リベラ
- ナノ -

ミッドナイトブルーの幸福論


人々が賑わい、店が立ち並ぶ道には家族連れや友人、恋人が多く行き交う街。
少しだけ冷気を帯びるようになった秋風が空気運び、吹き抜ける。ある人は新生活を迎え、ある人は新しい出会いや別れを迎える。そんな季節だ。
黄色く色付いた葉が石畳の上に折り重なるように舞い落ちて、灰色のパレットに黄色の絵具を垂らしたようだ。

二人の青年は、とある家に訪問するために街角の花屋に立ち寄っていた。
色ごとにグラデーションになるように飾られており、所謂マジカメ映えをしそうな店舗だった。
花、というのは海にはないものだ。花のような珊瑚だとかイソギンチャク等はあるにしても、土の上に咲く花というのは陸だからこそのインテリアであると言えた。
玄関に飾ると華やかになるだろうと考えて、色とりどりの花をチョイスする。

目当ての家までの道のりは、二人ももう地図を開かなくとも行ける程に慣れていた。
同じ勤務先である彼の家は、自分達の家からもそう遠くはない。引っ越しが終わった際にも、引っ越し祝いということで招待されたほどだ。


「花、鮮やかすぎないか?店員の方も言っていたように、もう少しまとまりのある色にした方が良かったのでは」
「いいんですよ、アズール。その時は気に入っていても、単色にすると何時間後かには『この色飽きた』と言いかねませんから」


石畳の道を歩きながら、アズール・アーシェングロットは隣を歩く青年に視線を向ける。
今は面白いからつるんでいるだけ、と言いながらも北の深海からの縁が続いているジェイド・リーチ。
仕立てのいいジャケットがよく似合う二人は黒を基調とした服を着ていてもよく目立つ。

アズールの手にあるピンクやオレンジ、中には赤まで入ったアネモネをメインとした花束は、パーティに慣れたアズールの美的感覚からするともう少し統一性を持ってまとめた方がいいという意見だった。
だが、これを渡す相手はかなりの気紛れ屋だ。ついさっきまで別の色のテントを張っていたのに、急に赤色にしたくなったからといって作業をやり直すほどに。
様々な色の入った花束で良いのだという見解は流石、慣れている兄弟と言ったところだ。


「しかし、フロイド相手に花なんて、すぐに枯らしそうな気がするんだが」
「お世話をするのはフロイドじゃないですから、大丈夫でしょう」


定期的に花瓶の水を変える花の世話をフロイドに頼んでも、何回かは行うかもしれないが、今日はやりたい気分じゃないと言って放棄しそうな所はある。
しかし、ジェイドとしてはそもそもフロイドへのプレゼントというよりも、別の相手へのプレゼントという目的がメインだ。


「フロイドが世帯を持てるようになるとは……何が起きるか分かりませんね」
「案外、気に入った相手自体に飽きるということはフロイドはあまりありませんから。僕の時よりも両親への報告は少し手間取ったようですけどね」


ふふ、と笑うジェイドに、アズールは顔を顰める。
ナイトレイブンカレッジをフロイド達が卒業したのはもう数年前のことになる。
初めての恋人が出来たことに喜び、そして時にどこまで求めたら嫌われないかと戸惑っていた学生時代が今では懐かしくもある。
結局三人は卒業後、すぐに海に戻るなんてことも無く、アズールの夢でもあったモストロ・ラウンジの店舗拡大を順調に進めていた。
彼の恋人であったミア・ブラックストンは二年、賢者の島の街に店を構える工房で住み込みで修業を行い、結局祖父と同じような学園務めの魔法具技師にはならなかった。
卒業したフロイドが「お待たせ、コツメちゃん」と嬉しそうに抱きかかえていたことも、アズール達の仕事の行動範囲を考えながら早速新居をどこで借りるか考えていたことも、二人の記憶には新しい。

人魚と人間という異種族での結婚だけならまだ話は簡単だったが、リーチ家の在り方を考えれば当然だろうというのがアズールの見解だ。
ミアの家庭は祖父がナイトレイブンカレッジ勤務だった故に寛容ではあったが、あくまでも一般家庭だ。
職人気質で仕事を優先してしまうタイミングもあるミアをミアらしさだと受け入れて心底愛しながら「オレが幸せにします」と珍しく礼儀正しく言い切ったフロイドの気概のために、結婚へと至ることになった。


「……ジェイドのとこは相手も相手といいますか」
「似た者夫婦と仰っていただければ嬉しいですね。モストロ・ラウンジのお披露目パーティでも新しい取引先とのご縁が出来ます!と、かなり楽しそうでしたよ」
「ジェイドと似てるって言ったら非常に嫌がりそうですけどね。まぁ、ジェイドの行き先に合わせて店を構えてるのは何だかんだ言いながらも愛情深いのかもしれませんが」


同じ結婚と言えども、フロイドとミアは、氷の商人である女性と結婚したジェイドとはまた違う関係性がそこにはあった。

ジェイドとアズールは大通りから少し外れた住宅街に入り、Leechというプレートが提げられたレンガ造りの一軒家の扉を叩く。
暫く待っていると、カチャ、と鍵が開く音が聞こえてくる。

「いらっしゃいアズール君、ジェイド君!」

扉が開かれ、中から出て来て明るい声で二人を出迎えたのは、ミアだった。
今日は仕事が休みなためか、髪は緩くまとめられており、ナイトレイブンカレッジでは見慣れていたシャツとエプロンという格好ではない。
ドアを押さえる左手の薬指にはシンプルな銀色の指輪が輝いている。

「あージェイドとアズールやあっと来た〜」

ひょっこりと玄関に顔を出して手を振るのは前髪をかきあげたフロイドだ。
服はフロイドが最近気に入っているという有名ブランド服で、色鮮やかなカラーリングだ。海の中では元の人魚姿故に、服を着る必要が無いからこそフロイドはファッションを楽しんでいた。
時々一緒にショッピングに行ってはフロイドは「コツメちゃんにも似合いそーだから全部買お〜」と言って、ミアの分も同じブランドのものを買うのだという話を二人もよく聞かされていた。
ミアの足元をよく見ると、フロイドがよく買っているシューズメーカーの革靴を履いていた。

玄関までやって来たフロイドとミアが並ぶと、その身長差は相変わらず頭一つ分以上ある。ジェイドは手土産である紙袋をフロイドに渡し、ミアに微笑む。


「これは?」
「手土産のキノコです。料理に使ってください」
「げっ、またこんなん持ってきたのかよ!家でもう飽きたって言われるからってうちに持って来んなよ」
「私は好きだから嬉しいけど、フロイド君本当にしいたけ嫌いだよね」
「そう言われると思ってお菓子も用意してありますけど。こうも不評だと悲しいですね、しくしく」
「はい嘘泣きー」
「モストロラウンジでもキノコ料理は出してるはずなのにこの量が残っているのも恐ろしい話ですが。キノコはともかく、こちらは花です。飾って頂けると」
「わあ!ありがとう、アズール君」


アズールから受け取った花束を眺めて、顔を綻ばせる。玄関に飾ったら非常に華やかになりそうだし、何よりフロイドが見飽きる回数が減りそうな色合いだ。
彼らが家に来るのもそんなに珍しいことでは無いが、偶に来るからこそ片づけは何時も大慌てだ。
リビングにも服が散らばりきっていないのは、今日ジェイド達が来ることを聞いてミアが片づけをしていたからだろうと二人は理解していた。
フロイドは服を脱ぎっぱなしにしたまま、物を散らかしたままの時が多々ある。几帳面過ぎる性格だと、フロイドの行動に苛々する者も居るだろうが、ミアはあまり気にし過ぎない性格だった。
更に言うなら、来るからとりあえずこれにしまって、とフロイド用の魔法道具のクローゼットに適当に突っ込むような所もあったからだ。

ソファに座って談笑している三人分のティーカップを用意し、ミアはお湯を沸かして紅茶の準備を始めた。


「紅茶用意するね。この間ジェイド君がフロイド君にくれた紅茶すごくおいしくて気に入ってるの」
「ふふ、それは良かったです。そう言って頂けると、フロイドに託してよかったです」


ジェイドから貰った高級茶葉をティースプーンで3杯測り、手慣れた様子で温めておいたポットに入れる。
沸騰したお湯がポットに注ぎ込まれ、時間が経つにつれて抽出された紅茶の芳醇な香りが部屋の中に広がる。
匂いに気付いたフロイドは、席を立ちあがって「オレも手伝う〜」と上機嫌な様子で、ミアが持とうとしていたトレーを手に取った。
案外気遣いが出来る所もあるフロイドではあるが、この家ではその様子がかなり見られることを、ジェイドとアズールは心底安心していた。


「それだけ親しい姿を見ていると思い出しますね。同棲したての頃のミアさんの家出事件を」
「あ、あはは、忘れてくれてもいいのに……」
「あの時のフロイドときたら荒れに荒れて大変でしたね。フロイドが悪いんですけど」
「げっ、嫌なこと思い出させんなよなぁ。コツメちゃんと喧嘩したのあれっきりだし」


フロイドは、何時も他人に対して見せる不機嫌の波や、威圧感をミアに対してあまり出してこなかった。
しかし、その時たまたま家に帰って来るまでにモストロ・ラウンジであった出来事でフロイドの気が立ってしまったのだ。
八つ当たり紛いにミアに強く当たってしまい、はっと気づいた時には時すでに遅し。ミアは今は離れよう、とだけ言って、街中にあるミアの工房へと家出してしまったのだ。

フロイドをよく知る二人としては、今の今までフロイドとの喧嘩はそれ位しかないというのが驚きなのだが。
絶対に一言目、二言目に「オレが悪かったから」という言葉を言わない性質の男が、今にも泣きそうな様子で「ごめんコツメちゃん、嫌いにならないで」と謝りに言ったのは今でも懐かしいことだ。


「穏やかなミアさんをそれだけ怒らせたというのが教訓になって何よりですが」
「よく言うし。ジェイドだって引っ越しーって勘違いした時にオレよりとんでもない方法で止めようとしてたじゃん」
「おや、そうでしたっけ?夫婦喧嘩をしたことないので僕にはさっぱり」
「お前たちな……それに、ジェイドは何を言っても無駄そうだと彼女が諦めてくれてるだけだろう」


アズールの指摘に対して、ジェイドはにこにこと微笑みながら「好きな人に対して愛情深いだけですよ」と白々しく語る。
彼らの会話を聞きながら、あの時は衝動的に距離置くために家出をしたけれど、やり過ぎてしまったなぁと苦笑し、ローテーブルにお茶菓子を出すのだった。

──夕方ごろまで家は賑わっていたが、夜になる前の時間帯に「それではまた」とミアに挨拶をして、二人はフロイド達の家を後にした。

学生の時の友人と今もこうして会う機会があるだけではなく、遊べる仲である縁は、卒業してからより一層大切なものだと実感する。
フロイドだけではなく、ミアも当時通っていたハイスクールの友人や、実習中によく会っていたエースやデュースなどのナイトレイブンカレッジの生徒達と会うこともしばしばある。
結婚してからもそれは変わらない。何時もと異なる刺激で、気力が回復するのだ。

ミアはジェイドから手渡された色とりどりの花をいろんな角度から眺めながら、波のような曲線が綺麗な花瓶に挿していく。
フロイドが飽きても挿し方を変えれば違う色をメインに出来そうな花束であるというのは流石ジェイドのチョイスだ。
鼻腔を擽る花の香りを堪能していると、リビングから「コツメちゃーん」という声がかかる。


「どうしたの?」
「コツメちゃん、ちょっとこっちに来て」


ソファに座るフロイドに手招かれて、ミアがフロイドの隣に座ろうとすると、手を引かれてそのままフロイドの足の間にすとんと座ることになった。
大人しく背中を預けて、抱きしめられるミアの体を抱き留める腕に、付き合いも長くなってきたミアは察する。
フロイドの甘えたいタイミングなのかもしれないと。


「フロイド君どうしたの?」
「ちょっとコツメちゃんに甘えたくなってさあ」


頭を肩口に埋めて、フロイドは息を吸って、そしてゆっくり吐いた。
口をぱかりと開けて、熱っぽい瞳で覗き込んでくるフロイドに応えるように、ミアはフロイドを振り返って首を伸ばす。

重ねられた唇は熱を伴い、舌が伸ばされてぴちゃぴちゃと水音が鳴る。
舌を差し込むような深いキスは、やっぱ陸の方がいいやと、フロイドは実感していた。水中でも出来ないことはないが、水が熱や感触を少し奪ってしまう。
口を離すと、息の上がったほんのりと桜色に色付く顔が、情欲を唆る。オレだけに向けられる艶っぽい表情は、酷く高揚感を掻き立てられる。


「かんわいー。そういう顔見てるとさぁ、オレ、我慢できなくなっちゃうんだよね」
「でも……その、避妊具、切らしちゃったって言ってなかったっけ……?」
「あれさあ、必要ある?コツメちゃんとオレ結婚したし、コツメちゃんの子供絶対かわいーだろうし」


気恥ずかしそうにするコツメちゃんの頬をぺたぺたと触りながら、すんと香りを嗅ぐ。
フロイドは人間の交尾に使う独特な避妊具に対して「キュークツでちょ〜嫌い」と言ってあまり好きではなかったが、それでもミアとの性行では付けるようにしていた。
しかし、それも要らないだろうと首を振って、ミアの髪の毛を指先にくるくると巻き付ける。


「コツメちゃんに似た女の子ならいいよぉ〜男はヤダ」
「どうして?」
「だってコツメちゃんの取り合いになるじゃん。コツメちゃんと結婚したいなんて言われたらさぁ、オレが一番好きだし、譲らねぇし」
「ふふっ。絞めるなんて言わないでよ?」


家族としての未来図。それを語りながら、ミアにとっての一番を同じ男に譲りたくないというフロイドの可愛い嫉妬にミアはくすくすと笑う。
気まぐれなフロイドに、予測不可能な子供を組み合わせるとどうなるんだろうかという好奇心はあったが、不安はなかった。
何せ、学生の時も道に迷った女の子に目線を合わせて屈んで、優しく道案内をしてあげていたくらいだ。

笑うミアに「冗談って訳じゃねーし」と小声で零しながら、つうっと抱きしめていた手を下ろしていく。
ミアの薄い腹部を撫でながらフロイドは甘えるように耳元で囁いた。

「だからさ、コツメちゃん。子作りしよーよ」

甘い誘い声。尖った白い歯が零れて、弧を描くように笑う。
家族が増えるのもいいかもしれないとフロイドの大きな手を握って、はにかむように笑った。


──甘い一夜を過ごしたあと、ミアを抱きしめながらそのまま眠りについていたフロイドは欠伸をしながら目を覚まし、がしがしと頭をかく。
人魚だからか、男性にしては滑らかな肌は何時もミアに羨ましがられるポイントだが。
コツメちゃんも肌白いじゃん、と思いながら、毛布から出た肩を撫でる。
長い睫毛が持ち上がり、眠たげな瞳が左右違う色の双眸を見詰める。


「おはよぉ、コツメちゃん」
「んん......おはよう、フロイド君......」


おはようと言いながら布団を肩まですっぽりと被ろうとするミアをフロイドは「今日のオレは機嫌いいからぁ、朝ごはん用意すんね〜」と無邪気な子供のように笑顔を見せる。
獰猛ささえ感じられるような男性としての色香を含んだ時と、普段の無邪気さのギャップに、もう付き合いも長くなっているけれど何時も驚かされる。

ベッドサイドに置かれたコンパスに朝日が差し込み、反射した光が二人の枕元を照らす。その光をぼんやりと見ながら、ミアはフロイドを見詰める。


「なーに見てんの?」
「ううん。フロイド君のコンパス、あの時直してよかったなぁって思って」
「あー、あの時アズールに渡しに行く前に壊れてちょーやべぇ〜って思ったんだよね」
「ふふ、私も背の高い人が険しい顔して覗き込んでくるし、壊しちゃったかもって心臓冷えたよ」
「ほんとはアズールに借りてたけど貰えるのって珍しーんだよね。結婚祝いって言ってたけどその前から返せって言われなかったし」


あの時フロイドとぶつかって、コンパスを直さなければ、こんな縁は生まれなかっただろう。
フロイドが作業室に訪れることも無かっただろう。
たった一年の実習先で、まさかそんな縁が出来るなんて不安と期待半分でトランクケースを手に、ナイトレイブンカレッジの門を潜った時には思いもしなかった。


「フロイド君にあの時会ってよかったなぁ」
「じゃーあ、コツメちゃんにずーっとオレを選んでよかったって思われるように好きーって伝えてこ」


甘い声に溶かされた愛情に幸福感を抱きながら、何時もの朝を迎える。
名前が変わって、旅の同行者が出来たということだけは、以前とは異なって。
気まぐれな波に誘われるまま、新しい旅へと向かうのだ。


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