」


マシュはぽつりぽつりと、彼が辿った旅の話を始める。
そのイフの世界で、エクスカリバーを三回目でも返還出来ず、死ぬことも出来ず消え去ってしまったアーサー王を探して、彼はエクスカリバーによって年老いることもなく、アーサー王に剣を返還する為だけに孤独な旅を続けていた。その長き年月によってベディヴィエールの身体は土くれのようにぼろぼろに崩れかけない程に疲弊し、魂も燃え尽きる寸前だった。
だが、彼は自らが忠誠を誓い、そして死なせることが出来なかったただ一人の王の為に、足を進め続けた。生者であったが、その腕に賜った宝具を駆使し、仲間たちや友、そしてアーサー王自身との戦いを繰り返し。
その結末として――アーサー王にエクスカリバーを返還することが出来たのだ。そして魂も燃え尽きて、限界などとうに迎えたベディヴィエールは、消滅――否、漸く死を迎えたのだ。

詳しいやり取りに関しては、マシュも零すことは無かった。それは、獅子王に仕えた円卓の騎士たちの言動についても話すことになるし、彼らを尊敬していたナマエにとっても、胸を痛めるような非常に重い話となるからだ。
簡単な概要しか、マシュは言うことは無かったけれど、その特異点での全体像を知ることが出来ただけで。ベディヴィエールが辿った未来を知られただけで、ナマエにはあまりに十分なことだったのだ。

「ありがとうございます、マシュさん……本当に……彼の忠誠心の結末を、辿った道筋を知られただけで」

十分です――そう噛み締めるように囁き、溢れる感情を堪える。
その表情を見ただけで、何処まで伝えるべきか頭を悩ませていたマシュは、あぁ、この人には伝えるべきだったのだと確信したのだ。
ベディヴィエールの信念を知った上で、彼のことをまるで自分のことのように喜び、悲しむ貴方。救われたような顔さえしている。
どうしてそこまで、ベディヴィエールに対してひたむきな感情を抱き続けられるのだろうか。しかし、マシュにも思い当たる所があったのだ。マスター、立香のことを考えると、同じであると。


マシュに頭を下げて部屋を出て行ったナマエは、熱くなりそうな目頭を堪えるかのように天井を仰ぐ。
彼は、肉体も魂も、朽ち果てかけながらも。主への忠誠心を最後まで貫いたのだ。その旅路がどれだけ過酷なものか、想像し難いほどだ。
冷静にならなければ、何故か自分が泣き出してしまいそうだと首を横に振り、ナマエは空き部屋に向かおうとしたのだが。「ナマエ!」と声をかけられ、びくりと肩を跳ねさせて振り返る。
何故、こんなタイミングに来てしまうのでしょうか、ベディヴィエール卿。純粋な笑みを浮かべて駆け寄ってくるベディヴィエールに、ちくりと胸の奥が痛んだ。


「どちらにいらしたんですか、ナマエ?」
「少しマシュさんとお話をしていたんですよ」
「それは……珍しいですね?貴方が酔っていないトリスタンに積極的に話に行く位珍しい」
「う……トリスタン卿はベディヴィエール卿と親しい方だとは分かっているのですが、こう、掴み所が無くて会話がふわふわしてしまうと言いますか。マシュさんはマシュさんだと分かっているのですが、彼の気配を感じるもので戸惑ってしまうのですよ」


トリスタンは他の円卓の騎士たちにも何を考えているのか分からないと言われてしまうような男であり、ベディヴィエールと最も親しい仲と言えどもナマエも普段はどう会話をすればいいのか分からなかった。それが直属ではない上司であれば猶更だ。しかし、彼は酔ってしまえば陽気な人物へと変わり、会話も弾むのだ。
苦笑するナマエに、実に彼女らしいとくすくす微笑んでいたベディヴィエールだったが、時折ふと見せるナマエの陰が、彼は気になっていた。
一体何がそう思わせるのか、長年彼女を見てきたベディヴィエールにも分からなかった。しかし、決してその表情は上司が数多く居ることへの気負いではないのだと、何となく分かるのだ。

そうなると。
ふと思い出すのは、以前トリスタンが言っていた事だ。彼はナマエの願いが本当に叶ったのだろうか、と言った。
ベディヴィエールにも知りえない、何かを彼は抱えているのだろう。もしも何か願いが実はあって、それを諦めなければいけない状況ならば。


「ナマエ」
「何でしょう、ベディヴィエール卿?」
「……貴方が、何か欲しいものはありませんか?」
「――」


ベディヴィエールに問われたその質問に、ナマエはゆっくりと、大きく目を開く。
きっと、興味本位で適当に聞いている訳ではないのだ。何か疑念があって、彼はそう尋ねてきているに違いないと解っていたからこそ。余計に、その本心を、願いを言う事なんてとてもできない。


「……お気遣い大丈夫ですよ、ベディヴィエール卿。私の望みは、もう叶っていますから」
「……それは本当ですか?」


今回ばかりはベディヴィエールにも分かった。彼女が嘘をついて笑っているのだと。
何故かは分からないが誰にも悟られないように気遣って、偽りの感情を見せ、そして密かに傷付いているのだと、漸くベディヴィエールは確信したのだ。彼女は過去においても、常に何かに遠慮をして黙々と、自らの忠誠心に基づいて使命を果たし、任務を遂行していた。

「ナマエ、自らの願いや欲を、解放してもいいのですよ」

しかし、もっと自由になっていいのではないか――忠誠心とは別のものは、もっと曝け出してもいいのではないか。何せ、彼女自身はその忠誠心を、忠義を貫くという意味ではブリテンの崩壊を迎えたとしても、報われたかもしれない。だが、女性としては余りに自由も、選択肢もなかった。
そんな本音を、ベディヴィエールは千年近く時が経って初めて、口にしたのだ。

ベディヴィエールの優しい感情は、胸の傷口に、痛いほど染み渡る。それは切ない痛みへと変わってしまうのだ。
私が自らの欲や願いを解放しても、待っているのは崩壊だけだ。離別だけだ。そんなことが分かっているのに、自由に曝け出すことなんて出来るわけがないではありませんか、ベディヴィエール卿――沸き立つ感情は止め処なく溢れ、鋭利な言葉として口から出て来てしまう。

「っ、私が欲しいものは、そう想うことさえ烏滸がましい程のものです。ベディヴィエール卿には、叶えられないものです!」

――はっと我に返る。

あぁ、私は今なんて?
言ってはいけないことを言ってしまった。
目の前に居るベディヴィエールに視線を向けると、これまで一度も見たことのなかった表情をしていたのだ。突然の悲痛な叫び声に驚いた顔をさせてしまったのは私だ。突き放す言葉で悲しげなその顔をさせてしまったのは私だ。
何ということを、最大の敬意を払っていたベディヴィエール卿に言ってしまったのだろうか。

自らの行いの愚かさと不敬極まる言動に恥じ、責めたナマエは血の気の引いた顔へと変わり、ベディヴィエールに対して震える声で「申し訳、ありません」と頭を下げ、廊下を駆けだした。逃げるなんて卑怯だ。そんなことは分かっているけれど、これ以上知られてしまうわけにはいかないのだ。

「私には……叶えられないもの……」

遠くなっていくナマエの背に伸ばした手は、虚しく降ろされる。
貴方は最後まで付き従ってくれたけれど、本当は気付かぬ内に傷つけていたのではないか――今更そんなことに気づく己の鈍さに、ベディヴィエールは銀の腕を壁に押し付けて俯いた。
何処かで、彼女は隣に居て当たり前だと思ってしまっていたのではないか。
それは驕りだ。それは無意識の束縛だ。

――貴方の背中が見えなくなるのがこんなにも恐ろしいなんて、初めて、自覚したのだ。

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