coral
- ナノ -

ピエロは哂う

「ねぇマツバ」
「何だい?」
「私、仕事中毒なのかなぁ……」
「……え?」


珍しく修行もジムの仕事も入っていないマツバの家の縁側に座りながら、ぽつりと零すと後ろから驚いたような声が聞こえてくる。
でも、驚きたいのは私の方だ。ラジオ塔に働いていた時は生活する為に必要最低限働けばいいと思っていた位だし、休みが恋しい程だったのに。

手に持っている湯のみを呆然と見つめ、そして深く溜息を付くとつん、と背中をつつかれる。振り向くと至極楽しそうな笑みを浮かべているゲンガーが居た。服をぐいぐいと引っ張ってくる辺り、構って欲しいのだろう。

「こら、ゲンガー。後にしろ」

マツバに怒られて悲しそうにするゲンガーを慰めるように撫でながら後でね、と言うと満足したのか隣の部屋へ消えていった。昔から見ているから慣れているけれど、壁をすり抜けていく様子は中々ホラーだ。
偶に私の家に無断で入り込むことがあるけれど、それは未だに驚く。だって急に首だけ壁から出てきたりするんだから。


「アズサが来るのを毎回楽しみにしてるんだよ、構って欲しいんだろうけど……ゲンガーに付き合うと半日は潰れるからね。今は僕に話したいことがあるんだろう?」
「……仕事が休みの日って、何時も家でゆっくりできるーって思ってたんだけどね。何だか分からないけど落ち着かなくて、ミナキの所行くのも絶対に嫌だし」
「正直、ミナキ君と居て落ち着く人なんてあまり居ないだろうから。その落ち着かないのって、仕事先に行かないのが原因?」
「……たぶん」


自信がなさそうに呟いたアズサは膝を抱えて唸りだした。たった今聞いたばかりだけれど、彼女のこの状態といい重症のようだ。
アズサはトレーナーとして頑張っていたのは知っているけれど、仕事にはのめりこまないタイプだというのは昔馴染みなだけあり、分かっているつもりだ。

仕事をする事に充実感や達成感を覚えているという感じはあまりしない、即ち別の理由があるのではないだろうか?


「それにしても驚いたよ、最初は嫌々行ってたからこんなにも直ぐ慣れると思わなかったし、場所が場所だったから」
「……マツバもバトルフロンティアだって気付いてたなら言ってくれればよかったのに」
「初めにそれを言ったら行かないだろうと思ったんだよ。トレーナーだったアズサなら分かるだろうからね。でも、行ってみるものだろう?」
「……うん」


ゲートを通ってバトルフロンティアに入った時にようやく何の施設か気が付いて落胆したのを覚えている。
急に転勤という名の事実上クビ(局長としては昇進させてくれたつもりなんだろうけど、色々とずれている)を言い渡された日だったし精神的に参っていたというのに、追い討ちをかけるようなバトルファクトリーの悪い噂。
初めは嫌で嫌で、怒り故にネジキ君の部屋の扉を爆破してしまったが、今となってみれば一番居心地の良い場所となっている。仕事が休みの日が残念な位だ。


「そんなに落ち着かないって、その職場で仲の良い同僚が出来たとか」
「仲の良い同僚というか……あ、一応上司にあたるのか。同い年位なんだけどその施設のボスで、その人と仲良いかな」
「へぇ、意外だな……」


施設のボス、なんてネジキ君には合わない言葉だなとぼんやり考えながら湯のみに入っているお茶を飲もうとした丁度その時、隣に腰掛けたマツバが衝撃的なことを言いだした。


「その人に会いたいんじゃないかい?」
「っ、!?げほ、げほっ!」


驚きの余り、今飲もうとしていたお茶が気管に入ってむせ返る。湯のみを床に置き、咳をして息を整えて暫く、ようやく落ち着いてきた。目の端に浮かんだ涙を拭い、マツバを見ると申し訳なさそうに苦笑いをしている。
頭に血が上ったように熱くなり、自分の脈が煩く聞こえてくる。あぁ、すごく動揺している。


「た、確かに一緒に居て楽しいけど、別に会いたいからとかそういうわけじゃ……!何でそんなに笑ってるの!」
「はは、ごめん」
「絶対悪いって思ってない……」


拗ねたようにそっぽを向くアズサの耳は赤く、怒っているのか照れているのか恥ずかしがっているのか。それは分からないが、今の反応からして女性ではない。と、なるとだ。

自覚はないけれど、少なくとも気にはなっているのだろう。いや、単に僕にからかわれてむきになっているだけなのかもしれない。自分の事でも他人の事でも恋愛話には一切興味はないのだが、妹分なだけあってアズサの事は気にかけてしまう。
ミナキ君も同じ気持ちなんだろうけど、彼は少々鬱陶しい態度を取ってしまいがちだから空回っている。アズサ曰く、まだインターホンを何回も押してるらしいし。

アズサの機嫌も納まってきたのか、再び縁側に腰掛け直す。そして改まったように、問いかけてきた。


「……マツバはさ、自分の趣味以上に、誰かと居る時間を優先することってある?」
「急にどうしたんだい?」
「ちょっと、質問されたことを思い出したの。どう?」
「丁度優先してる所だよ。一人の時間も大事だけど、やっぱり誰かと居る時間は大事だからね」
「……、そっか」


マツバも、私と同じようにそう答えるんだ。

でも一体どうして、答えを聞いてネジキ君は納得いかないような表情をしていたんだろう。はっきりしないことがあるって嫌な気分だな、って言ってた。

ちらりと部屋の壁に視線を移すと、先程隣の部屋に行ったゲンガーが何時の間にかひょっこり顔を出しており、アズサの腑に落ちない表情を見てか意地悪そうに笑っていた。

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