coral
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不幸な赤ずきんの失踪

熱を出したままバトルファクトリーに来た翌日には全快になったアズサは何時も以上に仕事に気合が入っていた。
とはいえ、僕はアズサに仕事内容を指示したことは一度もないし、何をするかは彼女に任せている。本来は事務として定期的にレンタルポケモンの能力を記録し、混雑してモンスターボールがぐちゃぐちゃになっている時はそれを直すだけだったのだが、今思えばその内容の比にならないほどアズサは働いている。

それでも楽しそうにやっているし、フロアに二人で居るから会話も多く職場の雰囲気としてはいい方、だと思う。(今も妙な噂が飛び交っているのかは知らないが)


21勝と49勝目の時にフロンティアブレーンには出番があるのだが、このバトルファクトリーでは21勝にたどり着く人間さえも数少ないし、例え来たとしても僕が負けることは滅多にないからその先に回ってくる筈の強いポケモン達にも出番はそう無い。
今日の仕事はどうやら暫く使われていないレンタルポケモンを取り出して管理をしているらしいが、それは建前上。遊んでいると言った方が正しいだろう。


「あ、私の帽子っ!」

うん、遊んでる。というか遊ばれてる。

アズサが時々被って来る帽子を咥えて彼女の手から逃げるように廊下を飛ぶのは僕も愛用しているラティオス。どうやら数多く居るレンタルポケモンの中でも、カントー地方の際に世話になったりと特に仲がよくなったようだ。
背伸びをして飛び上がるアズサを避けたかと思えば後ろに回りこみ、背中をつついて楽しそうに鳴くラティオスはかなり機嫌がいいらしい。


「廊下で何やってるんですか」
「あ、ネジキ。ちょっとラティオスに帽子取られて……動くの早いってば!」
「まぁ、楽しそうで何よりだなー」


ようやく帽子に手が届き取り返したアズサはラティオスの頭をぽんぽんと優しく撫でる。警戒心が強い筈のラティオスを始めとするポケモン達に懐かれているのを見ると、ファクトリーヘッドとしてやはり嬉しくなる。
出番もそれ程ないし、人と触れ合う機会もない。こうして親しく触れ合ってくる人なんて今まで色んな人が事務をやってきたが一人も居なかったから、アズサを気に入るのも当然だろう。


「でも、バトルファクトリーの中だけってラティオスにとっても何だか退屈だよね」
「……それは、一理ありますけど。彼らの場合人目に付くと大騒ぎになりますし」
「そうだけど……」


ネジキの言葉に表情にこそはあまり出てなかったがラティオスが残念そうにしたのが何となく分かって、アズサも落ち込んだように目を伏せたが、何かを思いついたのかあっ、と声を上げて顔を輝かせる。


「ラティオスとコガネシティに行きたいんだけど、今日はだめ?」
「だから、正直な話それは」
「確かラティオスって光の屈折を利用して景色に紛れられたような気がするんだけど」


僕には思い付かなかったアズサの提案に驚かせられ、ぱちぱちとゆっくり長い瞬きをする。
ラティオスとラティアスの特徴として一般的にはあまり知られていないが、その性質があるのは確かだ。
バトルに役立たせる為の知識としては知っていたが、実用する為にその知識を引き出す発想は僕には無かった。流石、リーグで優勝しているだけあるトレーナーだと改めて気付かされる。


「まぁ、それならいいですけど」
「ほんと?」
「ただし、条件があります」
「え、」


自分の事のように嬉しそうに笑って喜んだアズサだが、ネジキの言葉を聞いてぴたりと動きを止めて表情を曇らせる。
まさか外は外でもバトルフロンティアの中でないと駄目だとか。一人不安になるアズサが何を考えているのか察したのか、ネジキはくすりと笑った。


「別にアズサが考えてるよーな事は言いませんよ。ただ、僕も行くって条件です」
「へ……?そ、それは嬉しいけど、仕事は」
「サボります」
「えぇっ!?だ、ダメだってそれは!」
「偶には外出るのも大事って言ったのはどこの誰かなー」
「う……私、ですね」


折れたアズサにネジキは満足そうに笑う。
コクランと違ってフロンティアブレーンとはいえ、実際の仕事なんてアズサ達に比べると圧倒的に少ない。戦略を練ったり色々な状況に応じてのシュミレーションをするのはファクトリーヘッドとしての使命もあるが正直、趣味が半分以上だ。
それを考えると外に出る時間なんて実は有り余ってる。まぁ、クロツグ程普段から居ないのも宜しくないが。


「とゆーか、多分僕が外に出るとなると皆喜んで送り出すと思うなー、……僕を何だと思ってるんだって話ですが」
「あはは、皆ネジキを心配してたからだよ。ネジキとコガネシティかぁ……ラジオとう以来だよね」
「あれを外出としてカウントするならなー来てすぐに帰ったし」
「あの時はお世話になりました」
「……ホントにそう思ってる?」


照れくさそうに笑って謝ってくるアズサに心配を掛けたという自覚はあるのだろうかと改めて不安になる。気にしていない辺り、案外無鉄砲な彼女らしいと言えばらしいのだが。


「また厄介事に巻き込まれなければいーですけどね」 
「む、それは要らない心配だよ」
「どーだか」


どこかに行く度、何かしらのトラブルを引っ掛けそうになっている、もしくは引っ掛けているのを分かっていないよなー。
半ば呆れつつも、再びアズサと外出出来ることを楽しみにしているのは仕方ないだろう。僕だってその点は普通の男子ですし。


「それにしても良かったね、ラティオス」


……あぁ、ラティオスの為でしたっけ。ラティオスの不満そうな視線が僕に向けられたような気がした。

アズサと外出、という意味でコガネシティに来るのは初めてだった。どう考えてもロケット団の時はカウントしないだろう、迎えに行っただけだし街を見る余裕なんて時間的にも精神的にもなかったのだから。
しかし、何もコガネシティに外出したことがない訳ではない。アズサの誕生日プレゼントを買いにコガネデパートに行った事はある。その際に初めて彼女の幼馴染であるエンジュジムリーダーのマツバさんに会ったのはつい最近の話に思える。(その時に敵視されなかっただけ幸先はいいだろう)


「よく考えれば私たちにも見えないんだよね、ポケモンには分かるみたいなんだけど」
「あぁ、だからエレキブル出してたんですか。生憎、僕らには気配云々は感じ取れませんからねー」
「そうそう。ラティオスも離れないでね」


エレキブルの頭上辺りをゆっくりと飛行するラティオスは光を屈折させて景色に紛れているから人間には姿が見えない。
僅かな鳴き声が聞こえてきたから、頷いているのだろう。きっと今も街を物珍しそうに見ているに違いない。


「先ずどこに行くつもりですか?僕もラジオとうやコガネデパート位しか行ったことないからなー」
「ジョウトの中央都市なだけあって色んなお店あるよ。あ、広場に行く?お店とか結構あるけど」
「ラティオスも建物の中よりいーだろうし」


提案に頷き早足で広場に向かうネジキを見て、アズサはネジキに聴かれないよう小さく笑う。
だって、ラティオスの為とか言っているけど一分一秒さえも惜しいと言わんばかりに自分が一番楽しんでいるみたいだったから。(そんな事本人に言ったらありえないって断言されそうだけどね)

昼という時間帯もあって、コガネシティの中央広場には沢山の人が憩っていた。その中にはトレーナーも数多く居るのかバトルを繰り広げている。歩きながらもつい目で追っていると、ネジキがまるでやっぱりですかとでも言うようにじっと自分を見ているのに気が付いて苦笑いを零す。
自分もバトルに参加したいとまでは思わなかったけれど、トレーナーとしての癖は止めた今になっても抜け切れないようだ。


「まったく、ホントに分かりやすいよなー」
「あはは、つい見たくなっちゃうんだよね。ネジキの傍に居るから余計バトル離れ出来ないって」
「僕に責任押し付けないで下さい」


確かに、僕だってアズサには気持ち的にトレーナーで居続けて欲しいとは願っているが。
自分のフロンティアブレーンとしての務めを理解し、応援するばかりではなくサポートしてくれる人なんて僕の熱中すると他を寄せ付けない気質や中々難しい性格からしてそう簡単に出会える訳ではないから。
むしろ、アズサがトレーナーをしていなかったらそもそも局長に強制人事異動させられることもなかったし。


「そうだ、ネジキ、ジェラート食べに行こう!美味しいって何故かミナキに聞いたの」
「ミナキさんって人、本当に無駄な事ばっかり知ってるんですね」
「その指摘は決して間違ってないよ、スイクンハンターって言えば無職だから」


正しくはスイクン愛好者や研究者、悪く言ってしまえばストーカーだ。そういえば以前、スイクンに好かれているヒビキ君を追い掛け回しているという危ない話を聞いたな。
バトルファクトリーのスイクンとはいえ親しく接しているのに何故か罪悪感が沸いてくるがミナキの為にもこれは秘密にしておこう。

広場に店を構えるオープンカフェに立ち寄り並ぼうとしたのだが、ネジキに席を取るように言われたので申し訳なく思ったが、種類を伝えて買うのを任せ二人席を確保する。日差しも出ていて丁度いい気温だから気持ちよくて緩やかに眠気が込み上げて来るほど。
目を擦っていると、頭に何かが突いて来るような感じがして振り返るとそこには何も無い。けれど、横に居たエレキブルが声を上げたからこれはきっとラティオスだろう。

「心配しなくても寝ないよ。そうだ、後でジェラート食べる?美味しいよ」

返事をするかのように帽子のつばがふわりと浮きかけたから急いでそれを押さえつける。急に帽子が独りでに浮きなんかしたら、回りに疑われかねない。
攻防戦を繰り広げていると、視界の端で二つのジェラートを手に方向転換するネジキの姿が見えたので帽子を片手で押さえながら大きく手を振ると気が付いたのか歩いてくる。


「何やってんだか、じゃれるのも程ほどにしてよ」
「何で私にだけ呆れたような顔するの……!そういえばネジキは何頼んだの?」


ネジキの右手に握られているのは私が頼んだだろう苺のジェラート、左手には薄い黄色をしたジェラートで、色から察するにレモンなのだろう。甘い物はそれなりに食べるネジキだけど選択がなんかネジキらしいな。
受け取り、一口かぶりつくと冷たさが口の中に染み渡る。甘過ぎないさっぱりとした味が癖になりそうだと頬を緩めていると、前でネジキが食べているのが目に入って思わずじっと見つめてしまう。
食い意地が張っていないとは思いたいけど、隣の芝は青く見えると言うように美味しそうに見える。


「食べたいって顔してるのばればれですよ」
「う、だって誘惑が……」
「無意味な言い訳けっこーです、そんなに食べたかったら言えばいーのに」
「え、」


はい、とさも当然のように差し出してくるネジキに何時もの調子なら躊躇なくありがとうと言って頬張っているのに、何故か受け取るのを躊躇ってしまう。

中々受け取ろうとしないアズサにネジキは不思議そうに首を傾げるが、アズサは妙に改まった様子でそれを受け取り焦ったように自分の食べていたジェラートも良かったら、とネジキに渡す。
明らかに動揺して慌てふためくアズサの様子に黙っていたが、人の感情に鈍い方であるネジキも今回ばかりは敏感にアズサの変化を感じ取っていた。

(意識されてるんでしょーかね)


アズサに期待しすぎるのは馬鹿を見ることになるけれど。

先程までの気にすることなく受け取り顔を綻ばせて美味しそうに頬張るアズサにやっぱりなー、と小声で呟いて内心予想通り期待を裏切ってくれたことに溜息を吐いたが満足そうな顔をしているから文句を言うのも馬鹿馬鹿しくなった。単純なところがかわいーというか。

受け取ったジェラートを頬張ると、レモンとは違う苺独特の甘酸っぱさが口の中に広がる。味見も出来たことだし再び交換しようとした時、返す直前にアズサが急に吃驚した声を上げて振り返り見上げたからまたラティオスにちょっかいを出されたのだろうと思ったのだが、明らかに自分のジェラートが減っている事に気付いた。

ちょっかいを出したんじゃなくて、食べられたのだろう。しかも今は交換しているから僕のを。明らかに減って返って来たものだから流石にラティオスには少しイラっとした。今日コガネシティに来たのは彼の為だとは分かっているけど。

食べ終わり無意識にジェラートを包んでいた紙を弄っていたのだが、アズサがあっと声を上げて立ち上がった。


「直ぐ帰ってくるからちょっと待っててくれない?」
「別にいーですけど、どこに?」
「直ぐ帰ってくるからー!」
「あ。せめて行き先言ってから行けばいーものを……」


駆け足で広場から消えていくアズサの背を呆然と見送り、エレキブルと顔を見合わせて首を傾げる。
バックを持ったまま行ったしまた食べ物でも買って来るつもりなのだろうか、とネジキは考えながらもそれ程気にしていなかったが、今彼女が安全面の見張りという名の相棒を連れていない事をすっかり忘れていたのだ。


折角のネジキとの外出になるのにまたしてもカメラを忘れたと気付いたアズサはインスタントカメラを買う為にコガネデパートに来ていた。
前回のように取られてネジキに遊ばれるという二度も同じ失敗は繰り返すまいと無駄に意気込みながらデパートに入り、エレベーターに乗って四階に向かう。

「カメラコーナー……うわ、いっぱいある」

インスタントカメラ、と言っても色々と種類があるようで棚を何枚がいいだろうかと値段も見ながら色々と検討し、ネジキをあまり待たせるのは悪いと一番売れていそうなカメラを手に取りレジに並ぶ。
前の人が居なくなり、進もうとしたその時。


――ジリリリリ、とデパート全体に響き渡るような警報が鳴り響いた。

レジ打ちをしていた店員も作業を止め、突然の出来事に事態を把握出来ず狼狽しているようで、このフロアに居る客も皆ただ事では無さそうな雰囲気を感じ取ったのかざわめきが広がり、それぞれ不安そうな顔をする。
せめてカメラを買ってからが良かったなぁ、なんてぼんやり考えながらデパートのアナウンスが入るのを待っていたのだが遠くの方で何か重たい物がガシャン、と音を立てて落ちた音がしたから吃驚して振り返ろうとした瞬間、急にふっと辺りが真っ暗になった。

フロアの電気が落ちたようで、客もパニックになり悲鳴が聞こえてくる。店員の「落ち着いてください!」という震えた声がするがそれは悲鳴にかき消されてしまっている。

「て、停電?ど、どういうこと……?」

誰かがエレベーターを使おうとしたのだがその電源も落ちてしまっているのか反応を示さない、更には下に続いている筈の階段が使えないように自動のシャッターが下りてしまっているようで、要はこの階に閉じ込められてしまったのだ。
自動のシャッターならば電気を流せばどうにかなるかもしれないと、咄嗟に横を見たのだがある事に気が付いて血がさっと引いていくような気がした。

「えええ、エレキブル連れて来てない……っ!」


久々に厄介事に巻き込まれた事に気が付いて、本格的に顔を青くすることになった。

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