リベラ
- ナノ -

サルビアブルーの優越


ミアが魔法具技師としてそこそこナイトレイブンカレッジ内で知られるようになったのは、クルーウェルの錬金術で使う学校の備品でもある道具が綺麗になっていることに気づいた生徒達が彼女を噂するようになったからだった。
他学校の四年生であり、縁あってこの学園に研修しに来ている女生徒。
この学園の四年生も実習で普段校舎にいないことが多いためか、校舎内に在中している生徒は三年生が一番上になる。

自然と校舎にいる生徒は全員、直接的な後輩ではないとは言え、ミアにとっては年下にあたるからか、頼られると世話を焼きたくもなるのだ。
そして今日もまた一人、ミアのいる作業室の扉を叩く、ではなく。
授業が始まる直前の時間帯。ミアが廊下を歩いているのを見かけて駆け寄ってくる生徒がいた。
「ミアさん!」と呼ぶ声に振り返ると、オクタヴィネル寮の色のベストを着た生徒がいたのだが、これまで会話をした記憶がない生徒だから、名前は残念ながらわからなかった。


「どうしたんですか?」
「あのミアさん、もうすぐ授業が始まってしまうので……今度、ちょっと相談に乗ってもらってもいいですか?」
「何か直すものの依頼かな?勿論。私の作業室にいつでもいいので来てくださいね」


ミアに話しかけてくる生徒で、下心がある者はかなり減ったと言える。学園に来た頃はミア自身は気にしない程度のアプローチに近いことが何度かあったのだが。
今ではこんな噂が流れている。
フロイド・リーチが彼女を気に入っている節があると。
そこに恋愛感情が含まれているかどうかはあまり関係なく、フロイドが関わっているという時点で、他の生徒からしたら面倒なことになりそうだという危機感が働く。
現に、フロイドによって追い返された生徒がいたという噂まであるくらいだ。

「最近ちょっとずつ、任せてもらえるものが増えてきたのは嬉しいなぁ」

こうやって地道に、ひたむきに一つずつ依頼をこなして信頼を積み重ねていって。
依頼を受けて直していく度に自分の技術も磨いて、知識や経験といて積み重ねて蓄積していく。
技術者とはそういうものなのだと祖父に教わってきたけれど、最近それを言葉だけではなく、中身を伴って実感しきている。

一日の授業が終わった放課後。
昼に話しかけてきた生徒は、壊れた魔法道具を手に、恐る恐るミアのいる作業室へと訪れた。
なにせ、ミアの居る作業室を直接訪れる生徒はそういない。
こうやって、本人に来てくださいと声をかけられてから訪れることはあっても、彼女の仕事部屋へ自由に遊びに行くのは一人くらいしかいないのだ。


「ど、どうも」
「どうぞ。その手に持ってるものかな?」
「そうなんです。最近調子悪くなってきて……けど、この学園に入る前から親にもらったものだし、買い直すのは……と」


生徒の言葉にうんうんと頷きながら、ミアは手袋をつけた上で受け取った魔法道具をモノクルをかけた方の目でじっくりと確認していく。
その姿は可憐な少女というよりも、一人の立派な職人として男子生徒の目に映った。
部品の消耗や魔法力をチェックしながら「これなら大丈夫そうです、直せます」とミアがこぼしたと同時に、青年の表情が安堵に和らぐ。

(職人として何が一番嬉しいかって、直ったことに喜んでくれる顔と、こういった安心してくれた顔だよね)

ミア・ブラックストンという少女の魔法具技師としてのやりがいはそこにあった。勿論、技術を磨き続けてさまざまな道具に触れる楽しみというものもやりがいの一つではあるが、"ものを直したい"という思いがあって初めて成り立つ職業でもあるのだから。


「……俺たちとそう歳も変わらないのに、ミアさん凄いなぁ」
「えぇ?そうでもないよ。魔法の扱いをこんな幅広く学んでる皆の方が凄いなーって思うもの。私はひたすらこういう実技ばっかりだったし」
「機械に強いって格好よくないですか?」
「そっか、男の人だと余計にそう思うのかな。周りの女の子には油とか手につかない?って聞かれたりしたし」


差別をするつもりはないが、こういった職業自体、男性の方が人口的に多いのは事実である。集中力だけではなく、体力や、そもそも凝り性であるかどうかという性格にも左右される所があるため、極めようとするのは男性の方が多いという統計的な部分も大きく関係しているだろう。
昨年まで通っていた学園では、散々友人たちに「ミアがそういう作業するのって意外」と言われてきたものだ。

ミアがあくまでも専門としているのは既存の魔法道具を修理、あるいは改造することだ。
この学園には魔法工学に精通している生徒も数多く所属しているという話は耳にしている。特にイグニハイド寮にいる生徒に多いようだが、一から自分のアイデア次第で作り上げるような人に憧れもする。


「私に任せてくれてありがとうね」
「い、いえっ、それは俺の方こそ……」


綻ぶような笑顔で礼を言うミアに、生徒はこの学園においてはなかなか貴重ななんて良い人だろうかと思いながらミアにつられて解けた笑顔を浮かべかけたのだが。
ノックをするわけでもなく突然開けられた扉の音に驚きつつ、反射的にそちらに視線を流して。引きつった表情へと変わる。


「中から声したから作業中じゃないよなぁと思ったら当たった〜」
「フロイド君」


──なんで、フロイド・リーチが。
どくどくと嫌な鼓動が耳の近くでなっているような気がして、先ほどまでの穏やかな時間が一気に獲物を狙う捕食者にねらわれているような居心地の悪いものへと変わる。
同じオクタヴィネル寮の一つ下の学年のフロイドだが、上の学年の生徒からしてもアズール、フロイド、ジェイドには比較的関わりたくはないし、逆らいたくないと感じる生徒達だ。
歳下に怯えているのは情けない話ではあるが、フロイドという生徒はそれだけ機嫌ややることが読めないと言う意味でもおっかない生徒なのだ。

(ミアさんを気に入っているって噂、本当だったのか……!)

なんて間が悪いのだろうかと思ったが。フロイドの言葉を思い出して、さらにつうっと嫌な汗が流れていく感覚を覚える。
彼は、扉の中から聞こえる話し声に、ミアが誰かと話していると分かった上でわざとノックもせずに扉を開いたのだ。
邪魔を、するために。

締められるのではないかという予感に、反射的に一歩後ろへ後ずさりしかけたが、フロイドは男子生徒に目もくれずにミアの後ろに立って、くるくると髪を指に絡めて遊んでいるようだった。


「えっと、フロイド君どうしたの?」
「んー俺のことは気にしないでいいよ〜」


あまり見ないようなフロイドの穏やかさが、むしろ怖い。
気にしなくて良いと言われたミアは、フロイドの様子がいつもと少し違うことは感じながらも、いつものようなフロイドの気まぐれだろうと判断したのか、フロイドに構うわけでもなく話を戻した。
そんなぞんざいな扱いをして、ミアがフロイドの怒りを買わないかと一瞬ハラハラしたものの、フロイドは特にそのことは気にするわけでもなく、特に言葉も発さずにミアの髪の毛をいじっている。


「それでその、修理だよね。いつまでに使いたいとか、希望はあったりする?」
「あ、あぁ、何時でも大丈夫なんですけど……」
「ずるずる時間貰っちゃうのは私の性分じゃないから、無理そうだったらまたお伝えするけど」
「ありがとうございます。それじゃあ、その、よろしくお願いします」


居心地の悪さに早くこの場から立ち去りたいと言う感情のせいか妙に早口になって頭を下げて、作業室を立ち去る。
それまで男子生徒の存在を認識しているかどうかもわからないほどに無視していたフロイドだったが。
生徒が立ち去る直前に一瞬だけ見えた挑戦的な瞳に確信してしまったのだ。
彼はただただ、彼女との仲を見せつけたかっただけなのかもしれない、と。


「……あの、フロイド君?いやって言うわけじゃないんだけど、髪触るの楽しい、の?」
「いやー、コツメちゃんさ、依頼受ける時はこの部屋以外の方がいいよぉ。変なやつ来ても逃げ道ねーじゃん。この間オレが蹴散らしたこともあったし」
「そ、そっか。信じたいんだけど……危機感持たないっていうのもよくないよね」


本気でそういう危機感は持っていなかったらしいミアの気の抜けた苦笑いに、フロイドは「えぇ〜いまさらぁ?」と零しながら、髪をいじっていた手を止めて肩口に頭を乗せる。
ふわりと鼻に香るのは、ミアの使っているシャンプーやリンスの香りだろうか。控えめなフローラルな香りは女性的で、自分たちとは性別的に違うのだと実感させられる。

──歳下のオレの気まぐれだと思って飛び退かないのもさ、大概危機感ねーよな。


「あっ、お帰り。ミアさんに依頼してくるって言ってたじゃん。作業室に呼ばれるなんていいフラグでもたったか〜?」

ミアに依頼をしに行った男子生徒を教室で迎えた友人は、にやにやと笑いながら手を振る。
しかし、彼の顔がどこかげっそりと疲れているらしい様子に、首をひねった。好意があったと言うわけではない。
それでも、女子生徒と話せると言うのは、男子校の生徒的にはそれだけでも無条件で気分が高まるイベントだというのに、どうしてこうも浮かない顔をしているのだろうかと思わずにはいられなかった。


「あぁ……依頼自体は普通に受けてくれたし、なんならすごく人が良かったよ。この人に任せたいって思うくらいに。あと本当にこの学園に研修しに来て良かったのかと思うくらいに」
「それならなんでだよ?」
「途中でさ……フロイドが来たんだよ」
「げっ、出てかねぇと締めるとか言われたのか?」
「いやそれが何にも。俺のこと見えてる?って思うくらいスルーだったんだけど……」


オレが今からコツメちゃんと遊ぶんだから邪魔すんなよ、とか、そういった言葉を言われたわけでもない。
ただ、わざと見せつけてきた。彼女との距離感を。どこまで彼女に自分が許されているのかというのを。

「フロイドのヤツ、マウントが凄かったんだよな」

ジェイドがその様子を見ていたのなら、確実にこう言っていただろう。
フロイドの子供のような独占欲です、と。


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