ストライプ
- ナノ -

「は……?」

信じられない、その一言に尽きる。
薄らと赤みが差す夜空が見えてきた時間帯、ナマエの家に来たのだが電気が一切点いていなかった。
今日はトキワシティに居る筈だし、この時間なら作っている頃だろうと思ったのに、もしかして買い物にでも行っているのだろうかと淡い希望を抱いたのだが、リビングにある机の上に乗っていた料理とメモ用紙に打ち砕かれることになった。

作ってからそれ程時間が経っていないのかラップには水蒸気が付いており、食器を触ると暖かい。そして横に書いてあったメモを読んだ途端眩暈が襲ってきたような気がした。丁寧な字を書くナマエにしては珍しく殴り書きで「少し旅に出ます。探さないで下さい。」と書かれていたのだから。

言っておくが、身に覚えが無い。彼女を怒らせるような事を今日はしていない筈だ。確かに朝の一方的な電話は自分の都合以外何物でもないが、それ位は長年の付き合いでナマエの許容範囲内だというのは分かっている。
虫の居所が悪かったから今日は許せなかったのか、それとも俺以外が原因の何かで非常に苛付いていたのか。

「……この時間から旅に出るって、どこ行ったんだ……?」

カスミの所か、それともタマムシシティか。それ位しか行く所は無いのではないか。一瞬よく知る幼馴染が脳裏を掠めたが直ぐに違うだろうとその意見を却下する。
気になって仕方が無いし迎えに行こうかとも一瞬考えたけれど、何となく今自分が行ったら状況が悪化するような気がして踏み止まる。

一体、何があったって言うんだ、溜息と共に遣り切れない思いを吐露した。


「リザードン、ありがとう」


頭を撫でると嬉しそうに目を細めて一声鳴いた。もう辺りは大分暗いし、一人で歩くのには危ないからリザードンの存在がとても心強い。
この雪山、シロガネ山の頂上付近は年中雪が降り注いでいる。夜は視界が狭まるし危ないのだが、何度か来た事があり慣れているのと心強いパートナーが横に居るから難なく洞窟を進むことが出来た。

何で、こんなことしてるんだろう。別に気にすることは無くていい筈なのに、今はグリーンと一緒に居たくない。渦巻く黒い感情に翻弄されている自分は何て滑稽なのか。

吹雪いているシロガネ山の中は寒くて明かりが一切差さないのだが、奥の突き当たりに明かりが見える。こんな所に居る人間なんて私は一人しか知らない。
早く会おうと早歩きで突き当たりを曲がる前にピカッ、という鳴き声と共に足元に何かが擦り寄って来た。足元にくっ付いてきた物を抱き抱えると、元気良く挨拶する。


「ピカチュウ、久しぶり」
「ピカッ!」


小さな黄色い身体にぴょこりと動く耳や尻尾、愛くるしい表情が特徴的な彼のパートナーはナマエを案内するように、腕から下りて角を曲がる。それに付いて行くと見覚えのある後姿があった。


「ピカチュウ……?……あ、」
「相変わらずここに居るんだね、レッド」
「ナマエ、また勝手に来たの?」


ピカチュウが地面に座り込んでいたレッドの足を軽く叩き、後ろを向くとそれに合わせてレッドも振り返る。まさかこの時間に来客があるとは思っていなかった為に、目を丸くして驚いていた。

レッドがこのシロガネ山に滞在してから一体何年経った事か。グリーンと共に旅に出て、そして先にチャンピオンとなったグリーンに勝ちチャンピオンとなったのに、それを断ってシロガネ山に籠もっての修行を始めた。
今や彼は死んだのではないかという根も葉もない噂まで囁かれているが、それは現在レッドと連絡が取れる人が少な過ぎるせいだ。対人関係において非常に無頓着な彼は自分から連絡を入れる事すら指折り程度。


「何時も思うけど、よく警備員に止められないね」
「これ見せれば通してくれるから」
「……成る程」


ナマエが取り出したのはグリーンのバッジケース。彼がトレーナーだった頃の物だから八個全て揃っており、リーグは勿論シロガネ山に入る事も出来る。
グリーンは元チャンピオン、現トキワジムリーダーの為にバッジを見せなくとも通る事が出来るから普段から持っている訳ではなく、レッドに会いに来る時に度々拝借している。グリーンはその事実を知らないのだが、レッドに会いに来る為ならば許してくれるだろうと安易に考えている。


「レッドが元気そうで安心したよ、ポケギアあげたのに全く連絡入れてくれないしあまり出ないから……」
「ナマエ」
「な、なに?」
「グリーンと、何かあった?」


じっと見つめられて言いかけた言葉を飲み込んでしまう。昔からレッドの真っ直ぐな瞳には逆らえないというか、嘘を付けなくなる。ここに来た理由を誤魔化そうとしていたのに、レッドは確信しているようだった。
普段鈍いのにどうしてこういう所は鋭いのか不思議で堪らない。


「別に、何があったっていう訳じゃないけど……、頭の整理がしたくなって」
「……こっち来て」


手で招かれるまま彼の近くに行くと、座るように指示をされる。訳が分からないままレッドの横に腰掛けるとあやす様に頭を撫でられる。
レッドにしては珍しい事をするな、と思い彼を見ると左手でもピカチュウを同じように撫でていた。レッドにとって私はポケモンと同じ扱いか。膨れ面になると、また頭を撫でてくるものだから怒りも失せてしまった。


「相談したいから、来たんじゃないの?こんな夜遅くに、一人で」
「……」
「俺の生存確認の為だったら、グリーンと一緒に来てる筈だし、ポケギアに電話入れてるでしょ」
「何時も出ないくせに……」


レッドの言っている事は至極真っ当、正論だ。久々に会いたいと思った時はポケギアに連絡を入れてからグリーンと一緒に行くし、それも気温が下がり視野が狭まる夜には来ない。


「今日、ね、グリーンが告白されてたの」
「うん」
「あいつ、自分勝手だし直ぐ調子乗るし仕事はさぼるし」
「うん」
「それでも、良い所沢山あるの知ってるからどうして好かれるのか、……よく、分かるの」
「……うん」


分かっているのに一人気にして深く悩んでいる私って心狭いなぁ、って。消え入るような声で呟くとそっかとレッドは相槌を打った。

悩みの内容を知らず、俺の元に来た事だけ知っていたらグリーンは冗談では済まない殺気を自分に向けるのではないだろうか。グリーンはナマエが好きだから。
ただ、ナマエがどんな感情を抱いているのかは判断しかねる。ナマエが気になっているのは幼馴染が遠くに離れてしまう寂しさなのか、それとも恋愛感情を抱いているから焦燥感を抱いているのか。下手な事をナマエに言うとまたグリーンに煩く言われそうだ、それは面倒臭い。


「ナマエ、安心して。グリーンは女の子の気持ちなんて分かってない、と思う」
「それ安心してって言う事かな……?というか、レッドに言われたくないよ」
「?、ナマエの事は分かってるつもりだけど」
「あー……うん、まぁいいや。相変わらずだなぁ」
「ピカピカッ」
「困ったご主人を助けてあげてね、ピカチュウ」


鋭いのか鋭くないのか、レッドは旅を始めた当時から何も変わってないように思える。その頃からの相棒のピカチュウの苦労も絶えないだろう。
レッドはナマエに同意するように返事をするピカチュウに自分が被っていた帽子を深く被せると、前が見えないのかビカッ、という不満そうな声を上げながら帽子を手で持ち上げている。レッドってば大人気ない。


「来たのは嬉しいけど、そろそろ帰った方がいいと思う」
「……グリーンに会いたくない」
「それ、絶対に言っちゃだめだよ」
「何で?私がどう思おうと関係無いのに」
「グリーンはナマエが大事だから。話し合ってみた方が、いいと思う」


反発するも、何時も言い包められてしまう。けれど、レッドと話していると気持ちが落ち着くから悩んだ時にシロガネ山にまで来て話を聞いて欲しいと思うのだろう。
寝袋といった道具も無いから家に帰った方がいいかと冷静になってきた頭の中で判断したと同時、焚き火を消したレッドは腰を上げて軽く土を払った。


「レッド?」
「遅いから、トキワまで送ってく」
「……め、珍しい……街に、行くなんて……」
「俺も、グリーンと話したい事あるから」


モンスターボールを取り出したレッドが出したのはリザードン。ナマエのリザードンよりも少し大きく、凛々しい勇ましさが滲み出ている。
この子と会うのも久しぶりだと思いながら背中をそっと撫でると嬉しそうに目を細めた。こういう所は私のリザードンと一緒なんだ。

私が浮かない表情をしていた事に気がついたのか、リザードンにぎゅっと抱きしめられる。優しさと暖かな体温に安心していると、彼の背に飛び乗ったピカチュウが手を伸ばしてきて先程レッドに被せられた帽子を私に被せてくる。レッド以上に鋭いのは、彼のポケモン達のような気がするな。

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