ローザ・ファミリア
- ナノ -
雨に濡れた紫陽花がピンクや青、紫等の色に染まるジューンブライドの季節。
リリアはマレウスに宣言したものの、もう彼女とのこの関係に慣れて200年も経ってしまっている彼女に一体どう再度アプローチをするべきか、具体的な方法は何一つ思い浮かんでいなかった。
彼女が結婚をするという意味が解ったら再度――と思っていたが、今も分かっているかどうかが怪しい。

真昼の時間帯なのにも拘わらず、見知らぬゴーストと会話をする生徒達が多く見られる。
一体どうしたんだろうかと疑問に思いつつ、同僚のゴーストに頼まれた郵便配達コースを歩いていたクリスタだったが。
角を曲がり、中庭が見える廊下に出た途端に「お前!」と呼び止められる。
そんな風に呼ばれるのも何だか久々だと思いながら顔を上げると、険しい顔をした白い服装のゴーストが詰め寄って来る。


「ここは姫が通る花道になるぞ!今すぐ退くんだ!」
「えぇ?お手紙運ばなくちゃ、流石に怒られちゃう。それからこの後は」
「ええい、言い訳は結構!出て行け!」
「えー」


随分とぞんざいな扱いをされたことに頬を膨らませる。
本校舎は白い服を着たゴーストに占拠されているようで、クリスタは面倒に巻き込まれないようにとそそくさと本校舎を出て、メインストリートへと逃げた。
この手紙を運ばないと明日、配達量が二倍になるのは勘弁だと顔を顰めつつ、とぼとぼミステリーショップに向かって歩いていたクリスタの背に声がかかった。
振り返ると、随分と焦っているらしい学園長が居て、クリスタはひらひらと手を振る。
何人かの生徒が彼の後ろに居て、彼らも校舎から逃げてきた生徒のようだった。


「学園長さん。私、お仕事中に追い出されちゃったんですけど、この騒ぎは何でしょう?」
「ジューンブライドの時期にやって来るゴーストの花嫁が遂に運命の相手を見つけてしまったようで……結婚式を開くと言っているのですよ」
「ゴーストの花嫁が……結婚?えーっと、亡くなっているのに?」
「えぇ、そうですクリスタさん」
「……結婚、ですか……」


学園長の言葉を噛みしめながら、クリスタは手紙の入った鞄のストラップをぎゅっと握りしめる。
そういえば。
そんなことを、かつてリリアに。
クリスタの脳裏に浮かんで来る記憶は、クリスタの胸にぽつりと雫を垂らす。
永い時を生きている自分達はお互いのことが好きで。特別な好意を理解はしたけれど、結婚をするという意味が未だに理解しきれているとは言えなかった。

そのゴーストの花嫁に花婿として選ばれてしまったイデアを救うために、彼女に求婚をする生徒達を集めているらしく。
それが学園長の後ろに居る人達なのだと解ったと同時に、リリアの姿もそこにあったことに目を丸くする。

(!?リリアも求婚するの!?)


「おっ、クリスタも逃げてきたのか」
「はっ、まさか仕事をゴーストどもに邪魔をされたのでは……!?くっ、ゴーストどもめ……!」
「あぁ、マレウスんとこの無邪気な白狐のガキか」
「レオナ先輩、子供相手に……」


マレウス以外の寮長や副寮長だけではなく、知り合いでもあるケイト・ダイヤモンドやセベク達の姿もあって、クリスタは手を振る。
レオナに吼えそうなセベクをリリアに宥めてもらいながら、花婿計画の話に参加させてもらっていたのだが。
聞けば聞くほど、ゴーストの花嫁が何故結婚をしたいのかという理由が分からなくなる。
――”結婚という行為”が目的?”好きになる人がそういう特徴だった、のではなくてそういう特徴の人を好きになる”?結婚と好意の因果関係が、クリスタの中で複雑になっていく。

花嫁が条件として求める項目は幾つかあるようだが、身長180センチを超えているという項目だけは明確になっているらしい。
一国の王になるマレウスに求婚はさせられないという理由でセベクが来たことに、クリスタとリリアは保護者目線で応援をしていたのだが。
実に見事なフラれっぷりと言わざるを得ない程に、セベクも含めて高身長組はフラれて、手酷いビンタを頬に食らい、全員動けなくなっていた。
その映像をミステリーショップの前で眺めながら笑っていたのは、高身長組として呼ばれなかった彼らの後輩達や仲間たちだ。


「ぷぷ、面白いフラれ方したな〜!」
「確かに、ふふ……トレイの歌は少し面白かったな」
「ふむ。ならば今度はわしも行こうかの」
「!?りっ、リリア……さま、も!?」
「うむ。師として弟子の粗相の始末もしなければな。茨の谷の者が舐められるのも楽しくないじゃろ?」
「それは……そうだけど」
「リリアちゃんカッコイイ〜」
「で、でもそれって、それって……」


クリスタは言い淀む。つまり、嘘とはいえ、リリアが花嫁に求婚をするということだ。
リリアとしては師として弟子の尻拭いと。それからクリスタにこれを機に結婚とは何故するのか、どういう意味を持つのかを知ってもらう絶好の機会だと踏んで名乗りを上げたのだが。
彼の予想を超えて、クリスタの心はかつてないほどにざわついていたのだ。

第二陣として大食堂へ向かったデュース、ケイト、アズール、それからリリアをひっそりと追い掛けて覗きに行ったクリスタは、はらはらとしながらその様子を見守る。
――もしも、嘘だとしてもリリアの求婚が上手くいってしまったら?

(リリアの隣に……誰か、別の女の人が居る未来……?)

そんなの。そんなのって。
しかし、リリアが可愛すぎるという理由でバチンと頬が叩かれる音がして、リリアが床に倒れる。
「あ」と声が出たと同時に、ほっとしている自分が居ることに気付いて、耳をぺたりと垂らす。
まるでこれでは"リリアの不幸を願っている"ようではないかと。

「……私は、幸運を司るホワイトフォックスの、筈なのに……」

結婚とは何か、それを知りたかっただけの筈なのに。
なんて罰当たりなことを考えているんだろうかと、尻尾もくたりと垂れ下がる。

しかし、当然ながらそれがリリアにとっての不幸である訳では無かったことに本人は気づかない。
理想通りの人では無いはずのイデアへ夢見がちな理想を押し付けて、本人そのものを全く見ていないことを鋭く指摘するリリアの声が、大食堂に響き、しんと静まり返る。
――遠くばかり見ては探し物も見つかるまい。と。


「大切なものとは、近くにこそあるものじゃ。そう、近くにな……」


リリアは噛みしめるように、その言葉を口にする。
近くにあるからこそ、時に見えなくなる。
大事にするからこそ、伝えられていない思いがある。
それをリリア・ヴァンルージュという男は常々実感していた。


「リリア様……」
「ふふ、口が滑り過ぎたな。わしも見えなくなっているものがあることに漸く向き合い始めたというのに」


──近くにある大切なものに気付いた後に、どうするか。それこそが大事なのだろう。
一方、クリスタはリリアがフラれた事に安堵している自分に落ち込みながら、その場を離れて校舎を出て行き、風の魔法で月夜が照らす敷地内を駆ける。
ディアソムニア寮へそのまま真っ直ぐと帰った落ち込むクリスタを迎えたのは、マレウスと、マレウスの警護に今日は一人で付いていたシルバーだった。


「クリスタ様、どうしたんですか?耳が……」
「うう、シルバーに顔向け出来ないだめ狐なのよ……」
「!?ほ、本当にどうされたんですか!?まさか花嫁やゴーストに何か嫌なことをされましたか?」


慌てるシルバーに、違うのごめんねと謝りながら明らかに落ち込んでいるらしいクリスタの様子に、シルバーは困惑した様子でマレウスに視線を送る。
彼女が自分をだめ狐とネガティブに話しながら落ち込む姿は何らかの異常事態であることはシルバーだけではなく、長い付き合いのマレウスにも分かっていた。
シルバーに会話が聞こえないくらいの距離までマレウスの元に近付き、クリスタは大きなため息を吐いた。


「面白そうでついて行ったのではないのか?」
「マレウス……私、この何百年でこんなに白狐失格って思ったの初めてよ」
「何があった?花嫁への求婚を生徒達がしているのではなかったか?まさかクリスタも参加した訳でもあるまい」
「……参加したのはリリア。……好きな人とではなくて、運命を感じた初めて会う方に結婚したいってあれほどまでに思うのは、何でなのかしら」


もやもやと。
未だに黒い霧のような物がかかっているような感覚に、クリスタはくたりと垂れたままの自分の耳を押さえる。
何かしらこの気持ちは。これだけ長い時を生きているというのに、経験した事の無いような感情。
しかし、クリスタの言葉に漸く原因を察知したらしいマレウスはくつくつと喉を鳴らして笑い始めた。


「……ふふ、嫉妬したのか?」
「え……。……これが、嫉妬。他の人が隣にいて欲しくないって気持ち……」
「それは相手の不幸を願う気持ちではなく。相手と自分が共に幸せに在りたいと願う気持ちから来る物だろう。それは嫉妬でもあるが、裏返せば両者の幸福にも繋がることだ」


不幸を願う気持ちではなく。両者の幸福にも繋がる、嫉妬。
様々な別の感情が複雑に結びつくことに頭の中で絡まっていく。嫉妬したことは、悪いことではないのだろうか。
そんな疑問に対してマレウスはまた笑いながら言うのだ。
「それは僕ではなく、クリスタと……そうだな、リリアが決めることだろう」と。
prevnext