ローザ・ファミリア
- ナノ -
狐が恋を知るまで100年あまり。
そして、添い遂げる契りを交わす愛の意味を知るまで200年あまり。
それだけの長い月日を、一人の男と共に過ごしてきた。
それでも、相手に対して自然と出てくるのは「大好き」という言葉。
飽きることも、尽きることのない想い自体が、既に相手への契りになっていたことを互いに理解している。

しかし、だからこそ告げる必要があるのだと。
リリアも。そして漸くクリスタも。
気付いたのだ。


朝から緊張し過ぎるがあまり、クリスタの目が覚めた時間はまだ外も薄暗かった。
何時だって過去を思い返せば、気持ちを伝えてくれていたのはリリアからだった。
好きだと言ってくれた時も。一緒に暮らそうと言ってくれた時も。そして、200年前のプロポーズの時も。
しかし、待っていてくれたからこそ――クリスタは今度こそは自分で伝えようと考えていた。

明朝から身支度を整えたクリスタはこの時間は誰も居ないだろうディアソムニア寮の談話室に足を運ぶ。
しかし、ソファに座っているらしい見覚えのある後姿に、反射的に口元がぴくりと引きつる。
立派な二本の角は、彼しか居ない。
マレウス・ドラコニア。彼もまた、足音に気付いて振り返り、クリスタの姿を確認して微笑んだ。


「マレウス……は、早いね?」
「クリスタこそ、何時もは夜更かしが多いというのに珍しいな」
「ちょっと、今日は気合が入ってて」
「ふむ……?」


言葉を濁して答えたクリスタの何時もと違う様子に、マレウスは思案をする。
遂に、リリアが彼女に告白でもしたのだろうか。もしもそうだったら、リリアなら言ってきそうな気もするのだが。
理由は分からないが、クリスタも何か変化をしようとしているのだろうか。


「……クリスタは、種族的にこれまでも、そしてこれからも他者の幸福を祈るだろう」
「え?そ、そうだけど……」
「だが。クリスタ自身の幸せを願うものが多いことは忘れないように。……勿論、僕もその一人だ」
「うん。……ありがとう、マレウス」


――きっと、マレウスは何かを感じとっていたのだろう。
優しい、茨の谷の次期王。
クリスタはマレウスの頭をそっと撫でて、自分を諭すまでに頼もしくなった彼に感謝の気持ちを伝えるのだった。

自分達だけのことを考えて欲しいと言われそうではあるが、先ずクリスタの中で気にしなければいけない人が居た。
胸を張れる訳では無いが、親として接してきたシルバーのことを考えてしまう。
リリアに伝える前に、そしてマレウスに伝える前に言うべきは、シルバーだろう。

クリスタは放課後、学園から寮に帰る前のシルバーを見付けて手を振った。
彼の周囲に人が居ないことを確認して、同僚のゴーストも不在のメール室へと彼を案内する。
何も知らない人から見れば、少女に何かをせがまれてシルバーがお兄さんとして付き合っているように見えるだろう。


「どうされたんですか、クリスタ様」
「大事な家族会議というか、事前の相談なんだけどね」
「?家族会議……?」


クリスタが口にしたワードに、シルバーは重要な内容なのだと察して背筋を伸ばす。
しかし、家族会議にしては自分の父であるリリアがこの場に不在であることが気になる。一体どんな話をされるのかと考えてみても検討は付かないし、クリスタの耳やしっぽもどこか落ち着かない様子だった。
彼女は緊張した面持ちで息を大きく吐くと、身構えているシルバーに、遂に打ち明けた。


「リリアに、プロポーズしてみようと思って。シルバー、に言っておかないと思ってね」
「……」


──親父殿に、プロポーズ。
その言葉に二重、三重の驚きが押し寄せてきて、シルバーは言葉を咄嗟に返せなかった。
先ずは母上と慕っている彼女が親父殿にプロポーズを申し込むという状況に思考がエラーになった。そして、事実婚のような状況だが、正式には二人が籍を入れている訳では無いことを思い出す。
二つ目はリリアからではなく、それをクリスタからしようとしていることだ。人間の心に昔は特に疎かったらしい彼女が、だ。
三つ目はもうあまりに長い期間、二人の関係は現状のまま落ち着いていたというのに、今このタイミングで何故思い立ったかということに対してだ。
恐らくは先日のゴーストの花嫁による求婚騒ぎが関係しているのかもしれないが。

驚いて瞬いているらしいシルバーに、クリスタはおろおろと戸惑うようにその場をうろうろする。
驚かせただろうし、リリアの息子として育って来ている彼にとっては困惑する話だろうと想像は容易かった。


「ご、ごめんね、シルバー。驚かせたよね……嫌だとか、複雑な気分だとか本音を言っていいからね」
「い、いえ……クリスタ様はお姉さんに見られたいと仰っていましたが、元々俺としては母だと思っていたので、正直あまりそこは変わらないというのが本音です」
「えっ……そ、そうなの?」
「えぇ、俺にとってはこのままでもそう思い続けていたことでしょう。驚いているのは……その、親父殿と長い間この関係だったからこそ、どういう心境の変化があったのかと」


シルバーの問は尤もだろう。クリスタは200年ほど前にリリアにプロポーズをされたものの、結婚という意味を理解していなかったから答えることが当時出来なかった事実を語ると、シルバーは初耳の事実に再び驚く。
自分を拾ってもらうはるか昔から、リリアは一生を添い遂げようとクリスタに提案していたのた。
そのことに安心すると同時に、リリアがクリスタを想って、クリスタがその意味を知るまで待つことを決めたのだと理解する。

(お二人は、この先もずっと一緒に生きて行くつもりだった。俺がもしも居なくなったとしても……お二人は、孤独にならない)

シルバーの中に湧き上がってくるのはやはり、喜びと安堵だった。長い時を生きる二人は、何時だって大切な人や友人達において逝かれる。見送り続ける者なのだ。

「安心しました。本当に良かったです。……お二人が同じ時を生きる相手が居て、……」

──俺が居なくなった後も、安心しました。
そんな言葉が浮かびかけたが、シルバーはその本音は飲み込んで微笑む。

しかしシルバーが言葉を呑み込んだ理由を察したクリスタは、思う。
なんて優しい子なのだろうと。
彼はきっと、自分を育ててくれた人たちのその後――恐らくは、シルバーが居なくなってしまった後のことを考えてくれたのだろう。
人の命も、そして他の妖精の命さえも、リリアとクリスタにとっては望んでいる事ではなくても短い。
葬送を繰り返し、追憶するしか出来なくなる。その儚さと虚しさと、尊さを知っているからこそ、人と関わり続ける。

「……ありがとう、シルバー」

そっと重ねられた手の温かさに、クリスタは破顔する。
自分にとっては17年という時は短い年月だが、小さかった手がこんなにも大きくなった成長は、やはり尊いものだ。

「クリスタ様には幸せになって頂きたいですから」

シルバーは願う。
何時も誰かの幸せを願ってきた貴方に幸がありますように、と。
幸福を司る狐が、幸福を願われることがあってもいいだろう。


――まさか、クリスタの方からプロポーズを計画しているとも知らず。
夕食後に自室で休息をしているリリアの元を、クリスタは緊張した面持ちで訪ねて、とんとんと扉を叩く。
手に握られている一本の赤い薔薇は、花屋で売っているものよりも茎は少し曲がっていて少々不格好なものだ。

(それでも……この花が、一番いいから)

それは、リリアから自分の誕生日プレゼントとしてもらった薔薇の苗から育てたものだった。
ガーデニングで育てている薔薇の中でも、一番綺麗で曲がっていないものを選んだのだが、花屋で売っているものと比べてしまうと家で育てたものだと一目瞭然だろう。
トントンという控えめな扉の音に気が付いたリリアは扉を開き、クリスタの姿を確認すると無邪気に笑った。


「今日は校舎内では会わんかったな、クリスタ。どうした?」
「ちょっと、リリアに大事な話があって」
「……ふむ?」


意味深な口ぶりに疑問を覚えながらも、リリアはクリスタを部屋に通す。
リリアの部屋は、世界の各地で集めた雑貨や楽器が乱雑に置かれており、壁にはペナントが飾られている個性豊かな一人部屋だ。
なんて、話題を切り出そう。
何時ものように誤魔化すような話題を出してしまうと、本題に入るのが怖くなりそうだった。


「どうしたんじゃ、クリスタ」
「……ねぇ、リリア。ずっと前に、言ってくれたことをね。最近改めて考え直したの」
「……!」


セベクから貰った情報と結び付けて、結婚の意味をクリスタが改めて考えていることだろうかと気付いたリリアは反応する。
深呼吸をしたクリスタは、真っ直ぐ、リリアを見上げる。
沢山考えたし、調べたし、人からも聞いた。

その上で出てきた答えは――私は、リリアのことが好きで。そして、一緒に居続けたいということだ。


「この先も、リリアと居たいから……リリア、結婚してください」


ラッピングされた一本の薔薇を差し出しながら気恥ずかしそうにプロポーズをしたクリスタの愛の言葉に。
リリアは無意識のうちに口元を手で隠し、頬を赤らめていた。
真剣に照れる経験というのは、一体何時ぶりだろうか。
何時の間にか余裕ばかりが出来て、青臭いような自分の感情を露にする経験というのはめっきりなくなってしまっていた。

結婚というものを理解していなかったために、戸惑っていたようなクリスタが。
頬を朱色に染めて、契りを交わそうと伝えてくれたのだ。
彼女が愛の誓いと共にくれた薔薇の花は、かつて自分が彼女にあげた薔薇の苗から育てたものだろう。
こんなにも嬉しいことがあるだろうか。
――しかし、唯一の不満があるとするのなら。


「めっちゃ嬉しいんじゃが……その、わしから言いたかったんじゃよな」
「えっ」
「クリスタにどんなタイミングでもう一回言うか、考えてた所だったんじゃが……まさか先を越されるとは……」


男としては格好がつかないと、リリアは頭を押さえる。
素で落ち込んでいるらしい様子に、クリスタの耳はぺたりと垂れる。


「ごめん……その、前にリリアが言ってくれたことの意味をやっと分かったから」
「ふふ、悪気が無いのは解っている。だからこそ……わしからももう一度言おうか」


クリスタの身体を抱き上げて、そして柔らかな布団の上に彼女を乗せる。
そして指先を手に取ると、口付ける。


「クリスタ、卒業したら結婚しよう」


綻ぶような笑顔を見せて頷いたクリスタに、リリアも少年のように嬉しそうに笑って。
そして、何度も何度も角度を変えて口付ける。誓うように、何度も。
矢継ぎ早に口付けられ、息のあがった彼女は、少年から男性の表情に変わったリリアを見上げて視線を逸らす。


「……シルバーの教育に悪い」
「それには同意じゃな」


もう一度笑ったリリアの顔は、また少年のようだった。
晴れていた筈の外からはサーッと、雨が降る音が聞こえる。
狐の嫁入りを祝福するように、星が綺麗な空を雨が一瞬彩り、そして再び晴れるのだった。


――翌日のリリアの部屋では、深夜まで電気がついて騒がしかった。
しかし、そこに居たのはクリスタとリリアの二人ではなく。
クリスタ、リリア、そしてシルバーの姿があった。
それぞれがパジャマを着た状態で、シルバーが作ったリゾットを食べながら、夜な夜なパーティゲームをテレビゲームで楽しんでいた。

この二次会が行われる直前まで、談話室では報告を受けたマレウスとセベクも加えての祝いのパーティが開かれていたのだ。
「おめでとうございます、リリア様!!!クリスタ様!!!」と泣いて喜ぶセベクにトマトジュースを注いでもらいながら乾杯をして。
マレウスには「流石の僕でも、二人には待ちくたびれたぞ」と祝福をされた。
子どもたちに祝福される幸福噛みしめながら――家族でパーティゲームを楽しんでいたのだが。


「あぁ!ちょっとリリア、ミニゲームで私を最初に落としてこないでよ!?」
「クリスタが一番リードしてるから真っ先に潰すに決まってるじゃろ!」
「大人気ないですよ、親父殿……レーシングゲームでさっき負けたからって」
「初心者マークの子を助けるプレイはどこ行ったの!こんなのヒールよヒール!」
「クリスタは初心者どころじゃないからのう」


容赦のない戦いが画面越しに繰り広げられていた。
子どものようにゲームではしゃぐ二人は、結婚することを決めたと言っても何時もと変わらない。
肩を竦めるシルバーだが、二人が変わらないことに、ひどく安堵していた。


「二人は、変わりませんね」
「……」
「……ふふっ」
「そうじゃな。変わるのは卒業後に名前だけじゃな。それ以外はシルバーの知ってるわしらじゃよ。家族ということに、変わらないからな」


ベッドサイドに飾られた花瓶に挿してある一本の薔薇に視線を移しながら、リリアは微笑む。
ほんの少しだけ、家族の形が変わったかもしれないけれど。これまで通り、大切なものは変わらない。
祝福を受けて、二人の妖精は視点を変えて新たな幸福に気付くのだった。
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