circus
- ナノ -
オクタヴィネル寮に二週間世話になり、そしてクラスや授業のサポートに付いてくれる生徒がジェイド・リーチであると分かったその日、すぐに連絡を入れた。
「まだ言ってなかったんだけど、明日から諸事情で体験入学をすることになって。何故か……その、ジェイドに面倒を見てもらうことになってるんだけど、話は聞いてる?」というメッセージを半信半疑で送った所、ジェイドからは想定外の回答が返ってくる。
「おや、よそからナイトレイブンカレッジに体験入学される方が居るとは聞いていましたがまさか……エミルさんなのですか?男子校ですし、可能性を考えておりませんでした。嬉しいです」と。

――確かに、男子校に授業を受けに来るのがまさか女子である自分だとは普通思わないものだろう。
名前を聞かされずに面倒を見て欲しいと学園長に言われたのならジェイドが自分だとは知らずにたまたま話を受けて、たまたま生徒として入ってくる恋人の面倒を見ることになった、という状況に納得はする。
そんな偶然あるのだろうかと思う気持ちは置いておいて、だ。
慈悲の精神と言いながらもそういう面倒ごとは面倒みの良さそうなハーツラビュル寮だとかスカラビア寮に押し付けそうな所がジェイドにはあったから、違和感がどうしてもぬぐえなかった。


オクタヴィネル寮に世話になるらしいという話を学園長に聞いたエミルは、前日に既にトランクケースに荷造りをしていた。
制服だけではなく、授業で使うことがあるらしい白衣と、運動着。流石に制服程ぴったりのサイズは無いようで、腕まくりや裾を折って使わなければだぼだぼになりそうなサイズだ。

「魔法薬学は素材を凍らせる危険があるからジェイドに手伝って貰うという話はクルーウェル先生に伝えて下さったみたいですが……」

錬金術は熱が伝わらない持ち手部分の物を用意して、専用の手袋さえ付けて素材を一瞬持つだけだから得意なのだが、刻んだり混ぜたりしなければいけない魔法薬学はエミルにとって不得手だ。
飛行術は勿論得意なのだが――果たして、かなり苦手としていると有名なジェイドが普通に一緒に授業を受けてくれるのかどうかは怪しい。
そして、足りないものがあればミステリーショップ二階の自分の部屋に戻ってくればいいだけの話ではあるが、消灯時間だとかを考えると、夜に物がないことに気付いても取りに行けない。

「他の生徒、それも男性の方と一緒となると……触られないように気を付けるのはなかなか気を遣いますね」

そもそも自分がミスター・リズベットと名乗っている商人であると知っている生徒も寮内で1割から2割居るかどうかであり、自分が何故このナイトレイブンカレッジに来たのかという根本的な理由を知っているのは現在、生徒は5人に限られている。
この学園に来た一年目から相談をしていたリリアとマレウス。そして、ジェイドをきっかけに知ったフロイドとアズールだ。
アズールに弱みを握られていることになるのだが、オーバーブロットの件をエミルも詳細を聞いている為、お互いに踏み入らない領域にし合っていた。

――というか、ジェイドが着いてくれることになるなら、フロイドも話しかけてくる頻度が多くなるだろうし、他の生徒は怖がって近付いてこないのでは?
そういう時に有難いと言えばありがたいのだが。


早朝に迎えに行きますとジェイドに言われていたので、エミルは真新しい制服に腕を通して、まだ開店していないミステリーショップの中で待機していた。
何時も制服を着ている生徒達を見ているのに、自分が同じ制服を着ているというのは鏡を見直しても不思議な感覚だ。
パリッとした制服のブレザーに、しわの付いていない真新しいシャツ。それからオクタヴィネル寮生と同じ水色のベスト。エレメンタリースクールまで着ていたとはいえ、こういった服に袖を通すのは久しぶりだ。
サムに「今日からまた二週間ほど店を離れますね」と声をかけて挨拶したエミルに、商人としての付き合いは勿論だが、年齢を考えても本当は学生生活を謳歌するべき年齢のエミルに学園生活を楽しむようにとサムは満面の笑みで笑った。

まだ『Close』の看板がかかっているはずのミステリーショップの扉をとんとんと叩く音が聞こえて、エミルはがばっと立ち上がる。
扉をそっと開くと、そこに立っていたのはジェイドだけだった。もしかするとフロイドも話を聞きつけてくるのではないかと一瞬思いはしたが、どうやらジェイド一人で来たらしい。

「いらっしゃいませ、ジェイド君。……えっと、そうじゃありませんでした。今日から宜しくお願いします」

ジェイドに何か声を掛けられるよりも前に頭を下げて挨拶をしていたのだが、言葉が返って来る気配がなく、エミルは恐る恐るジェイドを見上げる。
朝から非常に、驚いた顔をしていた。

「……、おや……」
「な、何ですか……何も言われないのはそれはそれで複雑なんですが……!」
「制服姿が新鮮なもので。お似合いですよ、エミルさん。いっそのこと本当にこのままクラスメイトになっていいんですが」

さらりと流れるような口調で口説かれたことに少しの間を置いてから気付いたエミルの顔はゆっくりと氷が溶けだすように赤く染まっていく。
せめてサムには見られないようにと扉を閉じてどくどくと逸る心臓を抑えながら「あくまでも学園長との契約での二週間の学園生活ですから……!」と答えるエミルの髪を、ジェイドの指先が掬っていく。
何時もとは異なり、邪魔にならないようまとめ上げられた髪は、普段のエミルの印象を変える。

「……どうして学園長がオクタヴィネル寮を選んで、更には寮長のアズール君ではなくジェイド君に任せようかと思ったのかは謎ですが……よろしくお願いしますね、ジェイド先輩」
「……!」

反撃にと、悪戯に笑ったエミルの言葉はあまりにもストレートにジェイドの感情を揺さぶった。
教えてくれる学生としての先輩であるジェイドへの取ってつけたような敬意ではあるが、それは何よりもジェイドに効いたのだ。

「エミルさんは……煽るのが上手いですね、本当に」

何時も、その言動でおそらく本人が予想していたよりもジェイドのタガを外している。
非常に聡くはあるのに、その辺りだけは何時までも予測できないでいる彼女には困ったものだと笑うが、その実困っていないのがジェイド・リーチという男だ。
ジェイド先輩と呼ばれるのは実に悪くないけれど、先輩と後輩だとか、クラスメイトという前提以前に恋人だ。

「オクタヴィネル寮の部屋、先輩という権限を使って新しい部屋ではなく僕の部屋にするよう提案してみればよかったでしょうかね」
「っ、節度は保ってください!?」

ジェイドの場合、冗談が冗談にならずに本当にやる所があるから下手に相槌を打てなかった。

この学園に通っている生徒は毎日のルーティーンのようになっているが、メインストリートを通って校舎に行く、というのはエミルにとっては新鮮なことだった。
商売柄、分野によっては学問という枠を超えて詳しくはあるが、学問によっては確かにエレメンタリースクールで止まっているものもある。
楽しみだと胸を躍らせて校舎内を歩いてきょろきょろと辺りを見渡すエミルを見ながら、ジェイドは今回の申し出があまりにも自分に都合がよくて助かると微笑む。

校舎に彼女が今後足を運んでも、変に思われることが無くなるのだから。
制服姿のエミルを見てか既に生徒たちの視線が集まっているが、ジェイドが居るからか、エミルに声をかけてくる者は居ない。そんな中で、「エミル」と名前を呼ぶ声が何故か上から聞こえてくる。
顔を上げると、黒髪にビビットなピンクのメッシュが入った髪が特徴的な、真っ赤なルビーのような丸い瞳が見下ろしてきている。

「わっ、リリアさん。おはようございます。お話はお聞きしてますか?」
「連絡は受けていたが、三年生の知っている者にも、お主の名前と店を気軽に出すなと釘を刺しておくぞ」
「ありがとうございます、リリアさん」
「くふふ、エミルが一時的にでも生徒になるとはなぁ。これを機に存分に学生生活を楽しむと良い。では、エミルをよろしく頼むぞ」
「えぇ、勿論ですよ」
「ふむ、ディアソムニアでも良かったのにのう」

こうして心配して声を掛けてきてくれるリリアの面倒見の良さに感謝しつつ、リリアはジェイドに後を託してふらりと飛び去っていく。
リリアのディアソムニアでもいいという言葉に対しては笑顔で「有り得ませんね」とジェイドは呟きながらも、苗字を言わないように伝えるその配慮には感謝を述べていた。

「苗字を知られても、エミルさんには似合わないミスターの敬称を付けなければ意味は無いのですが……用心に越したことはありませんからね」
「そうですね。それだけではなく……触られないようにするのも少し心配してますけど」
「ふふ、まぁエミルさんに触らせるわけも無いですけどね」
「……っ、お、お願いですからそれを人前で言わないでくださいね……!?」

──やっぱり、ジェイドと一緒に行動していて、その関係性に気付かれない自信がなくなってきたと、エミルは苦笑いをするのだった。

ジェイドに案内されて、2年E組の教室まで来たエミルは教室の中に足を踏み入れる。
途端に「エミルちゃん……!?」と教室が僅かにざわつくのを感じ取った。何せ、何時もミステリーショップに居る筈の女子が突然制服を着て現れたのだ。
一体どういう状況なのかと驚かない訳も無いだろう。それに、彼女を連れて来たのが、ジェイド・リーチであることも困惑の原因の一つだ。
朝のホームルーム前に現れた、生徒ではない筈の人に、リドル・ローズハートも困惑した様子で声をかける。

「えっと……君はミステリーショップのアルバイトのエミル、だったか?どうして君がうちの制服を着てこのクラスに……」
「先日、寮長宛に学園長がメールを送っていた件ですよ。二週間の体験入学をする方がエミルさんということです」
「なっ……!?これは驚いたな。まさか女生徒は思っていなかったし、しかも君だとは。しかし、どうして学園に体験入学なんてそんな話に?」
「それは……」
「サムさんの元で働くうちに素材だとか魔法具に詳しくなりまして。経済的な問題でこうしてサムさんの元で縁あって働き始めていますが、私の学びたいという意欲を学園長が汲んでくださったんですよ。初めこそは図書館だけ借りるつもりでしたが、折角なら少し体験して行かないか、と。……本当にありがたい話です」
「へぇ、そうだったのか。悪いことを聞いてしまったね。僕も学ぶ気概がある人が学べるように配慮してくれるのはとてもいいと思うよ」
「……」

流暢に、ハーツラビュル寮の寮長相手にも作り話を悪びれもなく本当の話のように語るエミルを見て、エミルをただのアルバイトであると思っているリドルにフォローしようとしたジェイドは思い出す。
距離が近付ぎるが故に最近はすっかり忘れていたが、そもそも彼女は一年間自分のモストロラウンジへの誘いもかわし続け、アズールとの商談も交わし続けて友好関係を程々に築く話術があったことを。

久しぶりに隙の無い商人としての顔を見て満足しながらも、よくもまあすらすらと嘘をこんなにも並べられるものだと意味深にジェイドは笑顔を浮かべていた。
そんなジェイドに「余計な事を言わないで」と言わんばかりに、リドルに見えないよう小突く。

「どうやらこのクラスで授業を受けるみたいだし、困ったことがあったら聞いてくれて構わないよ。……まぁジェイドがその辺りをフォローするみたいだけど」
「えぇ、オクタヴィネル寮の副寮長として任されていますからね」

リドルとしては普段の物腰は言いけれど、何故学園長は生徒にも学園長にも契約を持ちかけるオクタヴィネルの三人のうち一人に任せようとしたのかと呆れたように眉を顰める。
何も知らない普通の子であるエミルに良からぬことを持ちかけたり吹き込まなければいいが、と心配するリドルの心情を察してか、エミルは愛想良く笑うことしか出来なかった。

(まさかリドルさんも……ジェイドとお付き合いしてるなんて思いもしませんよね……)

絶対に、これはバレる訳にはいかないと口元が引き攣る。
ホームルームを知らせるチャイムが鳴り、その鐘の音と共に入って来た教師に、生徒達は席に座り、エミルは丁寧に頭を下げた。
ちらりとジェイドの座った席に視線を向けると、ジェイドの隣が不思議と空いていた。

「HRを始める。――その前に二週間、このクラスで学んでもらう生徒を紹介する」

既に学園長に事情を全て聞いているらしい教師に手招かれて、エミルは黒板前に立ち、集まる視線の中で丁寧に深々と挨拶をする。

「サムさんのミステリーショップでお会いした方もたくさんいらっしゃると思いますが、私は"エミル"と申します。二週間という短い間ですが、宜しくお願いしますね」

この教室の中でもリズベットの名を知る者は決してミスター・リズベットと店の外では呼ばないように。その鉄則を守らせるように、名前だけを名乗る。

こうして、エミルのたった二週間の学生生活が幕を開けたのだった。
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