ローザ・ファミリア
- ナノ -
――貴方の幸福を祈りましょう。この国の幸福を祈りましょう。
多くの幸があらんことを。

サファイアの瞳に満天の星空を映して、天高く登る北極星に願う。
曇天が多い茨の谷でも、少し外れた場所からは空が良く見える。
茨の谷の外れの真っ暗な森の中では、度々燈篭が何百メートルも並ぶような翠に揺らめく焔が森を照らす。
子どもが迷ってしまわないように、目印となるように。
その現象をとある地域ではこういうそうだ。狐の嫁入り、と。


──ナイトレイブンカレッジのメール室に届けられた手紙は、毎日山のように袋に詰められている。
学校関係のものや、生徒宛のものなど、多岐に渡る。
仕分け終わって、種類別に分類された手紙を先ずは学園の総務に渡しに行き、その次は先生に手渡していく。そして最後は各寮に届けに行く。
それがクリスタ・ルッカという少女のルーティンワークだ。

今日担当であったスカラビア寮に届けに行き、カリムに手土産を貰ってきたクリスタが最後に足を運んだのはディアソムニア寮だ。
時刻は夕方。しかし、ディアソムニア寮の周辺は曇天のような厚い雲がかかっていて、黄昏があまり綺麗に見えないことが欠点だ。
「郵便屋です」と名乗ってディアソムニア寮の談話室に足を踏み入れた手紙の入った鞄を提げた小柄な少女が、寮長の姿を探していた。

白い毛並みが目を引く耳と、ふさふさの尻尾。そして白銀の髪は彼女がホワイトフォックスである象徴だ。
獣人族の生徒が多く所属するサバナクロー寮でもなかなかお目にかかれない種族であるのは当然というものだろう。
狐は狐でも、妖狐ともなると全く別物になる。長生きをする狐は、妖精になるのだ。

少女はソファに腰掛けて読書をするマレウス・ドラコニアを見付けて、仰々しくメイドのような丁寧な所作で頭を下げ、手紙を取り出す。


「こんばんは、マレウス様。お手紙をお届けに参りました」
「……クリスタ」
「どうなさいましたか?」
「……、他の寮生も居ないのだから取り繕う必要もないだろう。というよりも普段はあまり気にせず僕に声をかけるというのに、相変わらずリリアと並んで悪戯好きだ」
「ふふ!人生には驚きが無いとつまらないでしょうマレウス!」


表情をころりと変えて鈴を鳴らすように笑うクリスタの態度を、もし事情を知らない茨の谷以外の出身のディアソムニア寮生が見ていたら血の気が引いていたことだろう。
なんて命知らずで無礼なことをしているのだと。

しかし、マレウスにとってはもうクリスタとのやり取りも慣れきっている。それこそ自分が幼少期の頃から、ずっと。
彼女のこういう所はずっとずっと――何百年も変わることは無いのだ。だが、自分が出会う前の彼女がどういう人物像であるかを知っている者はもう限られているだろう。祖母である長と、彼女と永い付き合いとなっているリリア・ヴァンルージュのみだ。

意気揚々と「ディアソムニア寮に戻ってきたなら給仕係の服にした方がいいかな」と自分の服装を気にしてははしゃぐ様子は実に子供のフリをするのが上手いというか、感性が若いというか。
同じ談話室で待機していたセベク・ジグボルトとシルバーはマレウスとクリスタの要件が終わったタイミングを見計らって駆け寄ってくる。


「クリスタ様、その手紙は僕が運びますのでもうお休みください!今日も学園内を走り回っていたのを目撃してこのセベク、卒倒いたしました……!」
「セベク、私にお仕事をするなって言うのね……!」
「そ、そんなことは……!しかし、クリスタ様のような方が校舎内を駆け回って人間のために手紙を運んだり給仕するなど」
「母上に何を言っても無駄だ、セベク。この学園生活を楽しんでいるらしいからな」


溜息を吐きながらセベクを諌めるシルバーが"母上"と呼ぶ相手は、シルバーよりも見た目は5歳くらいは若く見えるような少女だ。
クリスタがこの学園にやってきたのは二年前だ。三年前にリリアがマレウスと共に学園に入学したとこで家を不在にする為に、一年間、シルバーがこの学園に入学出来るまで待ったからだった。


「うう、シルバーが良い子に育って嬉しい……」
「未熟な身ですが……親父殿と母上のお陰ですよ」
「私というよりも、リリアの腕がいいの。ほら、リリアと違ってあまりあの家にずっとは居られなかったから」


肩を竦めて謝るクリスタに、シルバーは首を横に振る。
確かに常に家に居たリリアと異なり、クリスタは一週間に二回目、森の外れの家を訪れていた。それには事情があり、前線を退いたリリアとは異なり、城での仕事が忙しかったからであったからなのだと成長してから知ったことだ。

しかし、そもそも根本的な疑問がある。
何故二人は結婚していないのか?
その事についてはシルバーもセベクも、クリスタに問わないようにしている。何せ、同居もしていて殆ど事実婚のような関係だ。
遠い遠い昔からリリアとクリスタは行動を共にしていたし、リリアは『クリスタと永い時を生きていくつもりじゃ』と明言している。
だが、結婚はしていない。
二人の不思議な関係性には、問えないでいるのだ。


「料理だけはリリアよりも上手い自信があるけど。あとはレーシングゲーム!」
「……、そうですね。母上の料理は……親父殿よりは上手いです」
「クリスタ様のドライビングテクニックは流石と言わざるを得ないかと」


シルバーは目を逸らし、そしてセベクもマレウスも目を逸らす。
誰も彼女の料理について指摘が出来ないのだ。目上が故に、残酷な事実をはっきりと言うことが出来ないでいる。

お茶だけは普通に入れられるのだが、料理だけはどうも壊滅的だ。
マレウス曰く、最初の頃はケーキを作る際に卵を割って入れるのではなく、生地にそのまま卵を乗せて入れ込み、クリームを塗ってロウソクを立ててからオーブンに入れようとした程だ。
だから、シルバーは大雑把にでも自分で料理をする術を身に付けたのだが。

会話をしている所に、黒髪にピンクのメッシュが入った血のように真っ赤な瞳を持つ小柄な少年の風貌をした副寮長が談話室に入ってくる。


「なんじゃ、今日は早かったのうクリスタ」
「リリア、お帰り。今日はスカラビア寮とここしか回ってないから早かったのよ。ジャミル君のご飯、つまみ食いさせて貰ったけど美味しかったなあ」
「わしの時にはそんなこと言わんくせに、ジャミルの料理は素直に褒めるんじゃな」
「えーだってリリアの料理、食べれなくはないけど不味い部類だし」


この話題について、誰もが乗ってこないのはどっちに味方をしても気まずいからだ。リリアの料理は食べれなくはない、ではない。食べれない代物だ。先ずクリスタの味覚も相当だ。
そしてリリアに味方をしても彼が意気揚々と料理を振る舞うなんて言い出したら一日の体調がおかしくなる。


「そうそう、今日、スカラビア寮の一年生の子に『俺の妹より幼いのに学園で配達してるなんて偉いな』って褒められたのよ」
「くふふ、めっちゃ面白いな。クリスタ、ミドルスクール生にも見られてなかったのか」
「どの一年生ですかその無礼な人間は!!!」
「まあまあセベク。この姿をしてるのが悪いんだし。あ、皆と同じくらいか、それともお姉さんの姿が良かったらいつでもそっちにするけど」
「それはやめた方がいいじゃろ」
「えぇ、ここはあくまでも男子校ですし、刺激は少ない方がいいでしょう。それに幼い姿の方が楽ならその方が良いかと」


今の彼女の身長は150センチと少し。13、14歳ほどに見られたのだろう。だが、その姿で居るのは省エネで楽だから、というだけであって、本当なら170センチほどはある身体年齢20代の大人の女性の姿にもなれる。
しかし、その姿を知っているシルバーとリリアとしては、素行のあまり良くない生徒が居る中で余計なトラブルが起きる要素はなるべく無い方がいいという判断で、幼い姿で居ることを提案していた。

クリスタは他の生徒の配達に行って来るわと笑顔で手を振って談話室を後にし、焦ったセベクは追いかけて行く。


「学園生活を楽しんでいるのなら何よりだが、セベクの言うことも一理あると言えばあるな。誰か付き人を連れてもいいと思うが、昔から首を縦には振らない」
「わしが居るからいいと皆妥協してしもうたし。元は密猟から逃げて茨の谷の近くに来たことを知っているものもほとんど居なくなってしまったし」
「そうだったんですか。いや……母上は幸運を祀る白狐でしたね。悪用したがる者も多かったでしょう」
「嘆かわしい話だな。その性質が故に本人に不幸が降りかかりそうになっていたとは」


精霊に祝福されれば、その者や国は繁栄をするという言い伝えを信じて、人というのは神頼みをしたくなる者も数多く居る。
彼女はその為に茨の谷を訪れるまで危険と隣り合わせだったが、リリアとしての見解は彼女が不幸であることとは別に、クリスタ自身の思考もまた良くないと考えていた。


「……クリスタは、自分の幸福の受け取り方がわからんのじゃよ。しかし、人を幸せにしようとはする。シルバーも自覚はあるじゃろ?」
「……そうですね。母上……クリスタ様は、俺を喜ばせようと親父殿と何時も祝い事はパーティーを開いたりしてくれた。ただ、自分が祝われる時、本当に吃驚して戸惑っていた顔を俺はずっと覚えてます」
「シルバーがケーキを用意して飾り付けも頑張ってクリスタの誕生日を祝った日、驚いておったの。どうして私に?って」
「親父殿はクリスタ様に過去どんな誕生日祝いをしてきたのですか?」
「んー、色々してきたが、薔薇の苗を渡すのが定番だったな。クリスタはわしが薔薇が好きだから育てようと勘違いしとるが。わしも歳を重ねること自体にはもう感慨もないが、祝われたりプレゼントされるのは嬉しいから素直にクリスタも楽しめばいいいというのに」
「……母上らしい。親父殿と母上の関係も、……」


シルバーが何かを言いかけて言い淀んだその時。
廊下からクリスタを追いかけて行ったはずのセベクの卒倒するような大声が聞こえてきてシルバーは「一瞬見てきます」と頭を下げて、廊下を覗きに向かった。


「……何か言いたそうじゃったな」
「リリアとクリスタの関係で色々と思う所があるのだろう。シルバーは特に。血縁的にも戸籍的にも関係なくとも、母だと思っているからこそ」
「……クリスタが城務めしている間は両親が別居みたいな気持ちにしてるんじゃろうか?……プロポーズはしてみたんじゃがのう」


それは、シルバーにも言っていないこと。
およそ200年ほど前だろうか。さらりと提案してみたのだ。「結婚してみんか?」と。

しかし、彼女が妖精の中でも妖狐という種族が故の感性だろう。
300年あまりはそもそも自我や他者への個人的な感情に対して疎かった自然を司る妖精に近かったクリスタは、徐々に人や他の人型の妖精らしい感性をそこから学んで行った。
その辺からリリアと知り合ったのだが、自分という個人が誰かを好きだという特別な好意をそこから100年ほどかけて、彼女は知った。

──リリアが好き。でも、その……結婚って、なに?一緒に居るのとまた違うの?
好意こそは長い年月をかけて理解したのだが、結婚という意味をまだ理解することが出来なかったクリスタは困惑していた。
その様子に、リリアは笑って答えた。
「すまなかったな、クリスタ。それがどういうことか分かるようになってから、また改めて言おう」と。


「おや、よく思い返せば最後にプロポーズして200年は経ってるな。我ながらウケる」
「……僕がどうこう言うべきでは無いだろうが、もうそろそろ考えてみてもいいかもしれないのではないか?」
「『卒業したら結婚しよう』というやつか!学生の特権のそういうロマンチックなことが出来るのは今年か来年までか」


冗談めかすリリアにマレウスは飽きれたような反応を示すが、彼らが心配する真意をリリアも解っていた。
二人でいる時間があまりにも長過ぎた。だから、変化をするのなら、若い彼らの意見を参考にするべきなのだろう。心配して気を使ってくれる優しい子達に恵まれた。


「いや、ありがとうマレウス。わしらを心配しての気遣いじゃろ?優しい子よ。そろそろジューンブライドの季節だし、題してプロポーズ大作戦リターンズじゃな!」
「……リリア。僕の方が心配になってきたぞ」


200年越しの、プロポーズをもう一度。
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