リベラ
- ナノ -

フロスティブルーの船出


ちゃぷちゃぷ。ゆらゆらと。
気紛れな波に攫われるように。

トランクケースに職人の好奇心と、男子校という新しい環境へのちょっとした怯えも全部詰め込んで。
船に乗った際に肺いっぱいに潮風を吸い込んで。
少女は大きく前に一歩飛び出して、旅に出る。

コンパスが指し示すままに。


様々な交通機関を乗り継ぎしなければ辿り着かない賢者の島に立地する名門校ナイトレイブンカレッジ。
声が掛かったとはいえ、ここまで迎えの馬車が来る訳でもなく、普通に交通機関を乗り継いで、少女はたどり着いた。
少女と言ってもとある魔法学校の四年生になった年齢の人間だ。
卒業研究も兼ねた実習としていくつか候補があった中で選んだのは最も縁があったこの学園を選んだ。


「私の学校とは圧倒的に違う趣深さ……!」

広大な敷地や、城のような造りとなっている校舎の趣。
それに加えて魔力の濃度といい、圧倒されるような雰囲気。
自分の学校と比べてとんでもない所に来てしまったかもしれないと思いはするものの、祖父からこの学園の話を聞いていた彼女は好奇心に心が弾んでいた。
鴉のような仮面をつけた長身の男性がトランクケースを転がしてメインストリートを歩く少女を見付けて、歩み寄り、声をかけた。


「君がミア・ブラックストンで間違いないでしょうか」
「あっ、はい!」
「私はディア・クロウリー。この学園の学園長です」


学園長と聞いた瞬間に、ミアの背筋は釣り針にかけられたようにぴんと真っ直ぐになる。
よろしくお願いします、と丁寧に挨拶をして深々とお辞儀をするミアに対してのクロウリーの第一印象はこれだ。
最近、こんな態度を我が校の生徒に取られた記憶が無い気がする、だ。


「ごほん。サー・ブラックストンはお元気ですか?」
「はい、引退した後も何だかんだ魔法具は触り続けていますが、畑をやってみたり、楽しそうに過ごしていますよ」
「それは良かったです。彼、貴方のことを自分の後継者に相応しい腕前だと言っていましたよ」
「あはは、何だか大げさなような気が……」


ミア・ブラックストンという名の少女。
彼女がこの学園を長期間にわたる課外研修として選んだのには、主に彼女の祖父に理由があった。
有名な魔法具技師だった祖父が昨年、歳で引退をしてしまったのだが、それまではこのナイトレイブンカレッジを主な拠点として活動していた職人だった。
元々ナイトレイブンカレッジにかつて通っていた縁で専属の技師として働いていた祖父の縁があり、ミアはこの場所にやって来たのだ。

学園長はまじまじと目の前の少女を見て、よく知っている祖父のことを思い出して『似ていない』と実感する。
見た目が似ていないのは性別や年齢、それから二親等であることから当然ではあるが、目の前の少女は何せ油汚れやスパナやドライバーだとか作業着というものが似合わさなそうな、小奇麗にお洒落をしている少女だ。
本当に"魔法具技師"としての成績だけは学生の枠を超えていると言われるような少女なのだろうかと思ってしまう程に。


「もしや、作業中もシャツに革靴、それからエプロン――その辺りもお祖父さん譲りだったりします?」
「よく分かりましたね!人から見られない時も、物を大切にする人を想いながら作業をしろ、という祖父の教えで、ラフな作業着で作業するのは楽だとは分かっているんですけど私もそのスタイルです」


かつてこの学園の生徒であったらしい祖父は一時期住み込みで働いていた時期もあったらしいが、昨年引退した。
ハーツラビュル寮という寮出身らしく、ミアはこの学園のことは詳しくはないのだが、ハートの女王の精神に基づく寮であることは知っていた。
掟に厳格な在り方は、職人としての祖父の幾つかの決まり事を考えてもよく合っている。職人たるもの身だしなみに気を付けた上で、取り組めという教えがその一つだ。
スーツのオーダーメイドを仕立てる仕立て屋のように。革靴を一から手作りをする靴職人のように。

クロウリーはナイトレイブンカレッジの地図を取り出し、それをミアに渡した。


「こちら、学園内の地図になります。ここが教員室で、ここが貴方の作業場になります」
「なるほど……私が寝泊まりをする寮?とか、アパルトメントってどこになるか分かりますか?荷物を学園宛に送りさえすればいいと言われたので何処に届いているのか分からなくって」
「他校とはいえ、貴方も生徒なのでどうしようかと悩んだのですが。校舎の外の街にアパルトメントを用意すると毎日通うのも大変でしょう?私、優しいので、校舎内のオンボロ寮に用意しましたよ!」
「ありがとう、ございます……名前からして大丈夫ですか、その寮は……?」
「私が直々に説明したい気持ちもあるのですが、何かと忙しいもので。詳しい話はクルーウェル先生にお任せしていますので、それでは!授業の後ここに来るように伝えてありますからご安心を」
「あっ、学園長!行ってしまった……」


まるで逃げるように居なくなってしまった学園長に、大丈夫だろうかと苦い顔に変わる。オンボロ寮、という響きはまるで廃墟のようだ。

学園長が口にしたクルーウェルという名前は、ミアも事前に祖父から聞いていた。その他にも、モーゼズ・トレインやアシュトン・ガストンと言った教師が居るらしい。
その中でも若い教師であるデイヴィス・クルーウェル。

学園長に言われるままに校舎の出入り口でぼんやりと待っていると、廊下の奥からやって来るその姿だけでも直ぐにその人だと分かった。
切れ長の瞳と、白と黒のコントラストが目立つ髪色や服装。深紅の手袋が似合う、まるでモデルのような人だった。


「今日からお世話になります、えっと、貴方がクルーウェル先生ですよね」
「お前がミア・ブラックストンか。四年生の課題が研修ではなく自由な課外活動という話は聞いている。お前の祖父が使っていた作業室を使ってもらう予定だ」
「ありがとうございます。……オンボロ寮ってどこか、分かりますか?私が寝泊まりをする寮だって聞いたんですが、名前が名前で」
「……あそこに泊まるのか。学園長ももう少しでマシな場所を用意すればいいものを」
「えっ」


オンボロ、という名前からいい予感はしなかったが、やはり大分問題のある住まいなのかとミアは肩を落とした。
現在はユウという人間の監督生と、グリムという名前の魔物にも小動物に見える生徒が住んでいる場所だった。


「今は整理をされていて、他にも住んでいるから大丈夫だろう。ゴーストも居るらしいが」
「そうなんですか!?」
「確かに、一番校舎から近い寮にはなる。ブラックストン、郷に入っては郷に従えと言うだろう。ここに来た以上はこの学園のルールに従って貰う。手を煩わせる駄犬にならないようにな」
「り、了解です……」


学園について、それから作業室についての説明を受けて、オンボロ寮に出入りする為の地図と鍵を与えられた。
祖父からクルーウェル先生は血の気が多い若い先生だと話を聞いていたが、なるほどと納得してしまった。
なにせ、駄犬にならないように、なんて言われたのは人生初めてだ。

(後でその監督生の方とグリムくん?にご挨拶しないと)


「……作業室は二階の奥の方……」

地図を広げながら、職人として働くための作業室へと向かうのだが、校舎の広さに驚かされるばかりだった。
迷わないようにと地図で自分の居場所を確認しながら歩いていたミアだが、よそ見をしてしまっていた。
目の前から歩いて来る生徒に気付かない程に。

どん、と衝撃が来た時にはぶつかってしまっていた。
慌てて反射的に謝ったミアを見下ろしていた生徒の手から、ぶつかった衝撃でぽろりと何かが地面に落ちる。


「わっ、ごめんなさい!私がよそ見をしてて」
「げっ、アズールに頼まれたやつ、針ぐるぐるしちゃってる。怒られんじゃん〜」


思わずひっ、と声が出そうになったミアは言葉を飲み込む。
ぶつかってしまった生徒は背が高かった。その体格差でも威圧感が凄まじいというのに、睨まれたことで完全に身体がすくむ。
ターコイズブルーに黒いメッシュが入った少しぼさっとした短い髪に、オリーヴと金色の垂れ目な筈なのに眼光の鋭さ。

ミアの視線は生徒から、生徒が拾ったコンパスに目が留まる。


「そっ、それは探し物のコンパスですか。しかもアンティーク……30年は経っていそうです」
「そうだけどそれが何?ぶつかって落とした時に壊れちゃったんだけど」
「ごっ、ごめんなさい……これくらいならすぐに直せますからお待ちください!」
「は?」


びくびくと震えながらも、目の前の小さな少女がモノクルを掛けて、胸ポケットに常に入れている特殊なドライバーを取り出したことに、生徒――フロイド・リーチは興味を示す。
小さな少女と言っても、フロイドにとって小さいというだけなのだが。

(よく分かんねーけど、アズールに怒られんのはヤダし)

直せるというなら、本当に直せるかどうかはともかく、任せても損はないだろうと、フロイドはじっと彼女の作業を見ていた。
落ち着いて作業する為には作業台があればいいのだが、広めに作られた窓の淵にコンパスを置き、ミアは手慣れた様子で確認を行っていく。
中の部品が所々錆びている上に、魔法の効力が薄れているのは、やはりアンティーク故だろう。
針を支えているパーツを最新のものに変えて、それを緩みが無いように絞めたミアはドライバーで3回とんとんと叩いた。

するとぐるぐる回っていた針は何かを示すように一方向を指し、元の状態に戻ったのを確認して、ミアはほっと安堵の溜息を吐いた。


「へぇ〜ホントに直ったんだ」
「はい。でも、私の不注意で本当にごめんなさい」
「直ったからいいよお。オレはね、フロイド。フロイド・リーチっていうんだあ。ここの二年生」
「にっ……」


二年生とは思えない凄み。
自分よりも二個学年が下だった事に驚きが隠せず、ミアはぱくぱくと口を開ける。
フロイド、という名の青年は、怒った時の表情に凄みはあったが、年齢よりも少し幼く感じさせるような話し方や無邪気な笑顔が特徴的だった。
名前を聞いたからには自分も名乗るべきだろうかとミアは口を開きかけたが、フロイドが間髪入れずに質問をしてきたことで言葉を呑み込む。


「ねーえ、なんで女なのにこんな学校居んの?しかもめちゃくちゃ直すのはやかったし」
「私、今日から一年間ここで魔法具技師として働くというか、研修させて貰うんですよ。さっきの、壊してごめんなさい。もう効力が切れかけてたパーツは変えておいたのであと30年は使えるとおもいますよ」
「へえ〜ついでにそこまでしてくれるなんて気が利くじゃん〜じゃあこの学園に一年いるんだ」
「えぇ、そうなんです。それでは、またどこかでお会いしたら!」


フロイドに手をひらひらと振って魔法具技師と名乗ったミアがぱたぱたと入って行った廊下の奥の部屋を覗き込む。
ナイトレイブンカレッジに来たという少女。
よく考えたら名前は聞いていないことに気付いたが、フロイドがミアに抱いた印象で呼ぶ名前は変わる。

「なーんか、ちっちゃくて、人懐っこくてちょろちょろ早い感じコツメカワウソみてぇ。コツメちゃんって呼ぼ」

面白いものを見付けたと言わんばかりに笑うフロイドは、ぶつかった時とは全く異なる上機嫌な表情だった。
直った探し物のコンパスは、フロイドの興味を反映するかのように、ミアの入って行った作業室の方へと針を向けていたのだった。


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