ローザ・ファミリア
- ナノ -
部屋にこもって結婚生活やウェディングドレスのワードを入れて検索し、調べれば沢山の情報を導き出してくれる文明の利器に白狐は感心する。
自分がまだ若人と呼べた時代は、使い魔を駆使して一つの情報を集めるのにも苦労したというのに、今では入力ひとつで大概のことは知られる。
答えはそれでも、自分の中にしかないのかもしれないが。

「星座の中にも……結婚に纏わる星座は沢山あるのに。物語としてしか見てなかったから深く考えたことなんて無かったのよね……」

飽きるほどの時間はあったから、神話にも触れて天文学を学んできたが、その神話の中には恋愛や結婚にまつわる物も多くある。
ただ、それを現実の結婚として結び付けず、あくまでも神話としての出来事として消化している所があった。
ゴーストマリッジを計画した姫の見解と見つけられた答え、それからセベク達一年生の答えとレオナの答え。

これらをもって結婚ということの解像度が上がったことで、200年ほど前の言葉を思い出して僅かに頬をルージュの色に染める。
つまりは、リリアは一緒に居たいと願い、そして誓いを立ててくれようとしていたのだと気付いたクリスタは枕に頭を埋めた。
長い長い時の中でどちらの命が先に尽きるかは分からない。
けれど、死がふたりを分かつまで。
リリアは約束をしてくれようとしたのだろう。


「クリスタに結婚の意味を聞かれた!?」
「えぇ、僕の行動を採点していらっしゃるのではと正直焦りましたが……」


――張本人であるリリアは、今まさにクリスタの一連の行動の報告を受けて、トマトジュースを零しかけた。
マレウスとシルバーの姿が無くて良かったと胸をなでおろす。
ゴーストの花嫁による結婚騒動があってから少々挙動が変だった気はしていたが、多少なりとも意識をしてくれているのではないかと思うにとどまっていたが。
まさか、真剣に彼女が結婚という意味を考えているとは。


「でかしたセベク、流石はわしの弟子じゃ!」
「!リリア様にお褒め頂けるとは光栄の極みです……!」


人というよりも自然に近い思考だった彼女が恋や愛を知ってくれただけではなく。
結婚することの意味を考えてくれようとしているだけでも、リリアにとっては喜ばしいことだった。
ナイトレイブンカレッジという外部の人々と関わることで、こんなにも変わるとは。改めて実感し、弟子たちや子供達が成長するのとはまた異なる感動があった。
今ならヘビーメタルも絶好調に歌いあげられそうな気分だとはしゃぎながら、リリアはセベクの背を叩く。


──ナイトレイブンカレッジに一般客が訪れるタイミングは幾つかある。
それと同時に関係者は忙しくなるのだが、学園長はある問題を解決しにメール室へと訪れていた。
外部の人が来ているとはいえ、郵便配達業務は中断する訳ではない。クリスタは何時もと変わらない仕事を行っていた。
テーブルに並べられた手紙を仕分ける大きな袋越しに見える白い耳に気付いて「クリスタさん!」と彼は呼び立てる。
耳が声をした方向を向き、クリスタは背伸びをして学園長と挨拶を交わす。


「どうも学園長。わざわざメール室まで来るなんてどうかしたんですか?」
「えぇ、ご相談が。今の時間はゴーストの皆さんはいらっしゃらない感じですかね」
「皆もう配りに行ったり郵便屋との授受をしていますよ」
「明日、一般客が出入りするのは聞いていますね?」
「勿論。何だか楽しそう!と思ってましたけど」


外から来る客人と交流するする時間は、閉鎖的な土地に住んでいたクリスタにとっては楽しい時間だった。
学園に来てからまだ二年しか経っていないが、大規模な行事がある際には自由に動き回って客人に紛れて楽しむクリスタだが、今回はその間も郵便配達という仕事をして欲しい学園長にとってはある問題があった。
些細なことかもしれないが、スキャンダルを警戒する学園長としては重要な話だ。


「すみません、クリスタさん。……その歳の子を働かせていると思われると不味いので、姿を変えられませんか」
「……ふふ、あはは!そんなご相談だったんですね!置いてもらってる身だからいいですよ。働いてても問題ないくらいの大人のお姉さんになりましょうか」
「是非そうして頂けると、助かります!……、ふむ」
「何でしょう?」
「いや、流石に生徒たちもそこまで愚かではないでしょうし」


何故クロウリーが言い淀んだのか考えもせず、クリスタは二つ返事で了承する。
まさか、仕事を一生懸命ゴーストに教わって頑張っている幼女に見える少女だから普段は微笑ましそうに見守るだけの生徒達が。
名残はあるとはいえ、見知らぬ成人女性が歩き回っていて、気に留めるなんて馬鹿なことはしないだろうと。
問題児が多いナイトレイブンカレッジとはいえ、学園長は一応賭けてみたのだった。

迎えた当日の朝から、クリスタは鏡の前でヘアアレンジとメイクに勤しむ。
普段は身動きが楽なこの身体で働くことを了承して貰えているから、大人の女性に変わるのは久々だ。
目立つ大きなしっぽだけは変化で消して。髪もまとめ上げて、リボンで留める。
耳や髪の色に目の色は元と変わらないが、10歳ほど歳を重ねた見た目にすぐピンとくる生徒もそう居ないだろうという出来に仕上がった。

「ふふ、ばっちりなはず!」

くるりと一周その場で回って、自分の姿を頭からつま先まで確認する。
そして、何時もの子供のような無邪気に見せる言動から、息を深く吐いてすっと表情を引き締める。
茨の谷の城に出入りしている時のような緊張感を思い出して。
何時でも自分を着飾れる。

大人びた体型と涼やかな表情に、何時もと違うメイド服。
雰囲気全てががらりと変わって、そうそう気付かれることは無いだろうという状態になる。
その変化具合に満足しながら、ディアソムニア寮の廊下をスキップするような足取りで進み、談話室に集まっている筈のマレウス達にお披露目に行く。
ぽかんとした顔であまり見慣れないクリスタの姿を目視してシルバーは瞬き、咄嗟にリリアへと視線を向ける。


「く、クリスタ様……?」
「今日は学園長のご希望でこの姿で居るから宜しくね」
「クリスタのその姿、懐かしいのう。流石はわしのパートナーじゃ」
「ふふ、ありがとうリリア。私だと気付かれないようにメイド服も大人サイズを借りて、髪も纏めたから大丈夫なはず」
「わざわざクリスタがその姿になるのは珍しいな。数年ぶりに見た気がする」


ミドルスクール生にも見えるような姿から、色香を含んだ艶やかな女性に変わったクリスタを見るのはマレウスにとってもリリアにとっても本当に久々だった。
確かに、彼女のこの姿を見たことがない人が見たら、よほど洞察力に優れた人でもない限りは同一人物だとは思わないだろう。
何せそもそも見た目の年齢が違っているのだから。
鏡で自分の姿を確認して「完璧な変装でしょう!」と上機嫌な様子の彼女の背を見て、シルバーとリリアは嫌な予感を覚えたのか顔を見合わせる。
この学園の生徒の素行を知っているからこその不安だったが。


「……色んな意味で大丈夫だろうか」
「任せておけ、わしがさり気なく見ておく」


――こういう時の嫌な予感というのは、大概当たるものだ。


大人の姿に衣装替えをしたクリスタは何時ものようにゴーストたちと共に郵便の配達を行っていた。
クリスタの姿が変わっていることには、ゴーストも不思議な魔法もあるものだと受け入れて、さほど気にも留めていない。
なにせ、ゴーストである自分達が普通にこの世界で働いていることや、あの世でゴーストにも家族が新たにできるような不思議な経験をしているせいか、感覚がマヒしているのだ。
しかし、彼らも何となく嫌な予感を察知したのか、クリスタへの指定はポムフィオーレ寮とイグニハイド寮だった。

「イグニハイド寮は良く、頑張って偉いねってお菓子くれたりするからいい所よね」

それが幼女に対する餌付けのようなものだとはクリスタも露知らず、子供に親切をされるような気持ちで彼女は受け取っていた。

メインストリートを抜けて鏡舎へと小走りをしていた彼女に視線が幾つか向けられていた。
大人の彼女の姿というのは、シルバー達が危惧していたように、やはり目立つのだ。更には普段の無邪気に知り合いに声をかけるような性格も変わっていない。
クリスタは丁度メインストリートで見かけた知り合いに「こんにちは」と何時ものようににこやかに挨拶をする。
しかし、彼からすれば、見慣れないメイド服を着た使用人らしき女性に突然声をかけられてぎょっとしているような状況だ。
声をかけられた生徒は、三年生でハーツラビュル寮の副寮長のトレイ・クローバー。リリアと同級生で、クラスメイトの青年だ。


「あれ、何処かで会ったことありましたっけ……俺たちの寮以外を担当されてる人ですか」
「えぇ、そんな感じです!ふふ、ちなみに直接話すのは初めてですよ、トレイ君」
「驚いた。俺の名前を知ってるんですか」
「なにせハーツラビュル寮の副寮長ですからね」


初めてどころか、リリアと同じクラスのトレイとは何度も顔を合わせて会話をしているが、そんなトレイにも気づかれていないことにクリスタは心の中でぐっと拳を握って喜ぶ。
行き先を尋ねるトレイに、まずはポムフィオーレ寮へ行くつもりだと伝えると、ポムフィオーレ寮のメイドだと勘違いされたのか、何故か彼はあそこの寮の人だったのかと納得してしまう。


「今日は一般客も結構来るみたいだし、生徒も授業はないので、何かあったらそこら辺の生徒にでも言ってください」
「ありがとう、トレイ君。今日は大変かと思うけど頑張ってね」
「はは、ありがとうございます」


礼を述べながらも、トレイはクリスタの横顔をもう一度見て首を傾げる。やはり初めて会ったような気はしない、と。
その様子を少し離れた所で密やかに見守っていたリリアはくすくすと笑いながら「トレイのやつ、クリスタにどうやら気付かんかったようじゃな」と呟く。
案外バレていないようだし、今日の配達先の寮は安心出来る所だと思ったのだが。
リリアは、視界の端に映ったサバナクローの生徒たちに目を細めた。

トレイと別れた後、化粧をしているとはいえポムフィオーレ寮の人に見えるだろうかとクリスタは建物の窓ガラスに映る自分を眺める。

(ディアソムニア寮なんだけど、威厳が足りないのかしら)

これでも一応、茨の谷では立場的には威厳があった方なのだが。ここに来て子供のふりが板につきすぎてしまったのかもしれないとクリスタは溜息を吐く。
足を止めていたクリスタの姿に、後ろから彼女を追いかけるように歩いていたひそひそと囁くサバナクローの寮の生徒は「あの耳、フェネックか?」と囁く。
白狐の妖精に馴染みがないのも当然だろう。青年たちは薔薇の色香漂う女性に、声をかける。


「お姉さん外から来た人じゃなくて、この学園の人?すっげー綺麗ッスね〜」
「?ええ、学園内で働いてるのよ。今からポムフィオーレ寮に行く所だけど」
「俺たち今困ってるんですど、助けて貰えませんか?」
「ははは、そうそう俺たち今困ってるんスよ〜」


流石に、その言葉がナンパの類なものであることは解っている。
しかし、彼らが子供のような年齢に見えるクリスタとしてはまさか彼らが世間的には熟女と呼べてしまうような者に声をかけたとは思っていないのだろうと微笑ましくもなる。
さてどうやって年の功でかわそうか。
そんなことを考えているうちに近付いて来るサバナクロー生に、見かねて飛び出してきたのはその状況を遠くから見守っていたリリアだった。


「困ってるんじゃったらわしが助けてやろうか?ディアソムニア寮の副寮長として、先輩であるわしが助けられることがあるかもしれんぞ」
「っ、リリア!?」
「リリア・ヴァンルージュ!?」
「この間二年生の先輩が吹っ飛ばされたとか、そんな噂が……」
「まさか。こんな弱々しそうな顔しといて、それはないだろ。ガセだぜ、ガセ」
「ナンパをしていたようじゃが……困らせていることに気付けんとはな。押し引きを間違えるとモテんぞ、くふふ」
「この……!」


リリアの煽るような言葉に、クリスタはリリアの悪い癖が出たと思いながらも、来てくれたことへの嬉しさや安堵に表情が緩まる。
好きな人にこうして助けられるというのは、たとえ何歳になっても心がときめくものだった。
拳を固めて今にも殴りそうなサバナクロー生に、喧嘩を吹っ掛ける相手が悪すぎると苦い笑みを零す。
この人が、セベクやシルバーを始めとして、数々の男を育ててきた人だと知らないのだ。
すっとリリアも目を細めて、言葉に棘を含ませる。「おぬしら、声をかける相手が悪かったな」と。

それからは驚くほどあっという間だった。
気の毒になる位、目にもとまらぬ速さで叩きのめされて地面に転がる彼らをクリスタは「あらら」と見下ろす。
まだこの道に一般客が居なくてよかったね、と言いたくなるほどに、手も足も出ずに舐めていた小柄なリリアに喧嘩で負かされたのだ。


「わしを可愛いからと見くびったなこやつら?見た目で判断するとは」
「ど、どうなって……見えないうちにオレたち……?」
「ふふっ、流石リリア」
「一瞬過ぎて稽古にもならんかったな」


身体が痛いと呻く彼らに、相手の力量を誤るとこうなるのだと悪戯に笑いながらリリアはクリスタの手を引く。
誰かに見られないような建物の裏側まで走り、一息ついたところでリリアを見下ろす。
幼く見えるような顔つきだけれど、その心は何処までも広く、そして男らしく頼りになる人だった。
それが"私"という妖精が。個人が。好きになった相手。

頬をパンと叩くと、クリスタの姿は大人の姿から、元の幼い少女の姿へと戻る。
大きくなった時のサイズに合わせていたメイド服の裾は地面につき、袖も少し余る。
しかし、リリアとの目線は今日だけは少し上からだったのだが、何時もと同じように下から見上げる形に戻る。


「わしらの心配していた通りになったな。普段はともかく、その格好はちと……欲に飢えた男子学生には刺激が強い位に魅力的じゃからな」
「そんなに褒められるなんて、照れちゃうな。ありがとう、リリア。凄く格好良かった」
「ふふ、惚れ直したか?」
「……うん」


何度だって、この人が好きだと思えるこの感情が愛というもので。
そして、ずっと一緒に居たいと思うようになることで契りを交わすのが、婚約。
頬を通っと撫でてくる手に導かれるままに、顔を近づけて。そして、唇を重ね合わせる。
恋人が愛情表現の一つとして行う、キスという行為。
何時も何時も、この行為は胸が不思議と満たされていくような感覚を覚える。


「リリアが、大好き」
「おや。……くふふ、照れるではないか」


目を丸くしたリリアが珍しく照れたような表情を見せたことに、クリスタの目尻が下がる。
長い生涯の中で、誰かを愛してしまえば、何時か先に居なくなる悲しみを覚えることを無意識に畏れていた。
しかし、彼が人を愛することを教えてくれた。長い長い時を、一緒に生きてくれた。

――この人と、やっぱりずっと一緒に居たいのだと。
気付くには十分過ぎたのだ。
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