coral
- ナノ -

意識する休暇風景

――ピーンポーン

家に鳴り響いたチャイムに嫌な予感を感じつつも玄関に向かってそっと扉を開けると。あぁ、やっぱり居たよ。


「アズサ、もっと仕事休んだらどうだ?」
「うちそういう勧誘結構なんで。マツバー、なんかセールスだったみたい」
「あぁ、ミナキ君か」


扉を少しだけ開けた隙間から見えたその顔と発言に素早く扉を閉めて鍵をかけると、扉をしきりに叩く音と叫び声が聞こえてくる。なんかホラーだ。隣をふらりと浮遊しているゲンガーなんて意地悪く笑っているし。
というかここマツバの家なのに本当に迷惑な話というか。大して気にしている風でもないマツバに「どうする?」と尋ねると後々面倒な事になるから入れて、と返ってくる。マツバって本当にミナキの扱いが上手いというか、飴と鞭を使いこなしている。


「いきなり締め出すなんて酷くないか!?」
「今のは誰がどう見てもミナキ君が悪いと思うよ。それにここ僕の家だって分かってる?」


残っていた団子を食べ終えたマツバはあからさまに溜息を付いて縁側から腰を持ち上げる。折角今日はマツバとゆったりお茶でも飲もうかとしていたのに私の気分も急降下する。勿論嫌いじゃないんだけど、空気くらいは読んで欲しい。


「というか、ミナキ君一体どれだけアズサに対して過保護なんだい?寂しいとか通り越して姑くさいよ」
「出会い頭に仕事休めなんて言う人始めて見た」
「う……、付き合いが長いとその分心配にもなるんだよ」
「気持ちは分からなくはないけど……大丈夫だよ、彼なら。外出頻度とコミュニケーション能力には目を瞑るしかないけど」
「あはは……」


マツバの痛い指摘に苦笑いしか出てこなかった。ネジキは本当に他人の評価に関心も無ければそもそも自分以外の人に関心を示す事だって滅多にない。

外出頻度に関しては…うん、言うまでもない。でも最近は仕事をさぼって外出に付き合ってくれたり(冗談かと思ったけど、ファクトリーの職員だけじゃなくてフロンティアブレーンもそのことを本当に喜んでた)仕事の関係上他の地方に行くことも結構増えてきたんだよね。


「マツバは知ってるのか?」
「一度会った事あるし、有名だし。あぁ、そういえばアズサ。ラジオで聞いたからモニターで試合見てたよ」
「……、え?モニターって……」
「局長がアズサのバトルだからって凄く気合入れたみたいでラジオ塔一階のモニターで流してたから。アズサのバトル、帰って来てから初めて見たけど流石はリーグ優勝者、形としてはトレーナーを辞めても強かったね」


マツバの褒め言葉に照れ笑いをするけど、同時に溜息が出てくる。だから局長、放送といいモニター設置といい気合入れすぎだって。

私としてはひっそりこっそりやりたかったのに、ネジキとダリアさんというフロンティアブレーン同士のバトルともなるとそうはいかないとは分かってたけど。
でもトレーナーとしての意識が根深く残っているからか、エンジュジムリーダーのマツバにそう褒められると嬉しくなる。


「ミナキ君は見なかったの?ラジオ塔も見に来た人で溢れ返ってたからミナキ君見つけられなかったけど」
「あぁ、見てたぞ。アズサと組んでいたあの青年、フロンティアブレーン最強だったか?冷静な判断力といい噂に違わないな。感心した」
「え?ミナキでもそう褒めてくれると嬉しいなーありがと」
「ちなみに知らないみたいだから言っておくけど、彼だよ。ミナキ君が今目の敵にしてる相手は」


マツバの衝撃の告白にミナキはぴたりと動きを止めて、わなわなと肩を震わせる。アズサの好きな相手があの小柄な体格のフロンティアブレーンで、ファクトリーヘッドで。それでアズサが働いている場所はバトルファクトリーで、ファクトリーヘッドと仲が良くて。
その点と点を頭の中で結んだ瞬間に、ミナキはばっと顔を上げてアズサの肩を掴んで揺らす。


「なら尚更仕事を休むんだ!半日以上一緒なんて良くない!」
「さっき感心するって言ったの誰!?」
「前言撤回だ!」


そんな理不尽な。大体私の片思いなんだからそんなに神経質になられても困るし、ネジキに迷惑だ。段々ミナキとの言いあいにも疲れてきてそろそろ流そうかと思ったのだが、ミナキの一言に私は動揺する事になった。


「あんな普通に抱きついて食われたいのか!?」
「なに馬鹿なこと……、……え?」


――普通に、抱きついて?

途中で言いかけた言葉が喉の奥で霧散した。ダリアさんとバトルした時の事を思い返すと浮かぶのは周りの音が聞こえなくなる位に夢中になってバトルをした場面、天上から降り注ぐ紙ふぶきと拍手、それから。

その後にした行動を思い出して、さっと血の気が引いていく。嬉しさのあまり咄嗟にネジキに抱きついたんだ。しかも、それが見られている事をすっかり忘れて。


「だろうと思ったよ、アズサって前から男女の境目そんなになかったから。でも色んな人に勘違いされてるんじゃないかな」
「うわぁあ……」


頭を抱えて唸るアズサにマツバは苦笑いを浮かべる。
あの表情を見る限り、ネジキ君としては嬉しい誤算だったんじゃないかな。アズサが自分の感情を自覚したのはつい最近の話だけど、ネジキ君の場合は大分前から自覚済みで(僕と会った時はいまいちわかっていないようだったけど)男を意識なんて全くしないアズサの言動にやきもきしているように見える、というかアズサの話を聞いているとそう聞こえるし。
人との関係が希薄だったが故に、初めて親しくなった上に恋愛感情も含めて好きな相手に対して不器用かつ独占欲が出てくるんだろうけど。


「それだけじゃなくてアズサ自身も大変かもね。あんなバトルしたら色んな人から声掛けられるんじゃない?」
「男の場合は無視していいぞ。無駄に声を掛けられないように仕事中は外に出るなよ」
「もうミナキ黙ってていいよ。後先そこまで考えてなかった……そんな誤解でネジキに迷惑かけてたら合わせる顔ないって」
「……アズサらし過ぎてこの先が心配になったよ。はい」
「え?あ、みたらし団子!流石マツバ、私が好きなもの分かってるね」


マツバから新しい串をもらい、縁側に座ると膝の上にゲンガーが乗っかってにししと悪戯に笑う。マツバもミナキにお茶を渡すと(団子じゃないんだ)縁側に腰掛けて一息つく。
マツバ達の話を聞いて明日大丈夫かなぁ、なんて少し不安になった。勢いで抱きついたの謝らないと。


ーー休みを貰えると買い物に行けたり、マツバとミナキと話す時間増えるからいいけれど、ぼんやりバトルファクトリーの事を思い出してしまう辺りやっぱり仕事中毒なのかもしれない。
中央広場に設置されていたモニターも私が休みの間に撤去していたようで、何時もどおりポイント引き換えをする受付が構えられている。

不覚にもバトルに夢中になり過ぎていてすっかり人が居る事を忘れていた。トレーナーを引退したとか言っておきながら、結構バトルする機会が多いような気がする。本当、ネジキの言う通り何時トレーナーを辞めたんだか、って感じだ。

バトルファクトリーに入り、レンタルポケモンの準備をする助手の人や受付の人と挨拶を交わし、スタッフルームに入ると珍しくネジキはフロアに居なかった。何時もならこの時間にはソファに座っているか、机の上にあるパソコンに向き合っているのに珍しいなぁ、なんて思いながらも荷物を置いてフロアの奥に続く廊下に向かう。

昨日私が休みだったからって、コクランさんに頼まずにご飯食べてないとか無ければいいんだけど。……一度没頭すると時を忘れるしそうなると外に出てこないからあり得そうなんだよね。
途中、レンタルポケモンを保管している部屋も覗いたのだけど、そこにネジキの姿は無かった。ネジキの私室の前で足を止めて、控えめに扉を叩いてみる。

「ネジキ、居る?」

すると暫く沈黙が続いた後、ガタンと大きな音が扉の奥で鳴ったのが分かった。
あまりに大きな音だったから吃驚してどうしようかと手を彷徨わせていると、扉が開いて眠たそうに欠伸をしたネジキが顔を出した。あ、ネクタイ外してシャツを肘まで捲くってるなんて珍しい。


「……今起きました。もうそんな時間だったんですか」
「おはよう、ネジキ。もしかして椅子に座ったまま寝てたの?」
「いや、今日は横になって寝たけど」
「ほんと?……うわ、凄い機械の量」


開けられた扉の奥に見えるネジキの私室はベットが置かれている以外あまり生活感が無かった。まるで仕事部屋のようで、フロアよりも多くの機械の類が設置されている。
何台かのパソコンにバトルフィールドを映しているカメラの映像を流すモニターに自作の機械。地面には箱に入った爆竹があったからぎょっとした。
本棚に本が全て綺麗に収められていて結構整頓はされている辺りを見る限り、ネジキって結構綺麗好きなのかな。どちらかと言うとしまったまま取り出してないのかも。


「あれ、初日に僕の部屋見なかった?」
「いや、あの時は頭に血が上ってて周りが見えてなかったというかそんな余裕が無かったというか……」
「あー、なるほど。僕も最近はこの部屋そんなに使ってないしアズサが入る機会もなかったなー」


手招きされて中に入ると壁に取り付けられたモニターに現在戦っているトレーナー達のバトルが流れていて、その横のパソコンにはそれぞれの手持ちとそのポケモンのデータが映し出されていた。
こういうシステムもきっと自分で作ってしまうんだろう。私が来る前はポケモンに関する知識を取り入れるだけではなく、相当な時間を機械弄りに割いていたみたいだし。

ちらりとネジキの白いアクリルパネルの机に視線を移すと、スタンドライトにパソコンと自作の小さな機械、それからケースに入ったモンスターボールが端に置かれていて、ネジキが頻繁に机に伏せてて座ったまま寝ているというのも頷ける位物がない。


「結構事務室っぽいね、なんかフロアの方が自室っぽいよ。カーペットとかソファとかテレビあるし」
「まー、最近は寝るだけだし。フロアの方が居心地いいですしね。あ、昨日アズサが居なかった間にダリアにビデオ貰ったんですよ」
「ダリアさんに?……、ねねネジキ!」
「!?、どーしたんですか……」


急に顔面蒼白になって焦り始めたアズサに驚いて落ち着くようにネジキは声をかけたが、アズサに落ち着く余裕は無かった。マツバとミナキに聞いてしまった失態をつい忘れていた。
ダリアさんとのバトルの後に一体何をしてしまったか、忘れるなんて最低だ。


「皆が見てて、し、しかも映像で流されてるって忘れて、感極まったからってあんな……」
「あぁ、なんだその事か。別に全く気にしてませんよ、むしろ僕も嬉しかったし」


しゅんとなって肩を落とすアズサの頭を優しく撫でると、アズサは目を丸くして顔を上げる。
ネジキの表情は満足したような柔らかい笑みを浮かべていて、アズサの予想とは大きく異なっていた。

勘違いを生んでアズサに寄り付く人が減るなら嬉しい話だ。まぁ、明かされたトレーナー時代の経歴とあのバトルを見たならば確実にトレーナーとして以前より注目される事に間違いないが。
昨日もその影響かバトルファクトリーに結構な人が来てたみたいだし。(久々にアズサが居なかったから僕の機嫌もあまり良くなかったのは黙っておこう)噂はともあれ…実際に意識されてるかどうかも分からないなんて虚しい話ではあるけど。

僕の返事に対してどうせまた見当違いな事を言うんだろうなーと思いながらも、アズサを見下ろすと僅かに顔が赤く色付いていた。……見、間違い、かもしれないけど。


「アズサ?」
「え!?い、いや、何でもないよ。改めて言わせてもらうけどありがとう、久々に思いっきりバトル出来て嬉しかった」
「いーえ、それ言うなら僕の方だから。今までで一番楽しかったし」
「そっか……」


ネジキの言葉にじわりじわりと喜びが込み上げてくる。そんな事言ってもらえるなんて幸せだよね。これ位で馬鹿みたいに喜んでるなんて単純だと言われても、実際私の中でネジキの存在はそれ程までに大きくなっている。トレーナーを辞めて無意味にただぼんやりと働いていた時とはまるで違う。


「アズサが思っている以上に僕はアズサに影響されてるというか、行動にしても何にしても色んな軸になってるんですよ」
「え……それって悪影響じゃ」
「……なんでそーなるかなー。分かり易く言えば、アズサが隣に居て欲しいってこと」


顔を反らして少し気恥ずかしそうに言ったネジキは視線を移してアズサを覗き見る。口説き文句とも聞こえる言葉に耳まで赤らめていたアズサだが、顔を上げると嬉しそうに笑みを浮かべてゆっくりと頷く。
聞こえ方によってはまるでプロポーズのようだと自分の発言を若干反省しながらも何処かネジキは満足しているようだった。アズサと一緒に居られたならいいなんて欲もあるわけで。


「嫌々来た最初とは違って、私もネジキが解雇するまでここに居るつもりだから」
「言われなくても解雇しませんよ」


不敵に笑い、ネジキは椅子にかけてあったネクタイを取って付け、シャツの袖のボタンを留めて身なりを整える。「じゃあ行きますか」と声をかけて廊下に出ようとしたネジキだが、何かを思い出したのか振り返ってアズサに声をかける。


「あ、アズサ。そこのモンスターボール取ってきてくれます?」
「はいはーい、調整してたレンタルポケモン?……あれ、」


机の上に置いてあるモンスターボールをケースごと手に取ろうとした時、パソコンの陰に隠れて見えなかった写真立てに気付いて手を止める。写真なんて飾ってたんだ。ネジキにしては珍しい物だったから不思議に思いつつちらりと覗くと、目を疑った。
その写真は確か二ヶ月程前にナギサシティで撮った写真。しかも人に撮ってもらって綺麗に写っているとはお世辞にも言えない、自分撮り(二人だから自分だけじゃないんだけど)した写真だ。

――ネジキ、大事にしてくれてるんだ。

特に自分から飾ってるなんて言わない辺りがネジキらしいけど、彼の中に記憶として強く残っているんだと分かった堪らなく嬉しかった。


「アズサ?」
「あ、今行く!」
「?、何でそんなに嬉しそうなんですか」


ネジキは疑問符を浮かべながら首を傾げるが、アズサは笑いながらはぐらかした。胸の内にそっと秘めておくことにしよう。

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