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- ナノ -

マリーゴールドの恋患い

あと残すは三日。
僕もよくここまで頑張ったと思う。だからと言ってこの状況に慣れたかと聞かれたら迷いなく首を横に振るだろう。勿論嬉しかったけど、差し入れなんて貰ったから余計に今居ない事を意識してしまって。ファクトリーヘッドとしてバトルする時も、何時も居て嬉しそうに駆け寄ってくる筈の人が居なくて、物足りなさを覚える。しかも残りが少なくなるに連れて待ち遠しくなるものだ。

内務の人数を増やす、か。研修生も慣れていないなりに頑張っているのは知ってる。入ったら、アズサの負担が減るのも目に見えてる。ここまで分かってるのに悩んでいる僕は相当だ。所長が遠回しに注意するのも理解してるんだけど、なんかなー……。

アズサがどう思ってるのかは、知らないけど。僕の執着心はあまりにも一方的だ。アズサを困らせてしかないんだから、とっとと決断してしまえ、と自分に言い聞かせたい所だけど、僕はどこまでも自分の強い望みにはあらがえない性格みたいだ。



「あれ、アズサじゃないか。何時以来だったかな?」
「あ、こんにちはゲンさん。こっちの広いフロアで待機してるの、珍しいですね」
「少しばかり休憩をね、ところでアズサはバトルファクトリーに居た気がするのだけど」
「え、っと、それは……」


今丁度、こっそりバトルファクトリーに行こうとしていた所だったから驚いて、気まずそうに視線を逸らす。バトルタワーの広い中央フロアに居たのは、ネジキとクロツグさんのバトルの時に会った以来のゲンさんだった。彼は比較的ダブルバトルの待合室に居る事が多いから、臨時でバトルタワーの職務に就いていた1週間と少しの間、一度も会っていなかった。


「今少しの間だけバトルタワーの手伝いをしていて。もう少しでその期間も終わるんですけどね」
「そうだったのか。あと少しともなると余計に残りの数日が寂しくなるんじゃないかい?」
「えっ」
「今も気になってるって顔してるよ。余計なお世話だったかな」
「……、いいんです、合ってますし」


私ってそんなに分かり易いのかな。自分に呆れるのと、気恥ずかしさに肩を竦める。
たった二週間だけだよね、とか最初は思っていたし、クロツグさんが溜め込んでいた仕事やデータの整理に追われて最初こそはそれほど気にしていなかった。でもそれが落ち着いてしまうと、バトルファクトリーはどうなってるのかなとか、ネジキはちゃんと食べてるのかなとか、会いたい、だとか。
ふと考えてしまうのはその事ばっかりだ。今まで特に意識しなくても横に居るのが当たり前になっていたから、離れてみて初めて実感した。私の中で如何にバトルファクトリーでの日常、ネジキと一緒に居る時間が占めていたか、って。
時間こそは私とネジキは共有しているけど、それについての認識は同じじゃないかもしれない。


「なんか、私ばっかりホームシックみたいな感じで逆にネジキに申し訳なくて。自立しないと駄目だとは思ってるんですけど、まだまだですね」
「自立、か……お互いが必要として高め合う関係なら、別に離れなくたっていいんじゃないかな?」
「そう、ですか?」
「全く同じではないけど、トレーナーとポケモンの関係も似たような物だと思うよ。好きだから一緒に居る。信頼しあっているからこそ、それぞれが最も輝ける居場所になっている。お互いのどちらが欠けても成立しないんだよ」
「それと同じ……」
「個人的な意見だけどね、でも私には君たちはそう見えたんだよ。ただ、相手を思いやるがゆえにその気持ちを何処かで隠そうとして引いてしまうから、時々意識のずれが生じてるんじゃないかな」


どうして、ここで会って二回目なのにゲンさんはこんなに分かるんだろう。
別に無理に離れようとしなくてもいい、その言葉はシンプルな物の筈なのに悩んでいた私にとっては衝撃的だった。離れてみて、ネジキに頼りすぎているし一緒に居たいと思い過ぎていると痛感していた。だからもう少し離れた方がいいのかな、なんて悩んでいたけど、胸でつっかえていたものがすっと無くなっている気がした。

私にネジキにとって良い影響を与えている、なんて自信は全く無い。強いて言うなら食生活は良くなっていること位だ。でも、私は一緒に居て数え切れないほどの物を貰っている。それが私だけなんじゃないかって不安になってしまって、今も残りの数日をもやもやした気持ちを抱えたままそれを知らないふりしようとしていた。


「悪かったね、引き止めて」
「いえ、ありがとうございました。ゲンさんと話せてよかった」
「ふふ、それはどういたしまして。しかし、この件はネジキ君には言わないでもらえるとありがたいよ」
「?はぁ……分かりました」


アズサの曖昧な返事に、ゲンは意味深に笑みを浮かべる。
きっと、僕と話をしていたと聞くとネジキ君はいい顔をしない筈だ。彼はアズサと一緒に居なかった時間に対して、凄く敏感で劣等感さえ覚えている。ネジキ君にとってのアズサもまた二人と居ない存在なのだろう。むしろ、彼の方が依存性は強いみたいだし。だけど、ネジキ君も自分を抑えているのかアズサに伝わりきっていなくて、肝心な所がすれちがってしまっている。

この一緒に居ない時間を通して、色々と見えるものがあればいいんだけどね。


荷物を運んだとき以来のバトルファクトリーは、そんなに日にちが経っていないのにも拘らず、凄く久々に思える。同じ受付でも他の施設とは違う独特な緊張感。やっぱり、バトルファクトリーという環境が私にとっては一番慣れ親しんでいて、そして好きな場所だ。
辺りをきょろきょろと見渡していると、受付の人が私に気づいたのか「アズサさん!」と声を掛けられる。


「最近あまりバトルファクトリーに足を運ばれていないみたいですが、やはりバトルタワーのお仕事が忙しいんですか?」
「それも勿論あるんですけど、この期間中は専念するようにって所長に言われてて」
「そうだったんですか……それなら仕方ありませんが、アズサさんが居ないと何だか何時ものバトルファクトリーとは違う気がして、違和感がありますね」
「あはは、ありがとうございます。あの、ネジキ、大丈夫ですか?」
「ふふ、きっとアズサさんの想像通りだと思いますよ。でも、最近は少し心ここにあらず、という風にも見えます。ファクトリーヘッドにしては珍しいので私たち職員も少し心配しています」
「え、大丈夫かなぁ」


私の想像通りってきっとあまり良くない。この間確認した時は部屋に篭りきりで不規則な生活をしていたみたいだし、多分シュミレーションとかを繰り返して時間さえも忘れている可能性もある。彼女の苦笑いに思わず溜息を吐いてしまう。
あと三日、されど三日。放っておくのも良くない気はするけど、なるべく会わないようにと言われているから直接声をかける事も憚られるし。


「これ、ネジキに渡してもらえますか?多分というか、絶対朝は抜いてる筈なんで」
「えぇ、分かりました。きっと喜びますよ!そうだ、今怪我をして休んでいるポケモンが居るんですが、良かったらアズサさんが預かってくださいませんか?」
「勿論いいですよ!レンタルポケモンに会うのも久々だなぁ」
「それでは持ってきますので、少しお待ち下さい」


アズサから受け取ったカバンを受け取ってスタッフルームに入っていく受付嬢の背を見送り、ぼんやりとバトルファクトリーに来ている人を見ながら彼女が帰ってくるのを待った。

――バトルタワーとか、バトルキャッスルの雰囲気も確かに良いけどやっぱり私にとってはここが一番だな。


「失礼します、ファクトリーヘッド。アズサさんからお届けものですよ」


扉を叩いて声をかけると、予想通り直ぐに扉が開いてファクトリーヘッドが顔を出した。他人に対して、また自分が興味を示す範囲以外の物には殆ど関心を示さないファクトリーヘッドだけど、アズサさんが居ると彼の雰囲気や周囲への対応が変わってくるといのはここの職員の中ではもう周知の事実になっている。
それによってバトルファクトリーの雰囲気は和らぐのだから、本人に自覚があるかどうかは別として影響力は凄いと思う。


「アズサからですか?」
「はい、きっと朝ごはんは食べてない筈だからと言ってましたよ」
「むー、確かに合ってますけど何だか癪だなー」
「それだけアズサさんがファクトリーヘッドの事を分かってるってことじゃないですか?せめて食べないとアズサさんに怒られてしまいますよ」
「だよなー、前だったらこんなことさえ気にも留めたこと無かったのに、ホント、自分でも不思議ですよ」


そう言うファクトリーヘッドの表情は柔らかい物で、何故か安心感さえ覚えた。私たち職員がファクトリーヘッドとこんな話をすることだって以前は無かった。
心配……だったのかもしれない。人々の輪から、一般的な世界から孤立して自分の世界に何処までも没頭してしまうフロンティアブレーンが。かといってどうしようも出来ない私達は黙認していた、というよりも見て見ぬふりをしていた。


「アズサは、もう帰ったんですか?」
「ふふ、いえ、まだロビーに居ますよ。怪我して休んでいるレンタルポケモンを引き渡す為に待ってもらっています」
「……それ、僕に任せてもらってもいーですか?」
「えぇ、勿論」


僅かに口元に笑みを浮かばせて、受け取ったカバンを部屋の中においてから保管庫へ歩いて行ったファクトリーヘッドの背を見送って、自然と笑みが零れた。

――今日は一段と、仕事に励む事が出来そうです。


モンスターボールを手に取ったネジキの歩調は何時もより早くなっていた。距離を置いてみたらどうだと言われただけであって、禁止されたわけじゃない。それに何より残りが少なくなるに連れて限界が急速に近づいてきた。直ぐそこに居るのに、無視するなんて冗談じゃない。
スタッフルームの扉を開けてロビーを見渡すと、受付近くに見覚えのある後姿があった。何だかんだ、本当に久々になるんだなー。


「アズサ」
「え……、あれ、ネジキ!?ど、どうしてネジキが……」
「いーからちょっとこっち来て下さい」


名前を呼ぶと振り返ったアズサは本当に驚いているのか目を丸くして挙動不審になる。構わず手で招くと、戸惑いながらも駆け寄ってきた。流石にロビーで話すと目立つな、と思ってアズサをスタッフルームに招き入れると扉を閉めた。
流石に良いんだろうかと僕と扉を交互に見て戸惑うアズサに構わず引き寄せて抱きしめた。なんか、前よりアズサがちっちゃくなった気がするなー。


「えっ、ど、どうしたの!?」
「僕も注意されて気を付けようとは思ったけど、やっぱ無理だったなー」
「なな、なにが……」
「もう限界。僕が僕らしく居る為にも、やっぱりアズサには隣に居てもらいたいと思って。僕の個人的な感情を一方的にアズサに押し付けてるだけだけど」


こんな風に正直に本人を前に言うのは一体何回目になるんだろう、あまり記憶に無い。それだけ僕も精神的に参っていたのかもしれない。ふとアズサの顔を覗くと呆然としていて、瞬きを何回も繰り返していた。


「隣居ても、いいの?」
「へ?そりゃあ勿論ですけど……」
「残り数日なのは分かってたんだけど、気付いたらこの施設の事とかネジキの事考えてて、流石に鬱陶しいだろうなって悩んでたんだよね。私ばっかり気にしてると思って申し訳なかったんだけど」
「……」
「言うと困るだろうと思って、……ネジキ?」
「いや、アズサがそう言うとは、思ってなかったんで……」


気恥ずかしくなって、顔を逸らしてしまう。僕にとってはなんて殺し文句なんだろうか、これ。僕の依存性が一方的に強過ぎてそれにアズサを巻き込んでいると思っていたから、アズサも僕と同じような内容で悩んでいるとは思っていなかったから正直本当に嬉しい。


「まったく、困るわけ無いじゃないですか。アズサさえいいなら、とことん付き合ってもらいたいけど」
「……嬉しいけど甘やかされ過ぎだよね、ホント」
「そーですか?自分でも変わってる人間だと思うし、僕の傍って普通割と疲れると思うけどなー」


本当に嬉しそうに笑うアズサに、話題を逸らす事しか出来なかった。そうしないと僕が何かをやらかしそうでならなかったからだ。自分でも思うけど、一緒に居て楽しいと人に思わせるようなタイプではない、むしろ全く逆だろう。アズサがどうしてこの場所を気に入ってくれているかは分からないけど、当たり前のように隣に居る事実が幸せな事にも思えた。


「一週間半離れて気付いたんだけど、ネジキをサポートする形でも色んな人から必要とされるバトルファクトリーにしていきたいって思ったんだよね。私はここが好きだし、沢山の人とそれを共有出来たらこれ以上にいいことは無いかな」
「……やっぱり、必要だよなー」
「?なにが?」
「いや、こっちの話」


――そういう事か。

今までの僕は個人的な仕事の面とプライベートの面だけでアズサを必要としていた。僕のファクトリーヘッドとしての務めを見守って、自分の事のように喜んでくれるアズサの存在が僕の中では非常に大きかった。だからこそ好意も持ったし、そういう意味でも隣に居てほしいと願っている。けれどあまりに自分中心で、結局周りを見ていなかった。
ファクトリーヘッドとしての高みは目指すのに、誰かにとっての印象だという物にやはり関心を示さなかった。フロンティアブレーンとして挑戦者にいかなる状況、相性でも最良のバトルをする強さこそは示してきたけれど、人にとってのこの施設がどうかなんて正直どうでもよかった。
けど、バトルファクトリーは僕が居るから成り立つわけじゃない。トレーナー達がこの施設に来る意義を感じて初めて成り立つもので、共有するからこそ存在している場所だ。アズサはそれを気付かせてくれて、更には一緒に考えようとしてくれている。その意味で真に彼女は僕にとっては必要な存在で、居る事で僕の視野も広まっていた事に今更気付くなんて。

所長はきっと、僕に対してこの事を言いたかったんだろう。


「アズサ、今日から帰ってくる気は無いですか?」
「それはダメだって!」
「……まぁ、妥協するか」
「あれ、私が悪いの?」


――でも突き詰めればやっぱり、僕の個人的な感情で隣に居てほしいんですよね。

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