リベラ
- ナノ -

スモークブルーの化学式


「Good girl!ほう、期待していた以上の整備だ」

クルーウェルの褒め言葉に、ぱあっと花を咲かせるように笑顔になったのは先日クルーウェルの使用する錬金術室の備品の整備を行ったミアだ。
錬金術だけではなく、各授業で使う道具には魔法道具が実に多い。
毎日のように数多くの生徒が使用するとなると、その消耗は早くなるというものだ。
期待していなかった訳ではない。ただ、想像以上の出来にクルーウェルとしては満足だったのだ。


「どんな依頼でも手を抜くつもりは無いですけど……それでも、気合を入れてやったので、安心しました」
「いい心がけだ、子犬」


クルーウェルはちらりと視線をミアに向ける。身なりは姿勢を表す人の鑑――整えて当然だと考えるクルーウェルから見ても、ミアはお洒落に気遣っている方だと感じていた。
シャツとエプロンに革靴は、仕事中の彼女の祖父を連想してしまうのはさておいて。
しかし、そんなミアの手にはマニキュアやネイルは無い。
それは爪先の感覚が変わるのも汚れることも承知の上で作業を行っているからだ。どこまでも彼女は職人気質だった。

(その徹底的な職人としての心がけは一部の生徒には見せたい手本となるな)

そこでふとクルーウェルの頭に過るのは、ミアが『イシダイ先生』と言った時の会話だ。
見習ってほしい生徒の中の一人であるフロイド・リーチ。
天才肌で、やる気があるらしい時は満点も取るほどなのに、気が乗らなければペンを動かしもせずに、テストを白紙で出すような生徒だ。
知り合っているというなら余計に見習ってほしい所ではあるが、フロイドにはそういった外からの影響は意味のない物だとクルーウェルも良く分かっている。


「はぁ……」
「ど、どうかしましたか先生」
「いや、何でもない。しかし、お前に渡していたのは買い替えも検討していた道具ばかりだった。それをここまで、短時間で直すとはな」
「やるからには、誰にも負けないという自信をもって作業したいんです」
「ほう、意外に強気な発言だな」
「あはは……まだそんなに大層なことを言える立場じゃないんですけど。一年研修させてもらいますし、目標は設定しないとなって」


ミアの前向きな向上心に、感心したように呟く。
デイヴィス・クルーウェルという男は、スマートさで隠れてしまっているが、血の気が多く、勝気だ。
誰かに勝ちたいと願って努力をする人間は嫌いではない。寧ろ、好ましいと思う方の精神性だ。
温和な雰囲気のあるミアだが、職人らしく、拘りと誇りは持っているは上出来だと心の中で称賛した。
クルーウェルは今日持ってきてデスクの引き出しに入れていた、銀色の包みに入ったお菓子を取り出し、ミアの手にそれを乗せる。


「褒美だ、子犬。クルーウェル様の用意したものだ」
「え、あ、ありがとうございます……レーズンサンド?」
「分かっているじゃないか。まだら模様も楽しんでから食べるように」
「まだら模様……あぁ!レーズンのことですね。なるほど、側面も見てから食べるんですね……」


何故クルーウェルがレーズンサンドのことをまだら模様と言ってこだわるのか分かっていないミアはぼんやりとこだわりの強いクルーウェルらしいのかもしれないと納得する。
良く街中で見かけるような有名なお菓子メーカーのものではなく、明らかに少し高そうなバターサンド。
食べる時に美味しい紅茶かコーヒーを淹れようと思いながら、先生からの選別を受け取る。


「やっぱり、使用頻度も高いから道具も摩耗するんですね」
「それもあるが……サイエンス部の生徒が時に遊び過ぎて無茶をするせいだな」
「へぇ、サイエンス部なんてあるんですね?凄く楽しそうです」
「好奇心を殺せとは言わないが、時々困ったことをするバッドボーイが居る。今日はその活動があるから、間に合わせてくれて助かった」
「今日活動あるんですね……それって、私が見に行っても差し支えないですか?得意なわけじゃないんですけど、科学も興味があって……」


邪魔をしないように、という条件を元に、クルーウェルに許可を出されたことをミアは喜んだ。
先日フロイドの話で『バスケ部に遊びに来てよ〜』なんて言われていたけれど、その時は迷惑にならなければと曖昧な答えをミアはしていた。
顔見知りになったエースも居るらしいから邪魔にならなければ遊びに行ってみようかなと思っていることは、体育館でバスケ部の活動をしているフロイドは知らないことだった。

――サイエンス部の活動は、植物園の時もあれば、実験室の時もある。
顧問として見ているのがクルーウェルであり、活動自体の方針は本人たちの自主性に任せているが、素材になる動植物への水やりは自分の手で行うよう指示をしている。
部活の中でも部員数が比較的多い方の部活であるが、その中でも三年生として積極的に活動しているのがハーツラビュル寮に所属するトレイ・クローバーと、ポムフィオーレ寮に所属しているルーク・ハントだ。

植物園に初めて足を踏み入れたミアは、ガラス越しに映える青空の下に咲き乱れる色とりどりな花々や緑の美しい植物が織り成す景色に「わあ!」と声をあげる。
自分の学園にも植物園はあったけれど、流石にこの規模ではなかった。
白衣を着ているらしい生徒が数人いて、遠巻きながらミアはその様子を眺めていた。
材料を取り終わった後、錬金術室で行われる実験まで眺めようと思っていたミアの姿に気付いたのは、視野の広いルークだ。
ルークはトレイの肩を叩いて、ミアを指差し「声をかけてみようか」と笑顔を見せる。


「おっと、君がアルティザン・コルドニエかな?」
「アルティ……?え?」
「こら、困惑しているだろうルーク」
「いやぁ、すまないトレイ君。でも彼女にぴったりな言葉だろう?靴職人のように繊細でアーティスティックな職人……実にトレビアン!」


変わった名前で呼ばれるのは二度目のことで、ミアはNRC生の個性の強さと驚きに瞬いた。
ルークという青年は、ミアのことを魔法具技師ではあるが、靴職人らしい在り方や姿勢だと評価した。
それにしては随分と個性的な名前で呼ばれたような気はするが、フロイドから呼ばれているコツメカワウソというあだ名とそう変わらないのかもしれない。


「君はどうしてこんな所に一人で来たんだい?」
「クルーウェル先生にお話を聞いて、サイエンス部の見学をしようと思って。あの、邪魔にならないようにしますから!」
「あぁ、そうだったんですか。大して面白いことをしてるわけじゃないですけど、勿論ですよ。彼はルークで、俺はトレイと言います」
「あっ、貴方が"トレイ先輩"なんだ」
「もしかして、ハーツラビュルの後輩から話でも聞いてましたか?」
「エース君とデュース君から。お菓子作りが得意な優しい先輩って聞いたよ」


後輩たちの褒め言葉を添えられた紹介に、トレイは照れ臭そうに笑う。
現在学園に居る生徒の中では上級生で先輩にあたるルークやトレイにとって、四年生であるミアは年上だ。
後輩のように、年下として接されるのは二人にとっては久々のことだった。更には男子校故に、女子の先輩というのは他学校の生徒とはいえ、初めてのことだ。


「今日使うらしい道具も直してみたんだけど、何か不具合があったら言ってね」
「クルーウェル先生から整備を依頼されたってことか。それは凄い!ありがとう、ミア君」
「色んな生徒が私物を直してもらおう買って話すわけだ。……それだけが理由じゃなさそうなやつもいるが」
「うんうん、是非ともフロイド君の好奇心を満たしている理由を目にしたいものだ」
「……え、授業中に来ることが多いのにどうして知ってるの?」
「……、ふふ。私は目が良いからね」


本当にそれだけだろうかと言いたげなトレイの視線も気にせず、フロイドがミアの作業室に通っていることを指摘したルークの言葉を、ミアは素直に信じていた。
気まぐれで、ルークの目から見ても不思議な生態をしているフロイドが関心を向けるミアを観察対象として眺められるのなら。
是非ともサイエンス部に遊びに来て欲しいという魂胆から大歓迎するルークを嗜めるように、トレイは「ほどほどにな」と苦笑いをするのだった。


- 6 -
prev | next