circus
- ナノ -
「フロイド、アズール。これは非常にデリケートな問題です。至急対応に当たる必要があります」

ジェイドの真剣な表情に対して、呆れたような表情をする青年が二人。
緊急会議が、閉店後のモストロ・ラウンジで行われていた。
まるでVIPルームで新たな契約者を迎え入れて、言葉巧みに商談を進める時のような空気感だが、それはジェイドだけだ。

はいはい、と聞き流すようにジェイドの言葉を聞いていた。
どうして真剣にこの問題を考えてくれないのかとジェイドは逆に二人に対して呆れているようだったが。
オーバーブロッドを目の前にした時のような焦りをこんな問題に見せないで欲しいと、アズールは溜息を吐く。

「明日の授業に飛行術があるってだけじゃん」
「それが問題なんですよ」

飛行術――それは、箒に乗って空を飛ぶ授業。
ジェイドの運動神経は悪いわけではないが、そもそも海に暮らしていた人魚が地上にあがるのだって大変だというのに。
アズールやフロイドも飛行術は苦手としていたが、ジェイドはアズール程この教科を今までどうにかしようと思って来たことは無かった。
何せ、成績に興味がないのだから、魚に空を飛べという方が無茶な話だと開き直ってすらいた。

「アズールよりはマシですが、それでもエミルさんには見せたくありません」
「おい、ジェイドの飛行術のレベルも僕とそう変わらないからな」

――好きな人に格好悪い所はあまり見せたくはない。
そんな普通の感情だってジェイドにも働くことを、アズールは意外に思っていたが。
ジェイドの飛行術のレベルはバルガス先生にどうして飛べないのか理解できないと思われつつ補習を受けているアズールとそう変わらないことだけは主張しておきたい。

「そういや、ハマシギちゃんは空飛ぶの得意らしーよー?港町から山まで飛んでくことも多かったらしいから」
「エミルさんにとってはいとも容易くこなせる飛行術で無様を晒すのは僕としても不本意と言いますか。だからと言って得意になるまで努力するつもりも無いですけど」
「ジェイド、調子いい時じゃないと1mくらいしか浮かないもんね〜」

実に様々なことを人並み以上どころか易々と完璧にこなすように見えるジェイドだが、そんな彼にもこうして不得意な分野というものはある。
その一つが授業においては飛行術だ。
エミルと一緒の教室で同じ授業を受けるように仕向けたジェイドにとっては同じクラスで活動するというのは嬉しいことではあったが、飛行術だけが問題であることを失念していた。
調理の授業のように飛行術も選択制であれば良かったが、飛行術は必須科目だ。そうなると、当然体験入学という形で授業を受けているエミルも男女という枠組みは関係なく、飛行術の授業には参加するだろう。

「開き直ってエミルさんに教わればどうですか?」
「ジェイドが貸し作るのっておもしろ〜」
「……フロイドはともかく、アズールはもし好きな女性が目の前にいたら自分の飛行術を見てほしいと言えますか?」
「……」

成績をもらうためにはどんな努力も重ねる所のあるアズールだが、ゴーストの花嫁に告白をした時の様子からも分かるように、彼は基本的にはあまり人に無様を晒したくはないタイプだろう。それが好きな相手なら尚更。
痛いところを突かれて苦い顔をするアズールに、ジェイドは「そういうことですよ」と溜息を吐く。

「けど、ハマシギちゃんは逆に泳げねぇっつーか、泳ごうとしても水凍らせちゃうからそれは不得意分野じゃん」
「確かに、それはそうですが。……最大限、エミルさんが別の授業を受けたいと思うように誘導してみるしかなさそうですね」
「恋人に無様を晒したくないから恋人を言葉巧みに誘導しようとするってどうなんでしょうね」
「アハハ、ハマシギちゃんに通じるかは怪しいけどねー」

ジェイドといる時は普通の少女のような一面を覗かせることが多いエミルだが、それ以外の時──ミステリーショップに店を構えるミスター・リズベットとしての意識を崩さない時は、言葉巧みに誘導しようとしても難しいことは海の商人であるアズールもよく知っていた。
違うクラスであるアズールとフロイドとしては明日あるという飛行術が自分のクラスと合同の授業ではない以上、ジェイドがどんな様子を見せるのか気になるものだと心配するのではなく何処かで愉しむ心もあった。


ジェイドが真剣に飛行術の授業をどうしようか悩んでいるとは知らないエミルは、明日の授業に飛行術があることを知って、学園長からもらっていたオーバーオールを鞄に入れていた。

「……ここまで来たらそうだとは思ってたけど、運動着もオクタヴィネル寮のカラーだなんて……ジェイドの差金ですかこれ」

どこまで用意周到なのかと、朝の身支度を終えたエミルは朝に箒を取りに行く関係で、ジェイド達とは別行動で早めにオクタヴィネル寮を出ていた。
なるべく帰らないようにはしていたが、開店時間を迎えたミステリーショップの扉を開くと「いらっしゃい小鬼ちゃん!」とサムの明るい声が出迎えてくれる空気感に、ほっと落ち着く感覚を覚える。
サムは客人であるNRCの制服を着た生徒を出迎えようとしたのだが、見覚えのある顔に目を丸くして眩しい笑顔を見せる。

「おや、エミルじゃないか!制服を着ているのはやっぱり新鮮だ」
「ふふ、おはようございますサムさん。やっぱりサムさんの声を聞くと安心しますね。帰ってきたなーって感じがします」
「エミルにそう言われるとは」
「意外でした?名目はサムさんの所のアルバイトですけど、実際はそうではないですしね。でも、リズベットとしての仕事がない時間も好きなんですよ」

もうこのミステリーショップに居候をさせてもらって一年半以上になる。アルバイトではないとはいえ、手伝いもこなしている日々はエミルにとっても楽しくあった。
そこで、再度エミルは自分のやりたいことを認識する。
経験することができなかったハイスクールに通うという経験を出来ているのは楽しいし、男子校とはいえ縁を結んできたNRCだからこそそう思うことができるのだろう。
だが、それと同じ位に、やはり商売人としての環境がエミルは好きだった。

(やはり……私は自分のしてきたことを辞めて普通の道に戻る、ということはできませんね。それでも、経験できていなかった青春時代、というものを謳歌できているのは楽しいですし貴重な経験です)

「忘れ物かい?それとも何か入り用があっての買い物かい?」
「今日、飛行術の授業がありますので箒を取りに来たんです。私専用の箒がありまして」

白樺で作られた特注の箒。授業で使うというなら、他の生徒が使う箒を借りるわけにはいかない。
体質の事情を知っている学園長が魔法薬学でも話を通してくれている位だ。飛行術に関しても話はしてくれているはずだろう。
2階の居住スペースから箒を手にしたエミルは、朝一でそれを教師であるバルガスへ渡しに向かったのだ。

──今日の飛行術の授業は、昼食前の3限目。
特別この授業をエミルは楽しみにしていたというわけではないのだが、エミルが飛行術の授業に参加するのをどうしても拒みたい生徒は朝から悶々としていた。
一時的にフロイドが受けている授業に参加するだとか、そういった手筈が取れたら一番いいのだが。
何せ、恋人を口説くという意味ではエミルには効果がかなりあるが、騙そうとする・或いはこちらの企みに乗せようとするというのは非常に難しいのだ。

「エミルさん」
「なんでしょう?」
「確か、錬金術がエミルさんは得意でしたよね」
「えぇ、商品をいくつか錬金術で作っているくらいですし、得意ですよ。レシピを考えるのも楽しいですし。クルーウェル先生程ではありませんけどね」

フロイドのクラスでは、今日3限目に錬金術の授業が行われる。エミルの事情をフロイドは知っているし、ペアになって作業すれば他の生徒が寄り付くこともないだろう。
ジェイドとしては、エミルが3時限目だけは錬金術の授業に出てくれることになる流れが一番ベストだった。

「そういえば、学園長に頼み忘れてしまったのですが、運動着はありませんよね?それなら、飛行術の授業は見学か、一時的にフロイドの教室で別の授業を受けるのも……」
「運動着なら学園長が用意してくれたんですよ!私の大きさは流石にないのか、結構ロールアップして、腕まくりしないとダメですけど……」
「……」

──失敗。
普段は後手に回ることも多く、準備万全とはいえない所がある学園長だというのに、そこは抜かりなくやってしまったのかとジェイドは笑みを浮かべながら顔を引き攣らせそうになる。
1回目の説得は失敗。それならば次は。

「あぁでも、エミルさん、箒はないですよね?」
「私が地元にいた時から使っている白樺から作った特注の箒があるんですよ。それじゃないと私の冷気でダメになるのが早くって。朝にバルガス先生に預けてきました」
「……」

──失敗。
まさか箒を既に持参してきていたとは。しかも、今日の朝はミステリーショップに寄る用事があるからゆっくり来て欲しいと言われて一緒に登校しなかったが、箒を用意するためだったとは。
彼女の冷気を発する体質を考えると、学園が授業用においてある一般の箒では危ないかもしれないから授業に参加しないほうがいいというBプランも瞬時に消える。

「僕が心配しているのは……運動、とは言っても飛行術ですが。他の生徒に身体に触れられる可能性もあります」
「……それは……、非常に困るけど」

──初めて揺らいだエミルの言葉に、ジェイドは目を細める。
着替えは魔法で出来るとはいえ、手袋を絶対に外さないエミルに誰かが疑問を持って触れてきたら?そうやって、誘導することができる。
あとは、もうひと押し。困った彼女に手を伸ばして手招けばいいというのに。

「ジェイドがペアでやってくれるんでしょう?それなら、触られても問題ない、でしょ?」
「……」

エミルによって、いとも容易く論破される。
逃げ道をこんなにも綺麗に消してくれるものかと、ジェイドは凍り付く。
自分とペアでやれば、他の生徒が触れてくる可能性はなくなる。運動着も既に持っている。箒も持参している。
そう、錬金術が好きなら3時限目だけはフロイドの教室に行くように勧める材料がなくなったのだ。
しかし、エミルはジェイドがここまでやけに自分を気遣うような発言をする時、恋人といえども裏があるだろうと経験則から感じ取っていた。

「……ジェイドが飛行術が苦手なことは情報として知ってますよ。ジェイドだけじゃなくてアズールくんやフロイドくんも見たいですが、だから、見せたくないって気にしないでください」
「……やれやれ、お見通しでしたか。格好付けたくもなるのですが」

物憂げに溜息を吐いたジェイドは、肩を竦める。遂に、昨日から様々な策を考えてエミルを飛行術の授業に出させないという計画を諦めた瞬間だった。
アズールとフロイドからしたら、始めから諦めていればよかったのではないかという指摘をしたくもあるが。

3時限目の飛行術の前に、エミルは更衣室として提供してもらった部屋で、マジペンを一振りして運動着に着替える。
衣服をこうして覗かれたとしても支障無く着替えられるのは便利なものだ。
しかし、男子のSサイズとはいえ、ところどころがぶかぶかしてしまっているのは仕方がないだろう。ジェイドが手配を頼んでくれたと言う制服や寮服だけでもサイズがぴったりなだけでもありがたい話だ。
手まで隠れてしまう袖を何回も折り曲げて手首までになるように調整し、裾も同じように折り曲げる。なるべく素肌が見えないような長さに調整しているのは、ジェイドがペアだとしても触れられる危険を考慮してた。
そして冷気を抑えるための手袋は外さず、白樺の箒を手に、緑の芝生が広がるグラウンドへと出て行く。

生徒が手にしているが授業用のナチュラルウッドやブラウンウッドの箒の中で、エミルの白樺の箒は非常に良く目立った。

「へぇ、エミルは箒を持参しているのか」
「えぇ、地元から出てくる際に持ってきたもので、飛行術の授業にこうやって参加させてもらっている以上、持参はするべきかと思いまして」
「大変いい心がけだ。性別的に無理だとはしても、君がうちに通っていたら優秀な生徒だったんじゃないかと思ってやまないね」
「褒め過ぎですよ、リドルさん。ありがとうございます」

リドルの褒め言葉に、しれっと嘘を織り交ぜて話すエミルのしたたかさも相変わらずだ。
バルガス先生の合図と共に、生徒達は飛行訓練を始める。二年生ともなれば、一年間乗って来た経験があるからか、慣れた様子で箒にまたがる生徒も多い。
例外として、二年生になっても飛行術を苦手としたままの生徒もいるのだが。気乗りしない表情で参加しているジェイドの横で、エミルは箒に横向きに座って地面を蹴った。

「慣れた動作ですね……」

いとも簡単に、白い箒に跨って空中旋回をするエミルにリドルから「やるじゃないか」と称賛の声がかかる中、その様子を複雑な心境で眺めていたのは、エミルのペアになっているジェイドだった。
話には聞いていたが、マジフト部に所属するような生徒と変わらないような乗りこなしぶりは、箒に乗り慣れていることがわかる。

箒から降りてきたエミルは、ジェイドの横に戻ってきて、なんと声をかけようかとなやみながら頬を掻く。
何せ、身長が高いとはいえないエミルが横に立ってもあまり目線が変わらない位置にジェイドが居るのだから。
間違いなく箒は浮いている。しかし、低い。恐らくまっすぐ立った方が高い位置に目線があるだろうと言える程に。

「えっと、ジェイド。大丈夫です?」
「……魚に空を飛べと言う方が無理な話なんです」
「えぇ、まぁ、ひれで海を泳いでたのに二本足で立って走ったり出来るだけでも凄いことですよね……」
「ただ、そうですね。今日の記憶は抹消しておいてください。……覚えられていてもあまり楽しいことではありませんから」
「ジェイドにそんなことを言われる日が来るなんて」

だから見られたくなかったんですよ。と言いたげなジェイドに、笑ってはいけないと思いながらも気を緩めると笑いそうになる。
格好悪い所はなるべく好きな相手には見せたくないというのは、食えない人物だと思われがちなジェイド・リーチの17歳の思春期らしい一面だった。

――物憂げに溜息を吐いては疲れ切った様子のジェイドと教室に帰りながら、堪え切れなくなったのかエミルは飛行術の授業に参加しないように画策していたジェイドの言動を思い出しながらくすくすと笑った。

「ジェイド、苦手とは聞いてたけど……あんなに苦手とは……ふふっ」
「……、エミルさん?」
「いえ、誰しも得手不得手はありますから!寧ろ、何でも出来て涼しい顔でこなしてしまうジェイドに苦手なものがあるのは少し安心しますし。それに、私は上手く海中で動きが取れないからお相子でしょう」
「……そうですか」

少々納得しきれない所はあるけれど、お互いできないことがあるという共通点は、ジェイドにとって嬉しいことでもあった。
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