coral
- ナノ -

酸素と星屑の融合率

コガネシティに行って四日経った日、それはアズサの誕生日だった。そんな日にも関わらず彼女の仕事を休みにしなかったのは多少なりとも気が引ける。アズサは一人暮らしと言っていたが仲の良い幼馴染二人が居るから毎年誕生日を祝っているのだろう。
コガネデパートで偶然同じフロアでマツバに会ったのは恐らく、お互い同じ目的があったからに違いない。しかし自分は狡い人間だ、彼らに優越感さえ抱いているのだから。


「ネジキ?ぼーっとして、どうしたの?」
「……いや、何でもないですよー」


パソコンの画面に向かっているネジキの手は止まっていて、心ここに在らずという感じだった。それを心配したアズサが声を掛けるのだが、暫く間が開いてから歯切れ悪く返事をする。
ネジキは何時渡せばいいのかと頭を悩ませ、作業に集中出来ていなかった。ネジキが誕生日を知らないと思っているアズサがネジキの悩みを当然知るわけも無く、彼女もまた気遣ってネジキに教えていなかったのだ。


「コクランさんが心配してたよ、会った時も上の空だったって。確かに数日前かららしくないし、何かあったの?」
「だから何でもありませんって」
「画面、落ちてるよ?」
「……」


ずっと触っていなかったせいで画面は黒くなっている。それにさえネジキは気付いていなく、気まずそうに視線をそらした。彼女の言う通り、今日だけ悩んでいた訳ではなく四日程前から悩んでいたから考え事をしている事が多かった。悩んでもう夕方になってしまっているのだが。
数日前コクランに会った事もよく覚えていないし、ましてや話した内容なんて覚えている訳が無い。フロンティアブレーンとしての職務以外に関心が無かったというのはネジキ自身も認めている事実で、彼はその他に関心を示さなかったから尚更、何かに気を取られている今の状態をコクランに心配されていた。

今日の朝、申し訳なく思いつつもケーキを彼に頼んだから勘のいいコクランは大体察しづいているのだろうが。


「悩んでる時、分かり易いよね」
「……」
「表情にこそはそんなに表れないけど何時も世話しなく動いてる手が一切動いてなかったり、部屋に篭りっきりだったりするから。相談なら任せてよ!」
「アズサに相談って心配だなー」
「う、そんな正直に言わなくてもいいじゃない」


アズサに対しては幾らかマシではあるが、元々明け透けに物を言う性格の為に発言が時々意地悪くなる傾向があった。当初に比べて増えてきているがアズサの中では許容範囲らしく、大して気に留めている様ではなかった。
ネジキが冷たく返したのはそれ以上追求されない為だった。心遣いは在り難いのだが、悩みの種となっている本人に相談なんてとてもじゃないが出来やしない。


「アズサ、今日夕飯どーする予定ですか?」
「今日?一応ここで取ろうと思ってたけど……もしかしてネジキは今日要らなかった?」
「いや、別にそーいうわけじゃないけど」
「……やっぱり、」


言葉を濁すネジキに何か察したのか、何か隠しているでしょとアズサが言おうとしたとほぼ同時、室内にフロンティアブレーンを呼ぶ時に掛かる音楽が流れてきた。
壁に取り付けられているモニターに視線を移すと、丁度二十勝目を達成した挑戦者の姿が映し出されていた。即ち、久々のバトルファクトリーフロンティアブレーンの登場を指していた。尋ねようとしていた内容を忘れて今から始まるだろうバトルに興味の対象が移される。

ファクトリーヘッドとして登場する機会自体が少ない為にまだ一度しかネジキのバトルを見たことは無いが、無駄がない戦略と指示に見ているだけで惹きつけられる。
目を輝かせてネジキを見ると、呆れながらも優しい笑みを浮かべていた。言葉にこそは出していなかったが、それは来ても良いという合図だった。


「今日は絶対に勝ちますから、一応見ておいてくださいよー」
「何時も大体勝ってるけど……何で今日っていう限定なの?」
「まぁ、今日だからこそ、ってやつですかね」
「?あ、挑戦者の人待ってるけど何選ぶか……」
「もう決めてありますから心配しなくてもだいじょーぶですよ」


見せてきたのは手に持っていたちょうさ・ぶんせきマシーンで、何時の間に取り出したのだろうと感心してしまう。
画面には相手の二十勝目を終えた時点での三体のポケモンが書かれており、各ポケモン毎の細かいデータは簡略化されているが、ネジキの頭の中には全てのデータが入っているのだろう。二十戦目の相手のポケモンまで乗っていて、どれを交換してくるのかもう既に予想は立てているようだ。

よし、と不適な笑みを浮かべてモンスターボールを三つ手に取ったネジキは至極楽しそうで、同時に悪い顔にも見える。多分、完膚なきまでに叩きのめすつもりなのだろう。

(でも何で今日はこんなに気合入ってるんだろう……今日だからこそって)


「行きますよー」
「あ、はーい!」


画面を覗き込んだときに見えたポケモン達を見る限り、今ネジキが選んだポケモンで勝つことは間違いないだろうけど。


ドカン、と派手な音を鳴らして黒煙と共に登場するのを見るのは初めてではないとはいえ、音の大きさに驚いてしまい心臓が煩く跳ねている。
フロンティアブレーンの正体はクロツグ以外明かさない事になっているからフィールドで部外者が見学する事は出来ない事になっているがモニター越しならば良いようだ。それこれも関係者だから出来る事。

相変わらずネジキのバトルには無駄が無かった。普段は眠たそうな目をしているし比較的のんびりとしているから、バトルフィールドに立つネジキは活き活きしているようにも見える。
最後のポケモンを倒したと同時にモンスターボールにポケモンを戻して、ワーオ分析どーりと呟き、そのままフィールドを出ると何時かと同じくアズサが嬉しそうに走ってくるのが見えた。
それだけで顔が綻んでしまう自分は相当彼女に気を許しているのだろう。そういえば、以前こうして駆け寄ってきた時はネジキ君、と呼んでいたな。


「凄いよネジキ!前も凄かったけど今日も……ネジキ?」
「……そーいえば、前はネジキ君って呼ばれてたなーと思って」
「初めはネジキ君って呼んでたからね、……でも慣れたから今はネジキが好きだな」
「え、」
「え?……いや、あの!そうじゃ、なくて!」


呼び捨ての方が好きだという意味なのは分かっていた筈なのに、思わず動揺してしまった自分が居るのが憎らしい。
アズサも一瞬固まり、間を置いてから理解したようで、頬を赤く染めて必死に弁解するが弁解内容はあまり頭に入ってこなかった。そもそも、何で気に留めなくていい筈の事にこんな過敏に反応しているんだろうか。


「えっと、だからネジキって呼ぶ方が好きというか、親近感が沸くというか……」
「そんなに必死にならなくてもいーですよ、分かってますから」


最後の方は聞き取りづらい程小さい声になっていて、頭を抱えて唸りながら俯いたアズサの頭をぽんと撫でると恥ずかしそうに顔を上げて苦笑いをした。しかし、アズサの顔を直視は出来なかったが。
分かっているとは言ったものの、アズサ以上に未だ動揺しているなんて口が裂けてもいえない。歳の割には冷静な方ではあるが、周りや彼女が思っている程自分は大人ではないのだ。


「ちょっとこの後用事があるんでフロアで待っててくれますかー?」
「分かった、あ、じゃあもう夕食作り始めていい?」
「そーですね、お願いします」


その方が僕にとっても都合がいい。食事が既に並んでいたらケーキを出しやすいような気がするから。

カトレアの代わりにフロンティアブレーンを引き受けているコクランは非常に忙しいが、彼は頼まれた事を何時も嫌な顔をせず引き受け素早く対応する。お菓子を作らせるのには流石に申し訳なさを感じたが、カトレアに作るついでだと快く引き受けてくれた。
ブレーンとしての勤めやバトラーとしての勤めを両立するのも勿論凄いが、何よりカトレアの我侭を一人で受け止めて世話をしている辺りが一番凄い。これを口に出せばバトルキャッスルの立ち入りを禁止されそうだ。コクランの部屋の扉を叩くと扉が開かれ、コクランがお辞儀をする。


「あぁ、ネジキ様でしたか。頼まれたお品は出来ていますよ」
「手数掛けましたねーありがとーございます」
「何時もの小さなサイズじゃない辺り、アズサ様の誕生日、といった所でしょうか」
「……相変わらず目敏いですねー」
「褒め言葉とお受け取り致します」


ネジキも目敏い方ではあったが、感情面を含めるとコクランの方が上を行く。
尤も、普段は頼まないようなホールケーキを頼み、ネジキの様子が可笑しいのだからアズサに関する祝い事だというのはコクランでなくても分かる事なのかもしれない。


「お嬢様に見付からないよう作るのは大変でしたけどね。これを見たら恐らく食べたがるでしょうから」
「貴方も大変ですねーカトレアの執事なんて」
「私は執事として隣に居られる事を嬉しく思いますし、誇りにも思っていますから苦ではありませんよ。確かに時々お嬢様には頭を悩ませますが。ネジキ様も嬉しいと思うから一緒に居るのではありませんか?」


誰とは言わなかったが、それがアズサを指しているのは直ぐに分かった。確かに、面倒だったなら隣に居ない。むしろ数ヶ月前までは殆ど一人の世界で生きてきたのだ。極力少ない外部との接触で成り立っていた自分の生活は変わった。
それがアズサだったからこそ変化が起きたのだと理解はしている。けれど、そんな彼女の、自分の中での立ち位置が良く分からないのだ。部下なのだろうか、それとも友人なのか、もしくは。

考え事をして黙り込んでいるネジキを見て、コクランは余計な事を言い過ぎましたね、と頭を下げた。


バトルファクトリーに戻ってきてフロアに入ると良い匂いが漂ってくる。一人暮らしや旅の期間が長かった影響だろうか、アズサの料理は非常に美味しい。彼女はコクランの腕と比べがちだから過小評価している。
取り付けられているキッチンはフロアとまた別の場所にある為に、恐らく僕が帰ってきた事に気が付いていない。その間にパソコンの置いてあるデスクの引き出しを開けてラッピングされた箱を取り出す。何時出そうか何時出そうかとずっと悩んでいた物だ。
奥から食器の音と足音が聞こえてきて、咄嗟に箱を後ろ手にやってソファのクッションの影に置く。


「あれ?もう帰って来たんだ。今丁度出来た所なんだ」
「どーも」


アズサの手から皿を取り、机に並べる。夕飯分の食器は並べたが、そう言えばケーキを乗せる皿とフォーク、ナイフが足りない。滅多に行かないキッチンに向かい、一式を持ってくるとアズサは不思議そうに首を傾げるがそれも一瞬で、コクランに貰った箱を机の上に置くと目を丸くした。
中に入っているサイズこそは違うものの、何時もコクランにお菓子を貰う際に入れてある箱と同じだから中身に気付いたのだろう。


「ネジキ、これって」
「今日、誕生日だと思ったんですけど」
「え、え?な、何で?私、言ってないのに……」
「ちゃんと職員のデータはフロンティアブレーンが管理してるんですよー」


とは言うものの、大して興味ないから見ることなんてそう無い上に職員の顔すら覚えていない場合だってある。そんな状態だから当然、個人のプロフィールなんて頭に入っていないし入れる必要もないと思っている。
アズサの誕生日を知っているのは関心があったから調べて覚えていたからこそだ。


「凄く嬉しいけど……ちょっと、吃驚したよ」
「喜んでもらえたなら良かったですよー。味はコクランに作って貰った物だから保障します」
「コクランさんが!?何だか凄く在り難いなぁ……ネジキ、」
「何ですか?」
「ありがとうね」
「……いーえ」


幸せそうに笑うアズサの顔を見たら、どうやって渡そうかと悩む必要なんて無かったような気がした。しかしながら、今も肝心のもう一つ渡す物をどうしようかと悩んでいる辺り矛盾している。

夕食の後にケーキを頂いたのだが流石はコクランと言った所だ。並みのお菓子よりも美味しいし、店のを買うよりも美味しいのではないだろうか。とはいえ、ネジキは滅多にバトルフロンティアの外に出ないからコクランに貰うもの以外は食べた事が無かった。


「美味しかった!コクランさんにもお礼を言わなくちゃ。……ありがとう、ネジキ。凄く良い日になった」
「喜んでもらえたなら良かったですよー」


うん、と嬉しそうに返事をしてにこにこ微笑むアズサは食器を手に取り、今にもスキップをしそうな軽い足取りでキッチンへと向かっていく。浮かれ過ぎと言うか、嬉しがり過ぎと言うか。とはいえ、彼女が嬉しそうにしている姿を見ると僕としても嬉しい限りだ。

アズサの姿が見えなくなったのを確認するとテーブルの上に置いてある真っ白なメモ帳を一枚取り、頭を悩ませながらもペンを走らせる。どうしても、直接渡すのが気恥ずかしいなんて情けない話なのだが。


「あれ?ネジキ、部屋に戻ったの?」

アズサがキッチンから戻ってくるとネジキの姿は無かった。
しかし片付けた筈の机に一つの箱が置いてあって、その上に二つ折りの紙が置かれていたのに気が付いて手に取ると、そこに書かれていたのは見慣れた丁寧な字。

誕生日おめでとーございます、(字のメッセージでも伸ばしてある)とネジキらしい短いメッセージが書かれていて、そのラッピングされた箱がプレゼントなのだと気が付きアズサは頬を染めて顔を綻ばせる。
確かに短い簡素な物だけれど、そのメッセージとプレゼントを彼から貰ったという事実が嬉しかったのだ。包みを丁寧に剥がしてその箱を開ける。

――アズサはネジキの部屋へと駆け出した。


(ね、ネジキ!……え、何で鍵掛けてるの!?)
(……今はちょっと入ってこないで下さい)


頼りになる部下に、仲の良い友人に渡しただけだ。なのに何で、こんなにも動揺してるんだろう。

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