circus
- ナノ -
2-Eの教室で紹介されて、一日の授業が始まる。
当然のように用意されていた階段状になっている講義を受ける為の席の中で一番上の、ジェイドの隣の席に座って、授業を受け始める。
教科書を開いて、ノートを開いて。黒板や教師の言葉を書きとってメモしていくという授業を受けるのは実に一年半ぶり位になるだろうか。
チョークで書かれていくカツカツという音が懐かしい。
横をちらりと覗くと、何故かジェイドと目が合った。見ている私も私だけれど、授業を同じく聞いている筈のジェイドがこちらをまじまじと見ているのかと動揺でびくりと肩を揺らしてしまう。

「ふふ、見られているなと思いまして」

小声で呟かれるジェイドの指摘に、顔が熱くなる感覚を覚えながらも声を発するのではなく、ノートの端に書いて伝える。
『ジェイドが大人しく授業を受けてるのって新鮮だなと思っただけで』と。我ながら素直ではない答え方だったような気がしたけれど、ジェイドはそのメッセージを見て一瞬目を丸くした後に、くすくすと口元を押さえて笑った。
そして、ジェイドがさらさらと、ノートの端に文字を書いていく。
『そういうことにしておきますね』と。

「!」

恥ずかしさに顔を赤く染めてじっと抗議の視線を送ってみるけれど、彼には全く意味を為さないことに気付いて溜息を吐く。

(でもこうして見ると……勿論知ってたけど、ジェイドって学生なんだ……)

別に羨ましいと言う訳ではないし、商人として早々に独り立ちをして歩み始めている自分の生き方に満足している。
今から本当に学校に入り直して改めて学びたいかと言われたら、興味こそはあるけれども、それ以上にやりたいことと叶えたいことが大きかった。
――でも、こうして自分が見られない学生としての日常を見られて良かったと純粋に思うのだ。何せ、私が会うのは休憩時間だとか、授業が全て終わった後の放課後や夜の時間ばかりだから。

真面目に全部聞いて、ノートに全部書き留めていると言う訳ではなく、恐らくジェイドの関心に触れたタイミングで記述している。
確かにアズール君も言っていたけれど、ジェイドは別に人に点数を付けられるような物に対してこれぽっちも興味が湧かないらしい。普段の立ち回りを考えても頭は良いはずなのだが、恐らく点数を取って評価をされるテストというものに興味が無いのだろう。
自分の興味関心に素直に生きている所は流石といった所だが。

――結局自分の為に行動している所は、私と一緒なのかもしれないけど。


一時間目の授業が終わると、流石にミステリーショップのアルバイトがこうして男子校に体験入学しに来たと言う件を説明されてもすんなりと呑み込めなかった生徒がしっかりと制服を着た自分の元に集まる。
自分がこうして生徒として宣伝をする形になれば、サムさんの店にもお客様が増えるかもしれない。二週間、確かに生産や棚の整理などは助けられないかもしれないが、結果的に人が以前よりも来ることになるのなら御の字だ。

「いやーびっくりしたよ、エミルちゃんが急に来るなんて。2週間だっけ?よろしくお願いするよ」
「困ったことがあったら何でも言ってくれよ、エミルちゃん」
「サムさんも今頃大変だよなあ」
「ふふ、サムさんには是非とも楽しんで来るようにと言われまして!親切にありがとうございます」

適当に受け流しつつも、縁を作ることは大事だと商売柄心得ている。
そんなことを口にすると、またジェイドに相変わらずエミルさんらしいと言われかねないから口にはしないけれど。
質問をしてくる他の生徒の声を遮るように「次、移動教室ですので」とジェイドが声を発すると、蜘蛛の子を散らすように彼らが居なくなる。
有難いけど、やっぱりクラスメイトにもリーチ兄弟には関わらない方がいいと思われているのだろうかとジェイドの表情を見ると、穏やかに微笑んでいた。しかし、それが少々あまり楽しくない時の物であると、知っていた。

「……ジェイド?」
「いえ、やはりエミルさんのことを店はともかく知らない生徒は殆ど居ないなと思いまして」
「ま、まぁ……お休みもあまりなく働いてるというかずっとあそこに居るから購買部に来る人は、私を見たことある人が多いですよね。……本当に、それだけ?」
「……ふふ。急に出てきた生徒にエミルさんの案内をされるのは癪ですから」

もしかしてこれって、嫉妬、なんだろうか。
敢えてそれを口にはしないけど、妙にむず痒い感覚になって、感情を紛らわすように指先でくるくると毛先を弄る。満更ではないと思っている辺りがだめですね、私。

――午前中の授業が全て終わり。
ジェイドに案内されるままに昼食を取るために大食堂へと向かって廊下を歩いていると、違うクラスの教室からでてきてこちらに真っ直ぐ向かってくる長身に「あっ」と声が出る。
この学園の生徒は長身の生徒が多いけれど、ジェイドといい、彼の兄弟であるフロイド君も実に目立つ。

「ハマシギちゃんやっほ〜!ジェイドに聞いたんだけど、マジで学生やってんだ。変な感じ〜」
「あ、フロイド君、一応学生の私は"ミステリーショップのアルバイトのエミル"として通していますので宜しくお願いしますね」
「リドルさんに対してもしれっと嘘を吐く様子に僕も胸が痛みました」
「……嘘でしょ絶対」

どの口が言うかと思わず言いかけるが、自覚した上で言っているらしいジェイドは楽しそうに微笑んでいる。三年生のルーク・ハントがジェイドのことをムシュー・確信犯と言っているのは本当に的を得ていると実感してならない。

「オクタヴィネル寮に来るようジェイドが仕向けたの?まぁ、ハマシギちゃんが他の寮行くなんてありえないだろうけどさー」
「えっ」
「学園長からとある方が体験入学するので面倒を見てくれる方がいると嬉しいと打診されただけですよ」
「……やっぱり私だってこと最初から分かってませんでしたか、ジェイド君」
「ふふ、いえ、そんなことは」
「ハマシギちゃん来るってことは夜に部屋で遊べるじゃん!なにする?ホラー映画とか鑑賞する?それともタコパ?」

――アズール君に怒られないでしょうか、これ。
でも学生らしい遊び方というか、時間の過ごし方は確かに憧れる所はあるから、フロイド君の話を聞いてわくわくしてしまっている自分がいるのも事実だ。
偶にはそうやって青春らしい時間を過ごしてみるのも、いいのかな。なんて。

昼食時間ということで、大食堂には各学年の生徒達が集まって来ている。
何時も昼食は自炊をしているか、校舎の外にある食堂を利用することが多い自分にとって昼食を大食堂で取れるのは初めてのことだった。
パンの争奪戦は凄いらしく、確かにパンの販売コーナーにはかなりの人だかりが出来ている。
少し値段が上がるけれど、ランチメニューの方がゆっくり食べられそうだという認識はジェイドとフロイド君も同じようで、その列に並ぼうとした所で、腕にパンを抱えた知り合いが前から歩いて来ていた。
二年生のラギー・ブッチ。店の常連であり、よく彼に素材を持って来るバイトをしてもらっている。基本は物々交換だけれど、彼とのやり取りはマドルの受け渡しが多い。

「あれ、エミルさんじゃないっスか!?どうして制服着てこんな所に」
「ええっと、ラギーさん、これには訳がありまして。……ここではただのミステリーショップのアルバイトのエミルとしてお願いします」
「ふーん、なんか、色々事情があるんスね。ってことはその期間は俺のバイトも一個停止ってことかぁ。……もしかしてだけど、その制服のベストの色的に」
「えぇ、オクタヴィネル寮でエミルさんの面倒を見させていただいてます」
「うわっ、ジェイド君。フロイド君も居たんスね……」

少し離れた距離から声をかけて来たリーチ兄弟に、ラギーさんの表情は少し渋いものになる。
そして彼らに聞こえない位の声でそっと耳打ちして忠告してくれるのだが、本当に的をあまりにも得ていて、否定が一切できなかった。

「エミルさん、店での縁があるのかもしれないけど、協力を頼む人はもうちょっと選んだ方がいいっすよ?だからといってサバナクローで面倒見る訳じゃないッスけど」
「清々しいですねラギーさん……なんだか私とは知らずに男子高生が入ってくると思って、受け入れる手配を進めたらしくて」
「あー……なんかそれはご愁傷さまですねぇ。リーチ兄弟と仲良いと思われると周りの目も大変でしょうし、頑張ってくださいよ」
「……はぁ、やっぱりディアソムニアに居候しますか」
「なんでまた寮全体で近寄り難いトップのその寮のチョイスなんスか!?」

実はジェイドとお付き合いしているなんてことはリドルさんの時と同じで、言うことは出来ないから「アズール君とは商売柄適度な距離を取っておきたいんですけどね」と肩を竦める。
両手に持っていたパンはどうやら自分の分と、寮長であるレオナ・キングスカラーの分だったようで早々に立ち去ったラギーさんを見送り、昼食の列に再び並び始める。
モストロ・ラウンジや、学園の関係者が使える食堂のメニューも美味しいものばかりだけれど、ここの大食堂のメニューは生徒を対象にしているのもあってリーズナブルな価格だ。
Aランチを頼んで席に戻ろうとすると、先に席を取ってくれていたらしいジェイドが手招いて案内をしてくれる。一人席だとか、3、4人くらいが座れそうなテーブルではなく、長い机が用意されている辺りが学食らしくて、新鮮だった。

「ハマシギちゃんもAランチ?気合うじゃんー」
「食の好みが似ていると安心しますね。これからのことを考えて」
「ここ、他の生徒さんも沢山居ますからね……!?」

さらりと爆弾発言をされたような気がするけれど、引っ掻き回してくるジェイドのペースにはまってしまうのは危険だ。
ここで言い返してしまうと、近くに座っている生徒に聞かれて、自分とジェイドの関係を知られかねない。
食の好みといえば、確かフロイド君の好みはたこ焼きで、ジェイドはタコのカルパッチョだったこと思い出す。ウツボの人魚だから基本的に海産物が好みなのはわかるけれど、アズール君にとってその好物はどうなのだろう。
フォークを手に取って一口頬張って、反射的に目を輝かせた。

「美味しい……!美味しいですね、学食のご飯!」

舌鼓を打ちながら、この値段ならもう少し自炊の手間を減らして食べに来るのも有りだと頷き、頬張っているとにこにこと笑うフロイド君が「よかったね〜」と保護者のように褒めてくる。
子ども扱いされているような気はしたけれど、こうして知り合いとお昼を共にするから余計に美味しく感じるのだろう。

「ジェイドめちゃくちゃ楽しそうじゃん」
「やはり、こういう非日常は良いなと思いまして」

――美味しそうにご飯を頬張るエミルを見て、愛おしそうに目を細めていたジェイドに、フロイドもまた楽しそうに笑うのだった。
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