リベラ
- ナノ -

セルリアンブルーの初恋


「おや、またコンパスを眺めているんですか」
「ん〜眺めてるっていうかー、ずっと上向いてんなと思って」


部屋着を着たフロイドは、椅子に座って長い足をベッドの上に投げて、机に置いてあるスナック菓子を食べていた。
その視線の先には、ミアが直してくれた探し物のコンパスが蓋を開けて置かれており、相変わらず上を向いている。
しかし、その光景にジェイドはにこにこと微笑んだ。
何せこれまでのフロイドの性格を考えると、今食べたいと思っているだろうスナック菓子にコンパスの針に向いて。その興味関心が薄れるとまた違う方を向いて。数分後にはまた違うものに興味が移って。
そんな風に、針もくるくる回っていたはずだった。


「そういえば、クラスメイトの方がミアさんの話をしているのを耳にしました」
「……どんな?」
「おやフロイド、楽しくなさそうですね」
「この学園で会うやつみーんな歳下だからって、甘やかしすぎだと思うんだよねぇ」
「フロイドは甘やかされたくないと」


わざと意地悪な問いかけの仕方をするジェイドに、フロイドは機嫌が悪そうに「はあ?オレはいいの」と呟いた。
ベッドに投げ出した足をばたばたと動かしてみると、波のように布団とシーツが揺れる。鋭利な刃でクランチチョコを食べながら、喉を伝わっていく甘さを堪能する。

──オレはコツメちゃんに甘やかしてもらって当然。
オレはコツメちゃんの作業室に行ってもいいのは当然。
だけど、他のやつが同じことをするのは、面白くない。嫌だ。

独占欲は、他者にとっては特別であることをラベリングする感情だが、フロイドという人魚の性格・性質上、簡単には特別という意味にはならないことを兄弟であるジェイドも理解していた。
フロイドの興味関心が、1分後には全くなくなっているなんてことはよくある話なのだから。
それにしては長く。そしてより強く。
フロイドのミアへの感情が強くなっているような気がしてならないが、それをつつきすぎるのも良くないだろうと判断しながら、フロイドが落したシャツを拾うのだった。



「今朝のフロイド君、どうしたんだろう……」

午前中の作業を終えたミアはコーヒーを片手に、中庭へと足を運んでいた。
集中力を維持するという意味でも、昼食の後のコーヒーというのはぼんやりする日は特に欠かせない。
ベンチに腰掛けて、青の中に流れていく雲を眺めては、今日もまたオンボロ寮を朝に訪ねて来たフロイドのことを思い出す。

「他の奴もこうやってコツメちゃんのこと迎えに来る?」とか「後輩が可愛いなら一年生が一番かわいいの?」だとか。
フロイドの質問の意図は分からないが、その問いのどれに対しても、ミアは首を横に振った。
オンボロ寮にわざわざ訪ねに来て、一緒に行こうと誘ってくる生徒はフロイド以外いない。そもそも、作業室に自由に訪れる生徒自体そう居ないのだ。
そして、ミアにとって他学校の年下の子達と言っても、皆が皆無条件に可愛く感じられる訳ではない。慕って懐いてくれている生徒がどうしても可愛く映る。

(そう思っている時点で……単身で男子校のハイスクールに来てるのが少し心細いのかもしれないけど)

知り合いは祖父の知り合いしか居ないような状態で、修行の為にもこの学園の門を叩いた。
元の学校での友人達はそれぞれ実習に赴いていたり、学園に残っていて、メッセージで連絡は取り合っているが離れ離れになっている状態だ。
魔法具技師としての実力をあげるためにその務めに集中して努力するつもりだったが、単身男子校に飛び込んで、上手くやっていけるかどうかと緊張していた自分が居るのだ。
構ってもらえて、寂しくないと感じているのだとは、フロイドには言ったことないけれど。


「ミアさーん」
「こんな外で会うなんて珍しいんだぞ!」
「あれ、グリム君にユウ君。朝は勝手に行ってごめんね。こんな所で会うなんて奇遇だね」


ミアの後姿に気付いて手を振って駆け寄って来たのは、同じ寮に住むオンボロ寮の監督生のユウとグリムだ。
毎回ではないが、フロイド以外に一緒に登校することがあるとしたら彼らだ。ごく少人数の同じ寮だということもあって、一緒に朝食の準備をして登校することも度々ある。
だからこそ、彼らは今朝のミアの登校を心配していたのだ。


「ミア、オメー大丈夫なのか?」
「え、何が?」
「今日もフロイドが朝にオンボロ寮来たからビックリしたんだぞ……」
「フロイド君突然来るよね。確かに事前に連絡もあんまりないからビックリするけど、……大丈夫って?」
「悪い人ではないですけど、フロイド先輩って気まぐれですから、絞めるとか言われてないですか……?」


絞める、という独特な言葉に、ミアは首を傾げた。男子の喧嘩特有の締め上げる、という意味だろうか、と。
フロイドが気まぐれだということはもう分かっていたのだが、グリムや監督生がフロイドに対して少しの恐れを感じているような気がしたのだ。

何時もミアの作業室へとやってきて色々な話をするフロイドだったが、オクタヴィネル寮での自分の在り方や、他の生徒に比較的どうみられているのかという話はあまりミアにしていなかった。
隠していたというわけではなく、そんな話題を自分からする必要性をフロイドは感じていなかっただけだった。何せ、別に面白い話でも何でもないのだから。
しかし、この学園に通っている生徒としてはフロイド・リーチを知らない者はそう居ないだろう。
例えば、アズールの言葉巧みな契約に対して不満を抱いた生徒が違反をした時に取り立てをする一人だとか。例えば、期限の波が激しく、タイミングの悪い時にフロイドの気に障ることを言うと文字通り絞められるだとか。
普段は無邪気な言動が目立つ分、突然予期せぬ形で導火線に着火してしまった時の落差が激しく、おっかないと思われがちだ。
ミアは、フロイドのそういった面を全て知っている訳ではなかった。寧ろ知らないことの方が多いくらいだろう。


「ふなっ、知らないでフロイドに連れてかれてたのか!?無頓着にも程があるぞお前……」
「機嫌がいい時は気さくですし、自分もお世話になることもあるから何とも言い難いんですけど。オクタヴィネル寮のアズール先輩、ジェイド先輩とフロイド先輩は色々と有名ですよね」
「……なるほど、やっぱりそうなんだ?フロイド君より年上の生徒に囲まれてた時に、一人で追い払ってくれたからもしかしてとは思ったけど」
「気付いてたんですね」
「うん。でも……フロイド君に脅されたことは無いというか。"コツメちゃんつまんね、飽きた"とかは言われたことないんだよね」


――あんなに飽きられそうなことしてるのに、とミアは苦笑いをした。
積極的にフロイドに話しかけている訳でもない。日によってはフロイドが適当に今日あったことだとか、今興味のあることを喋る。
ミアはそれに相槌を打ちながらも、視線をあまりフロイドには向けず、手を止めずに作業し続けていることも多い。フロイドも、ミアが真剣に実習しに来ていることを知っているから作業の手を止めさせるようなことはしないのだ。
話聞きながら会話というよりも反応を適当にしているなんて、グリム達に言ったらそれこそ卒倒されるのだろう。


「そもそもなんでコツメなんだろう?グリム君のこともアザラシちゃんって言ってるし、ユウ君のことも小エビちゃんって言ってるし、フロイド君って海の生き物好きだよね」
「フロイド先輩特有な気もしますすけど……フロイド先輩ってウツボの人魚ですからね」
「フロイド君って人魚だったんだ」
「えっ、知らなかったのか?」
「そういえば一回もフロイド君、自分が人魚って言ってなかったなと思って。多分、今更過ぎて言わなかったのかもしれないね。そっか、魔法薬で足があるんだ」


自分が自己紹介の時に人です、と言わないように、聞かれなければ言うことでもないのだろう。
ミアの通っていた学園にも、人魚や獣人族の生徒は居たのだから珍しいという訳ではない。
人魚の中でもウツボは珍しいのではないかと思った所で、やっと気づく。歯がぎざぎざと尖っているのはウツボの人魚だからなのかと。
グリムは「ミアは呑気だな〜……」と呆れたように目を細めて、溜息を吐く。

授業が始まる前の予鈴が校舎内に響き渡り、ユウとグリムははっと気づいて慌てた様子でミアに挨拶をすると教室へと急いで戻って行く。
生徒達は授業に戻る時間だ。手をひらひらと振って彼らを見送り、今日の昼時間をずらしていたミアはまたもう一度空を仰いで、眺める。
――呑気。
そんな表現もあるのだろう。
フロイドのことを聞いても、さほど動揺はしていないし、別に幻滅をしたわけでもない。
現にフロイドに怯えている生徒だって数多くいるはずなのに、そうなんだ、という感想で終わってしまっているのだ。


「ばあ」
「わっ、……え?フロイド君」


考え事をしているミアの後ろから声をかけて来たのは無邪気な笑みを浮かべたフロイドだった。
しかし、チャイムもなっているはずで、授業が始まっている時間帯だ。廊下には生徒の姿は見えないのに、フロイドの姿だけがそこに在った。


「サボったの?もう、あんまりサボり過ぎるとクルーウェル先生に宿題増やされちゃうよ?」
「やる気が出ねーからいいの〜中庭にコツメちゃんが見えたから教室に戻んのやめただけ」


一瞬、中庭に留まっていなければフロイドは授業に出ていたのだろうかと思いはしたが。
授業に出る気を無くしたと言っているフロイドに「作業室に戻るからフロイド君も授業に戻ってね」といった所で無駄だとは分かっていた。
やりたくない、というスイッチが入ったフロイドに強要してもあまり意味が無いのだ。
一度は年上らしくたしなめてみるけれど、そっかと言って受け入れてしまっているのだから、言い換えれば甘やかしてしまっているのだろう。
あまりよくないのではと分かっていながら、ベンチの隣に座るフロイドのスペースを取るように右に身体を寄せているのだから、言葉と態度が一致していない。


「そうだ、さっき聞いたんだけど、フロイド君って人魚なんだね」
「そうだよぉ。オレはウツボの人魚。驚いたぁ?今は魔法薬飲んで二本足だけどさ。服も着なきゃいけないし人間ってちょーめんどくせぇと思ってたけど、今は色んな色の服も着られるし靴も気に入ってるし、満喫してるよ」
「フロイド君、靴にも拘ってるもんね。そっか、ウツボの人魚なんだ。背が高いのも、歯も、ちょっと力が強いのもそういうことなんだ」
「なぁに、怖くなっちゃった?コツメちゃんとさ、オレって種族違うの」


フロイドはミアの頬にぺたぺたと触れて、歯が見えるように口角を上げて笑った。
フロイドの体温は少しだけ、人よりも冷たいような気はしていたけれど、それが人魚だからだと納得する。
彼の性格も噂も聞いたわけだが、それでも目の前の青年が怖いと思ったことは無かった。無邪気に笑う少年のような顔を知っているからだろうか。
いや、もっと単純な話なのだろう。
――こうしてフロイドと話す時間が楽しいと感じている。それが答えの全てだ。


「私にとっては楽しい時間だから、あまり深く考える必要もないのかなと思って」
「へぇ?」
「私もこの学園に単身飛び込んで来たけど……フロイド君は慣れてない姿になって、全く違う環境の陸に上がって。それって本当に凄いなって思うんだよね。陸への好奇心の中に、私のやってる魔法道具の修理も入ってるなら、嬉しいって言うのが率直な感想かな」


自分が仕事にしようと思っていることをつまらないと思われず、それどころか見ていて楽しいと思ってもらえるのが職人にとっては嬉しいことだったのだ。
ミアの素直な感情を聞いたフロイドは、咄嗟に言葉が出て来なかった。目をぱちぱちと瞬かせて。そして自分の異変に気付く。
これまで経験したことのない感覚に戸惑い、混乱する。
まるで海水が渦を巻いて、海の上で浮いていた小舟のように感情を呑み込んでいくような感覚。
藻掻けば藻掻くほど、訳が分からなくなっていく。


「……なにこれ、説明してよコツメちゃん」
「え?」
「訳わかんねー……」


心臓がぎゅっと締め付けられるような初めての感覚。
どきどきと血が巡って体温が上がるなんて、海の中に居る人魚にはあまり経験しないことだろう。


――コツメちゃんの代わりはいくらでもいると思ってた。
その時は興味があるけど、次の瞬間にはさっきまで夢中になってたことだってどうでもよくなることなんてしょっちゅうある。面白くなかったらぽいっと捨てればいいだけ。
それなのに。
何でこうなるのか説明してよ、コツメちゃん。

赤くなる顔を隠すように顔を腕で隠して、空を仰ぐ。コツメちゃんより低いと思っていた体温が高まっていって、沸騰する。
誰かに取られたくない位コツメちゃんが好きだって気付いた時に、初めての感情を知る。
コツメちゃんに嫌われたくない。コツメちゃんに好かれたいという感情を。


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