coral
- ナノ -

黄昏時のラメント

酷く落ち込み、沈んだ気分を引き摺りながらエンジュシティに戻ってきて、借りていた服から新しいものに着替えなおす。後で洗濯しなければと思うのだが、どうやって返せばいいのか今の所良い方法が見付からない。
だって、今ネジキ君と会って、何を言えばいいの?何かを言う以前に会うのも躊躇われる。

取りあえず、洗濯機を回すのはラジオ塔から帰って来てからにしよう。はぁ、と深い溜息を付いてラジオ塔へとゆっくり歩き出す。
一歩の歩幅は何時もよりも小さかった。

コガネシティに来るのも実に三週間ぶりとなる。エンジュシティの隣町とはいえ意外と距離があるし、仕事もあるからあまり行かない。以前はラジオとうに勤務していたこともあって毎日来ていたのに。
見上げれば高層の建物に並ぶラジオとうが目に入る。

「辞めた日以来だな……」

でも、不思議と嫌な気分ではない。バトルフロンティアに移ってくれとは言われたが、彼は私の為を思って言ってくれたし、こうして呼んで貰える位信頼してもらっている事を考えるとやはり良い上司だったと思う。

そんなことをぼんやり考えながらラジオとうに入ると、何時もと違う雰囲気にあれ、と声を上げてしまった。

――何というか、静かだ。

人があまり居ないし、見渡しても受付嬢が一人だけ。一階のフロアだというのに、こんなに極端に人が少ない日やシフトがあっただろうか。今日は休みだとか、休憩中だとか?
不思議に思いつつエレベーターに向かって歩いていくアズサの背を、怯えを隠しきれない目で見つめる受付嬢に気付くことはなかった。

局長室がある五階に着き、部屋の前で扉を叩くと中から誰かと尋ねる返事が聞こえてくる。


「アズサですけど……」
「……、あぁ、私が呼んだんだったね!」


入るように促されて、中に入ると局長が丁度パソコンの画面から自分に視線を移した所だった。この顔を見るのも実に三週間ぶりだ。
白い無精髭に整えられた白い髪をジェントルマンが被るようなハットで隠し、茶色のスーツをきっちりと着ている局長。黙っていれば本当にどこかのジェントルマンみたい。

でも、少し変わった?あれ、何でそう感じるんだろう。


「局長に命令された日は流石に微妙な気持ちでしたが、今は楽しくやれています。あの、私の話が参考になると思えないんですけど……」
「いや構わないよ、君のような人の話は興味があるからね。バトルフロンティアで働けること自体が凄いことだよ!」
「いえいえ、というか私が働けてるのは局長のお陰ですから。ところで局長、……背伸びました?」


そうだ、何か局長を見る首の角度が上がったような気がするから少し変わったと思うんだ。足元を見るのだが、底の厚い靴を履いている風でもない。
気のせいなのだろうかと思いながら、彼の顔を見ると何故か冷や汗が流れていた。

(あ、れ……?)


「局長の言う通り私はバトルフロンティアに行って正解だったのかもしれません。ほら……よく電子機器とかを壊してましたし。迷惑かけましたね」
「あぁそのことか、別に構わないよ。今となってはいい思い出……」
「貴方、誰ですか」
「え、」
「私、よく直してましたよね。局長はそれを知ってましたよ」


睨みつけるようにその局長を騙っている人物を見ると、彼の額には冷や汗が先程よりも流れている。そしてじりじりと後ろに下がり、机に置いてあったらしいボタンを押した。
途端にラジオとう全体に聞こえる警報が鳴り響き、驚きのあまり飛び上がってしまった。一体誰なの、この人は。

問いただそうとしたのだが、彼がモンスターボールを取り出してドガースを出したのに遮られてしまった。直後、彼は帽子を脱ぎ捨てて鬘と付け髭を取り、一瞬で別人になったから驚いた。紫色の髪の、局長とは似ても似つかない壮年の男性。


「だ、だれ……!?」
「まったく、何で気付かれたんだ…?完璧だったと思うんだけどなぁ〜。お嬢ちゃん、俺はラムダ、ロケット団の幹部だ!」
「ロケット団って……!」


マツバの話にあった名前だ。しかも今日聞いたばかりの名前ではないか。自分もモンスターボールを取り出そうとしたのだが、後ろの扉が勢いよく開いたのと同時に聞こえたエアカッターという指示に、咄嗟に避ける。気付くのが遅れてしまったようで、風の刃が足を掠める。

「っ……エレキブル!」

床に倒れこみながらもボールを投げ、エレキブルを出す。攻撃してきた相手を見ると、白いベレー帽を被った緑色の髪の青年。ラムダという男とよく似た服を着ているし、ゴルバットで私を攻撃してきたから仲間なのだろう。
彼の後ろには数人の手下が付いており、モンスターボールを両手に持っている。これ、囲まれてるよ。


「警報を鳴らすものだから何かと思えば、相手は一人じゃないですか。自分でどうにかするか、捕まえるでもしておきなさい」
「捕まえる前にばれちまったし、パソコンの画面みたらバトルフロンティアとか書いてあってなぁ……」
「いい大人がそこで引かないで下さい。ここに居ても邪魔ですから外に出ていてください」
「任せたぜ、ランス!」


そう言うと脱兎の如く部屋を飛び出したラムダにランスという青年は呆れた視線を送り、そしてアズサに視線を戻した。
彼のゴルバットだけでなく、下っぱたちもそれぞれ手持ちに持っている限りのポケモンを出してきているため、数では不利に変わりはない。もう一つモンスターボールを取り出してフライゴンを出すとランスはほう、と嘆声を漏らした。


「フライゴンにエレキブル、たかが一人このラジオとうに紛れ込んだだけだと思っていましたが……」


これは誤算だ、計画を邪魔する危険因子。そんな存在はあの少年一人だけでも十分だ、なんて煩わしい。


「ゴルバット、あやしいひかり!」
「まもる!」


エレキブルが出した盾によってあやしいひかりは打ち消され、技の発動後で出来た隙にフライゴンにりゅうのはどうの指示を出して向かってくるラッタやドガース達を撃退する。
これで後方支援は無くなっただろうと思いきや、何時の間に交代したのか新しいしたっぱがモンスターボールを投げた所だった。

多勢に無勢――これって四面楚歌の状態だよ。

苛々は段々と収まってきたものの、今度は落ち着かなかった。アズサに感情をぶつけるべきではなかった。何でこんなことをしてしまったんだろう。

はぁ、と深い溜息をついて椅子に腰掛けたまま一時間以上は経っている。だからと言って何をしているわけでもない、考えて悩んで後悔して分からなくなって、延々とその繰り返しをしているだけだ。
堂々巡りをするばかりで埒が明かない。ネジキは立ち上がろうとしたのだが、パソコンの電源を消していないことに気が付き、マウスを触るとブラックアウトしていた画面が変わる。ログインをし直してシャットダウンしようとしたのだが、その時丁度パソコンの音声部分から流れてきたラジオ内容に目を疑うことになった。


『あーあー……われわれは、泣く子も黙るロケット団!ラジオとうは我々ロケット団が占拠した!』
「……え?」


そんな馬鹿な、あり得ないと思いつつ他のチャンネルに回しても先程聞いたロケット団のラジオとうを占拠したという内容しか流れない。

アズサは今日ラジオとうに行ったのではなかっただろうか。


『組織の立て直しを進めた三年間の努力がみのり、今ここにロケット団の復活を宣言する!』


気付いた途端、ネジキはシャットダウンすることも忘れて急いでファクトリーのレンタルポケモンが並ぶ棚へ向かった。少しこのバトルファクトリーから居なくなる位いいだろう。それに、僕に勝ってる人はまだ居ないから、強いポケモンもレンタルする機会はない。
モンスターボールを一つ手に取り、ネジキはバトルファクトリーを飛び出した。アズサがまだラジオとうに向かっていない事を祈りながら。


「エレキブル、かみなりパンチ!フライゴン、かえんほうしゃ!」

同時に出された攻撃はランスのゴルバットとドガースに命中し、二匹は地面に目を回した状態で倒れこんだ。取りあえず次から次へと沸いてくるしたっぱを全て倒したし、リーダー格のランスのポケモンも全て戦闘不能にした。

悔しさを滲ませるランスは、したっぱに撤退しようと提案されるのだが聞く耳を持たない。負けても尚、逃げようとしないその信念は敵ながら賞賛に値する。

「どうしてこういう日に邪魔が入るんですかね……」

何故計画が実行できた日に邪魔が入るのか。ヤドンの井戸やチョウジタウンでも引っ掻き回してくれた少年が来るのは別として、まさか予想もしていなかった相手がこの場に居るなんて。
ラジオを流せたならばそれでいい、それを聞いてサカキさまがロケット団に戻ってきてくれさえすれば。その時間を稼げばいいだけだというのに、負けた事はプライドが許さなかった。

だからと言って彼女に対抗できるポケモンはもう持っていないし、バトルの最中にしたっぱからの連絡であの少年まで乗り込んできているのは分かっている。たった二人に、壊滅させられるなんて。
認めたくないが、彼女のポケモンは強い。あの少年の持つバクフーンよりも。


「ランス様、逃げましょう!」
「っ……ラムダやアテナはどうしました!」
「……それが、あの小僧に……恐らくアポロ様と」


それを聞いた途端ランスは顔色を変え、一瞬悔しそうに拳を握り締めたが表情を隠すように帽子を被ると、したっぱと共に階段を下りて展望台へと向かっていった。
向かってくる敵も居なくなって安心したのもつかの間、アズサの足元はふらついた。それをフライゴンに支えられる。

「ごめん、夢中になってて気付かなかったけど止血してなかったんだった……」

エアカッターで攻撃された足からは血が流れており、大分止まってきたようだが足に赤い線が付いていて不気味だ。片足をかばいながら歩こうとすると、急に身体が浮いた。驚いて振り返るとエレキブルが自分を持ち上げて肩に乗せようとしていた。いいよ、と言いたい所なのだが今は虚勢を張れるほどの体力がない。

持ち上げられたまま階段を下りていたのだが、その時ラジオとう全体に聞こえる放送が流れてきた。


『今この時をもって、ロケット団を解散する!』


張っているものの、悔しさや寂しさが混ざっているような気がした。周囲に居たロケット団もまた悔しさ以上に悲しみが込み上げてきたのか、俯いている。
良くない集団であることに違いはないけど、団員達にとっては唯一の拠り所、だったのかな。

だって、ギンガ団だってやり方はおかしかったけれど、自分たちの夢に対して一途だった。リーダーであるアカギには会ったことはないけれど、リッシ湖で会った幹部を見ていたらそう思えたから。

去っていくロケット団を呆然と見ていると、視界の端に向かいの階段から下りてきた少年が映った。彼もまた自分に気が付いたらしく、驚いた顔をしている。


「もしかして、先にこのラジオとうに潜入してたっていう人ですか?」
「え?潜入したというか…用事があって偶々きたら巻き込まれたって感じで……もしかして、君がなんかアポロって人とバトルしてたの?」
「え、あ、そうです。僕はヒビキっていうんです、それと相棒のバクフーン。侵入してもやけにロケット団が居ないなと思ったら、あなたが相手をしてたんですね!あなたは?」
「私はアズサ、元トレーナーって所かな。ヒビキ君もトレーナーなら、マツバとバトルした?」
「マツバさんですか!凄く強くて一回負けましたけど、二回目でようやく勝てたんです。それにしても元トレーナー?もったいないような気が……」


アズサを担いでいるエレキブルと、横に居るフライゴンを見れば実力は分かる。二匹の目の光は今までどうろや建物の中で出会ってバトルしてきた相手とはまるで違う。ジムリーダーの持っているポケモンのように威厳があるんだ。
アポロが言っていたもう一人の邪魔とは、この人のことだったんだ。でも何でマツバさんのこと聞いてきたんだろう。

尋ねようかと思ったが、外から聞こえてきたパトカーの音に二人は意識を取られる。そっか、もう事件は解決したんだった。


「それじゃあヒビキ君、またどこかで会えたら。ジム巡り、頑張ってね!」
「はい、ありがとうございます!」


フライゴンをモンスターボールに戻し、エレキブルに乗せられたまま階段を下りていく彼女を見送った直後、フロアに囚われていたラジオとう職員たちに囲まれたものだから階段を下りるに下りれなくなった。

一階ロビーに下りるとジュンサーさん達、それに戻って来た顔見知りの受付嬢たちも皆揃っていた。


「アズサ!あなた無事だったの!?」
「ちょっと怪我はしましたけど……大丈夫です、全て撃退しましたから。流石にラジオとう占拠となると放って置けませんから」
「あれ、局長に今日は話があったんじゃ……」
「いいです、今度落ち着いた時もう一度来ますから」


笑みを浮かべて前の年上の同僚にそれじゃあまたと挨拶を交わし、エレキブルと共に外に出るとそれはもう凄い人の数。パトカーに警察、街の人にそれから報道記者。
どうやって切り抜けようと考えていたのだが、上空から微かに聞こえてきた自分を呼ぶ声に空を見上げると、そこには一匹のカイリューが居た。


「え、」
「アズサ!」
「ね、ネジキ君!?」


カイリューが地面に着地したと同時にネジキは降りてきて、珍しく焦ったような表情を浮かべてアズサを確認する。すぐに怪我をした足に気が付いたようで、眉を潜めた。
喧嘩をした直後だったし、それにラジオとうが占拠されていることに気が付いてくるなんて思ってもいなかった。

カイリューに乗ってと促され、エレキブルは自分をカイリューの背に乗せた。ありがとうとエレキブルにお礼を言ってモンスターボールに戻すと、ネジキ君もカイリューに乗り、そのまま上昇した。
よかった、これでジュンサーさんからの問い質しからは逃げられそう。でも、むしろ今逃げたい。だって、来てくれたのは嬉しいけど何を話せばいいの?一人悶々と悩んでいたのだが、ネジキ君が静かに口を開いた。


「すみません、あれは僕が悪かったですねー分からないことがあって苛々してて……すみません」
「い、いいよ!私もすぐカッとなったし……」
「足怪我したみたいですけど、だいじょーぶですか?」
「少し掠ったけど一日置いておけば大丈夫、……その、来てくれてありがとう」


ありがとうという言葉が予想外だったのか、ネジキは驚いたように目を開く。あぁ、苛々してたのは何処へ行ったのか。今は晴々としている。


「ロケット団相手にするなんて無茶しますよねー僕も心配しましたよ、本当に」
「う……心配かけたみたいでどうもすみません」
「一応取材とか来ないように後で手は打っておきます、そーじゃないとアズサにとっても大変だし、幼馴染にも煩く言われるだろうからなー」
「そんな……ネジキ君にお礼しなくちゃいけないよ」
「別にそんなのは、」
「私がしたいの、何か欲しい物とかってある?」


苛々を彼女にぶつけてしまった事を考えると、今言った事は当然だしお礼をされることなんてしていない。むしろ僕に怒ってくれてもいい位なのに。ネジキが喧嘩中でも来てくれて、尚且つ心配してくれていただけでもアズサの中では喧嘩が清算されていたのにネジキは気付かず、いいと言うのだが、彼女は引き下がろうとしない。


「……じゃあ、一つだけ」
「なに?」
「ふつーに名前で呼んでください、君とか入れないで」
「……、え、それでいいの?」
「まぁ、それでいーですよ」


適当そうに返事をしたネジキだが、彼にとって今考えられる中でそれが一番望む物だった。むしろ、それ以外は特に思い浮かばないのだ。自分でも欲しい物は何かと聞かれて、何でこんな至って平凡でどうでもいいような事を望むのかが不思議だ。
そんなに簡単なことでいいのかとアズサもまた不思議に思ったが、それがいいならと快く返事をした。

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