リベラ
- ナノ -

フレスコブルーの指針


「ねえ、アズール。これ、オレが持ってちゃだめ?」
「担保として貰った品なのでちゃんと返すなら構いませんが」
「おや、ずっと同じ方向を示していますね。上の方……ここが海中の寮の中だからですかね」


手に持つコンパスをじっと眺めるフロイドに、モストロ・ラウンジの閉店作業をしていたアズールとジェイドは視線を移す。
今日のフロイドはやけに上機嫌で、随分と最後まで給仕に対しても乗り気だった。
何故か、という理由をアズールは今更フロイドに確認はしない。何せ、彼の機嫌と言うのは毎時間ごとに大きく変化する。
先程まで興味を示していた楽しそうにしていた物に対して、急に興味を無くす。
そういう性格なのだから。

アズールにコンパスを手渡した時、針はモストロラウンジを示すように下向きになる。
フロイドが持っている時は上向きになるが、一体何を示しているかなんて全く分からない。
だが、ジェイドは興味深そうにそれを眺める。フロイドが一つの物に関心を一時的にでも向ける物が何か出来たのか、と。


──同居人となる監督生、ユウとグリムに先日は挨拶をして無事に迎え入れられたことにミアの一日目は平穏に終わった。
一年生である二人しか居ない寮のため、監督生をしているのだと聞いた時は思わず慰めたくなった程だ。
親睦を深められ、確かに綺麗な新品な部屋、とは程遠くても掃除のされた一部屋を準備してもらったことに感謝し、小さな歓迎パーティを開いてもらった。

とある生徒と早々に縁を結んでしまっていることに、本人は気づいていないのだが。


魔法道具を整備する、という仕事は街中で営むと毎日繁盛するような仕事内容ではない。
こういう特殊な場所に関しては話は別だ。
この学園には様々な魔法道具が揃っている。例えば一番立派な物でいえば魔法の鏡だとか。小さなもので言えば電気ではないランタン、ゴーストカメラや浮いている蝋燭の台座など、多岐に渡る。

「うんうん整った!私のホームが完成!」

祖父の作業スペースは整然としていたらしく、棚や台は当時のままらしいが、やはり綺麗に整えているあたりは祖父らしい。
「なんならこのまま卒業後も専属になって頂いてもいいですからね」と冗談のように言ってきた学園長の言葉は、ミアのやる気を刺激する。

「おじいちゃんの仕事ぶりを知られてる分、生半可なことは出来ないし頑張らないと」

身内が働いていた場所で働くとは、つまりそういうことだ。
祖父が優秀であればあるほど、その評価が付きまとう。お前なら出来る、なんて太鼓判を祖父に貰いはしたが。

日中、生徒が授業を受けている間が研修時間――所謂、仕事時間だ。
早速実力を試す意味でミアの元に、簡単なメンテナンスの依頼がクルーウェルから舞い込んでくる。


「これは、えっと……願い星でしょうか?時期が終わったからですか」
「あぁ、メンテナンスを頼みたい。来年も使いまわして利用するものだからな」
「なるほど。作業が終わったらクルーウェル先生に渡しに行けばいいですか?」
「俺はこの後授業がある。終わったら休憩時間に教員室に渡しに行くように。厄介ごとにはくれぐれも首を突っ込まないように」
「は、はい!」


クルーウェルから渡された幾つかの願い星を受け取ったミアは、クルーウェルの言い方と雰囲気から、指導というよりも躾をされている気分だと苦い笑みを浮かべるのだった。


点検を始めたミアの耳に、授業の開始を知らせるチャイムが耳に届く。
去年までは自分もこの音に合わせて授業を受けていたことを思い出して懐かむ。授業を受けるのが好きだと言う訳ではなかったが、学友と共に過ごす日々は楽しかったなとしみじみ感じるのだ。
単身、学友たちとは離れて遠く離れた賢者の島に立地するナイトレイブンカレッジにやって来て実習訓練をしていると、少しの寂しさも感じるというものだった。

とんとんと扉が叩かれて、突然の来訪者にミアは手を止める。
先生か、学園長だろうか。
そんなことを考えながら、はーい、と返事をしながらミアは扉を開けた。


「あーコツメちゃん今日も居たあ」
「……えっ」


そこに居るはずは無い生徒の姿に、ミアは目をぱちぱちと瞬かせた。
昨日会った生徒だった。名前はフロイド・リーチ。

そもそも今の時間帯、生徒は授業中では無かっただろうかと咄嗟に時計を見るが、やはり今の時間帯は授業時間だ。
そして聞きなれない言葉で呼ばれたような気がしたが、あまりにも馴染みのない言葉で、ミアは一瞬人違いだろうかと考えた。


「聞こえてんのコツメちゃん?無視してる?」
「……えっ、その"コツメ"って、私のことですか?」
「そーそー、コツメカワウソみたいだから、コツメちゃん。それともカワウソちゃんの方がいい?」
「か、変わった呼び方ですね……あの、どっちでも大丈夫です。それより!えっと、フロイドくん。授業中なのに大丈夫ですか?」
「授業つまんねーんだもん。オレがサボっても何時ものことだってジェイドもアズールも何も言わないし〜コツメちゃん、なんか作業すんの?」
「えぇ、今からメンテナンスを」
「オレ、見ててもいーい?」
「ただただ作業するだけでつまらないと思いますが、それでも大丈夫……?」


ミアはモノクルをかけなおして、作業の続きに取り掛かる。
人に見られながら作業するのは妙に緊張する心地だと思いながら、作業台のランプを付けてマイナスドライバーを握った。

――暫くその様子を眺めて、時々声をかけられていたが、帰る時も唐突に「オレ、かーえろ」と言ってフロイドは部屋から居なくなった。
嵐のようにやって来て、嵐のように去って行ったフロイドという少し変わった生徒に、ミアは不思議そうに「何でコツメカワウソ……」と呟くのだった。


一日の作業が終わったミアは、オンボロ寮に真っ直ぐ帰って来た。
何せ、昨日の夜だけでは荷解きなどが終わっていなくて、部屋の中にはまだ段ボールが三個ほど積み重なっている状態だ。
入り口で昨日知り合ったゴーストと談笑していたら、後ろから監督生たちの話し声と共に、玄関の扉が開けられた。


「あれ、ミアの方が先に帰って来てたんだぞ」
「お帰りなさい。グリムくん、もふもふさせて下さい……!」
「オレ様は偉大な魔法士で、気安く触れるようなオレ様じゃ……く、擽ったいんだぞ」
「グリム、お前鼻の下が伸びてるぞ」


グリムを抱きしめてもふもふとした毛並みをそっと撫でていると、最初は強がっていやがる素振りを見せたグリムは気持ちよさそうに目を細めてごろごろと喉をならす。
女の子に撫でられて満更でもなさそうなグリムを呆れる二人の生徒の姿に気付いたミアは、昨日監督生から聞いた話を思い出した。
入学式初日から色々とトラブルがあり、退学処分になりそうだった所を乗り越えたクラスメイトが二人いるのだと。
姿の特徴までは聞いていなかったけれど、彼らが監督生の友人であると会話をする姿ですぐに解った。


「えっと、貴方たちは昨日グリムくんと監督生さんが言っていたお二人、でお間違いないですか?」
「どうもっス。俺たちも監督生から話は聞いてさ。俺は一年生のエース・トラッポラで、こっちがデュースでーす」
「俺たちハーツラビュル寮の生徒なんですけど、コイツとクラスメイトで」
「ハーツラビュルなんだ!へぇ〜おじいちゃんと同じ寮だ!」
「お前の魔法具技師?とか言ってたお祖父さん、ここの学生だったのか!」


昨日の交流では話せなかったことだとミアは首を縦に振った。
その縁がなければもっと違う施設だとか工場とか。学校でもロイヤルソードアカデミーだとかを選ぶ可能性があったかもしれない。


「私、昨日からこの学園に来たばかりで。他校の四年生なんだけど、一応一年間ここで研修という形で仕事させて貰うつもり」
「めっちゃ先輩じゃないッスか……!すんません、俺たち生意気な口を……!」
「あ、やだやだ気にしないで。そんな風に委縮されると私も何だか肩身が狭くなっちゃうし」


笑いながら気にせず何時も通り話して欲しいと語るミアに、思わずデュースは小声で監督生に対して「この学園選んで大丈夫だったのかと思う位、いい人だな……」と零した。
何せ、彼らも自覚はあるが、それぞれが優秀で個性が強い分、協調性と言ったものが薄い傾向にある学園だ。
デュースとエースの目から見たミアという年上の女性は、それはもう普通の感覚の人だった。


「そういえば、ハーツラビュル寮には何でもない日を祝うパーティみたいなものがあるんだっけ?」
「そうなんですよ。あっ、今度ミアさんもタルト、どうです?トレイ先輩の作るタルト、ケーキ屋のやつみたいにめっちゃ美味いですから」
「ふふ、迷惑じゃなかったら是非。ここって学園内なのにそんなに美味しいものを食べられる機会が頻繁にあるのはいいなぁ。食堂だけでも美味しいと思ったばっかりなのに」
「食堂以外といえば、他に飲食できる場所と言えばモストロ・ラウンジがあるけど……あそこはちょっと」
「モストロ・ラウンジ?」
「生徒が経営しているカフェでして。メニューは間違いなく美味しいんですが、運営している生徒があまり関わらない方がいいというか……」
「カフェを運営……私の学校ではあり得ないから凄いね。ハーツラビュル寮ではないの?」
「あー、オクタヴィネル寮って所なんですよ。慈悲の精神の寮ですけど、守銭奴っつーか、付け込んでくる感じが凄いって言うか」


なるほど、寮の間で色々とわだかまりが強いのかもしれないとミアは感じながらも、オクタヴィネル寮、という言葉がすんなりと浸透しなかった。
何せ一体幾つ寮があって、どの寮がどういった特徴なのかも知らない状態で来ている。
唯一知っているのは祖父が所属していたハーツラビュル寮だけだ。
生徒として授業を受ける訳でもないからといって、エースとデュースの話を聞き流してしまっているミアだったが、彼女の繋いでいる縁を考えると「厄介ごとにはくれぐれも首を突っ込まないように」と忠告したクルーウェルの言葉を早速無視していることになるとはこの時点で誰も気付いていなかったのだ。


- 2 -
prev | next