circus
- ナノ -
「次は移動教室ですよ、エミルさん。行きましょうか。……ふふ、校舎内でデートしているようですね」
「改めて本当にどうしてジェイド君と同じクラスなんでしょうか……!?」
「さあ、何ででしょう」
「絶っ対!学園長に何か言いましたね!?」

尖った歯を見せながら笑うジェイドに対して、何時もの衣類とは異なり、他の生徒達と同じく黒い制服を身に付けたエミルはジェイドに連れられて廊下を進む。
ミステリーショップのアルバイトである筈の彼女が何故制服を着て授業を受けているのかという謎が好奇心を擽り、好奇の視線がエミル達に集まるのをジェイドは気にしない。

このクラスでエミルがリズベットという名の店主であると知っているのはジェイドと数人だけであり、厳格なハーツラビュル寮の寮長であるリドルも知らない程だ。
ジェイドが付くことで変に事情を追求してくる生徒は少なく、その意味では助かっているのだが。
何かよからぬ商売や打算を元に動くと思われているオクタヴィネル寮の副寮長がエミルの面倒を見ているともなれば、何か取引してるのではないかだとか、契約という意味で狙いをつけられているのではないかと思われる。


――何故このような状況になっているかと言えば、話はつい先週まで遡る。
ミステリーショップを訪れた学園長に、エミルはいつもの通りサムの店を利用するのだろうと「いらっしゃいませ学園長」とだけ声をかけてカウンターに座っていた。
学園長が求めるようなものはサムの店で事足りることの方が多いからだ。しかし「貴方にお話があってきました、リズベットさん」と呼ばれてしまえば、学園長に対して店を開かざるを得なくなる。

「エミルさんに手伝って貰いたいことがありまして、提案しに来たのですよ。少しの間だけ、体験入学は如何でしょうかと」
「体験入学……?私は怪しい取引には応じませんよ、学園長」
「そうですか?我が学園の貴重な素材を折角お礼としてお渡ししようと思ったのですが、あーあ、残念です。それに、これを機に店主の貴方に声をかけるお眼鏡にかなう生徒も増えるかもしれないというのに」
「商談成立です!」

学園長が突然提示してきた美味しい条件に即答してしまったが、エミルは恥ずかしそうに咳ばらいをして「突然一体どんな心変わりでこんな提案を?それに手伝いってどんな厄介ごとでしょう」と冷静に問いかける。
確かに、エミルにとってはデイヴィス・クルーウェルが所持している貴重な素材の数々は錬金術に使用する素材としては喉から手が出るほど欲しいものもある。
ただ、彼に物々交換で素材を分けて下さいなんて言っても無駄であることを知っているから、エミルも立ち入ることが出来なかった領域だ。時々少しだけ素材を拝借したラギーに横流しはしてもらっているが、正式にもらえるのは有難い。
しかし、それだけの好条件をタダで投げかけてくるわけもなく。代わりに手伝って貰いたいという情報こそが本番だろう。
一体何故、ただのアルバイトとしてナイトレイブンカレッジに潜り込んでいる自分を男子校にわざわざ体験入学させる意味があるのかと。

「私、一応エミルさんには監督生さんの帰る方法を探すのを手伝ってくれと言いましたよね」
「えっと……そんなこともついでに言いだしたなぁと思いましたが、氷の城のスイートルームの対価はナイトレイブンカレッジでの営業と住居の提供では……?」
「水道・光熱費も私が厚意で払っているんですけどね〜それに倉庫としてオンボロ寮の一部屋を借りているらしいのに監督生さんのお願いを無視するなんて可哀そうにおーいおい」
「……それで、手伝うとして。どうして私の体験入学なんて突拍子もない提案に繋がるんですか?」
「生徒であれば立ち入れる鏡の間や、図書館等の場所に入るのを表向きはこのミステリーショップのただのアルバイトであるあなたに許可を与えるのは不自然な話でしょう?」
「ま、まぁ確かにそれはそうですが……」
「エミルさんが一度体験入学すれば、その後も校舎内を利用したとしても生徒の皆さんは納得するでしょうし」

ここに住む許可を貰っているという弱みに付け込んできているらしいディア・クロウリーに対して、エミルは諦めたように溜息を吐いた。
確かに校舎内を自由に歩き回れるのは用事があるかどうかはともかく、いちいち許可を貰わなくていいという意味ではエミルにとって行動範囲が広がって気楽になる。
しかし、ただのアルバイト、しかも異性である女子が男子校に体験入学をするそもそもの理由はどうするつもりなのだろうかと問いかけると、何も考えていなかったのか一瞬固まった。
仮面で表情が分からなかったけれども「学生の年齢の子供が、毎日アルバイトに勤しむのを可哀想に思い、学園長の素敵な気遣いで学生生活を楽しんでもらおうという計画ですよ」と後から付けたような適当な説明を語った。

「クラス等は私が手配をします。エミルさんの年齢を考えると二年生でしょうかね」
「エレメンタリースクールが終わって早々に商売に専念している身なので、そういった意味で一年生でも大丈夫ですけど……」
「ふむ、成程……私の方で考えておきます」

一年生でエミルの客人はまだ限られている。
店の倉庫として間借りしているオンボロ寮の監督生とグリム、それから彼らと親しいエースとデュースならば、ミスター・リズベットとしての事情を知っているから、気楽に行動出来るだろうか。
なにせ二年生のジェイドともしも一緒になる事があったら、周囲に関係性に気づかれないように誤魔化せるか少し自信が無かった。
エミルが時々店で話す知り合いを装ったとしても、ジェイドの性格上面白がって気付かれかけることを言い出しかねない、またはそういう行動をしかねないという懸念があったからだった。


――クロウリーがミステリーショップを出たと同時。
エミルを尋ねに一人の生徒が購買部前に来ていた。
オクタヴィネル寮の副寮長であるジェイド・リーチ。彼女の恋人である。

二人の関係を知る人間はごく一部に限られており、傍から見てもモストロ・ラウンジの何らかの買い出しでジェイドが店を訪れた中でアルバイトの少女と何となく少し話す仲なのだと認識している者は多いだろう。

ジェイドは店からでてきた珍しい客人に足を止めた。
このナイトレイブンカレッジの学園長が一人でミステリーショップを訪ねている場面に遭遇するのは滅多にないことだった。
サムの店を利用しに来たのか、それともエミルの店を利用しに来たのか。気になったジェイドは、学園長に声をかけた。

「学園長がミステリーショップから出て来られるのは珍しいですね」
「おや、リーチ君ですか」
「サムさんのお店……或いは、エミルさんのお店のご利用ですか?」
「いやぁ、エミルさんの体験入学の際の段取りを考えておりまして」
「……エミルさんの体験入学?」


学園長が零した言葉に、ジェイドは目を瞬かせる。
――なんでしょう、その非常に面白そうな話は。と。
もしや彼女が制服を着て、同じ学園の生徒として登下校などを出来るということだろうか。そんな美味しい――ジェイドにとってはあまりにも都合が良すぎる状況に、首を突っ込まずにはいられない。
あわよくば、自分が面倒を見られるような状況にもっていけないだろうかと頭の中で策を直ぐに計算していく。

「えぇ、利害の一致でそんな話になりまして。どのクラスで面倒を見てもらうか、寮とかまではまだ考えている所ですが」
「……それなら、慈悲の精神のオクタヴィネル寮で、是非ともエミルさんの面倒を見ましょう」
「本当ですか?彼女は物分りはいいですが、変に条件を悪くすると交換条件に合わないと言ってきますからね。面倒見るのを買ってでてくれるのは非常に有難いです」
「ふふ、釣り合う対価を要求するのは当たり前ですから。多忙な我が寮の寮長の時間を取らせるのは忍びないですので、副寮長である僕がエミルさんに授業等の案内をしますよ」

ジェイドは人が良いのを装って、学園長にとって非常に都合よく提案を行う。
面倒見が良くて助かりますとご機嫌な学園長に対して、ジェイドもまた別の意味で上機嫌な様子で口角を上げて笑った。
彼女はまだ知らないが――これで、まさか予想もしていなかった学生生活を同じ学生のような立場で共に過ごせるようになると。

数日後、そんな状況になっているとは夢にも思っていないエミルの元には二週間という期間だけ、校舎内で生徒として活動する為の制服が学園長の手から直接送られていた。
男性サイズで言うSSサイズで、悪目立ちをしないように他の生徒と同じパンツスタイルだ。
ただ、ベストが何故かオクタヴィネル寮生が着ている水色のベストであることは気になりながらも、偶々だろうかとエミルは納得して受け流していた。
自分が普段着ている服の色のイメージに一番合うベストにしてくれたのだろうかと。

「サムさんに協力してもらいつつ、エミルさんに丁度いいサイズの制服を用意させてもらいました」
「男子用の制服を丈を合わせてくれたんですか……流石ですね!」
「エミルさんには二年生のクラスで授業を受けてもらおうと思います」
「二年生?実年齢が確かに二年生ですからね」

一部の生徒には年齢も知られているけれど、一年生の教室でもいいと伝えていたのもあり、監督生のユウと同じクラスではなかったのは少々意外だった。
二年生の教室ともなると何処のクラスだろうかとふと考えた時に、少しだけ嫌な予感に胸がざわついたような気がしてエミルは一瞬ふるふると身体を震わせたが、その虫の知らせは流石に気のせいだろうと流そうとした。
しかし――もう時すでに遅し。学園長に対して親切な生徒がエミルの面倒を買って出た後だったのだ。

「あぁ、ちなみにエミルさんが行くクラスはジェイド・リーチ君が居るクラスですね」
「……!?な、なんで……」
「あと、寮生活もどんな感じか体感してもらうために寮で二週間借りる部屋も手配しましたよ。オクタヴィネル寮に。あぁなんて私、優しいんでしょう!」
「!?」

突然投げ込まれた爆弾に、エミルはカウンターから身を乗り出して目を白黒させる。
何故学園長の口からジェイドの名前が出てくるのだろうか。混乱する思考はショート寸前で、受け流すような取り繕う言葉さえもすんなりと出て来なかった。
つまりは二週間、かなりの時間をジェイドに面倒を見てもらうということだ。
確かに彼はオクタヴィネル寮の副寮長ではあるが、どうしてそれなら寮長であるアズールだとか、他にも二年生で寮長や副寮長を務めている生徒の寮に行かないのだろうかと、歯車の噛み合わなくなった思考でぽつぽつと思考する。

「寮長の許可が無ければ立ち入れない事にしていましたが、これを機に各寮への立ち入りは許可しましょう。商売柄配達もあるでしょうし」

――どんどん、オクタヴィネル寮に自由に出入りが出来るような状況が整ってきているのは気のせいでしょうか、学園長。
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