リベラ
- ナノ -

ホリゾンブルーの好奇心


魔法具を直した報告書を書き上げると、それを提出する相手は大抵デイヴィス・クルーウェルだった。
ただでさえ授業や受け持つクラスで忙しいということは分かっているのだが、分からない所も丁寧に教えて貰えるのはミアにとって有難いことだった。

「あの、クルーウェル先生ってもしかして、イシダイせんせい、ですか?」

書類を受け取って、さらっと目を通しているクルーウェルの手元をぼんやりと眺めては「手袋もだし、コートも含めて全部一流のものを付けてそう」なんてぼうっと考えたまま、フロイドの言葉で気になっていたことを口に出す。
一人しか発しないだろうそのフレーズに、クルーウェルの表情が僅かに強張り、ミアは他校の先生をあだ名で呼ぶのは良くなかったかと言った後におろおろする。


「……フロイド・リーチか?」
「は、はい」
「……、リーチ兄弟とアーシェングロットという生徒に契約をもちかけられても話には乗るな、いいな。まったく、厄介事には首を突っ込むなと言ったのにこれだ」


フロイドと何らかの会話をしたのではないかと察したクルーウェルは眉間のしわを増やして溜息を吐く。
厄介事かどうか目に見えて分かることならまだしも、その人自体が厄介事になるトリガーかどうかなんて、ミアには当然分かるわけもない。
確かにフロイドは変わっている方だろう。高身長だけれど、言葉遣いや態度は無邪気でな子供のような性格で。かと思えば、猫も驚く程の気紛れさで、男子生徒を追い返せるだけの圧もあるらしい。

すでに「貸し一個ね」なんて言われてしまっていることをクルーウェルに行ったら大層怒られそうだ。


「クルーウェル先生」
「なんだ?」
「錬金術で使う魔法道具とかはありますか?差し支えなければ、予備のものからメンテナンスをしていきたいなと思いまして」
「……万が一ミスしたら魔法薬作りに影響が……いや、いい。お前の勤勉さ、丁寧な作業は十分見たからな。頼むとしようか」
「!ありがとうございます!……クルーウェル先生って、あまり祖父の話、しませんよね」
「お孫さんならこれを任せても大丈夫だろうなんて言われたか?」
「えっと、バルガス先生や学園長には何度か」
「……俺が見るのはあくまでも本人のみだ。お前の祖父が出来たことがブラックストンも出来るとは限らないだろう。逆も然りだが、そういった評価基準は優位に働くこともあれば、意味が全くないこともある」


それはまるで乾いたスポンジに垂らされた雫のように。じんわりと浸透して、連動するように自然と笑みが浮かんでいた。祖父と比べられたくないとまでは、ミアも思っていない。比べられることは多々あるが、その上で彼は尊敬出来る師なのだ。
それでも、自分の実力を正面から評価してもらえるのは素直に嬉しかった。
多くの生徒をそういった価値観で見た上で評価しているのなら、いい先生に違いない。教えるというよりも、躾けると彼は言うが。

「ブラックストンマイスターには小言は言われてきた身だがな」と呟いたクルーウェルにミアはくすくすと笑った。
堅苦しいと言う訳ではないが、性格はどちらかというとトレイン先生寄りな所があるから、クルーウェル先生的にはやりづらい人だったのだろう。


――授業が終わった後のモストロ・ラウンジ。
耳に聞き馴染むジャズが流れ、雰囲気のあるカフェがこのナイトレイブンカレッジにはある。
このカフェの支配人は、時計の針が示す時刻を確認しながら、いら立ちが隠せない様子で指で腕をとんとんと一定のリズムで叩く。

「フロイドが来ない」

そんな支配人、アズール・アーシェングロットは寮服に着替えたジェイドを見ながら、アズールは溜息を吐く。
気が乗らないと言ったフロイドが突然サボるのは今に始まったことではないが、笑顔のジェイドを見ていると、連れて来られなかったのかと不満を覚える。


「まぁまぁ、アズール。今日くらいはフロイドの好きにさせましょう」
「フロイドの面倒を見る役割はお前だろうジェイド。……しかし、ジェイドがそうやって困らずにフロイドの好きにやらせようとするのは珍しい」
「そうでしょうか?」
「そういう時のお前たちは、何か企んでることが多いからな」
「えぇ、フロイドのことをたまには見守ろうかと思いまして」
「は?」


飽きたらポイするだけだと言っていたフロイドが今も通っているという事実が一体どんな結果をもたらすか。
それはジェイドにとっても興味を引かれる面白そうなことだった。

問題のフロイド本人はというと、放課後の時間帯になったとたんにモストロ・ラウンジではなく、作業室へと足を運んでいた。
「コツメちゃんー」作業室には誰も居なく、もぬけの殻となっている。すれ違ったかと思ったフロイドはコンパスを開く。
その針は廊下の一番奥にある筈の作業室にも関わらず、さらに東を示している。校舎の外に居る可能性を考えながら、部屋の中をふらふらと歩いていると、急に西向きにコンパスの針が向いたのを見たフロイドは「あ?」と声をあげる。
この部屋に居るはずという針の示し方だったのだ。ぐるぐると部屋を回ると、それに合わせて部屋の中心辺りに針が向くのを見て「コツメちゃーん?この部屋に居んの?」とミアを探す。

針が指している机の辺りにあるものを確認する。
スタンドライト。ペンケース。性格なのかクリアファイルに入れて整理されているらしい書類類。それから小物入れのような木で作られたアンティーク調のケース。
魔法の鏡のような物はなく、ミアが居ないのにそこを示しているのは、ミアに直してもらった筈なのにコンパスの故障だろうかと思いかけたが。
アンティーク調のケースがカタカタ揺れて、フロイドは思わず「うわっ」と声を零す。
刹那、木箱が空いたかと思うと、瞬きをした直後にはフロイドの目の前に探していた女性が立っていた。


「フロイドくん?」
「えっ、突然コツメちゃん現れたんだけど、どーなってんの」
「あぁ、なるほど。今ちょっとクローゼットの中整理してて」
「クローゼット?どこがだよ。こんなん、ただのちっちゃい木の箱じゃん」


ミアが指で示したのはアンティーク調の木のケースだ。小物ショップで売っているような、アクセサリー入れ位の大きさのものを彼女は"クローゼット"と言った。
不思議そうにフロイドは其れを手に取ったが、物が中に入っていないのか軽かった。


「これ、魔法道具でね。この中に作られたウォークインクローゼットに入れるの。服とか道具とか入れてるんだけど持ち運びが出来る物でね」
「へぇ〜!ちょー凄いじゃん」
「オシャレさで言ったら別空間に繋がってるトランクケースとかの方が凄いけど、私もまだ修理でも見かけたことないなあ」


外の声は中から聞こえるけれど、中からの声は外には聞こえない。
そんな位相空間へと繋がっているのが魔法道具のクローゼットだ。この空間に入るためには蓋への3回のノックが必要になる。
実家に居た時の衣類や道具等もここに詰められているから、異動だとか引っ越しに困ることは無かった。
重たい道具もこうして作業室に運べているのは、実際にそれを持ってきたのではなく、重さを無視出来るこのクローゼットに入れていたからだ。
そんな不思議な物に、フロイドの興味は惹かれる。


「オレの秘密基地にしてよ。って言うか見して」
「だめだめ!整理はしてるけど私の私物で溢れてるし!」
「へぇ……どうしても見たいってオレが言っても?」
「だ、だめだからね。というか物置みたいだからつまらないだろうし、脅されても屈しないからね……!」


声音を落としたフロイドの問いかけにも、ミアは首を横に振って、胸の前でバツを作る。
意外と度胸あんじゃん。そう思ったものの、 フロイドはそれ以上脅し取ろうとはしなかった。
ミアが毎日シャツの色などを変えてオシャレをしているとは思ったが、クローゼットを持ち歩いている程だと言うのは、フロイドの感性に近いものがあった。


「コツメちゃんと居ると退屈しねぇや」
「ここで作業しかしてないのに?」
「飽きたら帰るけどつまんなかったらこねーし」


――相槌を打つような返事と会話とはいっても作業の手を止めない範疇だからきっと淡白に聞こえているだろうと思っていたけど。
フロイド君にとっては楽しい時間なんだ。
そう思うと190センチ以上あるらしい年下の青年が、男子高生に使うのは不適切かもしれないけれど、可愛く感じられた。


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