Azul period
- ナノ -
彼女は、僕に好意を抱いてくれているということは分かっていた。

最初こそは少し歳上の保護者だったのだろう。
彼女のこれまでの人生を捨てるような一世一代の賭けとも言うべき告発のサインに気付いて、保護をしたのが僕だった。
教会で保護をしたからと言って、必ずしも教会の一員になる訳では無いが、アンジェの霊視能力の高さと、外典に触れていた半生を考慮して、星杯騎士団の一員となった。
その後、指導を受けてから僕の元へ従騎士として配属された総長による配慮は、まるでケビンさんの元へリースさんが来た時のような意図を感じたが、僕自身彼女の今後を気にしていたから反発ややりづらさといったものは無かった。
立場もあるからか、基本的には好意を隠そうとしている所はいじらしくて可愛いのだけど──ついつい、慌てている所を見たくなってしまう。

「少し、息抜きで街を回りませんか?」
「え……」

よく晴れた日の首都は、朝から人が行き交う活気に満ちている。
首都イーディスを基本的な拠点にしているものの、休日というのを設けていない訳では無い。
有事の時は勿論休みなんて考えていられる余裕もないが、程々の息抜きは大切だ。
見方によっては部下を労う上司の気遣い。そして別の見方によってはデートに誘っているように映るだろう。
モノトーンを基調とした星杯騎士団の制服を身に纏い、更に白い肌とアッシュグレーの髪という風貌に、赤く染る頬はよく目立つ。
教会の服で街を回ると何かと目立つのだが、特別着替えることもしない。
潜入中だったとはいえ、自由に服装を選んで楽しんでいたのは守護騎士の中でもワジ君位だ。

「あ、あの……いいのですか?オルテシア卿は……」
「セリスさんは既に別行動中ですよ」

──彼女は目を白黒にさせて、動揺を露わにする。
彼女と二人きりで休日を過ごす日というのは実はそう多くはない。基本的に任務を行っている間はゆっくりできる時間も限られているし、他の守護騎士とこうして一緒の任務に就くことも最近では多い。

「私服で回った方が自由が利くんですけどね。この状況下では何時でも動けるようにしておいた方がいいですし。アンジェさんが別の用事があるというなら、大丈夫ですが……」
「!い、いえ、特にありませんので……その、ご一緒、させてください」
「それは良かった。折角タイレル地区もあるので、映画館もいいですけどね」
「リオン君は映画、好きですよね。ふふ、私もその影響で映画が好きになりました」
「それは嬉しいですね。主に共和国で見られているものですが……フィクションを演じて物語を作るというのは面白いものですね」

事実は小説よりも奇なりとでも言うべき人生を辿ってきているとしても、その登場人物になりきって演じる物語をフィルムに落とした映画は、非日常を体験出来る。
しかし、不思議と胸に落ちて、追体験をした結果、自分の道筋を変えることもあるのだ。

「恋愛映画でも見に行きますか?夜なら、ゴールデンブラッドの完全版もやっていたりしますが」
「えっ、あっ、り、リオン君……!」
「ふふ、冗談です。たまにはゆっくり……ティーブレイクでもしましょう」

これ以上意識をさせるような、虐める言動は流石にセリスさんにも呆れられそうだ。
意味が分かったのか頬を椿の花の色に染める彼女に、高揚感を覚えるのも確かだ。さすがに、ゴールデンブラッドの完全版の話はやり過ぎたかもしれないが。
男女で見に行くのなら、それを見終わった後、いい雰囲気になりそうな気はするが――一応、聖職者の身であるから控えるべきことでもあるのも確かだ。
ワジ君の例を考えれば、それも建前だが。

首都イーディスの中でも、タイレル地区は駅前と同じ位に賑わっている地区だ。
タイレル地区のカフェの二階テラス席の眺めの良さは格別だ。大通りに向かって視界が開けていて、開放感がリラックスする出来る場所としては、今の所ではこの街一番だ。

「この席とか、見晴らしがいいですね」
「落ち着きますし……それに、タイレル地区で不穏な動きを監視するには一番いい場所ですね」
「さすがアンジェさん。僕と同じ考えです」
「今は仕事時間じゃなかったですね、ごめんなさい」
「やだな、気にしないでくださいよ。そうだ、アンジェさんの分の飲み物も買ってくるので、何か希望はありますか?」
「そ、そんな、リオン君に悪いです」

仮にも上司である自分にドリンクを買わせようとするなんて、とわたわたしている彼女に「いいから待っていてくださいね」と少しの圧をかけて、席を立ちあがる。
彼女がよく飲んでいるコーヒーを頼もうと思いながら一階店内のレジカウンターへと足を運んでいる間にも、視線が自分に向けられているのが分かった。
それもそうだろう。見た目が明らかに神父らしい人間がカフェでまったり休息しているのはあり得ないことではないとはいえ、珍しいことのはずだ。

「すみません、コーヒーを二つ。それとチョコレートケーキを一つ。クインシー社のケーキも置いているんですね」
「えぇ、共和国では知らない人は居ないお菓子メーカーですからね。巡回神父さんですか?」
「その通りです。次の目的地に行くまでの息抜きをさせていただこうと思って」
「それはそれは。ありがとうございます。どうぞごゆっくりと」

ゆっくりとメニュー一覧を眺めて、ショーケースに並ぶケーキをアンジェさんが喜びそうだと思って注文する。
彼女の喜ぶ僅かに綻ぶ笑顔が楽しみだ。
鼻孔をくすぐるコーヒーの芳醇な香りを堪能しつつ、トレイを手に乗せて上がっていったのだが。
笑みを浮かべていたはずの表情がすっと冷えていくのが分かった。

「シスターさんが居るなんて珍しい〜可愛いお姉さんじゃん」
「お忍びでカフェに来てるの?一人?」

──アンジェさんに声をかけていた男が二人。
席を探しに来ていたのか、その時に一人でテラス席に座って待っているアンジェさんを見付けて物珍しさと見た目が気になったのだろう。

(僕達も人のこと言えないけど、アンジェさんはシスターの中でも少し浮世離れした異質さがあるから……気になるのかもしれないですが)

タイレル地区は決して治安が悪い訳では無いが、確かにカフェの裏口から繋がる路地裏は、時々怪しい雰囲気を感じるポイントだ。
しかし、マフィアや半グレのような気配はしないから、単にアンジェさんが気になったのだろう。
僕としては、全くもって気に食わない話だが。

彼女は困惑しながらも受け答えの反応は薄く、教会のシスターという表向きの顔ゆえに、冷たく突き放すことも出来ずに困っているようだった。
そんな場面に出くわしたら、やることなんて一つしかないだろう。


「失礼。僕の連れですが、何の用でしょうか?」


スマートに。しかし、氷結の如き静かな焔を揺らめかせて、圧をかけて見せ付ける。
お前達ごときが、自分を自ら色付かせるのが不得意な白黒のアンジェさんの。

アンジェの歩む未来の道標になる訳が無い、と。

「し、神父……?」
「リオン君。買いに行くのを任せてごめんなさい」
「いえ、僕の方こそ遅くなりました。女神の教えを請いたいならこの場ではなく是非地区の大聖堂へ。女神は貴方たちを歓迎しますよ」

この言葉自体には嘘偽りはない。
ただ、これ以上この場でアンジェさんを口説こうと言うなら許さない。女神は歓迎するが、僕個人は今の所歓迎していないという本音を言っていないだけだ。
笑顔で誘導したが、圧を感じとったのだろうか、男達は気まずそうな顔をして「ごゆっくり神父様たち」とその場から立ち去って行った。
この世界の一般人は、流石に聖職者相手に喧嘩をしようとはあまりしないから余計な荒事はそれだけで避けられるのだけはいいことだ。
トレーを机に置いて席に着き、彼女にケーキを差し出す。

「物珍しいからと言ってシスターに声をかけるなんて困りますね。コーヒーとケーキです。好きですよね」
「あの」
「どうしました?アンジェさん」

ケーキに視線を落とした彼女は、それから視線を上げて。

「ありがとう、ございました……リオン君」

ふんわりと微笑む顔に、どくんと血液が体を巡るのが分かった。

彼女が僕の隣を居場所としてくれていることが。
どうしようもなく安堵するのだと実感するのだ。
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