coral
- ナノ -

背中合わせの夢遊病

初日だけではなく、翌日もファクトリーヘッドの顔を見ることはなかった。ここまで部屋の外に出ないと会えない事に残念がるよりも、色々と不安になってくる。

他のフロンティアブレーン、特にクロツグさんなんかは普段から施設に居ないから皆は困っているのに、ネジキさんの場合は施設、むしろ部屋から出ようとして来ないから驚かされる。
とても私達には理解出来ない様な、トレーナーとしての高みを目指している姿に、ここで働いている人達が何故彼に余計な干渉をしようとしないのか。そして何故それでも尚ここで働き続けているのか分かってきた気がする。純粋に、彼がトレーナーとして尊敬出来る人だからだ。
ただ強いのではなく、その為に最大限の努力をしている。しかしそれを自慢することもなければ偉ぶることもない。自己満足の域なのだろうけれど、それが彼のトレーナーとしての魅力なのだろう、とこの数日でぼんやりと理解し始めていた。


「それでも、少し位は話してみたいんだけどなぁ……」


そう思ってしまうのは欲なのか。

四日経って、一度だけ彼と会った事がある。勝ち上がってきた挑戦者がフロンティアブレーンに挑戦する時に彼は漸く部屋から顔を出して、保管庫から出てきた所だった。最近、表に出る事も増えてきたから顔は知っていたけれど、実際に近くで、そしてバトルファクトリーの中で見たのは初めてだった。
用意しましょうか、と声を掛ける間も無く彼の手には三つのモンスターボールが既に握られていて、リフトのある場所まで行ってしまった。

本来ならどのポケモンが必要なのか私が聞いて準備しなくちゃいけないのに、まだ紙がなければポケモンを探せないし、あったとしても時間が掛かってしまう。むしろ、あの表を覚えていたっていう本来の内務の人は一体どんな人なの……、と溜息を付いてしまう。


「こ、こんなにあるんですか!?」
「えぇ、あそこはレンタルポケモンの数が多いから消耗品は直ぐに無くなってしまうらしくて」


ポケモンセンターに届いたというバトルファクトリー宛の荷物を受け取りに来たのだが、箱にして三つ。とても一人では持ちきれないその量に唖然とした。
確かにレンタルポケモンは休み無く使用されているからポケモンセンターに連れて来る時間も無く、バトルファクトリーに取り付けられている簡易治療装置もあるが、それでは間に合わずにきずぐすりやなんでもなおしを使用する場合も多くある。
そうなるとこの量も納得できるけれど、私一人では持っていけない。バトルファクトリーにあっただろう荷台を持って来れば良かった、と肩を落としていると、ジョーイさんがあっと声を上げてにこやかに笑ったから不思議に思って振り返ると、そこには見覚えのある女性が居た。


「こんにちは、アズサさん。頼まれていたものなら用意していますよ」
「すみません、面倒な事を頼んじゃって……クロツグさんが自分のポケモンのデータを残さないから」
「ふふ、ここならクロツグさんでもバトルの後に必ず寄る所ですからね」


アズサと呼ばれた女性は、何時かネジキさんと一緒にルーレットゴッデスとバトルをしていたり、審判を務めていた子だった。ネジキさんが外に出ている時に一緒に居る事が多いからバトルファクトリーの人だったのかな、と思っていたけれど彼女の姿は無かったし、今もクロツグさんの話を上げているからバトルタワーの人だっただろうか、と考えた所で引っ掛かった。

ジョーイさんから手渡された書類を受け取って、頭を下げた彼女が振り返った時に、私が彼女を見ていたせいか、ばっちりと目が合ってしまう。
何となく気まずくなって視線を逸らそうとしたのだが、彼女の視線は既に私から、足元にあるダンボールへと移されていて、目を丸くしていた。


「あれ、それってバトルファクトリーの荷物ですか?」
「あ、はい。私、二週間程研修生としてバトルファクトリーに勤めているんですが……どんくさいのか中々仕事が上手くいかなくて」
「あぁ、研修生って貴女だったんですか!その量大変そうですし、二つ持ちますよ?」
「そんな、悪いですよ」


まるでバトルファクトリーに研修生が来る事を知っていたような口ぶりに疑問に思いながら首を傾げる。確かに私の周りは知っている話だろうけど、何せ急に決まった話だから噂が広がる間も無く異動があったから、そんなに知られていない筈。
そこまで考えて、ある仮説が頭を過ぎって、まじまじと人当たりの良さそうな笑みを浮べているアズサと呼ばれた彼女を見詰める。


「もしかして……バトルファクトリーの、内務、の方ですか?」
「そうですよ。今は他の所に借り出されて居ないんですけど……そちらは大丈夫ですか?幾ら所長になるべく行かないようにとは言われていても、教えないっていうのはあまりに無責任だから心配で」
「滞り無く、とは言えませんが助手の方にも手伝ってもらっているので何とか。あれを一人で、担当されていたんですよね?大変じゃないんですか……?」
「とはいえ、かなり自由にやらせて貰っていたので大変と言うより楽しんでやっていて」


照れくさそうに語る彼女から伝わってくるのは、言葉通りの仕事を楽しんでいる雰囲気だ。レンタルポケモンの管理をするだけでも時間が掛かるし、疲れるのに、それに加えてデータ処理を一人で、しかもまだこんなに若いのに難なくこなしてしまうなんて。
それに、ダリアさんに勝っていたあのバトルを見る限り、彼女は非常に優秀なトレーナーでもあるのだ。ネジキさんといい、若くても最近の子は凄いなぁ、なんて思っていると彼女はモンスターボールを取り出して何時か見たエレキブルを出した。


「ごめんね、エレキブル。一つ持ってくれる?これをバトルファクトリーまで運ぶから」
「エレキブルッ!」
「だから一つでいいってば!」


地面に置かれた、比較的重たいダンボールを二つ手にとって腕に乗せたエレキブルに、アズサさんは困ったように頭を抱える。信頼が強く、トレーナー思いのポケモンなのだろう。
それにしても、アズサさんがバトルファクトリーの職員、か。他の職員達と明らかに何処か雰囲気が違うからしっくり来なかった。明朗快活で、気さくな人で、おまけに優秀なトレーナー。どう考えても他の人達と違うタイプなのに、バトルファクトリーで働いてるんだ、とぼんやり考えていたら彼女が控えめに声を掛けてきた。


「あの、……ネジキ、元気にしてます?」
「ネジキさんですか?何時も通り部屋に居るみたいで……私も一度しか会った事がありません」
「あぁ、やっぱり……クロツグさん宛てに来たメールからすっごい機嫌悪いなぁ、とは思ったんだけど……絶対不規則な生活してるんだろうし」
「お詳しい、んですね?」
「え?何時も一緒に居るせいか慣れてるって言うのもあって。他人に関心示そうとしないから、そこも心配で」


アズサさんの話を聞いて、目を丸くする事になった。

詳しいというか、話を聞いている限り多分彼女はファクトリーヘッドと仲がいい。だから公式試合でネジキさんが出て来た時は必ずと言っていい程に彼女が居て。だから今他の部署に借り出されているアズサさんが居なくて、機嫌が悪い?そんな根拠も無い仮説に再び彼女をじっと見つめてしまう。
アズサさんは何かを思い出したのか、肩から提げているカバンから袋に入ったケーキを取り出す。袋の感じからして、自分で作ったものなのだろう。


「多分朝も食べてないだろうし……えーっと、これで良かったらネジキに渡してもらえませんか?パウンドケーキなんですけど」
「え、えぇ、勿論ですが……アズサさんが直接渡した方が受け取ってもらえるんじゃ……?」
「一応、二週間の間はバトルファクトリーになるべく行かないように、と所長に言われてるので渡してもらえると有難いです……」
「?そ、そんな命令が出されていたんですか?そういう事情なら分かりました、私が渡しておきます」
「ありがとうございます。それじゃあ、この荷物は私達が運んでおきますね。勝手に仕事を任せている分、私達にこれ位は任せて下さい」
「え!?」


ひょいと比較的軽い残りの一つのダンボールを持つと、彼女のエレキブルと共にポケモンセンターを出て行ってしまう。
本来それは私のやるべき仕事で彼女は偶々鉢合わせただけなのに、手伝うのは当然とでも言うように嫌な顔一つせず荷物を持って歩く彼女の後姿を呆然と見て、溜息を付いた。……何か、噂に流されて舞い上がり、自分が研修としてやっている仕事をしている人に勝手に敵対心を持っていた自分が馬鹿みたいだ。

バトルファクトリーに帰ると、三つのダンボールが既にスタッフルームの廊下に置かれていて、お礼を言う間も無く彼女はバトルタワーに帰ってしまったようだ。自分よりも年下だけれど、素敵な子だったなぁ、と思いながら彼女から受け取ったパウンドケーキを手に、廊下を進む。
普段は扉を叩いても反応が返ってこないファクトリーヘッドの自室。恐る恐る手を伸ばして、扉を叩く。

「すみません、ファクトリーヘッド。先程、アズサさんから受け取った物があったのでお届けに……」

言い終わる前に、ガタン!と大きな音が部屋の中から聞こえてきたから驚いて言葉を飲み込んでしまう。
そして数秒も経たない内にその扉が開いて、ネジキさんが目を丸くしたままこちらをじっと見ていた。ファクトリーヘッドも、こんな顔するんだ。新しい発見に驚きつつ、彼がアズサさんに寄せている信頼が垣間見えたような気がした。


「アズサから受け取ったんですか?」
「は、はい。偶然ポケモンセンターで会って、ファクトリーヘッドに渡して欲しいと言われて。先程、荷物も重いからと言ってこちらにまで運んでもらったんです。悪いことをしましたね」
「……馬鹿みたいにお人好しだからなー。アズサも全く気にしてないだろーし、そんな悪い事したとか思わなくていいですよ」


ネジキさんって、こんなに饒舌だったっけ。
ふっと小さく笑みを浮べて話す彼の表情は見た事が無い位に穏やかで優しくて。私の知らない顔ばかりだった。
パウンドケーキを渡すと、これ美味しいんだよなーとか小声で零しているから、アズサが頻繁に作っているのだろう。


「コレ、ありがとーございます。あ、このモンスターボール、保管庫に戻してもらえますか?」
「え……は、はい!お任せ下さい!」


それじゃあ、と再び部屋に戻ってしまったけれど、手の上に乗るネジキさんから渡されたモンスターボールをじっと見つめて、湧き上がる喜びをかみ締める。話したことなんて四日経っても一切無かったのに、たった小さな事でも任せてもらえたのだと思うと嬉しくて。
そして同時に、彼が丸くなる時は必ずと言っていいほどアズサさんが絡んでいるんだと気付いて、来るまで僅かに抱いていた対抗心なんかではなく、純粋に年下の彼女を尊敬した。

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