circus
- ナノ -
「またのご来店をお待ちしておりますね」

モストロ・ラウンジにきた客人を迎え入れて席に案内。そこからメニューを渡してオーダーを取る所から、それをキッチンに伝えて、料理を実際に持ってくる。
一連のその動きは普段客として来ているのもあってか、非常に手際よく覚えてこなしていた。
流石は普段から自分の店の主人として接客しているだけあると実感するほどに優秀だった。ミステリーショップ以外の場所で会うタイミングが限られる彼女に丁度いいチャンスだと話しかける生徒も上手くいなしている。
勿論、あまりにもその声掛けの度が過ぎているようなら声をかけて釘を刺すつもりではあったが。

「ふう……これで今日の営業は終了でしょうか?慣れてないことをすると少し疲れますね」
「お疲れ様でした、エミルさん。流石、慣れていらっしゃいますね。オススメのメニューの伝え方も客として日頃来ているからスムーズでしたし」
「私が好きな物を伝えてしまってるだけな気はしますけどね」
「確かに。ハマシギちゃんが勧めてた時の会話何回か聞きに行ったけどージェイドが考案した料理多かったなぁ」
「!」
「た、たまたまですよフロイド君」

ずっと横について彼女がオーダーを取っている所を聞いていた訳ではなかったから、その関連性に気づいていなかった分、フロイドの指摘は僕を驚かせた。
自分の考案したメニューに限らず、彼女は満遍なく殆どの料理を食べている。
誤魔化すような態度に、笑みが深くなる。

「ふふ、愛されているようで嬉しいですね」
「っ、たまたまって、言ってるのに……」

そう言いながら、視線を逸らすいじらしさ。
ジェイドの機嫌がすこぶる良いことに、フロイドもまた笑みを浮かべる。

(ジェイドの料理が美味しいのは、本当のことですし……)

モストロ・ラウンジのメニュー考案を、アズールだけではなくジェイドも担っている為か、この店で注文するとなると必然的にかなりの確率でジェイドの考案したメニューになるのだが。
エミルが客としてモストロ・ラウンジに来る時は、少々意識をしてジェイドが「新しいメニューを考えた」と言っていた料理を選んでいるのは事実だった。
勿論、本人にそのことは言わないようにしているものの、そのことはジェイドも把握しながらも下手に意識をされて、またモストロ・ラウンジに来ないと言われるのは避けるために口にしていなかった。

この店における一日の売り上げを数えるのはアズールの楽しみであり、彼は今日一日の売り上げを見て満面の笑顔を浮かべる。
特にキャンペーンや特別なイベントを開催した訳ではないのに何時もの1.5倍ほどあるのは、確実にエミルの話題があったからこそだろう。

「いやぁ、エミルさん助かりました!エミルさんが来ているという噂を聞きつけた生徒が多く来て、売り上げも上々です!」
「いえ、気付けば用意されていた寮服に見合う位の働きは出来て良かったです」
「確かに店員を呼ぶって言うより、ハマシギちゃんを指名で呼ぶオーダー多かったよねぇ。まぁ、ジェイドとかオレも無視して行ってたけど」
「下心が見えていましたから。見せた所で、無駄なんですけどね」
「ジェイドと付き合ってるって言ったら一発で小魚の群れも散ると思うんだよねー」
「それでは芸が無いというか楽しくないですし、エミルさんの店にも変に影響が出るかもしれませんしね」
「……貴方、本当に大変な所に手を出しましたね」

暗に『ジェイドと付き合うということが未だに信じられないし、正気ですか』と言わんばかりのアズールの言葉に、エミルは赤らむ頬を隠すように手で顔を覆う。
付き合ってはいるが、ジェイド・リーチという男に少々――大分、難があることをエミルは理解している。
その上で、同じく特殊な世界で生きている自由な渡り鳥の自分を。人の体温を持たない氷の魔女を。受け入れてくれたのは彼であった。
――しかし、他にも受け入れてくれる人がジェイドより先に居たのならその人に惹かれていたのかと問われると、それもまた違うことは自覚していた。
だからこそ、それを口にすることは好意をそれはもう素直に伝えることになるから、エミルは口にしないのだが。

「皆さん、夜ご飯はどうしてるんです?」
「まかないを休憩時間にとる生徒も居ますし、僕らのように今から取る者も居ます。モストロ・ラウンジで取ることも多いですよ」
「なるほど。夜まで食堂が開いているのを利用する方も居れば、自分で作る方もいるのはそういうことですね」
「折角ですから歓迎ということで今から用意しますよ。勿論、デザート付きで」
「!本当ですか!」
「えぇ、エミルさんは僕の料理を甚く気に入って下さっているようなので」
「……む、蒸し返すじゃないですか……」

ジェイドの用意していたデザートに反応を示して、隠しきれていない嬉しそうな様子に、アズールは営業時間中にジェイドが一瞬キッチンに来たのはこの為かと肩を竦めて呆れた。
まったく、何処までも彼女に対しても抜け目のない男だ、と。


エミルにとっては何時ものことではない賑やかな夕食を終えて、モストロ・ラウンジを三人と共に後にする。
もう一つ何時もとは異なるのは、海中が臨める通路を通って鏡舎に戻り、自宅へと戻らないことだろう。
全寮制の学生だからこその、友人と寮へ帰るという行為。オクタヴィネル寮に『帰って来る』という感覚は、ミステリーショップの二階に家を持つエミルにとっては不思議なものだった。
ミドルスクールを出た後はこうしてハイスクールに通うこともなく早々に商売の道に入った為、学友と普通に語らいながら学校に通うというのは縁遠くなってしまっていた。

(今から別のハイスクールに通いたいかと言われると……そういうわけではないのに。それでも初日の時点で一日楽しかったなと思うのは、ここで出来た縁だからこそでしょうね)

商売を辞めて学校に通い直したい訳ではない感情を再確認し、エミルはちらりと談笑する彼らに視線を横へと向ける。
ジェイドは別として、フロイドやアズールとも"友"と言える関係であるかどうかは怪しい所だ。何せ、エミルのこの学園での交友関係における大前提は"お客様であること"だ。

(……肩意地を張るように、彼らはお客様だと線引きしなくても、もういいのかもしれないですけどね)

「ハマシギちゃん、聞いてる?」
「え?ごめんなさい、何でしょう?」
「明日、一緒に登校しよー」
「えぇ、この機会だからこその楽しみですね。部屋に迎えに行きますので」

一瞬、オクタヴィネル寮のこの三人と並んで登校してしまうと親しいと思われて事情を知らない生徒達に警戒される種になるのではないかと思考を働かせかけたが。
――ジェイド、流石ですね。
違和感が無いようにオクタヴィネル寮の副寮長が体験入学をしに来たミステリーショップのアルバイトの子の面倒を見る、という話を学園長を通して公言しているんですから。

二週間使用するゲストルームに近付いてきた所で、エミルはジェイド達を振り返り、お礼を述べる。

「今日一日、授業やモストロラウンジでのアルバイトも成り行きとはいえ、ありがとうございました。また明日からもよろしくお願いします」
「授業に関してはジェイドが面倒を見るとは思いますが、モストロラウンジには毎日来て欲しい位ですけどね」
「検討している部活とかもありますし、毎日はちょっと……」
「えっ、どこどこ?ハマシギちゃんどこの部活に顔出すの?バスケ部?」
「山を愛する会に決まっていますよね」
「もはや部員一人で部活ですらなさそうじゃないですか」

どの部活に顔を出させてもらうかは検討中だと肩を竦めるエミルは行く予定の山を伝えてくるジェイドを制する。
山登りが嫌いな訳では無いが、ジェイドと二人きりで山登りを山菜を楽しみながら行うのは、何もやったことない訳では無い。
体験入学中だからこそ参加出来る部活や、そこに所属している生徒が店を把握してくれているかどうか。それによって猫を被らなくても済む場所がいいだろうとエミルはぼんやりと考えていた。
「それではまた明日」と言って立ち去っていくフロイドとアズールを見送って手を振っているエミルに、ジェイドは一歩近付いて聞き取りやすいように背を曲げて小声で挨拶をする。

「おやすみなさい、エミルさん。いい夢を。……僕がそちらの部屋に行ってもいいんですけどね?」
「〜っ、お、おやすみなさい!フロイド君も待ってるし、戻って下さい!」
「おや、残念です」

耳元で囁くように誘い文句を並べたジェイドに、エミルは首を横に振ってジェイドの背中をぐいぐいと押し返す。
一応、他の寮生には気付かれないようにしようとしているのが分からないジェイドではないからわざと以外の何ものでもないのだが――高鳴った鼓動はまるで期待をしているようだと顔を赤らめる。
くすりと笑いながらそれでは、と踵を返したジェイドを見送ったエミルは大きく息を吐いた。

「まだこの調子であと13日……」

一日がこんなに長いと思った日は、初めてだった。
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