coral
- ナノ -

conditio sine qua non

「……え、今、何て言いました?」


動揺して上擦った声が出たがそれを気にする余裕も無くて、椅子に座ったまま自分を見上げて目の前でにこにこと笑みを浮べる所長に対して、今の僕の表情といったら酷いものだろう。

バトルフロンティアの総責任者である所長は言ってしまえばアズサが苦労させられているラジオ塔局長と似た人種だ。とはいえ、所長も僕の性格を分かってかあまり干渉してこないし、こうして直接呼び出すことも少ない。
例え何かの伝令があったとしても、メールで送られて来ることも多い。そうすればこうして出向くよりも早く僕が確認すると分かっているからだ。

そして。
久々に呼ばれたかと思えば、動揺せざるを得ない伝令に嫌な汗が背筋を伝うのが分かった。


「いや、最近のバトルもあってバトルファクトリーには以前と比べ物にならない程に来るトレーナーが増えただろう?人手が足りていないという話も聞いているよ」
「それはそうですが、実際今居る人数でも十分回ってると思うけどなー。大体、呼びかけした所で集まって来ないと思いますけど。曰く付きのバトルファクトリー、ですし」
「それも半年前の話じゃないか。あの頃は辞めて行く人数が圧倒的に多かったけれど、最近の評判も聞いてバトルファクトリーに異動したい、入りたい、なんて声も多くてね」


良いことじゃないか、と上機嫌な様子で語る所長とは対照的に、機嫌が底辺にまで落ちていくのを感じた僕は所長に聞こえない程度に舌打ちをする。

そんなもの、面倒事以外の何ものでもない。
今居る職員は全員優秀だし、何より僕の性格を分かった上で残っている人達ばかりだ。ファクトリーヘッドに干渉しない、それを暗黙のルールにしているのか、事務連絡以外に僕に話しかけてくることもそうない。勿論、例外は居るのだけど。


「百歩譲って、受付の人数増やすのは大変そーだし賛成しますけど」
「あぁ、勿論それもそうだけどね。問題は内務だよ」
「……」


ついにきたか、と心の中で吐き捨てるように呟く。
別に大して重たい話でもないし、むしろ所長は世間話をするような明るい表情で語っているのに、何故か緊張感が走って、後ろ手に拳を握り締める。


「むしろ今までがおかしかったんだよ。内務の仕事が完璧な位にこなされている事が。今、バトルファクトリーで内務をしているのは局長が紹介してくれたアズサ君だけだろう?」
「まぁそうですけど、アズサだけでも十分ですよ。一人で全部こなしていても、休憩時間も多くある位で……」
「それでも、一人でほぼ毎日は負担も大きいと思うけどねぇ…」


口元に手を当てて悩むように唸った所長に、何も返せなかった。
悔しいけれど、彼が言っていることは正論に他ならない。僕が渋っているのは現実的な有益云々の話ではなく、個人的な私情を挟んでいるからだった。アズサは苦もなくおびただしい数のレンタルポケモンを管理し、一日で使われたポケモンのデータ入力を毎日行っている。
普通の、これまでに入っていた内務だったら何人かで分担してやっていただろう事をたった一人で片付けてしまうのだから感服する所だが、彼の言う通り負担が大きい。アズサの記憶力がレンタルポケモンの位置などの把握を手伝っているから作業が通常の人より半分位で終わるのかもしれないが。


「ネジキ君は受付の人数を増やすのは賛成だが、内務の人数を増やすのは反対、か……。ふむ」
「ほんとーに忙しくなったら僕も手伝うつもりですし、取り合えず大丈夫ですよー」
「……クロツグ君に聞いていた通りだな」
「クロツグ……?」


ここで挙がると予想していなかった名前に思わず眉を潜める。
クロツグが絡むと、ロクなこと、ないのに。


「きみは、アズサ君に依存し過ぎてるね」
「!」


――ドキリ、と。

煩く脈打つ音が聴覚を浚い、フィルターが覆ったように周りの音が聞こえなくなる。薄々自覚こそはしていたが、他人の口からそれを言われると動揺が隠せない。

図星だった。訂正する言葉も見付からない位に的を得ていた。
別に、アズサ以外に人と関係が一切無い訳ではないけれど、二人で居る時間は圧倒的に長かった。コクランとカトレアも主従関係にあるし、付きっきりではあるが、僕たちとはまた事情が違う。
アズサが居る時は比較的人と話す機会も、僕の口数も増えるけれど、彼女が休みの日は。アズサには勿論言っていないけれど、彼女が来る前と同じような生活をしている。自室に篭って只管知識を増やす作業を繰り返す。アズサに依存している、と言われても仕方が無かった。


「私としても人に関心が無かった君がそれだけ誰かに関心を向けるのは嬉しい話だけどね、……もしアズサ君が居なくなったら内務はどうするつもりかな」
「っ、心配しなくても、アズサは辞めるつもりないですよ」
「うーん……、それじゃあこうしようか。研修生として、内務を配属させる。採用はその時のネジキ君の判断と、研修生の意思に任せるとするよ」
「そ、れならいーですけど……」
「ただし」


ただし、と続けた所長は輝くような笑みを浮べていた。
そして本能的に感じ取った嫌な予感に、ごくりと生唾を飲み込んで続きの言葉を待った。

――そして、所長は僕に死刑宣告も同然の事をさらりと、さらりと述べたのだ。


「その間はアズサ君に別の所に異動してもらうつもりだよ」
「っ!?なに、言ってるんですか……それこそ、内務が回らなくなるに決まって…!」
「そういう時のシュミレーション、だよ。期間はそうだな、二週間。いやぁ、実際、他の施設でもデータをまとめるのにバトルやポケモンについての知識が豊富なアズサ君に手伝いに入って貰いたい所もあったから」


ありえない。言っていい冗談と悪い冗談がある。
僕のためとか言いながら陽気に語る所長に憤りの無い怒りや空しさがこみ上げてきて、唇をかみ締める。そうでもしないと気が付いたら所長に対して毒を吐くのを分かっていたからだ。
二週間?そんなのとんでもない。その二週間を乗り切れるかと問われたら今首を横で振っていただろう。僕がどれだけ拒否しても、この雰囲気からして所長は聞いてくれないに違いない。
なら、アズサはどうか。……アズサなら残念そうな顔をしながらもきっと受け入れてしまう。たった二週間だよね、とか言って。


「アズサ君には僕から今連絡を入れておいた方がいいかな?ネジキ君から言うつもりなら止めておくけど」
「い、え……お願いします」


あぁ、気分は最悪だ。


「へ?」

パソコンに新しく届いたメールを開いて、エレキブルと一緒に画面を覗き込んで目を点にする。バトルフロンティア所長から来たメールはネジキ宛ではなく、私宛に来ていたからだ。
メールを開いて本文を読むと、更に驚きで目を丸くする事になった。そこに書かれていた内容が信じられなくて、一瞬だけ思考停止してしまった。


「明日から二週間だけ、他の施設の手伝いで異動しろ……?しかも、極力ネジキとの接触は避けるように、ってどういうこと?ええエレキブル、これってなに、追放って意味じゃないよね!?」
「エレキブル!」
「あぁうん、二週間だけって書いてあるけど」


動揺でパニックを起こしかけていた私を落ち着かせるように、メールの文章を指差して再度教えてくれる。二週間だけ、という期間がついている異動ってことは別にバトルファクトリーを辞めろって事じゃないんだよね。
そんな命令が来ていたら動揺なんかじゃすまなかっただろうし。暫くは落ち込んで塞ぎこみそう。
これって、ネジキに言った方がいいのかな。でも、今日はネジキも所長に呼ばれて本部に行ってしまって、今は居ない。

どうしようかと頭を悩ませてエレキブルに凭れ掛かっていると、スタッフルームの扉が開いた音が廊下の奥でして、ばっと顔を上げる。廊下を覗き込むと、普段よりも早足で廊下を進んでフロアに向かってくるネジキが見えて声を掛けようとしたのだけど。
その纏う雰囲気が張り詰めているのに気が付いて、声を出そうとした寸前で止めた。


「あの、ネジキ……?おかえり。もしかして、結構機嫌悪い?」
「最低って感じだなー。……所長から送られたメール、見ました?」
「うん、さっき見たけど…またどうして急にあんな命令が出たの?」
「最近、バトルファクトリーに来るトレーナーの多さと比例して忙しくなっているから職員を増やさないかって話が出てまして。前まで居なかったのにここを希望する人も増えたらしくて、研修期間らしーですよ」
「そっか……それは分かったけど、何でその代わり私が別の所に異動なんだろう。研修生に仕事教えるとかしなくていいのかな」


――アズサの尤もな疑問に、言葉を詰まらせる。

研修生ならば既にそこで働いている先輩に教えてもらうのが普通だろう。とはいえ、ここの内務は何処よりも大変だという認識はある。仕事する内容を聞くだけならいいが、もしポケモンの知識が乏しくてデータを読み取る力も無く、一々レンタルポケモンのデータや保管場所を聞かれたら堪ったものじゃないだろう。数が多過ぎるのだから。
アズサにその辺りを聞かなくてもいい優秀、及び根気のある人間じゃなければこのバトルファクトリーに耐えられない、という所長の考えがあるのか。それとも、僕とアズサを離す為なのか。どちらかはよく分からない。


「アズサは、賛成?」
「一応命令みたいだし、そりゃあ……ここに居たいなぁって思うけど、二週間だから」


少しの辛抱だね、なんて苦笑いをしながら答えたアズサに予想通り、と思うよりも先に身体が動いた。分かってる、アズサがこう考える人間だって十分分かってる。だからこそ好きなのだけど、僕ばっかりがアズサを好きだって思い知らされているようで。
多分、所長が言いたかったのはこういう所なんだろうけど。


「ね、ネジキ!?ど、どどうしたの……!?」
「……二週間分、充電しよーかと思って」
「え!?」


幾分か自分よりも小さなアズサを抱き締めると、顔は見えないけれど空いた手を彷徨わせて狼狽している。今の情けない顔を見られたくなくて肩口に頭を埋めると、一瞬だけびくりと肩が跳ねたのが分かった。
無理だ。きっと、二週間も耐えられない。自分の事だからかそんな予感が簡単にたってしまって、この二週間が心配になった。

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