リベラ
- ナノ -

へレニックブルーの未来図


恋を叶えたら、それで終わりだろうか。
目的を達成したらそれ以上驚くような新しいことはないだろうか。

少なくとも、フロイドにとっては違った。
寧ろ、初めて知ることばかり。初めて経験することばかり。初めて得る感情ばかり。
毎日が新鮮で楽しいと感じられる日々だった。
何時も気紛れで気分屋なフロイドが、アズールやジェイドへの信頼があまり揺らがないように、ミアへの感情は驚くほどに安定していた。
フロイドが好きという感情に飽きないことに、アズールとジェイド以上に安堵しているのは監督生やエース、デュースだろう。

授業が終わり、昼時間を知らせるチャイムが鳴ったと同時に、フロイドはリドルとジェイドの居る教室へと急ぐ。
フロイドが入ってくる気配を感じてか、反対側の扉から逃げるように出ていったリドルに、ジェイドはくすくすと笑いながら兄弟を出迎える。


「聞いてよジェイド〜」
「……ミアさんの話ですか?」
「コツメちゃんをバスケ部に誘ったんだけどさあ、バレない自信がないからやめとくって言われたんだあ。カニちゃんももう知ってるからよくね?」
「ミアさんなりの恥じらいでしょう。というよりもそれは……つまり、授業をサボってミアさんの部屋にいった時間があるということですね?」
「だって授業つまんねーもん。コツメちゃんにはそろそろ戻ってって怒られたけど」


フロイドを甘やかし切らないのは流石だとジェイドは話を聞きながら感心した。
結局フロイドの勢いに折れて甘やかしてしまう所もあるものの、こうして促す所があるのは歳上だからこそだろう。

──フロイドとミアが正式に付き合うようになった次の日。
ミアを励ますためにグリムと監督生が主催で、少し豪華にした食事会が開催された。
そこに親しくなっていたエースとデュースも呼ばれていた。
フロイドの片思いを知っていたエースの「なになに〜?恋煩いで悩んでたとかッスか?」という冗談交じりだったが無意識に狙い撃ちをする質問で、ミアは嘘を付けなかった。固まり、どうして知っているのと口が滑った時にはもう既に遅く。
あのフロイド・リーチと。マジで、ありえねぇ!と、そんな絶叫がオンボロ寮に響き渡ったのは本人は知らないことなのだが、こうしてじわじわと知られていっている。


「オレはコツメちゃんに変なちょっかい出されねーようにコツメちゃんはオレのだからって言っときたいんだけどさぁ」
「ふふ、フロイドの行動はちょっかいではないんですね」
「あ?」


フロイドはスキンシップが常に激しい訳ではなく、無気力になっているタイミングもある。
一定のペースで感心を保ち続けて、そのことを極めるタイプのミアとは全く異なる性質だが、ミアも構ってこない時に寂しいと構って欲しがるタイプではない。
その時は淡々と魔法道具弄りなどを楽しむタイプだろう。その性質は、ジェイドからしてみれば「フロイドに合っているんでしょう」と言えた。

リーチ兄弟は食堂へと足を運び、今日のメニューを見ながら何を食べるか思考する
人魚という種族の燃費が悪いのか、それとも特別二人が成長期ゆえによく食べるからか、昼食をよく食べても夜にはお腹が空いて夜食を食べることもしばしばある。
食欲と性欲が一緒だとは誰が始めに言ったんだろうか。
好物をたくさん食べたいし、食感とかの変化とか面白さも堪能してハマったものはその瞬間に沢山食べたい──それがフロイドの価値観だ。

席を確保しながら、フロイドは前に座ったジェイドに「ねーねー」と問いかける。


「オレすっげー我慢してると思わね?ジェイド」
「そうですか?」
「だってまだコツメちゃんのこと食べてねーし」
「それはそれは。フロイドにしては我慢が出来ていますね」


でしょお?と答えながら、フロイドは頼んだBランチのベーコンを頬張る。
欲求を我慢している理由は明白だ。ミアに嫌われたくないという感情のために、そこまで強引になりきれなかった。
それでも本音は、触りたい。愛したい。弄びたい。貪りたい。そんな欲求が常に見え隠れしていた。
人と人魚との交尾。別にそれは異種族での恋愛も当たり前になってきている中では変わったことではないだろう。フロイドが足を得てまるで見た目は人のように地上に居るから、余計に。


「コツメちゃん、人魚になったらどんな人魚かなあ。いろいろ考えてもやっぱコツメカワウソっぽいんだけどさ」
「フロイドはミアさんを海に連れて行きたいんですか?」
「んー、海にも連れてきたいし、でもオレもまだまだ陸がたのしーし。うーん、陸でもいいかも」


数分後に同じ発言をしているかどうかは分からない。フロイドはそういう性格だ。
しかし、その言葉だけはあまり覆らないような気がしたのだ。他に頼れる人の居ない海に連れ込んで、自分だけが頼られるようなことを望みそうで、望まない。
それ以上に、興味があるものが存在すると表現するのが正しいのだろう。
海に行くとはつまりミアの魔法道具の修理も出来なくなる。海の中にも勿論魔法道具はあるが、修理方法は全く異なると言っていいだろう。
それは、フロイドの中で無しにしていたのだ。


「まぁ、本当に海に連れて行きたくなったらアズールが薬を用意してくださると思いますけどね」
「えーアズールに頼むと後で頼まれること多くなるもん。お金ならいーけど、ヤダ」
「おやおや。時にはアズールに能力だって預けたりするのに。僕なら絶対にやりませんけど」
「ジェイドも預けてみればいーじゃん。楽しーよ」


確かに割と普通の恋をしている彼に、普通のことではあるのだが、フロイドという人物としては珍しい反応に、ジェイドとしてはそれもそれで面白いと思えることだった。


全ての授業が終わり、学生達が解放される時間帯。
フロイドが廊下を駆けて奥に位置する作業室へと向かうのもある人たちにとっては見なれた光景だ。今日は午前中に一回顔を出したけれど、ミアの実習の一日が終わったあとこそがフロイドにとって一番楽しみな時間だ。

「コツメちゃんーイシダイせんせぇの依頼終わったー?」

フロイドは特にノックする訳でもなく、扉を開く。彼を出迎えたのは珍しく作業がもうひと段落していたのかエプロンを外したミアだった。
いらっしゃい、フロイド君と声をかける彼女につかつかと近付き「今日も頑張ったら褒めてー」と主張しながら、見上げてくる彼女の体を抱きしめる。あの日と同じシャンプーの香りがふわりと鼻腔を掠めた。


「頑張ったってフロイド君、一回サボって来てたよね?」
「でも他の授業は頑張ったもん。ご褒美でキスしてもいーでしょ」
「だ、だめだからね」
「ちぇー。じゃあこれだけ〜」


後ろから抱きしめていた腕の力を緩めて、腰を折り曲げると、フロイドは顔を首筋へと近づける。
ちゅうっと吸いついた瞬間に、「ひゃ!?」と反射的に声を上げたミアは勢いよく振り返り、目を白黒させながらフロイドの手を押し返す。
赤い痕を首元に咲かせたことへの満足感や独占欲がじわじわと満たされていくと同時に、頭の中で警鐘を鳴らす。もっと、もっと反応がみたいと衝動に駆られる自分に。


「あは、稚魚の群れ避け〜」
「も、もう。一応大事な話があったのに」
「そんな怒んないでよコツメちゃん。大事な話ってなーに?」
「さっき学園長と話して今後の進路というか、就職先をね、考えてたの」


就職先という言葉に、忘れてはいないつもりだったがミアが現在四年生であり、来年には学校から居なくなることをまたこうして実感する。


「……学園長にはぜひこのまま残って欲しいって言われたんだけど」
「……残ればいーじゃん。コツメちゃんならやれるでしょ」
「やっぱり職人はもっと修行して一人前になってから受けるべきだって断ったの」


自分の未来を客観視して目標を設定していく所は、ミアという人間らしい。
だが、そうなると確実に一年後にはここから居なくなってなかなか会えなくなることを察したフロイドは反射的に「やだ」と言いかけたが。
ミアは柔らかく笑って計画の続きを語る。


「でもね。ここに働いてた頃のおじいちゃんの知り合いが賢者の島の街に工房を持ってるから、是非見習として住み込みでどうかって声をかけてくれたからその話を受けようと思って」
「……え」
「2〜3年の修行期間を貰えたから、そこでまた頑張るよ」


つまり、それは。
このナイトレイブンカレッジの作業室にからは居なくなるが。
辺鄙な場所に位置している賢者の島には残るということを示していた。
外出許可を貰えば、すぐに会える距離だ。魔法の鏡を使って別の地域に勝手に遊びに行くのにも流石に限度がある。
そのことを考えれば、恋人に会いに行けるというのはフロイドにとっては一番嬉しい状況だと言えた。


「つまりコツメちゃん、この学園の近くに居るってこと?」
「ふふ、そうなるかな。私が研修を終わる前にフロイド君が実習にどこかに行くかも、だけどね」


確かに、四年生になれば自分達も実習で何処かへ行くことになるのだろう。
けれど、もう一年は確実に一緒に居られて、学園に戻る際に町へよれば必ず会える。今会いたい、という衝動で動くフロイドにとっては現状ではこれ以上になくいい状況だと言えた。

「コツメちゃんそういうことするのさぁ、......オレのこと好きだってことじゃん」

フロイドは頭を掻いて俯き、あー……と唸る。
なんでそんな可愛いことするんだろ。そんな言葉が頭の中で何回も上塗りされる。
嵐になったかと思ったら晴れて。高波で荒んだかと思ったら凪いで。海のようにころころと感情も変化する。


「だからその、私も時々、寂しくなったら会いに行ってもいいかな」
「!」


普通の、恋人らしい会話のようだが、フロイドが心底驚いているのは今までミアがそういった類の言葉を発言してこなかったからだった。
執着をして欲しいのに、ミアはフロイドに対して自分から積極的に求めることもなければ、与えすぎることもなかった。
それが始めは居心地が良かったけれど、恋人になってからはもう少し求めてくれたらいいのに、と悶々と思っていたフロイドとしては。
「会いに行っていいかな」というミアの確認は、色々な意味でフロイドにとっての言い訳となってくれるのだ。


「ちょ〜嬉しい。毎日でも来ていーよ」
「ま、毎日はちょっと」
「あは、いっぱい外出許可もらお〜オレらのモストロ・ラウンジにも来てよー呼ぶし、席用意するし、アズールに料理出してって頼むし」
「えぇ、いいの?」
「特別席案内するし、その時はオレも給仕やめちゃお」


ミアにご馳走する気満々のフロイドだが、アズールの性格を考えると身内の彼女といえども無賃飲食は許さない性格だ。
結果的にはフロイドの給料から天引きすると言われそうだが、本人がそもそも給料に対して必要でもないと拘りを持っていなかった。


「オレ、卒業したらコツメちゃんのこと迎えに行こ」
「……!ふふ、待ってるね、フロイド君」


数分後には気まぐれで変わっているかもしれないフロイドが、本能的にこれだけは二年後も同じことを言っているのだろうと思えた願望。
未来を思い描いて、フロイドは笑顔を浮かべてミアの首筋に指を伸ばす。
今この所有印を付けるので精一杯だけれど、絶対的なものになる日まで。
気長に待てる自分が不思議な反面、他では味わえない楽しさに胸が躍るのだ。


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