リベラ
- ナノ -

インクブルーの恋慕


油を注して、ネジを回して。錆び付いたパーツを取り換えて魔法を込める。
飴細工を作るパティシエのように繊細な料理を作り上げていくのと近しい手順だろう。
ただ少し足りない甘味は、誰かに足されることで。
そうやって完成するのだろう。


バスケ部の活動は体育館で行っているとは耳にしていたが、この広い敷地内であまり使わない施設は何処にあるか覚えるのも大変だ。
何せ、ミアの行動範囲はあまり広いとは言えない。校舎内でも歩き回れる場所は授業に参加していない以上限られているし、校舎の外の施設ともなると更に立ち寄る機会はない場所が多い。
それを把握している運動着に着替えたフロイドはミアのいる作業室へと軽快な足取りで向かい、ミアを体育館へと案内していた。


「コツメちゃんも運動着着てんの珍しーねー」
「あはは……一応形から入ろうと思って。ほら、スカートのままで行くと邪魔かなって」
「可愛い〜似合うじゃんー」


髪の毛を縛ってくくり上げて、ラフな格好をしているミアを見て、素直に可愛いと伝えるフロイドの本心。
しかし、それがお世辞の延長線上の言葉だと受け取ったミアは笑いながら「ありがとう」と礼をする。
受け流しているようなミアの言葉にフロイドは内心ちぇ、と舌打ちをしかける。

──もっと本気に捉えてくれていいのに。こんなに正直に、ストレートに伝えてる筈なのに、真剣に受け取ってくれてない。
オレにとっての、コツメちゃんを可愛いと思うのは特別だというのに、特別だと思われてない。


「フロイド君ほど背が高いとバスケって楽しくなるんだろうな」
「コツメちゃん、背えちっさいもんねぇ。ダンクとか出来ないでしょ」
「普通は出来ないよ!?私だとジャンプしてもゴールネット触れないだろうし」


手を上に伸ばしてみても、フロイドの身長には届かない。
それほどの身長差があるはずで、フロイドとミアの歩幅もまたかなり違う筈なのに、二人は並んで歩いていた。
フロイドは自然にミアの歩幅に合わせて歩くなるようになり、人に合わせるという行為に嫌悪感を覚える暇もなかった。

体育館へと入ると、バスケットシューズが床にキュッ、と擦れる音。バスケットボールが跳ねて振動とともに空間全体に響き渡る音。
生徒達が走り、運動する熱気が伝わってくる。
赤いシャツを着たエース・トラッポラがフロイドと共に体育館に入って来たミアに気づいて、ドリブルする手を止めて駆け寄ってくる。


「えっ、ミアさんじゃん!どうもッス。どうしたんスか?」
「こんにちは、エース君。誘われたから来てみたの」
「めっちゃ嬉しいです!つーかマジでフロイド先輩、知り合いだったんですね」


あのフロイドがミアを迎えに何度かオンボロ寮に来ているという話は、監督生に聞いていた。
ミアはフロイド・リーチに懐かれているらしい。
エースとフロイドが話していることに気がついて、彼らと部活においてよく話す仲ではあるジャミルもまた手を止めて近寄ってくる。
この学園において、女性は多いとは言えない。だからこそ、ミアが積極的に生徒達と話をしているわけではないにしても、目立つのだ。
情報収集を怠らないジャミルも、彼女の名前と存在だけは知っていた。まさか、フロイドを手懐けているとは思ってもいなかったが。


「四年生の他校の実習生の方ですよね」
「魔法具技師として研修に来ているミア・ブラックストンです。宜しくね」
「俺はスカラビア寮の副寮長のジャミル・バイパーと言います」
「副寮長さんなんだ!サイエンス部のトレイさんとかルークさんと同じ立場ですね」
「えぇ、フロイドやエースがお世話になっているようで。……この二人をどう面倒見てるのか少し気になる所ですが」


チラリと視線を後ろにいるエースとフロイドに移して、ジャミルは含んだ笑みを口元に持ってきた手で覆い隠す。
末っ子の気質があるエースに年上に可愛がられる憎めなさと愛嬌があるから、最高学年のミアに面倒を見てもらっているのは理解した。
しかし、フロイドだ。
バスケの試合でも見せるやる気の浮き沈み、興味の移り変わりの激しさを思うと、この普通そうな少女がフロイドと普通に付き合い続けられていることが不思議でたまらない。

同じく面倒を見る立場にあるもの同士、話が盛り上がっているジャミルとミアを眺めながら、フロイドはボールを指でくるくると回しながら弄る。
嫉妬をしているわけではないけれど、それでも会話をしている姿を見ると、『コツメちゃんはきっと誰が相手でも、好きになったらその人が特別だと思える人なんだろう』と直感する。
しかし、自分はどうだ。コツメちゃんじゃないと駄目だ、とフロイドは確信していた。


「ジャミル先輩、もっと前に知り合ってると思ってたけどミアさんと初対面だったんだ」 
「……カニちゃん、手ぇ出しちゃダメだからね」
「勿論そういう目で見てないですけど……っていうか何でですか。もしかしてー、フロイド先輩、ミアさんのこと好きだったり?」


エースの冗談めかした揶揄うような言葉。
本気で言ったつもりは無く「はぁ?カニちゃん意味わかんね。締められたいの?」と言われるだろうと想像していた。
そんなつもりはなかったンすよ〜と言えばこの話は他愛もない会話で終わるだろうと、当然のように思っていたのに。
何気なく覗いたフロイドの表情に、エースの表情は固まる。
機嫌が悪そうな殺気立った顔でも、興味無さそうな関心のない顔でもなく。少し赤らんだ思春期の青年そのものの顔をしていた。

「……、……悪い?」

走るのは衝撃だ。
稲妻が落ちたような衝撃にエースは仰け反って、固まる。
あのフロイド・リーチが恋をしている?
興味関心の移り変わりが激しい荒波のような性格をしている彼が、普通の穏やかで優しい性格のミアに恋をしているなんて、これが驚かずに居られるだろうか。


「!?ま、マジで!?えー、超意外……ミアさん、性格は普通じゃないっすか。フロイド先輩が面白いって思うと思わなかった」
「カニちゃん絞められてーの?」


しかし、フロイドの何時もの凄みはない。その反応により一層、フロイドが本当に彼女のことを好きなのだという確信へと変わる。
真剣な声音に、目の前にいるのは本当に自分が知っているフロイドなのかと疑いたくもなる。

ミアの元に戻ってきたフロイドは「バスケやってみよーよー」と声をかけて、なぜかミアの前にしゃがんだ。
バスケと言えばボールを使ってドリブルやパスやシュートをするのではないかと首を傾げるミアに「オレの背中に乗っかればシュートも簡単だよ」と甘い声で誘う。
躊躇いながらフロイドに近づいたミアの足を持ち上げたフロイドは立ち上がり、彼女を背負い上げ、エースに指示をしてボールをミアに渡させた。
背負うだけでも目線は普段は体感しないような高い位置になり、独特な浮遊感に困惑する。


「わっ!?こわいこわい!」
「ほーらシュートできるでしょお?あっ、なんならジャンプしてダンクしてみる?」
「私の心臓口から出るから大丈夫……フロイド君本当に背が高いよね……」


ボールを軽く投げてみるだけで、ゴールネットに簡単にシュート出来たことに目を輝かせるミアを眺めながら、エースは小さな声で「脈ありじゃね?」と呟く。
確かに面倒見はいいし、誰に対してもあまり差はなく接してくれるミアではあるが、あれほどまでの距離感を許すだろうか。
そんな疑問を抱きながら、先ほどフロイドから聞かされた恋心を思い出す。
──そりゃあ、フロイド先輩もあんなに楽しそうなわけだ。


サイエンス部以外の部活を楽しむのは初めてのことで、久々に学生生活を謳歌したのは胸が躍るような感覚だった。
運動のために束ねていた髪を下ろして、ミアは軽い足取りでメインストリートの石畳を跳ねるように歩く。
まるで玩具を目にしたコツメカワウソみたいだとフロイドは目を細めて微笑んだ。この無邪気な人懐っこさといい、やはりコツメカワウソらしい。


「今日はありがとうね、フロイド君。すごく楽しかった」
「よかったあ。コツメちゃんにつまんね、と思われたらーどうしようかと思ってたや」
「実習内容以外にもこうやって色んな経験が出来るのは凄く嬉しいから。一年って長いようで、あっという間だよね」


フロイドの足はぴたりと止まる。
メインストリートに輝く夕暮れの日差しがやけに眩しくて、目を逸らしたくなる。
日は何時までも登っている訳じゃない。落ちて、沈んで。見えなくなって、夜を迎える。
彼女がいなくなるのも、そういうことだ。


「そっかぁ、コツメちゃん1年後には居なくなんだ」


忘れていたミアのナイトレイブンカレッジに滞在するタイムリミット。
彼女はこの学園の生徒ではないのだ。そして、この学園で働いているわけでもない。
ただ、一年という期間限定で実習しに来ている身。彼女にとってはこの場所は止まり木でしかなく、期間が終わればいなくなってしまう。

なんで。コツメちゃんはここにいればいいのに。
なんで、居なくなるなんてことをオレに思い出させるの。

「ふ、フロイド君!?」

別にそのことを止める気もない。飽きたらぽいっと捨てればいいだけ。

それだけだったのに気付けば、大切になっていて。気付けば、初恋をして。

居なくなって欲しくないという感情がそのまま目の端から溢れて、ぽろぽろ泣いていた。
自分よりも背の高い青年が突然泣いたことに驚き、ミアは手をおろおろと彷徨わせて、どうしようかと戸惑う。
一年後に居なくなることをこんなにも惜しまれると、どう反応するのがいいかが分からなくなってしまうのだ。

──だって、元の学園に戻って卒業をしなければいけないことを考えれば、安易にここに残る、なんてことは出来ないのだから。

「ねぇ、コツメちゃん」

溢れる涙を拭うこともせず、衝動的にフロイドはミアの体を抱きしめる。
ちょっと力を入れたら折れそうな体。別に、人間に憧れていたわけでもない。
陸への好奇心と、アズールがやりたかったことが面白そうだったから海を離れた。
人に恋をしたいと思ってたわけでもない。

それでも、こうやって抱きしめて体温を感じると、あぁやっぱり好きだと感じるのだ。

フロイドが抱きついてくることなんて珍しくはないことだけれど、戯れているような雰囲気ではなかったことが伝わってきて、口を挟むに挟めなかったのだ。


「オレ、コツメちゃんのことすっげー好き」


フロイドが吐露した、恋心。何時告白しようかなんて考えているわけではなかったけれど、衝動的に出てきた澄んだ本心だった。
腕の中にいるミアは、声を発さなかった。
発せなかったのだ。
友人としての好きという感情か、それとも、特別な感情なのか。
驚いて戸惑うミアが問う前に。


「……好き」


友人としてではなく、それは恋慕として。
上塗りするように、フロイドによって重ねられる言葉。
背中にまわされている腕の力が込められるけれど、怖がられないように壊物を扱うような力だった。

どう返事をしたらいいのかも分からず、頭の整理がついていなかった。
フロイドのことは勿論好きだけれど、どういう意味で好きなのだろうか。この学園を立ち去った後でも、どういう関係でいたいんだろうか。
言葉を発することが出来ないでいるミアの戸惑いに、フロイドはグッと拳を握って「返事はさ、今すぐの方がうれしーけど、改めてでいいから」と堪えるように呟く。

──無理矢理隣に置くなんてことも出来たのかもしれない。
でも、コツメちゃんが望んでくれないと意味が無い。好きになって欲しい。
それが叶ったら。
オレはコツメちゃんが隣にいて欲しいんだよね。


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