リベラ
- ナノ -

ララバイブルーの野良猫


気が向いた時に通うような興味を示しておきながらも、フロイドが積極的にミアのプライベートについて深く掘り下げるように質問することは少なかった。
彼女が過去に学校でどのような日々を過ごしてきたかだとか。そういうのは大して興味を引かれるようなことではなかったのだ。
――他のヤツとの仲良かったっていう思い出話なんて別に興味ねぇし。
というのが、フロイドの考えだ。

先日、バスケ部の活動に参加したフロイドは、エースに耳寄りな情報を聞いて、朝から珍しくオクタヴィネル寮を早めに出ていた。
『そういえば、オンボロ寮に魔法具技師の四年生の人が住んでる話、知ってますか?』という話題をエースがジャミルに向けて出した時に、ボールに触るのにさえ飽きていたフロイドは反応を示した。
ミアがこの学校に通っている身であるとは知っていたが、どこに暮らしていたかまでは知らなかった。
敷地内だとは思っていなかったから、作業室以外でも会える場所があるというのはフロイドにとって関心に引っ掛かる内容だったのだ。

監督生と一緒に暮らしている、ということにはなるが――小エビちゃんならいっか。
そんな判断基準でオンボロ寮に住んでいること自体には面白くないとは思わなかった。

学校とは反対方向のオンボロ寮へと向かったフロイドは、扉を強めに叩く。
バタバタと足音と共に玄関に向かって来て、扉を開いたのはミア――ではなく。監督生と、眠たそうに肩に乗っかかるグリムだった。
監督生は朝から一つ学年が上のフロイド・リーチがオンボロ寮に来るとは想像していなかったからか、フロイドに小エビと名付けられた理由を体現するようにびくっと震えて後ずさりしかけた。


「おっはよ〜小エビちゃん、コツメちゃんいるでしょ?」
「おはようございます、フロイド先輩。こ、コツメ……?」


呼び慣れない名前に一瞬グリムを見たが、グリムは彼にアザラシと呼ばれている。
それ以外で考えられるとしたら。まさか。


「わかんねーの?コツメカワウソっぽいから、コツメちゃん」
「もしかしてミアさんのことでしょうか……呼んできます」


この寮に新しく増えた住人、ミア・ブラックストン。
エースとデュースとの話の時にオクタヴィネル寮の話にもピンときていなかったようだが、まさかフロイドと何処かのタイミングで知り合っていて、何か脅されていないか。
そんなお節介な心配が頭を過る。何せ、ユウの目から見てもミアは非常に後輩に対して面倒見のいい穏やかな先輩だ。

一方、玄関で待ちぼうけを食らってミアを呼びに行った監督生を待っているフロイドは、聞きなれない名前に首を傾げていた。

「……オレ、コツメちゃんの名前知らねーや」

これだけ話していたのに、一度も聞いたことがなかったことに気付かされる。
一度も名前を聞く機会がないまま、彼女のことをコツメと呼び始めて、それから彼女の名前を改めて聞くことは無かった。
――コツメちゃんは、コツメちゃんだけど。
不思議とミアという名前を聞いて、頭の中で文字にするとこんな綴りであってるのかな、と思い浮かべてみる。


談話室で暖を取りながらスープを飲んでいたミアに恐る恐る声をかけに行くと、今の状況に気付いていないから当然のんびりとした声で「どうしたの?」と返事をする。
ユウとグリムの焦りとは正反対な様子に肩透かしを食らった気分になるが、まさかミアも外にフロイドが来ているとは思いもしていないのだろう。


「ミアさん、フロイド先輩がオンボロ寮に来てるんですけど」
「……、えぇっ?」
「……オメー、フロイドに何したんだミア」
「何もしてないよ!?あ、でも貸しは作っちゃったかな」
「あー……」
「なるほど……」
「可哀想なものを見る目で見られてる……!」


彼女は色んな意味で今の所フロイドの関心を貰っていて、何らかの形で貸しまで作っていて、そして懐かれているのだと気付いたグリムは早々にミアの無事を諦めた。
クルーウェルの言葉や、フロイドの上下する機嫌と興味関心、それから圧をかける時の笑顔を思い返した時、確かに彼には少々難しい所があるのは彼女も分かっていた。
しかし、作業に集中してあまり反応をして居なかった時も「無視すんなよ」とは言われなかった。
フロイドが主に話して、作業を見て、飽きたら帰る。しかし、二度と来ないと言う訳ではなく、殆ど毎日来てそれを繰り返す。
『この人と関わるのがつまらない』と感じているのなら、もう一度作業室に来てくれることは無いはずだ。

その時点で、ミアにとっては人懐っこい可愛い後輩という領域内にフロイドはまだ位置していた。
心配してくれたユウ達に礼を述べて、カバンを手に取り、玄関前の廊下に出るとすぐにその人は見つかった。


「おはようフロイド君。吃驚しちゃった」
「ねーえ、コツメちゃん。名前なんて言うの?」
「へっ、あ……言ったこと無かったっけ……?ミア・ブラックストンっていうの」


あまりにも今更過ぎる自己紹介に、妙にどぎまぎしてしまったけれど、フロイドは「ふぅん……」と呟く。
まさか今はコツメカワウソなんて愛称で呼ばれているけれど、フロイドから普通に名前で呼ばれたりするのだろうかと期待を込めた目で彼を見上げる。
愛称も二つとない呼び方で特別感があってそれもそれでいいから、どちらでもいいと言うのが本音ではあるのだけれども。

「そっかあ、よろしくねぇコツメちゃん」

――別に本名で呼ばれるわけではなかった。

肩透かしを食らった気分ではあったけれど、こちらの方がフロイドらしいといえばらしいのだろう。
どうして今日は突然フロイドが来てくれたのかは全く分からない。ただ、そこに特別な意味は無くて"気まぐれなのだろう"ということだけははっきりと分かる。
身長のあるフロイドの歩幅はミアよりも随分と大きくて、少し歩くだけでミアは時々小走りをして追いかける。

(身長があって足が長いって本当に羨ましい……)


「他の寮の人が来て一緒に学校に行くって新鮮で、不思議な気分」
「なぁに、コツメちゃん。オレに毎日来て欲しーの?」


今日は気分が向いていたからミアを尋ねに来たフロイドだが、明日には。いや、午後には。数分後には。
来て欲しいなんて束縛するようなことを言ったら「オレに命令すんのコツメちゃん」と言っていたかもしれないだろう。
ただ、ミアはフロイドに言ってはいけないような言葉を把握していた訳でもなく、ただただ思ったことを口にする。

「フロイドくんが来た時は、来てくれたんだなーって嬉しくなるかな」

特別な意味も込めず、ミアは懐いてくれる後輩に対する感想を想ったままに伝える。
来て欲しいというまでの思考が働いているわけではない。
フロイドの気まぐれが働いた今日はちょっとだけラッキーな日、くらいの気持ちで、別に来て欲しいというつもりは無いけれど来てくれるのは嬉しいと思うこの感覚にミアは覚えがあった。
飼い猫ではない近所の野良猫が、今日は偶々家の庭に遊びに来て餌を強請って来たからいいことがありそう、という感覚に近しいものがある。
それを勿論、フロイドには言わないが。懐いてくれる後輩というのは可愛いものだ。

ミアの回答にフロイドはぴたりと足を止める。その口元は嬉しそうに弧を描いていて、くるりと振り返る。
そしてがばっと腕を広げると、頭が自分の胸の位置に漸く届く位の彼女を痛くない程度に抱き締める。
フロイドなりのスキンシップなのだが、初めて体験するミアは腕の中で後輩の年齢に当たる生徒の気まぐれに目を白黒させた。


「フロイド君!?」
「なんかぎゅーっと絞めたくなっちゃってーコツメちゃんちっちゃすぎねぇ?」
「フロイド君が大きいだけだって……!」


気まぐれな猫よりも気まぐれなフロイドの行動を予想することなんてとても出来ない上に、彼にとってのじゃれあいの範囲が触るようなスキンシップまで入るのだと認識しながらも、全く照れない訳ではない。
研修先の学校に通う年下とはいえ、男性には変わりないのだから。
しかし、照れ続けるのもむず痒くなるくらい、フロイドはにこにこと笑いながら「ちっせー、強く絞めると潰れそうじゃん」「頭に顎乗せられそ」と楽しそうに呟く。

そして、ぱっと離したフロイドは何事も無かったかのように話しながらまた大きな歩幅で、ミアの歩くスピードを気にせずに歩き出す。
コツメちゃん、なんか柔らかくて温かかったなと思いながら。


- 5 -
prev | next