circus
- ナノ -
長いと思っていた筈の二週間だったというのに、時間が過ぎるのはあっという間のことだった。
二年生への編入を知ったエーデュースと監督生がトレイのケーキを手にパーティを開いてくれたり、「たった二週間しか同級生になれないんだったら今のうちに一緒に宴を楽しもうじゃないか!」とカリムにスカラビア寮へ案内されたり。
ただし、それはカリムの突然の思い付きで、料理を担当にすることになったジャミルが頭を抱えている姿を目撃したエミルは、同時に申し訳なさも覚えた。

「先日はありがとうございました、ジャミル君。料理凄く美味しかったです」
「それは嬉しいが、まさかエミルがジェイドとフロイドまで連れてくると思わなかったけどな」
「……それに関しては私も誤算というか……ひっそり行こうとしたら『どこいくのハマシギちゃーん』って捕まりました」
「あいつ等らしいな……ところで、一人でこの教室に来るなんて珍しいな。この二週間は世話係のジェイドが大体隣に居るものだと思っていたが」

ジャミルにまで既にそう思われているのは複雑な気分だと、エミルは顔を顰める。
確かにこの一週間と少し。エミルの隣にはジェイドが常に隣に居た。
口で言うほど、エミルにとって嫌なことだった訳ではない。
恋人と普段過ごすことのできない日中を共に出来るのは、純粋な少女のような感情が汲み上げられるのだ。

「そうそう、私が来たのはアズール君に用事があったからでして」
「アズール?」
「?僕を呼びましたか?おや、エミルさん」
「どうも、アズール君。ご相談があって来ました」

エミルが一人、教室にやって来たことに気付き、アズールは不思議に思う。
真っ先に思うのが『ジェイドが居ないのは珍しい』だ。
常にマンツーマンであるとは思わないが、エミルの隠している体温の事情を知らない男子生徒が多い中で、ジェイドは隣に居ることで近寄らせないように圧をかけていたからだ。

「貴方が僕への頼み事なんて、あまりにも珍しいですね」
「えぇ。学生っていう日常が終わる前に、ボードゲーム部に参加させていただけないかなぁと思って」
「……ボードゲーム部にですか?」
「えっ、意外でした?」
「フロイドにバスケ部はどうかと言われてたのでてっきりもうそちらに行っていたと思ってましたよ」
「あぁ、フロイドがそんなことを言ってたな」

バスケ部での活動中、フロイドが『エミルちゃんもバスケ部で体験して行けばいいのに〜』と零していたことを、ジャミルは思い出す。
バスケ部全員が全員エミルの店の客人ではないとはいえ、フロイドにジャミル、それからエースといった面々が彼女に知り合いであるから、過ごしやすい部活ではあった。
勿論、山を愛する会に誘われていたとはいえ、その選択肢はエミルの中では無しだったのだが。

「正直、バスケ部も考えましたよ?でも、色々考えた結果……違う部活がいいなと思いまして」
「……成程。ボードゲーム部を選ぶのは道理なのかもしれませんね」

バスケ部のような接触が増える部活はエミルにとっては無理なのだ。
しかし、その事情を知らないジャミルの前で、理由を口にしない配慮をしたアズールは、少し考えた後に「分かりました」と答えた。
ボードゲーム部の部員は少なく、大体活動しているメンバーがアズールとイデアになる。
特にイデアは、極度の人見知りであり、誰かと接すること自体があまり得意ではない人だから、知らない人を連れてくると引きこもりかねないが。
イデアとエミルの間には奇妙な縁がある。
同じミステリーショップを借りている、職人と商人という同業者のような付き合いだ。

「でも、ジェイドなら喜んで一緒に部活動をしてくれたと思いますけどね」
「山登りが嫌いな訳ではないですけど……折角なら、普段出来ないようなことをしてみたかったんです。私の地元、雪山でしたから」
「あぁ、雪山に作られた氷の城を模したホテルの設計者でしたか」
「……アズール君、本当に鋭いですね」
「貴方の口ぶりから分かりますよ。通りでその歳で自由に世界中渡り歩いている訳です。商人として、純粋に見習うべき所が多いと感じますね」

アズールの口ぶりは呆れている訳ではなく、言葉通り、彼にとって評価に値する感情が滲んでいるように聞こえた。
彼にとっては何気ない言葉だったのだろう。
だが、それは妙にエミルに響いた。
アズールにとって、自然に思ったことが零れ落ちた言葉であるということは、エミルに対して抱いている信頼のようなものであるように感じたからだ。

アズールに案内されたボードゲーム部に足を運んだエミルは顔を出して、教室の中を覗き込む。
すると、すでに教室に居た、イグニハイド寮の寮長と目が合ったけれど、目が合った瞬間に咄嗟に逸らされるのはイデアらしい。

「どうも、アズール氏……ってその後ろに居るのは」
「こんにちは、イデアさん。私の我侭を聞いていただいて、アズール君にボードゲーム部への一日の参加を許可して頂きまして」
「えぇ、そうなんですか!?ま、まぁ……エミル氏ならいっか……知らない相手じゃないし、そこまで緊張する相手でもないし……」

エミルが居ても自分的に支障は無いかを再確認するように呟くイデアは、エミルに「体験入部と言ってもお膳立てプレーはしませんぞ」と、ギザギザに尖った歯を見せて悪戯に笑った。
程々に付き合いのあるアズールの目から見ても、イデアとエミルがそれなりに親しいのだと伝わってきた。
イデアの反応は分かりやすい。拒絶の態度が表に出やすいのだから。

同じボードゲームを囲んで、ダイスを振って人生ゲームで遊び始めたエミルは、適当にダイスを振って楽しむイデアに対して、真剣に勝負に挑んでいるアズールの熱意の違いに目を瞬かせる。

「えっ、アズール君、ダイスを思った通りに振る練習してたんですか。そこまでしなくても人生詰みませんよ」
「やっぱりエミル氏もそう思います?そこまでして運ゲーをどうにかしたいと思うのはアズール氏らしいけどさぁ。おっ、ボーナス入りましたわ」
「う、うるさいな!というより、僕が思っていたより君たち、仲が良くないか?」

意気投合した様子で人生ゲームを楽しむ二人に、早速借金を抱えているアズールは頭を抱えてダイスを握りしめる。
親しいけれど、これを友達と言うかどうかはまた異なるだろう。

「イデアさんは"職人仲間"ですよ」
「ふふふ、エミル氏は分かってますな」

友達というものに疎い二人にとって。
これもまた、イデアとエミルなりの友情の形だった。
普通の友達と言うには、アズールも、イデアも素直に友達とは言えないものがあるが、友情とは人それぞれ異なるものなのだと、エミルは漸く実感し始めたのだった。

ボードゲーム部での活動を終えたエミルは、オクタヴィネル寮に戻ったと同時に、ジャミルからエミルの件を聞いていたフロイドに談話室で捕まっていた。

「えー、ハマシギちゃん、ボードゲーム部に行ったの?バスケ部に何でしてくんなかったわけ?」
「バスケは流石に、私が誰かに接触するだけで誰かに冷たいことを察されるかもしれないじゃないですか」
「そうかもしんないけどさぁー、なんかアズールだけずるいじゃん。ジェイドに言ったら『僕と山には登ってくれないんですね、しくしく』とか言いかねないって」
「……未来予知みたいなこと言わないでくださいって」

ジェイドならそう言いかねないものだとエミルはぶるりと肩を震わせる。

「部活ちょー楽しかったんだ?」
「え?そんなに言うほどかと言われると普通に楽しんだ、って感じですけど」
「そーお?ハマシギちゃん、自覚してるより楽しそうな顔してるけど」
「……」

フロイドの核心を突くような指摘に、エミルは談話室に設置された水槽のアクリル板に映る自分の顔を見た。
自分ではあまり差は分からないけれど、そこに写っているエミルの表情は店の主人として本音を薄い氷の下に隠した笑みではなく、エミルという少女の素の笑みだったことに、フロイドは直感で気付いていた。

「……多分、ですけど。私がただのミステリーショップのアルバイトだと思っている人も、そうでもない人も……損得勘定ではなく、本当に良くしてくださるなって、実感して」
「?どういうこと?」
「えっと……私、皆さんのことをお客さまと思ってましたし、その一線は守るべきだと思っていたんですけど……私なりに、それ以外の情を感じてるんだなと思ったんですよ。友達、とまでは言えなくても」
「ふーん、今更じゃん」
「えっ」
「一緒にいて面白くなかったら構わねーし、おもしろかったら構うのって、別に店とか客とか関係なくね?」

ぽつりと、水を打つようなフロイドの言葉は、今日一日アズールやイデアと会話をした時に抱いた不思議な感覚を答えに導く。
店主と客、そんな前提を持って接していたエミルにとって、エミルなりの形で、彼等に友情を確かに抱いて接していたことに気づいたのだ。

「ありがとう、フロイド君」

多分、考えなくても気付けるような感覚的なことを、難しく、拘って考えてしまっていたのだろう。
何故エミルから礼を言われるのか分からなかったフロイドは首を傾げたが、エミルの表情がより一層輝いたことにだけは気付いて、満足そうに笑った。

カツン、カツンと廊下を歩く音が聞こえてきて振り返ると、珍しく今日一日あまりエミルと行動を共にしていなかったジェイドの姿があった。

「おや、こちらに居ましたか、エミルさん」
「ジェイド」
「アズールに聞きましたよ。ボードゲーム部に行ったそうですね。……山を愛する会はあれだけ嫌だと言われたというのに、しくしく」
「ほら言った」

フロイドが予期した言葉をやはり言ってきたジェイドに、エミルは思わず吹き出すように笑う。
ジェイドもきっと、去年の時点で友情な物を感じていたのだろう。
ただ、それを自覚する前に恋をしてしまった。
ただそれだけのことだった。
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