coral
- ナノ -

天才のベクトル

休みの日にマツバに聞いてもらって解決しようとしたのに、余計に混乱してしまった。

確かにネジキ君と話している時間は楽しいし、一緒に居る時間も自然と長くなっているからこそ逆に居ないと違和感を感じるのかもしれない。
でも、マツバが言ったことは違うと思う。会えなくて落ち着かないなんて、そんなのある訳ない。


「アズサ、コクランの所に行って来てもらえないかなー」
「あ、うん。注文書だよね?持っていくよ」
「それと、今日は夕飯持ってこなくても大丈夫だって言っておいてくれますか?」
「夕飯?……え、ネジキ君何時も夕飯貰ってたの?」
「コクランも忙しーですから、時々」


私の勤務時間は遅くても十時位で、基本は八時半頃に帰ってしまう。だからネジキ君が夕食をどうしていたか知らなかったし、バトルファクトリー内に調理室もある位だから自分で作っていると思ったのだけど。
……いや、今は違うけれどネジキ君は部屋に籠もっているタイプだったから料理とかしないのかもしれない。


「コクランさんが作った物が無かったらどうしてるの?」
「めんどーだから食べない……」
「えぇ!?」


ここに入った初日に、ファクトリーヘッドの生活面に気をつけてくださいと言われたけれど、これは重症だ。ネジキ君の言葉を遮って驚きの声を上げると、逆に驚いた顔をされる。
想像だけど、好きなことをしていると時間も食べる事すら忘れて没頭するタイプなのだろう。


「流石にそれはまずいよ、ネジキ君。今度から私でいいなら作ろうか?」
「え、アズサが?」
「え?……」


ネジキ君に返されて暫く、ようやく自分が何を言ったのか気が付いて顔に熱が集まる。馬鹿だ、何言ってるんだ自分。
誇れるような腕を持っていないという理由も勿論あるが、今は別にそこが重要じゃない。親しくなったとはいえ、こんなの馴れ馴れしすぎる。慌てて訂正を入れようとしたのだが、ネジキ君は笑みを浮かべて礼を述べた。


「迷惑じゃないならうれしーよ、ありがとーございます」
「っ、いいってば。そ、それじゃあ行って来る」
「あ、アズサ」


何故か逃げるように素早く出て行ったアズサに、ネジキは不思議そうに首を傾げた。逃げられるような事を今自分はしただろうか。
もしかして本当は嫌だったとか。だとしたら申し訳ない事を言ってしまったし、迷惑じゃないどころか迷惑極まりない。

「僕としては嬉しかったんだけどなー、……すごく」

ぽつりと零した言葉に、我ながら何を言ってるんだと頭を抱えた。


逃げるように出てきてしまい、ネジキ君に申し訳ない事をしたと思いながらアズサは未だ熱い頬を手で仰ぎながらバトルキャッスルへと向かっていた。
マツバの話を聞いてから過敏になっている自分に飽きれる。あぁ、もう、気にしなければいいのに。押しかけて来たミナキにだって作ってあげる事だって偶にあるんだからそれと一緒だ。……ミナキと一緒にするのは流石に可哀想か。

一人悶々と考えながらバトルキャッスルに入ると、係員に呼び止められてコクランさんですね、と待っているように指示される。私が来る、即ちバトルファクトリーのお使いだというのが定着してきているようだ。
お待たせしましたと促されて、城内を歩くと暫く。何時もの燕尾服をきっちりと身に纏ったコクランが待っていた。


「こんにちは、アズサ様」
「こんにちはコクランさん、お忙しい所をすみません。これ、ネジキ君からの注文書です」
「畏まりました、……最近はネジキ様も注文される量が減りましたね」
「え、これで?」


注文書を見て呟いたコクランの言葉が信じられず、彼の手に握られている注文書を覗き込むと少ないとは言えない量の事務に必要な物や治療道具にポケモンに持たせる道具、モンスターボール、それからネジキ君の趣味と思われる部品がびっしりと文字となって並んでいる。
これで減ったなんて、前は一体どれ位頼んでたんだろう。


「主に部品などといった量が。最近は機械を触っていないのですか?」
「前にどれ位やっていたのかは分からないんですけど…でも、今はあまりしてないと思います。……そんなに減ったんですか?」
「えぇ、この二倍以上は頼んでいましたよ」


この量でも多いと思うのに、この二倍以上の量って一体どうすれば消費できるんだろう。趣味の領域を遥かに超えてしまっているような気がする。
自作といっていたあのちょうさ・ぶんせきマシンも高性能だし、ネジキ君は様々な才能を持っている。若いのにファクトリーヘッドを務めている点も含めてだ。努力をしている事を知っているから一言で完結に述べてしまうのは失礼なのだが、彼は本当に天才だ。


「あ、それとネジキ君から伝言なんですけど……」
「コクラン、一体どこに……」
「お嬢さま、いかがなさいましたか?」


伝言を伝えようとした丁度その時廊下の曲がり角から現れたのは、カトレアと呼ばれた少女。栗色の長いふわりとした髪が特徴の可憐な少女だ。
そういえば、バトルキャッスル内の廊下に彼女の肖像画が幾つか飾られていたような気がする。この子がこの城の主で、お嬢様なのだろう。
カトレアを見ているとふと視線が合い、咄嗟にお辞儀をする。


「初めて見るけど、この方は?」
「バトルファクトリーを担当しておりますアズサ様です。まだお若いですが優秀な方なのですよ」
「バトルファクトリー、人が沢山辞めていく所ね……」


違うと言いたい所なのだが、合っているから言い返せない。悪いその噂がバトルフロンティア内に回っていた位だから。今もその噂が絶えていないのかはわからないけど。
核心を突いてくるカトレアに、コクランは申し訳なさそうな顔をする。


「あなたは辞めないの?」
「ネジキ君からクビ宣告をされなければですかね……私はあそこが気に入っているんです」
「……そう、コクラン、先に戻ってるわ」
「お嬢さま、ベットメイキングは既に終えておりますので」


アズサの回答を聞いて静かに返事を返したカトレアは踵を返して歩き始める。自室に戻っていくカトレアにコクランは深々と礼をする。それはまるで模範的なお嬢さまと執事のやり取りだ。
自分とは遠くかけ離れた世界だと呆然と思っていると、カトレアはぴたりと足を止めた。そして振り向いたカトレアはアズサに視線を移した。


「……あなたの名前覚えておくわ」
「え、」


僅かに見えたカトレアの表情は先程までのつまらなさそうな物ではなかった。
それだけ言うと来た曲がり角を曲がって消えてしまい、カトレアの真意が分からぬまま唖然としていると横でコクランが興味深そうにほう、と呟いた。


「お嬢さまが珍しいですね……誰かに関心を抱くなんて。ある諸事情によりお嬢さまの憂いは晴れることなく退屈しております。強いトレーナーのバトルを見る事によって憂いを晴らしているのですが……」
「ですが?」
「個人に興味を示すことはそうありませんので、アズサ様に興味を示されたことに非常に嬉しく思っているのです。私もネジキ様を尊敬しておりますが、中々気難しい方です。その彼の元で仕事をなさっている貴方の心意気には私も感銘を受けます」
「そ、そんなに偉い事はしてませんよ。それに楽しんでやっていますし……そうだ、今日は夕食いらないとネジキ君からの伝言です」
「そうですか……畏まりました、しかし彼は食べているのでしょうかね?」


コクランさんは鋭い人だ。彼が予想しているように、ネジキ君はコクランさんからの差し入れがなければ食べるのをつい忘れてしまうそうだし。
馴れ馴れしいとか、そういうのを抜きにして作ってあげよう。そうじゃないと本当に食べることを怠りそうだ。


「アズサ様、先週頼まれた物が届いたそうなのですがフロンティアフロントのポケモンセンターにあるのです。私共が取りに行けばいい話なのですが、今この場を離れられない身でして…申し訳ありませんが、ファクトリーに運んでいただけますか?」
「はい、勿論です。むしろバトルファクトリーの荷物なのにコクランさん達を手伝わせるわけにはいきません!教えてくださってありがとうございます」


アズサはコクランに一礼をし、小走りで廊下を戻る。

その後姿を見送っていたコクランは考え込むように口元に握った手を当てた。ネジキという青年は本当に気難しい人間だ。頑固だとか横暴だとかそういう理由ではなく、彼の追求する高みは並大抵のものではない。
本人は無自覚なのだろうが、趣味やフロンティアブレーンとしての務めに対して非常にストイックなのだ。だから他人からの余計な干渉を避けていたし、それが理由でバトルファクトリーを辞める人は多かった。でも彼女はどうだ、辞めるどころか気に入っているし、おまけにネジキと仲がいいではないか。

カトレアお嬢さまが関心を示す訳も分かります。
アズサの姿が見えなくなったのを確認すると、コクランは自分の仕事へ戻っていった。

――特に気に止めていなかったが、午後の雲行きは怪しかった。

フロンティアフロントのポケモンセンターに入ると、待合室の一角に積まれているダンボールの箱が目に止まった。箱の数は合計三つで、正直一人で持つなんて不可能だ。
せめて一度バトルファクトリーに戻って、持ってくることを伝えてからポケモンセンターに来れば良かったかなぁ、と思いつつ受付に居たジョーイさんに声を掛けた。笑顔ではい、と返事をするジョーイさんは癒しの空気を放っているような気がする。


「ポケモンをお預かりしますよ」
「いえ、バトルファクトリーの荷物を受け取りに来たんです。スペースを取らせてすみません」
「あぁ、あの荷物ですね!ふふ、気にしなくていいんですよ。でも、あなた一人?一人で運ぶのは難しいと思うんだけど……」
「ポケモンに手伝ってもらいますから大丈夫です」


モンスターボールを取り出して、スイッチを押すと中からエレキブルが出てくる。エレキブルを撫でると嬉しそうに目を細め、その大きな手で逆に頭を撫でられる。彼もまたフライゴンと同じくシンオウの旅を共にしてきた大事なパートナーだ。
アズサが出したエレキブルを見たジョーイさんは感嘆の声を漏らす。


「そのエレキブル、よく鍛えられていますね」
「旅を一緒にしてきたパートナーなんです。それじゃあジョーイさん、荷物を持っていきますね」
「えぇ、重たいから気をつけてくださいね」


エレキブルと共に荷物を持とうとしたのだが、一つ手にとって持ち上げ時あまりの重たさに足元がふらついてしまった。転ぶ前にエレキブルが受け止めてくれたから良かったものの、これを一人で三つなんてとんでもない。一つでも運べるかどうか分からない位だ。
一度床に置いてから持ち直そうと荷物を置こうとすると、それをエレキブルがひょいと持ち上げる。


「エレキブル?流石に全部は持たせられないよ」


エレキブルの手にある荷物を持とうとするのだが、避けられてしまう。それどころかエレキブルは残りの二つの重さを確認すると、その内の一つを持ち上げて腕の上で積み重ねた。
不思議に思いつつ、残った一つを持ち上げると最初に持った荷物よりも格段と軽い。親ながら、いい子を持ったものだと嬉しさに笑みを浮かべるとエレキブルもまた笑みを浮かべた。

ポケモンセンターを出てフロンティアゲートに入るとオペレーターの一人に呼び止められたが、事情を説明するとそのまま通してくれた。
フロンティアフロントでは別だが、基本バトルフロンティアの中ではポケモンを出して歩けないから。ゲートを出たその時。


――ぽつり、ぽつり。

頬に雫が付いた。

「あれ?」

空を見上げると、雲が一面覆っていた。
地面には雨の跡がつき、その数は増えていく。比例して体を濡らす雨水が急激に増え、ざぁ、と煩い音が耳に響くと同時に視界は雨に遮られて見えなくなる。

急いで帰らなければと思ったのだが、走ってダンボールの中に入っている細かい部品を壊したくない。でも濡れると、細かい電子機器が入っていたら壊れてしまうかもしれない。
アズサは急いで上着を脱ぎ、それをダンボールの上にかける。取りあえずの応急処置だ。


「エレキブル、濡れるけどごめんね」
「エレキブルッ!」


大丈夫だとニッと笑みを浮かべ、二つの荷物を片手で持つともう片方の開いた手をダンボール箱の上に乗せて極力濡れないようにした。
中身を揺らさない程度に小走りし、雨に打たれながらバトルファクトリーへと急いだ。突然、短時間に叩きつけるように降り注いだ大雨はスコールのよう。

バトルファクトリーの屋根に着いた時には全身びしょ濡れで、服を軽く絞るだけで水が滴り落ちる。エレキブルが体を揺らすと水が回りに飛び散った。

「わっ!手伝ってくれてありがとう、エレキブル。濡れちゃってごめんね」

礼を述べると嬉しそうに返事をし、ダンボール箱から手を退ける。あまり濡らさないように前かがみにしていたのと、手を乗せていたお陰であまり濡れていないようだ。
出来るだけ水を絞ってからファクトリー内に入ると、中に居たトレーナーから奇妙なものを見るような目で見られる。

(そりゃあ、全身ずぶ濡れだからね……)


「アズサさん!?そんなに濡れてどうしたんですか!?」
「あ、今急に雨が降ってきたんです。これ荷物なんですけど、どこに置けば……」
「そうでしたか……取りあえず、スタッフルームの入り口に置いておいてもらえますか?私たちが後で整理をしますので」
「はい、分かりました」


受付をしていた女性に指示されたように、両手が塞がった状態ながらも器用に扉を開けて直ぐの廊下に置くと、ダンボールに染みてしまった水が廊下を濡らす。
それだけじゃなくて、私とエレキブルが立っている場所にも水溜りが出来てしまっているのだが。

早くフロアに戻って温まらなければ、風邪を引いてしまいそうだ。そう考えていると、廊下の奥から足音が聞こえてくる。顔を上げると、驚いた顔をしているネジキの姿があった。


「アズサ?どーしたんですか、そんなに濡れて」
「大雨が降ってきて、濡れちゃって……荷物は多分、」


大丈夫、と言う前にネジキ君はどこかに行ってしまい、かと思えば直ぐに戻ってきた。ただ、その手には先ほどまでなかったバスタオルが握られており、広げたバスタオルを頭の上に被せられる。
がしがしと拭いてくれるネジキ君の手つきは不器用だけどすごく優しい。


「何もこんなに濡れて帰ってこなくてもいーじゃないですか、コクランから傘借りたりすれば、」
「バトルファクトリーに届いてた荷物持ってたから傘なんて持てなかったし、急に降ってきたものだから……着替えってあるかな、このままで居ると流石に風邪引きそうで」
「僕のものか白衣くらいしかないと思いますけど……その前にシャワーに入ってくださいねー着替えは置いておきますから」


一旦自室へ戻り、服と新しいバスタオルを取り出す。
女性だし、同じ女性職員から白衣を借りた方が勿論いいのかもしれないけど、白衣だけでは色々と危ない。それに僕としても目のやり場に困るというか。だからといって僕のを貸すのもまたどうかと思うけれど、二者択一をするならば、だ。

アズサがシャワーに入っている間フロアで彼女のエレキブルと待っていた。手持ちは一匹しか知らなかったし、そのフライゴンでさえ見たことがない。
リーグに出たほどのトレーナーだったそうだし、このバトルフロンティアに来る手強いトレーナー達が持っているポケモンと匹敵するほどのポケモンを持っているだろうとは思っていたが。


「なかなか鍛えられてますねー、もしかしたらファクトリーのエレキブルよりも強いかもしれないですし」
「エレキブルッ!」
「リーグで戦ってきただけある……やっぱりアズサは優秀なトレーナーなんだなー」


トレーナーとしてだけでもない、事務においても非常に優秀だ。優秀だけど、荷物運ぶためにずぶ濡れになられても困る。迷惑がかかるとかそういうわけじゃなくて、風邪をひくと辛いのは彼女だ。
エレキブルが急に立ち上がったので何かと思えば、バスタオルを頭にかけて廊下を歩いて来たアズサ。シャワーを浴びてきたばかりだからか、湯気が立っている。

ただ、だ。
一つ気になるのは、自分で貸しておきながらアズサの服が自分のものという事だ。いや、特に気にしなければいい話なんだけど。


「服ありがとう」
「……小さくなければいーんですけどね」
「いや、小さいどころか少し大きい気が……ネジキ君、拗ねてる?」
「別にそーいうわけじゃないですけど」


そう言う割には不機嫌そうにするネジキを見て、アズサは申し訳なさそうに肩を竦めた。ネジキ君、平均的な身長よりも低くて小柄な事気にしてたんだ。まぁ、それ以上に私が小さいから借りたシャツとズボンがやや大きかったのだけど。

少し待っててくださいと言って廊下の奥に消えていくネジキ君を、ソファに座って待つのだが、段々と視界がぼやけてきた。
雨に打たれて疲れた上に温まるとリラックスしてしまい、瞼が重たくなる。ソファに背を預けてうとうととしている内に、完全に意識が途切れてしまった。


「アズサ、ココア持ってき……寝てる?」
「すー……」


用意している時間はそんなに長くなかった筈、これでは用意したココアが勿体ない。とはいえ、わざわざ起こすのもどうだろうか。疲れているようだし、寝かせた方がいいものか。ブランケットを取り出してアズサにかけると、少し動いたが起きる気配はない。

でもまぁ、こんな明るい中よく寝れるものだ。
すやすやと気持ちよく眠るアズサの顔を見て思わず顔が緩んだ。こうして見るとアズサがあどけなく見える、もしくは小動物か。どちらにせよ可愛いのは確かだ。


「……、なに言ってるんですかねー」


アズサから視線を外し、訳の分からない事を考えている自分自身に溜息を付いた。
最近のぼくは、何かおかしい。

彼女の隣に居たエレキブルが心なしか、笑ったような気がした。

- 7 -

prev | next