coral
- ナノ -

エメラルドグリーンの融解

今日のファクトリーヘッドは今まで見ていた彼の生活がまるで嘘のように生き生きしていた。というより、そわそわしていると言った方が正しいだろうか。昼間に急に部屋から出て来て私は先ず驚き、そのままフロアのソファに座って自作の機械を弄りだした事に驚いた。
彼はファクトリーヘッドとしての作業は自室でしかやらないと思っていたからだ。事務の作業部屋は本来このフロアなのだが、臨時で事務に入ってる助手はパソコンを助手専用の部屋に持っていって作業しているから何時もはこの広い部屋に一人作業という虚しい構図だ。
研修の最終日、だからだろうか。二週間ここで働いて思った事がある。それはファクトリーヘッドに対して抱いていたミーハーな気持ちも入り混じった憧れが純粋な敬意に変わった事だ。彼の追求する世界を理解するなんて到底不可能だろう。それでも何故ここの職員が彼を尊敬し、バトルファクトリーを好きだと言うのか。その訳が私にも分かった気がする。
朝の分のレンタルポケモンの情報を確認する為にキーボードを打っていたのだが、先程から一言も発していなかったファクトリーヘッドが突然口を開いた。


「君はバトルファクトリーが好き?」
「……え?わ、私ですか!?も、勿論です。外から見たのと中とは違いましたが、逆により好きになりました」


しどろもどろで必死に言い切った回答に余計な事を言ってしまったかと不安になったが、ファクトリーヘッドは特に表情を変えるわけでもなくそっかと呟いただけだった。


「あの、一体……?」
「いや、最終確認ですよー」


間延びした口調でさらりと言われたものだから一瞬流しそうになったが、最終確認という単語に目を開いた。つまり、採用するか否かを決める質問だったってこと?世間話みたいな感じで切り出されたからそんなに大事な質問だとは思わなかった。どうしよう、と慌てていると挑戦者が来た時の音楽とアナウンスがフロアに流れる。
ファクトリーヘッドはソファから立ち上がり、手に持っていた機械のモニターに視線を向けたのだが、その表情が僅かに変わったのが分かった。


「久々に苦戦しそうな相手だなー」


そう言ってるのにその顔には笑みさえ浮かんでいたから不思議に思ったが、ファクトリーヘッドが部屋を出て行った後に間を置いてから気が付いた。私がモンスターボール用意しなくちゃいけなかったのに。またやってしまった。
うなだれながらも、彼があんなに嬉しそうにしていた相手ってどんな人だろうと思い、普段はあまり目にしないモニターの電源を付けて、あれ、と固まった。この人って。


爆竹の煙と共にバトルフィールドに現れた僕の視界が段々とクリアになっていく。
向かい側に立つ挑戦者を見た瞬間溜め息をつくと同時に、少しはこの可能性も予想していたから今更驚く事もなく笑みを浮かべる。挑戦者を迎える時の決まった台詞も頭から飛んでしまった。


「フツーに戻って来れないのかなー、アズサは」
「ただ戻って来るんじゃつまらないかなーって思って。私が居なかった間の話を聞くよりこっちの方が早いしね」
「まったく……どーりでレンタルポケモンに詳しい人だなーと思ったんですよ」


苦笑いをしながらもモンスターボールを取り出すアズサに満足して、僕もまたモンスターボールを取り出す。戻って来る時間帯を知らせる事もなく突然やって来て、しかもある意味期待や予想を裏切る行動をするのは相変わらずだ。
でもそれでこそアズサだと思うし、今はアズサという手強いトレーナーとのバトルを楽しもうじゃないか。

調査・分析マシンの画面を見ずにそれをバックにしまって手強い挑戦者に向き直った。



「……うーん、相変わらず強いなぁ、ネジキは。私も考えられるだけの作戦立てて来たんだけど」
「まだ負けるつもりありませんし。でも自分で思ってたより厄介だったなーロトム。使う人によってここまで違うんですね」
「一応ネジキの次にレンタルポケモン達を理解してるつもりだからね。……また負けたけどさ」


ポケモンにお疲れ、と声をかけてモンスターボールに戻したアズサは拗ねたように頬を膨らませるが、直ぐにその表情は変わる。
まだ負けるつもりは無いとは言ったけど、僕もかなり危ない所まで追い詰められた。彼女はトレーナーとして優秀だけれど、それ以上にレンタルポケモンを熟知し、僕のバトルを近くで見続けていたからか僕の作戦に気付いて咄嗟に機転を利かせて最善のバトルをする。やっぱり、僕のよく知るアズサかな。
アズサに歩み寄り、彼女の頭に手を乗せて不器用な手つきで撫でると、目を丸くして見上げてくる。前は気のせいかなと思っていたけど少し前より彼女が小さくなったと改めて実感した。


「お帰り」
「ただいま!」


……やっぱり、バトルファクトリーにはアズサも居ないと物足りないよなー。

アズサと一緒に関係者専用の廊下を戻りながら他愛ない会話をするのも本当に久し振りで、表に出しはしないけれど、気持ちが舞い上がっている。根本的な依存が改善されたかと聞かれたら、多分そうではない。僕の個人的な感情もあるけれど、バトルファクトリーとしてもアズサは今や欠かせない存在である。
だからこそ、僕はファクトリーヘッドとして彼女にとっての最善の選択をしなくてはいけない。


「受付数人、あと事務をもう一人増やすつもりですが、いーですか?」
「?もちろん。バトルファクトリーって希望者増えないから貴重な人材だよね」
「……、流石だなー」
「何が……え、何でネジキ笑ってるの」
「いや、僕が子供だったってだけですよ。アズサはクロツグの所でどーでした?」
「……凄く振り回された。自分で全く管理しないからデータも何も無くて、ポケモンセンター行ってデータ貰ったり大変だったよ」


肩を竦めて溜め息をつくアズサに、内心やっぱり適当な大人だとクロツグに対して舌打ちをする。あの人の適当さにバトルタワーの職員も日頃から振り回されているのは知っていたし、だからこそ所長もわざわざアズサを一時的に異動した。結果としてアズサの異動が僕に良い変化をもたらしたのは事実だが、クロツグに対して不満が無いかと聞かれたら僕は即首を横に振るだろう。
アズサは久々のバトルファクトリーに気持ちが高揚しているのかきょろきょろ見渡していて、目が輝いている。フロアに着いた所でアズサは足を止めて、目を丸くしてこちらを見ている研修生に礼をするように頭を下げる。


「あ、貴方は……」
「この間振りですね。あの時はネジキに渡してもらって助かりました」
「いえ!私の方こそ、荷物を全て持ってもらって……申し訳ない位です」
「何も教えられなかった分、あれ位は当然ですよ。今日からまた同じ事務だし、そんなに気にしなくて、」
「……え?」


アズサの口からさらりと出た決定事項に彼女は瞬いて、身体を震わせる。なんか泣きそうな顔してるけど、もしかして本当は嫌だったとか?いや、所長は希望者が多いって言ってたし嫌だって事は無いと思うんだけど。


「採用、されるって、思ってなくて……ありがとうございますっ」
「えっ、ネジキ、やっぱり冷たい態度取ってたでしょ!?」
「いや、僕としては何時も通りのつもりだったけど。……ただ、アズサが居ない時の何時も通りだけど」
「それって私が初日に体験したような感じだよね。それは誰でも萎縮するって!」


言い返す言葉が無くて、気まずさに頭を掻いていると、先程の泣きそうな顔はどこに行ったのか再び瞬いていた。僕に対して普通に喋る人が居るのも衝撃であれば、僕のイメージとはかけ離れているようなやり取りだったんだろうと自覚はある。


「事務でも何を担当するか後で決めないと……」
「あ、あの!」
「はい?」
「事務でも助手専用の部屋って使えますか?」
「まぁ、場所に制限は無いけど。でもまたどーしてわざわざそこに?」
「あの部屋、挑戦者を迎える部屋と隣接していますし、私にはもっとバトルファクトリーを知る必要があると思って……」


受付を抜けた先は挑戦者がバトル前の準備をする通路になっていて、前の相手のレンタルポケモンを助手が持ってくる。案内人を務めている彼女らの部屋は利便性的にその通路と隣接している。彼女の言う通り、バトルファクトリーの事を学ぶなら一番あそこが環境が揃っているだろう。……フロアは、基本仕事半分、遊んでる半分だし。


「勿論構いませんよ。向こうにも機材は揃ってますし」
「ありがとうございます!本日よりまた宜しくお願いします」
「ふふ、こちらこそ。この調子でもう少し増えてくれると皆の負担も減るんだけどねー」
「僕のせいじゃないから。レンタルポケモンが居る分一番管理も大変だし、苦もなく好きでやる人も珍しいんですよ」
「……それ私に言ってる?好きなものは好きだし……」


まぁ最初は憂鬱だったけどね、と笑いながら言うアズサに僕も彼女が来た頃を思い出して笑った。ラジオ局長のお節介で人事異動させられて突然バトルファクトリーにやって来て不満もあったようだが、今じゃ僕と同じ位にこの場所を気に入っている。
沢山の人に必要とされて愛される施設にしていく、か。トレーナーは勿論だけど職員にも当て嵌まる話だよなー。その一歩を踏み出すきっかけとしては所長に感謝しなきゃいけませんね。

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