coral
- ナノ -

鳥と星の会話

「うーん……」
「どーかしましたか?」
「いや、お菓子を買って帰ってきたけど本当に良かったのかなと思って」


一週間ぶりに帰ってきたバトルファクトリーの風景は何時もと変わらず、今日もまたネジキはフロアにパソコンを持ってきて作業をしており、アズサはソファに座ってカントーのタマムシデパートで買ってきた箱菓子のお土産をまじまじと見詰めていた。

一週間も施設が閉まっていた事もあって今日も数多くのトレーナーが来ているが、まだネジキの出番は来ていない。ファクトリーヘッドとしては退屈しているようだが、本人はこの何気ない穏やかな時間が気に入っていた。


「クロツグとかダリア辺りは確実に喜びそーだけど」
「私が心配してるのはカトレアとコクランさん。しょ、庶民のお菓子なんて渡していいのかな……!」
「……、やっぱアズサは面白いなー」


本気でそんな事を心配しているアズサにネジキは肩を揺らして笑う。確かにカトレアは普段からコクランの作る三ツ星レベルの料理を食べているが、そういった箱菓子を食べたことが無い訳ない。むしろ一体どんなお嬢様を想像しているのか。
それでもアズサはやはり不安なのか、うーんと唸っている。


「でも渡してくるよ、ちょっと空けるけど……ネジキ?」
「クロツグには僕が渡してきますよー」
「め、珍しい……どうしたの?」
「まぁ、一応世話になった事もありますからねー」


何よりうっかり余計な事を言われると非常に困る。マサキと違いクロツグには一切悪意が無く、思った事を純粋にそのまま言っているから尚更厄介だった。
不思議な顔をしているアズサに真意がばれないよう適当に誤魔化そうとしたのだが、その時バトルファクトリーの通信機が音を鳴らす。


「アズサ、出なくて……」
「え?あ、はい。バトルファクトリーですが」
『あ、アズサちゃん?僕やけど……』
「あ」


ブチ、と横から通話ボタンを押し通信を切ったネジキは呆れたような顔をしていた。突然切られたからかすぐさまもう一度通信機が鳴り、ネジキは溜息を付いて無視し続ける。
出なくていいのかとアズサは困った顔で通信機とネジキを交互に見るが、ネジキはお土産を渡しに言ってくるように促す。マサキさんと話すのに自分が居ない方が都合がいいのかもしれないと考え、アズサは紙袋を片手にバトルファクトリーを出た。

アズサが居なくなったのを確認し、未だに鳴り続ける通信機に視線を移し嫌々ながらネジキは通話ボタンを押した。すると直ぐに受話器越しに文句が飛んでくる。


『ネジキ君、相変わらず僕とアズサちゃんが話すの避けようとするんやから……お兄さんも妹分と偶には話したくなるのにー』
「偶にどころか数日前まで会ってましたけど。ちっ、番号変えておくんだったなー……」
『君ホントに僕には冷たいというか……』
「悪意あるそっちが悪いんじゃないんですかー」
『あんまりにも君らがもどかしいからお兄さんもちょっかい出したくなるんやって。にしてもこんだけ一緒に居るのにまだ言ってないなんてなぁ』
「……、何て言ったらいいのか分からないんですよ」


マサキの言葉にネジキは視線を逸らし、ぽつりと呟く。好意を寄せる人間が居る居ない以前に今まで他人に対して興味が無かったから相手に対してどう伝えていいのか分からなかった。
自分の思いだけで行動すると何をしでかすか自分でも分からなかったからだ。それでアズサを傷付けるのだけは嫌だったし、縁が切れてしまうのが怖かった。


『まぁ、その気持ちは分からんでもないけど……ずっとこのまま待ってたら取られるかもなぁ。アズサちゃん、男の知り合いも多いし』
「……」
『行動に移してみてもいいと思うで。過激にならん程度にな!』
「……ありがとーございます。けど二度と連絡入れてこないで下さい」
『えー、お兄さん結果聞きたいわ』


へらへらと笑いながらそれじゃあ、とマサキは通話を切る。悪態を付いたが、内心ネジキはマサキに対して感謝していた。
確かに、自分は流石に億劫過ぎたのかもしれない。それを改めて認識しただけでも前進だ。


ーー一方アズサは先ずダリアとケイトにカントーに行ってきた際のお土産を渡したのだが、二人は嬉しそうな顔をして受け取ってくれた。ダリアが甘い物が好きなのは知っていたし、ケイトはお茶を飲む時必ず一緒にお菓子を食べていることもバトルファクトリーの仲間から聞いていた。(なのに二人とも細い、羨ましい限りだ)

ここまでは想定内、だけど問題はここからだ。
施設内の一角に構えられたバトルキャッスルを見上げ、ごくりと唾を飲み込む。ネジキにはそんな心配必要ないと笑われたけど気になるものは気になるのだ。

中に入り、受付の人に声を掛けるとこんにちは、と挨拶をされる。幾度となくネジキの代理でこのバトルキャッスルに足を運んでいるからもう顔なじみになってしまっているようだ。受付係が連絡を入れて暫く、奥の廊下からコクランがやって来た。


「アズサ様でしたか!カントーの方に行っていると聞きましたが、帰って来ていたんですね」
「昨日の夕方頃に着いたんです。あの……忙しい所を邪魔してすみません」
「いえ、お気になさらないで下さい。本日はネジキ様からの注文でしょうか?」


柔らかく微笑んだコクランに、アズサも安心したようにふにゃりと表情を緩める。
コクランさんは本当に良い人というか、紳士的で出来た大人の鑑だ。違うと答えるのだが、同時に先程までの心配を思い出して言葉を詰まらせる。
意を決して手に持っていた紙袋を差し出すとコクランは驚いたような顔をした。今の渡し方、ちょっと挙動不審だったかもしれない。


「お口に合うか分かりませんが、カントーに行ってきたお土産です。……何時もお世話になっているからと思ったんですけどなんかごめんなさい…」
「何故謝られているのか分からず申し訳ありませんが…ありがとうございます、アズサ様。偶には私の作ったものではないお菓子を食べたいと駄々を捏ねられた所だったんです。お嬢様はこういうお菓子も好きなんですよ」
「え?」
「意外でしたか?」
「は、はい。口に合わないかなぁ、なんて思って……」


申し訳無さそうに眉を下げて語尾が小さくなっていくアズサにコクランはくすりと控えめに笑う。
確かに、カトレアの性格や立ち振る舞いからしてそう誤解されてもおかしくないかもしれない。むしろアズサが持って来た箱菓子をカトレアは気に入るのではないだろうか。
コクランがアズサの気遣いに謝意を述べると、彼女は焦ったように首をぶんぶんと横に振る。


「アズサ様、よろしければお茶を飲んでいきませんか?カトレアお嬢様も喜ぶと思いますので」
「えぇっ」


予想外のお誘いに断ろうかとも一瞬考えたが、直ぐにコクランさんの淹れてくれる美味しい紅茶とお菓子を頂きたいという欲望に負けてしまい、控えめながらもお願いしますと頭を下げる。
あぁもう、私って本当に現金な奴だ。でもコクランさんの作る物が美味しいんだから仕方がない。

ネジキに対して申し訳なく思いつつも、コクランの後を付いてバトルキャッスルの中へ入っていく。関係者しか通れない廊下を歩く事暫く、コクランは綺麗な装飾が施された扉の前で足を止め、慣れた手つきでアズサを招き入れる様は執事のよう。(実際コクランさんは執事なんだけれど)
食堂だったようで、部屋の中央には屋敷でしか見ることがないような白いテーブルクロスが引かれた大きな食卓が設置されており、つまらなさそうな顔をして椅子に座るカトレアが居た。


「カトレアお嬢様、お客様をお連れ致しました。以前一度お会いしていますが……」
「貴方は……アズサ、だったかしら。バトルファクトリーの」


アズサの姿を確認したカトレアは先程までの憂いに帯びた表情から変わって、興味を示しているのがコクランには分かった。
今日の挑戦者の中で彼女のお気に召すバトルをしてくれた人が居なかったのだろう。事情もあってポケモンバトルが出来ないカトレアにとってそれが唯一の楽しみだから尚更不機嫌になっていた。
このままでは今日は機嫌が良くないのだろうかと考えていたのだが、アズサの訪問で彼女の纏う空気が変わった。人に興味を示す事なんて滅多に無いのに、だ。


「今日はアズサ様が持ってきて下さったお菓子を用意するつもりなんですよ」
「それは本当?」
「大したものじゃないんだけどいいかな?」
「コクラン、早く用意してちょうだい」


コクランの手にある紙袋を見た途端、誰が見ても分かる位に目を輝かせたカトレアにアズサは込み上げてくる嬉しさを隠し切れず、表情を綻ばせる。
ネジキの言う通り、考えすぎというかお嬢様というものに対する先入観や偏見が合ったのかもしれない。
反省しつつ、カトレアの隣の先に座ると自分を見上げる丸い大きな目とばっちり視線が合い、恥ずかしそうにふいと逸らされた。無視されたというわけではないみたいだけどなんか少し寂しいなぁ、なんて思っているとカトレアは何かを考え込むようにじっと見つめてきた。


「カトレア?」
「……貴方はどうしてトレーナーを辞めたの?クロツグを負かせるだけの実力があるのに」
「うーん……多分リーグで満足しちゃったんだよね、きっと。私にはトレーナーとして大事な向上心が欠けていたと言うか……」


実力もあって自由にポケモンバトルが出来るのに、何故簡単に手放してしまったのか。そんなカトレアの疑問にアズサは考えた末、正直な気持ちを口にする。
リーグ優勝して、次は何をするか。
バトルをするのは楽しかったし、今も大好きだ。けれどトレーナーとして各地を旅する必要性が特別無くなってしまったし、今考えればポケモンたちが居るとはいえ一人旅は寂しい物があり、騒がしくも優しい幼馴染の居る故郷に帰りたかったのかもしれない。


「でも、ジョウトに帰って来て良かったかな。バトルファクトリーでの仕事って楽しいから。私がバトルする事は滅多にないけど、ネジキのバトル見るの好きなんだ。憧れるし、素直に凄いなって思うから」
「……やっぱり、おもしろい」
「え?」


楽しそうに笑いながらバトルファクトリーの事を語るアズサは本当に幸せそうだった。元トレーナーとなった今はバトルを数えられる程しか出来ず、見る側に回っているというのに自分の事のように嬉しそうに話すアズサが、そしてネジキが羨ましくも思えた。

アズサとの共通点は殆ど無いし、自分とは違う世界に居る人間だというのは分かっている。けれど、もし自分の近くに彼女が居たら、そんなことをつい考えてしまう。
話していると穏やかな気持ちになるというか、彼女には人を惹き付ける他人には真似できない面白さがあるのだろう。そうでなかったら、人に対して関心がないネジキが執着したりしない。


「私としてはコクランさんの美味しい料理が毎日食べられるなんて羨ましいなぁ」
「それなら、時々こうして来るの私が許可するわ、……アズサ」
「え、い、今……も、もう一度!」
「もう言わない」


ふいと体を背けたカトレアは僅かながら頬を染めていた。だから時々来て欲しい、そんな言葉の裏に隠れた真意を読み取り、名前を初めて呼ばれた嬉しさに顔を輝かせた。

「アズサ、嬉しそーだけどなんかあったんですかー?」
「そうそう、何かあったの!」


バトルファクトリーを出て行った時とは違い上機嫌で帰って来たアズサにネジキも口につけていたマグカップをテーブルに置いて、聞いてと言わんばかりに近付いて来る彼女に視線を移す。
コクランに美味しいお菓子でも代わりに貰って返って来たのだろうかとも思ったけれど、手に箱なんてない。


「カトレアに初めて名前で呼ばれたの、……たったそれだけに思えるかもしれないけど」
「へぇ、あのカトレアが」
「もしかしてネジキは前から知り合いだったりする?」
「名前と性格を聞いただけだなー。とゆーか、僕が知り合いだと思う?」


幾らネジキが友好的ではないとはいえ、フロンティアブレーン同士ではそれなりに交流はある。けど、そう言えばカトレアではなくコクランさんがフロンティアブレーンを務めているし、カトレアもあまりバトルキャッスルを出ないみたいだからネジキと会わなくても当然か。
それに、彼女に始めて会った時に言われたことを考えるとバトルファクトリーを噂で聞く程度しか知らないようだったし。


「あ、ネジキは無事クロツグさんに渡せたの?」
「……まぁ、喜んではいましたよ」


歯切れ悪く答えたネジキにアズサは不思議そうに首を傾げる。クロツグさんのことだからお菓子に喜ぶのは予想通りだけれど、その表情からネジキが危惧していた通りの面倒なことでもあったのだろうか。
しかし、ネジキは何があったのか言おうとはせずにパソコンに視線を戻してしまう。

アズサからしてみればどうして言ってくれないのだろう、と思う所だがネジキにはどうしても言えない内容だったのだ。
それもそうだ、マサキとの会話内容はもちろん、嫌な予感が的中してクロツグはアズサとの進展を女子のように興味津々で聞いてきたのだから。何も変わってないですよ、悪いですかと半ギレで返したのはつい先程のことだ。らしくなく、その会話に動揺してしまっていたのか唇と喉が乾いて帰って来て早々にお茶を飲んでいたわけだ。

ネジキはちらりとソファに座ってお茶を飲むアズサを覗き見る。

彼女の中では仲の良い男全てが友人という分類になってしまう。そのお陰で今まで彼女に男が居なかったのは事実だが、そのせいで苦労をしている。恋愛感情以前に人間関係に疎かった僕が言うのもどうかとは思うけれど。
慎重になるべきか強引になるべきか、板挟みになっている。この葛藤は彼女には一切伝わっていないのはいいのかも知れないが。浅く溜息をついていると、アズサは急に何かを思い出したようにあっと声を上げてマグカップをテーブルに置く。


「そうだ、後でレンタルポケモンの一部をポケモンセンターに連れて行こうと思ってるんだけど、いいかな?」
「あー確かに昨日再開したから、かなり人が来て疲労がたまってるポケモンも居ますからねー」
「そんなに人が来てたのにネジキの出番が無いのも不思議な話だけどね……」
「まぁ、もし出番があったとしても負けるつもりはないけどなー。何時もわざわざありがとーございますアズサ、やっぱアズサが居てよかった」
「そ、そう?」


ネジキに褒められて、胸の奥がむず痒くなる。頬に熱が集まるのが分かって無駄だとは分かっているけれど無意味に手でぱたぱたと顔を仰ぐ。

だって、本来はネジキは上司で私は部下だから仕事を引き受けるのは当然の事だし、気を使われる立場にない。でもネジキは私を部下として使おうとはしないし、あくまで対等な立場で居ようとしてくれる。
人として尊敬するべき人には間違いない。でも最近とはそれだけでは説明が付かないような、違う何かを彼に感じている気がする。友情か、あるいはもっと別の物か。
ネジキって結構、無自覚に口説き文句のような事を言うから平常心を保つのもやっとだ。


「レンタルポケモンを好きになってくれるのは僕としてもうれしーし、レンタルポケモンにまで気を使ってくれる人なんてそう居るわけないからなー」
「ネジキって本当にレンタルポケモンに愛情があるよね、あ、勿論私も好きだけどね?」
「まぁ、レンタル用とはいえポケモンは道具じゃない、意思や感情がある生き物ですから。育てたポケモンを好きになるのは、一般のトレーナーと何ら変わりませんよ」
「……そうだよね。私、ネジキのそういう所好きだな」
「……、え」


えへへ、と照れくさそうに笑ったアズサはレンタルポケモンのモンスターボールが並ぶ棚のある部屋に行くと告げて部屋を出て行く。

突然の事に咄嗟に反応出来なかったけれど、先程言われた事を思い返すと急に恥ずかしさとそれ以上の嬉しさがこみ上げてくる。
アズサは、僕をどうしたいのだろうか。扉が閉じてアズサが居なくなった途端、手で赤くなっているだろう顔を押さえて脱力したように机に突っ伏す。
あぁいう言葉を他の人にも平気で言っているのだろうか、と考えると嫉妬心が渦巻くが、今は目の前にある嬉しさに浸ろうと考える僕も単純になったものだ。

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