coral
- ナノ -

綺羅星は夢遊病

午前八時、バトルフロンティアおよびバトルファクトリーが開館する一時間半前頃にアズサは何時も来る。別にそんなに早く来なくてもいいと言うのに、彼女は決まってその時間に来ていた。
そしてその時間までに僕が朝食を取らずに抜かそうとすると呆れたような顔をしながらもキッチンに設置されている冷蔵庫を漁って何か作ってくれる、というのがもはや習慣のようになっていた。正直、申し訳なく思う以上に嬉しさが勝ってしまってつい甘えてしまうのだが、なんだか話がそれてきた。

何を焦っているのか無駄にマウスを動かしながらちらちらとフロアに取り付けてある時計を見ると、既に八時半を回っている。性格的な部分で何処か抜けた所はあるかもしれないが、仕事ぶりに関しては非の打ち所の無い人だ。(はっきり言って、意外だけど)
なのに遅刻なんて珍しい。

もやもやした思いを抱えながらもまたパソコンを弄りだすのだが、その時扉が開く音が聞こえたから瞬間、反射的にそこに視線を移すとアズサの姿があって思わず安堵の溜息をつく。
なんだ、休みだったらどうしようかと思ってたけどよかった。たった一日位で動揺してしまうなんて情けない話なのだけれども。


「おはよーございます……」

抱いた違和感にネジキは思わず眉をしかめる。

まるで自分の口調のように間延びしたそれは声こそは枯れていないが、気だるそうに聞こえたからだ。なにか、おかしい。
アズサの顔をまじまじと見つめると、何時もより眠たそうになっているというかとろんとしている。


「ごめん、ちょっと遅くなったね」
「……アズサ、こっち来て下さい」
「?」


荷物をテーブルの上に置き、ちょいちょいと手で招くネジキに不思議そうな顔をして小首を傾げながら近付いて来るアズサと距離を詰めると、目の前に顔があり近すぎる距離にアズサは後ずさりをしようとしたが肩を押さえられていて出来なかった。意外と強い力に驚きつつ、ネジキを見上げると不意に額に乗せられた。


「ネジキ?」
「うわー信じらんない。熱出てるのに来ますかふつー」
「うーん……通りで今日だるいと思ったんだよね」


休めばよかったのに。その一言が出てこない自分に嫌気が差した。
アズサを心配する気持ちはあるし、何でこんな状態になってまで来たんだとは確かに思っているのだけど、根本にある本心は自らの欲望そのままだ。調子が良くなくても来てくれた事が嬉しくて零れそうになる笑みを手で覆って隠す。引っ込め、煩悩。


「ホント、驚くくらい無茶するの好きだよなー今日は仕事しなくていいから、寝てて下さい」
「でも、」
「絶対にさせませんから」


ぴしゃりと言い放つと不満そうな顔をして「えぇ…っ」と零したがネジキの有無を言わさないその表情にアズサも渋々引き下がってソファに腰掛ける。
絶対に仕事をさせるわけにはいかない。放って置くときっとアズサは事務やら家事(ここはバトルファクトリーだから家事というのかも微妙な所だけど)をやりだすだろう。

ソファに座りながらも寒そうに時々身震いしているのが分かって、思わず溜息をつく。室温はシャツ一枚でも快適に過ごせるような丁度いい温度なのに寒がってるって風邪ひいてる決定的な証拠なのに。
風邪ひいてるっていうのに何で朝に気付かないかなー。

そのまま部屋を出て廊下の先にある自室に向かい、ベットにあった毛布と枕を腕に抱える。バトルファクトリーに住んでるのは僕しか居ないし、本来誰も泊まる予定が無かったから毛布なんて僕のしかないけどこの際気にしていられないだろう。
そういえば前もこんなようなことあったな、その時は雨に濡れてずぶ濡れになったアズサに服を貸したのだけど今改めて思い出してみても結構恥ずかしい事をしている。


「アズサ、これ使って大人しく横になってください」
「大人しくって、何か言い方が意地悪……!ネジキ、今日不機嫌だったりする?」
「別にそーでもないけど、アズサの無茶ぶりには相変わらずだなーって呆れてる」
「う……すみません」


毛布と枕を渡すと大人しくソファに横になり、枕を頭に乗せて毛布をかける。それでも寝る気はないのか「今日一日暇になるねー」なんて能天気なことを言いながらポケナビのラジオを付けている。
流れているのは音楽のチャンネルみたいだけどこれ、風邪治す気はないのだろうか。


「寝た方が絶対早く治ると思いますけど」
「それは分かってるんだけど……なんか、寝たくない」
「さびしーとか?」


冗談のつもりで零した言葉に自分でも特に意識していなかったのだが、アズサからの回答が返ってこなかったら不思議に思ってパソコン画面から目を離してアズサを見ると、口元まで毛布を被っているが覗く頬や耳が僅かに赤く染まっており、気恥ずかしそうに視線を泳がせている。
聞き取りづらいような小さな声で「そういう訳じゃないんだけど……」としどろもどろになりながらも無意味に否定するアズサに、手も止まる。何ですかこのかわいい生き物。


「……、ま、どーせ今日は僕も部屋に戻る予定なんてありませんし何時もどーりここに居るつもりだけどなー」


独り言のように呟くと、アズサが嬉しそうな顔をしたのを見逃さなかった。それを見て、つい顔が綻んでしまう。というか、アズサが来る日は殆どこのフロアに居るから僕にとっては何時も通りなのだけど心配するほど弱ってるのかもしれない。


「あ、でも風邪移すと悪いからやっぱり」
「バカじゃなくても風邪ひきませんからだいじょーぶですよ」
「確かにネジキは頭いいけど……あれ?なんか言い包められてる」
「僕がどこに居ようと自由ってこと」


愛想無いような言い方だったが、それがネジキの遠回しな気遣いだと日頃の付き合いから理解しているアズサは一瞬だけきょとんと目を丸くしたが、ネジキを見て笑みを零したからネジキは逆に居心地が悪くなって照れ隠しをするように再びパソコンの画面にふいと視線を逸らす。

本当に、僕の意地も悪い意味で筋金入りだ。素直に言えばいいものの、口から出てくるのは捻くれた言葉ばかりだ。これでもアズサに対してだけは結構自分も丸くなっているとは自覚しているが、それでも他人からしてみれば及第点なのだろう。(現にマサキさんにうるさく言われてる位だ)
キーボードから手を離し、部屋の隅にあるチェストに足を運ぶ。
二段目を開けて普段は滅多につかうことないだろう救急箱を取り出し、その中から熱冷ましシートを一枚手にとってビニールをはがす。


「ネジキ?」
「はいこれ、貼ったほうがいいと思うからなー」
「ん、」


前髪をどけて熱冷ましシートを額に貼るのだが、とろんと眠たそうに半分閉じられた目を見て照れてしまう辺り、押しが弱いと言われてしまう所以なのだろう。ただ、ここで動揺しない男がそう居るだろうか。
本当に眠くなってきたのか、目を擦って欠伸をするアズサに寝ろと言わんばかりに頭に乗せるようにぽんと叩くとへらりと笑って毛布を再び肩まで掛け直す。


「目覚めたら、人が居るって何かいいね」
「……そーですか」


エンジュシティに住んでいると言っていたが、確か彼女はポケモンが居るとはいえ一人暮らしだったから人肌が恋しくなるのだろう。こういう時は特に。
頼られるのもいいな、なんて思いながら今日一日ファクトリーヘッドとしてバトルが入らない事を願いつつ再び椅子に腰掛ける。
暫くすると規則正しい静かな寝息が聞こえてきたから安心した。


もうそろそろ十二時を回るという頃、空腹感にネジキはふと思い出してあ、と声を上げる。
何時もなら朝食を抜いたらアズサに注意されて取っていたけれど、熱を出したアズサを寝かせる事でつい取るのを忘れていたからお腹が減るのも当然だ。僕一人の時はコクランに貰っていたこともあったが、今日はバトルファクトリーを出る気分には到底なれないしよく考えればアズサの分も用意しなければならない。


「……まぁ、調べれば何とかなるかな」


正直、自炊の経験なんて施設に一人で寝泊りして長い事になるのに無に等しい。流石にお米くらいは炊けるけど、火なんて使ったらとんでもない料理が出来そうだ。
パソコンを叩いておかゆの作り方を調べ、プリントアウトするとそれを手に持ってキッチンへ向かう。……病人の体調を悪化させるような食べ物は流石に出せないよなぁ。

キッチンで慣れない作業をすること一時間半、おかゆを作るだけだというのにこんなに時間が掛かった自分に感動すら覚えるが、初めてにしては結構努力した方だと思う。
器に入った湯気の立つおかゆをお盆に乗せて戻ってくると、扉の開く音で気付いたのか寝ていたアズサがぴくりと動いてゆっくりと重たい瞼を開けた。眠たそうに欠伸をして起き上がり、部屋に入ってきたネジキを見て状況が理解できていないのか首を傾げる。


「あれ、もうお昼?寝すぎた……ごめん、お昼ご飯今日作ってない……」
「それなら心配しなくていいですよ、今出来たとこなんで」
「え」


ネジキの言葉に驚いて彼の手元に視線を移すと、違う種類の食器があった。あれ、ネジキって、料理できたっけ?
吃驚している間に、ソファの前に設置されたテーブルに置かれた料理にぱちぱちと瞬きをする。それはおかゆで、お米の上には少々雑に作られた卵が乗っている。


「ね、ネジキ、これってまさか」
「……まぁ、おかゆのつもりだけどなー。調子悪いなら食べない方が、」
「食べる!」


嬉しそうに即答してスプーンを受け取ったアズサにネジキも照れ臭そうに視線を泳がせる。そんな風に喜ばれると、悪戦苦闘しつつも頑張った甲斐があるというか。
息を吹きながら冷ましつつ口に入れるのを、何故か緊張しながら見守っているとアズサは幸せそうにふんわりと笑った。「おいしい」と聞こえてきてほっと胸を撫で下ろす。幾ら料理未経験とはいえ、分量はレシピ通りだからとんでもない味付けにはなっていないとは思っていたけど自信は勿論なかったから。


「ネジキ、ありがとうね。作ってくれるって思ってなかったから吃驚したよ」
「いーえ、……満足してもらえたなら良かったですよ」


こんな風に喜んでもらえるなら、偶に位はいいかもしれない。
――まぁでも、あとで荒れたキッチンを片付けておかなければ。


(ネジキって料理出来たんだね、知らなかった)
(まぁ、僕もほぼ初めてでしたけど。やっぱりアズサが作ってくれた方がいいよなー)
(そ、そう?…というかその言い方、誤解されるよ)
(してもらっていいんですけど)
(え)

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