coral
- ナノ -

恋が弾けるお時間です

昨日は、あまり眠れなかった。

こんなに早く起きたのは久々かもしれないと溜息を吐きながら壁掛け時計で時間を確認し、閉め切ったカーテンを開けて明るくなり始めたばかりの空を覗き、再び閉めた。

人の前では平然な顔をしていても案外気にしている自分に情けなささえ覚えるけど気になるものは気になる、それは仕方が無い事だ。
アズサがマツバさんと仲がいい事なんて当然知っているし彼を認めているけれど、二人には通じていて僕には分からない会話に疎外感と苛立ちを覚えたのは事実だった。とどのつまり、僕は妬いていた。たかがこんな事で、と言われようが以前から劣等感を覚えていた事だから今更、って話でもない。

部屋をぼんやりと見渡し、腰掛けているベットに背中から倒れこむ。思い出すのは昨日マツバさんに言われた「君なら任せられる」という言葉だ。人間関係に疎い僕にはその言葉の真意がよく分からなかった。
それがファクトリーヘッドとして認められた、と言う意味ならば勿論うれしい。彼はジョウトを代表するジムリーダーの一人なのだから、そんな人にトレーナーとして認められるのは誇らしいことでもあるが、何故かその意味で納得しきれない。マツバさんはもっと、別の意味を含めていたような気がしてならないのだ。

最近はお互いの考えも把握し、トレーナーとして志す道も同じになる程に親しくなったけれど、僕にはバトルファクトリーの中での関係という枠が付いて回る。それを考えるとマツバさん達が羨ましかった。僕がもしもバトルファクトリーを辞めたら、……関係はそこで途絶えてしまうかもしれない。
僕が悶々と悩んでいる種はそこだろう。友人で仲間だけれど未だに不安定な立場の僕と、どんなにお互い遠くに居ようが切っても切れない縁がある彼ら。

「そんなの、仕方ないって解ってたはずなんだけどなー……」

過去ばかりは変えられない。だったらどうしたら変わる?そんなの行動するしかない。
けれどアズサは女の子として、そして人として初めて好きになった子だからどう行動するべきなのか経験も知識もないし、手放したくないからこそ僕の無知で利己的な行動で関係を壊したくなかった。

そんな堂々巡りする事ばかりを考えていたら煮詰まってきて、熱くなった頭を冷やすように額を押さえながら静かに目を閉じる。まったく、一度考え出すと答えが出るまで考えようとするのは僕の悪いクセだなー。
ちらりと時計を見ると起きてから既に四十分近く経っていたから驚いたけれど、六時を差した時刻を確認してあることを思いつく。少し考え込んでからこれでよし、とまとまった所で起き上がり、デスクに置いてあるポケギアを手に取り電話をかける。


『はい、こちらバトルフロンティアインフォメーションですがどちら様でしょうか?』
「おはよーございます。ファクトリーヘッドのネジキですよー」
『おはようございますネジキさま!お早いですね、所長に連絡でしょうか?』
「まぁ、そうなるかなー。今日はレンタルポケモンのコンディションを整える為に一日休むつもりって伝えてもらえますか?」


突然の僕の申し出に相当驚いたのか電話越しにえっ、と反射的に出ただろう声が聞こえてくる。けれど直ぐに畏まりましたと返事が帰って来る。僕は休みを自分から取らないと有名だろうし、そういう意味でも驚いたのだろう。むしろ仕事中毒の気がある(僕は仕事なんて思ってない、趣味だ)から珍しい休みの申し出には所長もオーケーを出す筈だ。
当然毎日リーダーが居なければいけない義務なんてない。そりゃあフロンティアブレーンとしての責任はあるからクロツグほど居なくなるのはどうかと思うけど。

これでよし、と満足げに頷きながらポケギアを切り、デスクにあるパソコンを開いてバトルファクトリーの事務連絡をメールで打つ。「本日はバトル施設は休みますが、データの集計及びレンタルポケモンの調子を確認して下さい」という内容を職員が確認するパソコンに送った所でクローゼットを開ける。
何時も着ているシャツとは少し違う物を身につけ、ネクタイを締める。ネクタイはもうクセみたいな物かなー。

「さて、行きますかラティオス」

モンスターボールを一つ手に取り、自室を後にする。
今日バトルファクトリーを休むって突然決めたし当然知らないアズサは驚くんだろーなーと思いながらも楽しみだという感情が隠し切れず口元に笑みが浮かんでしまう。
さて、エンジュシティに行きますか。


「……ふああ」

目覚まし時計の音が耳元で鳴り響き、欠伸を噛み締めながら音を止めて重たい瞼を開ける。時刻は六時半、何時も起きる時間だ。休みの日は時々もう少し遅くまで寝ているけれど、ここから四十分位で支度をして朝食を食べてバトルファクトリーに八時前に行く。これが習慣のようになっている。
まったく、マツバが昨日あんなこと言うから寝るに寝付けなくて少し眠たい。ネジキには……たぶん、伝わってなかったと思うけど、もうちょっとすす進んでないとねって、マツバはあぁ見えて時々意地悪だ。

着替え終わり、簡単に朝食を作ろうとした所でインターホンを鳴らす音が聞こえてきた。バトルファクトリーに行く前のこんな時間に来るなんてミナキだろうか、と一瞬顔を顰めそうになったけれど、そのインターホンが鳴らされたのは一回だけだったから首を傾げる。
ミナキは何回も鳴らすし、だったらマツバかな?


「はーい」

マツバが電話かけないで尋ねてくるのも珍しいなと思いながら大して気にせず扉を開けたのだけど。
目の前に居た人に一瞬自分の動きがぴたりと止まると同時に思考までも停止した。そこに居たのは普段のシャツとは違うシャツを着た私服らしきネジキの姿があって、ここが私の家の前だと状況を把握した瞬間一気に頭に血が上った。


「おはよーございます、アズサ」
「えっ、あ、おはよう。じゃなくて!ど、どうしたの!?というか何で私の家、」
「?住所は前に教えてくれてたじゃないですかー、まぁ来るのは初めてだけど」


理解が、追いつかない。
確かに住所こそは職員としてデータを登録する際にネジキに教えたけれど、それと今日突然、それも初めて私の家を訪ねて来た事とどう繋がるんだろう、だめだ頭パンクしそう。私が混乱しているのが見てわかったのか、ネジキが噴出したから取り乱していたことに漸く気付いて恥ずかしさから頭を抱えた。


「まー突然決めて知らせてなかった僕も悪いし」
「え……?」
「今日はレンタルポケモンを休ませるのとデータ集計を兼ねてバトルファクトリーのバトル施設自体を休みにしてるんですよー」
「今日休みになったの!?で、でも、ちょっと外出する事はあってもネジキが休みにするって珍しい……」


外出の為に数時間バトルファクトリーを出る事は少しあったけど、ネジキが自分から閉めるなんて本当に珍しかった、というか初めて?だと思う。私が個人的に休む事は時々あるけど、ネジキはバトルファクトリーに居ることがもはや日常みたいになっていたからなんだか実感が沸かない。


「特に面白いものは無いと思うけど、上がってく?」
「……、はぁ」
「あ、いや、折角来たならと思っただけで嫌なら別に……」
「そうじゃなくて。他の人にもさらっと言ってそうで怖いなー……あんまりそういうこと聞いちゃ駄目ですよ。おじゃましまーす」


僕の遠回しな言葉に不思議そうに首を傾げるアズサにやっぱり心配になる。信頼関係があるからこそ出て来た言葉なんだろうけど普通男子を一人暮らしの女子の家に招く物じゃない、と鈍い僕でさえ分かる。それに来たのは僕だけど、相手が好きな人だったら余計にその誘いは僕の理性をぐらつかせる。……顔には、出さないけどなー。


アズサの家はまさに昔ながらのエンジュシティの家という感じだ。木造で、障子や襖に畳が基本となっていて長い廊下には縁側もある。バトルファクトリーとは全く違う作りだけど何処か安心感を覚えるような雰囲気だ。
通されたリビングに行くと、今しがた料理を作ろうとしていた所なのか、テーブルにエプロンが広げられている。(リビングだけは普通にフローリングだった)ちょっと待ってて、と言われたから椅子に座りながら待っていると、ふわりとお茶の香りが鼻を掠める。
アズサは沸かしたお湯でマグカップに緑茶を入れてくれていたみたいだ。バトルファクトリーだと置いてあるコーヒーとか紅茶を淹れてくれるけど、こういう所がやっぱりエンジュシティ出身なんだろうなぁ、と思う。


「そっか、今日休みになったんだ。ネジキはどうするの?バトルファクトリーに戻るの?」
「んー、僕も偶には休もうと思って」
「やっぱり珍しい……!じゃあ今日はエンジュシティでゆっくりして行ったら?ほら、偶には外に出るのも大事だし」
「……むー、アズサも僕を一体なんだと思ってるんだか」
「あはは、ごめんごめん。じゃあ私朝ごはんの準備するね、ネジキもまだでしょ?」
「そー、ですね、お願いします」


何でだろう。バトルファクトリーで交わす会話とそんなに変わらない気がするのに、胸の奥がざわついてくすぐったい様な感覚に囚われる。アズサの家ってだけでこんなに意識するものなのか、と落ち着かない自分に呆れながらもマグカップに口をつける。
いやでも僕じゃなくても普通は気になると思う。友人同士の会話と言うかこれじゃあまるで、……あー自分で考えて今ちょっと後悔した。そんな訳ないっていう現実があるんだから。

ちらりとアズサと覗くとエプロンを付けてどうしようかなぁ、と唸りながらキッチンに置いてあるらしい食材をじっと見ていた。僕が来たから予定が変わったんだろう。悪いことしたなーと思う自分が居る反面、甘えようとしている自分も居て。
立ち上がってアズサが居るキッチンの中に入ると「座って待っててくれていいのに」と少し困った顔をしながら言われた。……改めて思うけど稀に入るスイッチさえなければいい子だよなー、ホント。


「何時もやってもらってばっかりだし手伝いますよー」
「ええ、いいって!」
「ほら、切りますよー」
「……ネジキ料理大丈夫なの?」
「まぁ、焼いたり味付けとなると自信ないけどそこはアズサに任せるし、切る位は大丈夫だから任せて下さいって」
「……」
「アズサ?」


目を丸くして僕を見上げてきたかと思うと急にばっと逸らされたから何か気分を害するようなことを言っただろうかと思い、顔を覗き込もうとするけれどやはり逸らされるから少しばかり不満を覚える。確かに僕が作ったのはアズサが風邪で寝込んだあの一回だったし、料理に自信なんて全く無いけどさ。
アズサが何で顔を逸らしたのか分かる訳もない僕は疑問に思いつつ味噌汁用の具材を決して器用とは言えない手つきで切り始めた。


――今の私は最高潮に緊張してた。まさか昨日の今日で突然ネジキが私の部屋を訪ねて来るなんて誰が予想したの。バトルファクトリーでも日常的にご飯の準備とかネジキの不健康な生活に気付いてからはやってたけど、自分の家となるとまた感覚が違った。
自分の家の筈なのに、場所以外はそう普段と変わらない筈なのに、気恥ずかしくて少しむず痒い。
味付けは何時もと変わらないのに、少し不恰好に切られた野菜の味噌汁が特別美味しく感じられた。一人で食べるより誰かと食べた方が美味しく感じられるってよく言うけど、それ以上に別の気持ちが働いてたって言うのは否めない。


(でも、折角の珍しい休みなのにわざわざ来てくれるなんて、やっぱり嬉しいんだよね)


本人には言えないけど、私はネジキと一緒に居る時間が好きだ。別に二人で同じことをしたり話したりしてる時間ばかりではなくて、ただ一緒の空間に居るだけでも不思議と穏やかな気持ちで居られて幸せ、というか……やっぱり、好きだから、なのかな。
一人舞い上がって恥ずかしいとは思いながらも緩みそうになる頬を押さえて、用意したお茶菓子をお盆に乗せて縁側に向かった。ネジキが縁側に居るのって、何だか新鮮だな。


「お待たせ、餡子嫌いじゃなかったよね」
「好きですよー。ただアズサが作って持ってきてくれるのって結構洋菓子多いし珍しいなー」
「家では食べるんだけど、洋菓子の方が好きなのかなと思って。コクランさんが作るの時々貰うって言ってたし」
「コクランが作るのは洋菓子だしなー。まぁ、アズサが持ってきてくれるものなら何でも食べますよ」
「あはは、ありがとう。エンジュ出身だし、一応美味しいお店は分かってるつもりだから大丈夫!」
「……そーいうことじゃないんだけど」
「え?」


不満そうな顔をして口をへの字に曲げたネジキはどういう意味だったのか追求しても「なんでもない」と話を逸らしてしまい、結局答えてくれなかった。シンオウ地方に行っていた期間を除けばずっとエンジュシティに居るし、この街に関しては詳しいと自負している。
それに、マツバとこうしてお茶をする事も多かったから美味しいお店を教わっていたわけで、自信を持ってお勧め出来るんだけどなぁ、と考えながら生菓子を一口齧り、お茶を飲んだ。


「……あそこで食べるのもいーけど、」
「なに?」


ぼうっと縁側から見える小さな中庭を見つめながらお菓子を頬張っていたネジキがぽつりと零したからふと横に座るネジキに視線を移すと、穏やかな表情を浮かべていたから目を留めてしまった。


「こーいう場所でゆっくりするのもいいなーと思って。まぁ、本音としてはアズサと居るならどこでもいーんですけど」
「……え!?」
「なんて、ちょっと、言ってみただけです」


冗談だとは分かっていても予想以上に今の言葉に動揺していまい、絶対今顔赤いと自覚があるからネジキに見られる訳にはいかないと顔を逸らしながら誤魔化すようにお茶を啜った。
当然、顔をそらしていたからネジキも同じように逸らしていたことを知らず、今どんな表情をしているかを分からない私にはどうしてそんなことを言ったのかなんて真意は分からなかった。気まずい空気に耐え切れなくて誤魔化すように、混乱した頭の中で浮かんだ話題を咄嗟に出した。


「あ、あの、ネジキはシンオウでどうだったの?やっぱり縁側は、ないよね」
「……まあ、この家の造りってエンジュの特徴だと思うし。僕の昔居た家なんてバトルファクトリーとなんら変わりませんよ?そういえば随分と昔の話だなー」
「……あ、ごめん、無神経に」
「え?」


あぁもうばか。無神経で軽率な自分の過ちに泣きたくなった。
ジョウトのバトルファクトリーにすっかり慣れ親しんでいるから忘れていたけれど、ネジキの故郷はシンオウにあって、ここはネジキにとっては異郷だ。この間シンオウには仕事の為に少し行ったけれどネジキは自分の家に帰ってはいなかったし、もう暫く帰れて居ないはずだ。
それなのに、そんな気持ちも考えずに馬鹿なことを言ってしまった、と目を伏せていると、ネジキは目を丸くして首を傾げていた。その反応にあれと思っていると、ネジキは何を理解したのかくすりと笑った。って、え?


「アズサの感覚だとそうだなーって今気付いたんですよー。それに前言いませんでしたっけ?ジョウトの生活の方が気に入ってるって」
「そう、だっけ……」
「そりゃ僕も冷徹じゃないしシンオウに何の感慨も無いって訳じゃないけど、家も、シンオウも、あっちのバトルファクトリーも"変わらない"んですよー。僕が変わってなかったって言った方がいいかも知れないけど」


さらっと言いのけるネジキの様子からネジキにとっては当たり前な本音を語っているのだと気付いて、私はぽかんと呆気に取られた。ネジキのシンオウに居た頃の様子、それは本人や職員達にも十分聞かされているけれど、私がネジキに出会った初日の様な生活だ。
只管ポケモンやバトルに関する知識を増やす事に没頭し、殆どそれに時間を割いている。そして閉鎖されたネジキの空間には誰も近寄ることは無い、そんな日常。シンオウに居た時はずっとそうだったから、とお茶菓子を頬張りながら世間話のように軽く喋るネジキに、さっきまで落ち込んでいた自分は何処に行ったのか少しだけ安心した。

「だから、僕はこーいう時間、好きですよ。今日はその為に休んでここに来たんだし」

――単純で、現金だけど、その言葉がうれしくて堪らなかった。
朝の会話からネジキが突然休んだのはただ単に気紛れで休みたかったからだと思っていた。ここに来たのもそれを電話越しではなく直接伝える為だって。
友人という前提があるからこそだとは分かっていても、居心地の良さを感じてもらえる関係だというのが嬉しくて堪らなかった。だからつい深い意味を考えず勢いのまま頭に浮かんだことを口にした。


「私もネジキと一緒に居る時間好きだよ。勿論バトルファクトリーとか関係なく!」
「……そー、ですか。同じ気持ちの筈なのに何でちょっとズレてるのかなー……」
「あれ、今変なこと言った?」
「独り言なんで別に気にしなくていいですよ」


浅く溜息を吐きながらも何処か楽しそうに言うネジキは教えないの一点張りだった。空になった湯呑みとお皿を持ってキッチンに向かい、片付けて居ると、いつの間にか来ネジキが椅子に座って机の上に乗っていた雑誌を読んでいた。
自分の趣味が半分以上みたいだからファクトリーヘッドとしての仕事以外に何をやっているのかもう半年以上経つけれどあまり印象に残っていないから興味あるんだ、と驚いてしまった。ネジキが今読んでいるのはマツバが紹介されているトレーナー雑誌だった。洗い物が終わり、タオルで拭いてからネジキに近寄り、読んでいる雑誌を覗き込むと丁度バトルフロンティア全体を紹介しているページだった。


「ネジキも雑誌読むんだね?」
「まぁ、トレーナー関係の物は時々読みますかねー」
「新聞読んでるのは知ってたけど意外だなぁ」


ネジキが次のページを捲ろうとした時、部屋にポケギアの着信音が鳴り響いた。慌てて自分のポケギアを取り出したけれど、着信画面になっていなかったからあれ?と首を傾げていると、ネジキが自分のポケギアを取り出して溜息を吐きながらそれを耳元に当てた。
そっか、ネジキのポケギアが鳴ってたんだ。通話の邪魔になるといけないと思ってそろりと少し離れたけれど、着信相手から話を聞いただろうネジキの顔が曇った。


「所長ですか?今日僕休みって言ったじゃないですか。……分かってるなら電話かけてこないでくださいよ。邪魔された気分です」
「ネジキ、相手所長なのに……」
「これ位でいいんですよ。は?あるファイルが開けない?僕じゃなくたってどーにでもなると思うんですけど。……、何で運営スケジュールなんて大事なファイル開けなくしてるんですか」
「え」


運営スケジュールってかなり大事な物じゃないの?そもそもそれがどうして開けなくなってるんだろう、とか色々考えてどうして所長が休みを取ったネジキにわざわざ連絡をしてきたのか分かった。システム管理職に就いてる人も居るけれど、端末の類に関する知識と技術に関してネジキは人並み外れてるから頼られてもおかしくない。
ネジキは相変わらず顔を歪めていたけれど、溜息を吐いて「分かりました」と不満そうに返事してポケギアの通話を切った。


「……えーっと、バトルファクトリーに戻るの?」
「……とゆーか、所長の所に。まったく、今日一日休むつもりだったんだけどなー」


時刻は午後三時、確かに呼び戻されるには早い時間帯だ。玄関まで見送りに行ったのだけど、残念に思う自分が居て少し驚いた。上がっていく?と聞いたのは私だし、残念に思ったり引き止めるのなんてお門違いだって分かってるのに。

「今日はありがとーございました。またゆっくり来ますよー。それじゃあ僕は、……?」

気付いたらネジキのシャツを引っ張っていて、慌てて手を離したけれど気まずい空気にしまったと後悔するけど遅かった。ネジキは目を丸くして私を見下ろしていて、自分の馬鹿な過ちに泣きたくなる。

「ご、ごめん!これはその、何と言うか……咄嗟に出ちゃっただけで、別に引き止めるつもりは無くて、」

自分でも何言ってるのか訳が分からなくなってきて切羽詰ったように言い訳を並べていると、くすりと小さく笑う声がした。不安が急に押し寄せてきてばっと顔を上げると柔らかく、優しく笑っていてその表情に疑問と違和感を覚えて目を開いたその刹那。
ネジキの顔が目の前にあって、そっと頬に柔らかい物が当たる感覚がした。
何が起こったのが一瞬分からず呆然と固まっている間にもネジキが離れていて、玄関の戸を開けていた。

「アズサが相手だと、そーゆーの期待しちゃいますから」

それじゃあまた明日、とだけ残して出て行ってしまったネジキの背が扉が閉じて見えなくなる。

パタン、と音を立ててしんと静まりかえった空間で一人暫く呆然としていたけれど、自分の頬を手で触り何があったのかを改めて思い返した瞬間頭が沸騰しそうになり、熱い頬を押さえて思わずその場にへたり込んだ。
でも、どうして。何でそんなこと。だって今のは、つまりあれでしょ…?それに「期待する」ってどういうことなの、ネジキ。
私のキャパシティを完全にオーバーする事態に混乱してしまって、ばくばくと心臓が煩く跳ねている。ネジキが冗談で頬にキスする人じゃないって分かってる。だからこそその行動が分からなくて、好きだからこそ真意を聞くのが怖い。


「私だって期待するよこんなの……」


――明日、どうやって顔合わせればいいの?

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