リベラ
- ナノ -

バレヌブルーの恋


人の答えを、こんなにもゆっくり待つなんてことが、これまで無かった。
だから、何時まで待てばいいかなんて分からない。本当は今にでも触れたいのに、嫌われたくないから連絡を取ることも出来なくて。
もうすっかり辺りは真っ暗になって、星空が瞬くモストロ・ラウンジが賑わっている時間帯。
深海とは違って、顔を上げれば月も星も空も見える。
海面に顔を出せば見える景色かもしれないけど、地上から見えるそれも、綺麗に見えた。

コンパスを開けたり閉めたりしながら、メインストリートを抜けて鏡舎へと歩きながら視線は、一つの方角を示す針の先だった。
日中は作業室に居ることが多いが、この時間ともなると特に出歩かずに寝泊まりをしているオンボロ寮に居るのだろう。
小エビちゃんと一緒の寮で暮らしてる、っていうのは特にもやもやと渦巻くものはないけど、それでも羨ましくはなる。
一緒に暮らせたら楽しいだろうな、とか。部屋でコツメちゃんと色んなこと出来るんだろうな、とか。

告白して返事待ちをしている手前、別に会って行こうなんて思っていなかったのに、足は自然と鏡舎から離れてオンボロ寮へと向いていた。


「今日と昨日、なんかミアの調子が可笑しいんだぞ」
「あーうん、確かに。ちょっとだけぼんやりしてるよね。ミアさんにしては珍しい」


オンボロ寮の談話室。監督生とグリムが密やかに話していたのは同じ寮の住人、ミアの話だった。
頼れるお姉さんという面が強い彼女が、声をかけても反応が薄かったり、集中力が切れている状態というのはオンボロ寮で一緒に過ごして暫くする中で初めてのことだった。
調子が悪いのか、それとも作業で何か失敗してしまったのか。


「どうかしたんですか?って昨日の夜聞いてみたんだけど、何でもないよって言われちゃって」
「本当か〜?じゃあ放って置けばいいんだぞ」
「グリム、もうちょっと関心持とうよ……でも今日の夜ご飯の時は昨日とはちょっと様子が違ったから、少しは何か良くなってるといいんだけど」
「オメーがそんなに言うなら……ツナ缶一つミアにあげてもいいんだぞ。子分を励ますのも偶には大事だもんな!」
「えぇ、ミアさんも子分なの?」


律義にツナを使った料理を考えながら、監督生とグリム、それから三体のゴーストたちは笑い合う。
オンボロ寮の二人が明日ミアを励ます為に少しだけ夜ご飯を豪華にしようと考えている時。

本人は談話室ではなく、ナイトレイブンカレッジ滞在中、オンボロ寮に借りている自室に居た。
部屋の中で窓を眺めながら、ミアはジェイドとの会話を通して考えていたことを頭の中で組み立てていた。
フロイドとミアの種族は違う。
通っている学校も違う。性格もかなり違う。年齢も違い、ミアの方が年上だ。
そして何より、思いの強さも、現時点では違う。

「こんなに誰かに思ってもらえることって、あるのかな」

こんなにも強く好きだと思ってもらえることが人生であるのかと考えた時、ミアは一人部屋の中で首を横に振る。
一体どこがフロイドにとって面白いと思われた要素なのかは今は分からない。
それでも、好きだと伝えてくれたフロイドの声は、熱は強く残っている。

冷たい風がひゅうっと吹き抜けて、そろそろ窓を閉めようかとした時。
夜遅い時間にもかかわらず、オンボロ寮の門を潜る人影に目を留める。
そしてミアは息を呑んで、口元を手で覆った。
作業室前で見間違いかけたジェイド――ではなく。歩き方からそれがフロイド・リーチであることが分かったからだ。
どうしてこの時間に。この場所に。そんな疑問は浮かんで、声をかけようか躊躇われて喉に言葉が突っ掛って出て来ない。
フロイドはきょろきょろと辺りを見渡して、頭を掻きながら溜息を吐いているようだった。


――どうしてこの場所に来てしまったか。
それは自分でも分からなかった。顔を見たいという気持ちは根底にあるものの、本当にその行動に移すつもりではなかったのに。
明かりの付いているオンボロ寮を目に焼き付けて、呟く。

「……今日はやめとこ」

扉を叩いて、コツメちゃんと話すのはやめておこうと踵を返して敷地を出ようとした時。
二日聞いていなかっただけなのに、聞きたくて堪らなかった声が聞こえて来て、反射的に振り返る。

「フロイドくん!」

顔を上げたら、二階の窓から自分を覗き込んでくる顔に、どきりと鼓動が速くなる。
窓の外をたまたまタイミングよく見てくれていただけじゃない。
今のコツメちゃんなら避けることだって出来た筈なのに、こうやって顔を出して声をかけてくれた。
その事実が堪らなく嬉しくて、耳元まで早く脈打つ音が聞こえてくるようだった。

顔を見られただけで。声を聞けただけで。
たったそれだけで嬉しくなってわくわくするだなんて、恋というものを実感してならない。
普段の自分とは違う感情の激しい変化。好きって感情は気まぐれな俺よりも気持ちを振り回してくる。
――でもそれは、悪い気分じゃなかった。

「コツメちゃん……?」

オンボロ寮に来たものの、扉を叩いて呼び出すつもりは無かった。だからいざこうして突然鉢合わせると、どういう顔をしてどう声をかけていいか分からなくなる。
「コツメちゃん、返事考えてくれた?」なんて普段の自分だったら普通に言えそうな言葉が喉に突っ掛って出て来ない。
門を潜って出て行こうとしていた足を止めて、コツメちゃんが顔を覗かせている窓の近くまで足を進める。


「えっと、どうしてこの時間にここに……?」
「別に用事があったわけじゃないけど何となく来ちゃってさぁ。コツメちゃん見るの、ちょー久々のような気がする」
「超って、ふふ、まだ二日しか経ってないよ?」
「そーなんだけどさぁ。ずっと暫く会えないと思ってたから」


暫く会えない、その言葉にコツメちゃんの顔が一瞬曇った。
嫌味を言ってる訳じゃない。
本当に、暫く会えないと思ってた。避けられて、コツメちゃんが答えを言ってくれるまでは話してくれないとも思ってた。
しかも、断られてその後はもっと話せなくなる未来だって少し考えた。
日課のようになっていた作業室に通うことももう出来なくなるかもしれないと思っていた程だ。

嫌われたくないし、困らせるつもりは無かったのに。
「ごめん、コツメちゃん」と言おうと顔を上げた時。コツメちゃんがマジカルペンを手に、窓枠に足をかけたのが見えてぎょっと目を見張った。

「えっ、コツメちゃ……!?」

まさか、自分が居るオンボロ寮の外に向かって。扉から出てくるんじゃなくて、二階の窓から直接飛び込んでくるなんて。
反射的に腕を伸ばして、風の魔法を使いながら飛び降りて来たコツメちゃんを待ち構える。
長い髪が重力に逆らって風に吹かれながらふわりと舞って。
魔法のお陰で勢いはなかったとはいえ、抱きとめた勢いで後ろに倒れ込む。

「あっ、あぶねー……」

腕の中に感じる温かさより、魔法を使っていたとはいえ怪我していたかもしれないという心配の方に意識を持っていかれた。
けど、久々に間近で見るコツメちゃんだ。
ただ、突然どうして破天荒な性格でもないコツメちゃんがコツメちゃんらしくない行動を取ったのかが分からなくて、疑問符ばかりが浮かぶ。
なんで、どうして、と。


「コツメちゃん、急にどーしたの。オレびっくりしちゃった」
「早く、言わないとって、思って。お返事、遅くなってごめんなさい」


起き上がらせると、真っ直ぐとした視線が混じり合う。コツメちゃんのこんな目、初めて見た。
オレのことを見てくれている筈なのに、瞳がまるで小波のようにゆらゆらと揺れているような気がした。
そうやって、オレをずっと見てくれたらいいのに。
もう作業室へ来て欲しくないという話だったらと思うと、拳に無意識に力が入る。


「――フロイド君、私とお付き合いしてください」


――え?
今、自分にとってすごく都合の良すぎる言葉が聞こえてきた気がする。
お付き合いって、つまりそれは、応えてもらえたってことだ。
オレはコツメちゃんのことが男として好きで。
コツメちゃんもオレのことを?

「えっと……フロイド君と居ると、その、居心地良くて。一緒に居たいなって自然と思えるってことは、好きなんだって……」

ぱちぱちとゆっくり瞬いてコツメちゃんの顔を見ると、恥ずかしそうに顔が赤らんでいく。
その表情に、漸くじわじわと今言われた答えが現実なんだという実感が沸いて来て、心臓が今までになく煩く跳ねる。
コツメちゃんの口から語られた『好き』って単語が何度も何度も頭の中で反響する。


「やった〜!」
「わぁ!?」


衝動的に、目の前に居るコツメちゃんの腰を抱えて軽々と持ち上げてくるくるその場で回る。
目の前に居る好きな子は、オレのことを好きでいてくれる子。
オレにとって初めてで。気まぐれなオレでも最後になるだろうと彼女。
コツメちゃんを下ろした後、信じられないと口元を手で覆ってその場に座り込む。

「マジでうれしー……コツメちゃんも、オレのこと、好きなんだ……」

その事実を飲み込みながら、息を大きく吐く。
色んな人に言って回りたいくらいに、嬉しくて堪らない。
今なら簡単にテストも100点取れるし、飛行術だって空高く飛べるような気がする。

ひとしきり喜んだ後に、くすくすと笑うコツメちゃんに目線をなるべく近づけるように腰を折って手を伸ばす。


「ねーえ、手ぇ握ってもいい?」
「……うん」


温かな、自分にとっては小さな手をそっと握る。
少し平が固くなっているのは、日々ドライバーを握って作業しているからこそだ。
手を握り返してくれる指先が触れて、どくりと心臓が煩く跳ねたのが分かった。
気恥ずかしそうに見上げて、はにかんでくれるのがどうしようもなく可愛い。
そして、実感する。やっぱりコツメちゃんが好きだなーって。


「……ねぇ、ちゅーしていい?」
「!ま、まだそれは早……っ」


口をぱかりと開けて誘いながらストレートな要求を伝えると、顔が赤くなっていくのを見て笑顔が浮かぶ。
今から付き合うという状況で急に恋人らしいことをする変化に、対応出来ていないコツメちゃんが年上だけど初々しく見えた。
顔を逸らして顔にそっと手を当ててくるコツメちゃんに、ぞくぞくとした感覚が走る。
――なんでこんな可愛いんだろ。

気付いたら躊躇う返事を聞いたはずなのに、膝を折って腰を曲げて。
薄く開いた唇に重ね合わせていた。柔らかい感触に、小さく零れる吐息。ふんわりと香る髪のシャンプーの香り。
何回でもしたくなるような、癖になるような感覚。
このまま何度でも啄むようにしたかったけど、顔を離す。

顔を覗いてみると、コツメちゃんは両手で唇を押さえて紅潮していた。


「ぁ……」
「コツメちゃんにさ、もっと好きになってもいたいんだよね」


きっと、オレの方がずっとコツメちゃんのことを好きだ。
同じくらい好きになって欲しいとは言わないけど、それでも、オレのことをずっとこの先も好きでいて欲しい。
指先を絡め取って、恋人繋ぎをする。もう離せないと言うように。
自分の意志でフロイド・リーチの手を取ってくれたんだから。


「オレさあ、もう離す気ないよ。ミア」
「フロイド君、私の名前覚えて……」
「あは、コツメちゃんはコツメちゃんだけどね」


初めて呼んだ、コツメちゃんの名前。知っていたけれど、今まで呼ぶことはなかった。
でも、苗字はきっとこの先呼ぶこともないんだろう。
この先いつか、オレと一緒の苗字になればいいんだし。
コツメちゃんの手を取ってこのまま連れて帰りたい気持ちを押し殺して「明日からまた作業室に行くから」と伝えながら、手を離す。
大人な対応をアズールとジェイドにも褒めてもらいたいくらい、今の自分の理性の押し殺し方が珍しい。
だって、付き合えることになったのに嫌われたくねぇし。

「……来てくれてありがとう。おやすみ、フロイド君。また明日待ってるね」

その言葉だけでこの子のこと好きでよかったなって思うから、感情がぐちゃぐちゃ掻き乱される初めての感覚も、どこまでも愛おしかった。


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