Azul period
- ナノ -
一年半目のクロスベルにおけるバベルの作戦も死を予感するような脅威だった。
しかし、その事件が技術的特異点という超常現象によるものであるのに対して、今回の件は人の悪意によって引き起こされている脅威だった。
教会の中でも封聖省においてはアルマータ、および協力者である彼らが古代遺物を悪用している件は看過できなかった。
そこで派遣された守護騎士第四位と守護騎士第十一位。

彼らはアルマータの情報交換を行うために、首都イーディスの影とも呼べる地下街へ集っていた。
普段は対立することも多い組織同士が情報交換を行うほどの事態は異例中の異例だった。

日光の射さない天井を見上げながら、物腰が柔らかく爽やかに見える青年は先ほど会話していた面々を思い出して、隣を歩く小柄な同僚の二人で来てよかったと安堵していた。
なにせ、上層部が敵対している僧兵庁の者も居たくらいなのだから。

「なぁリオン。アンジェは連れて来なかったのかよ?イーディスを中心にして動くならここはマストだろうが」
「確かにこの地下はイーディスにおいて情報収集をする上では欠かせませんが……わざわざ、これだけの人が集う中で連れてくる必要はないでしょう」
「……アタシはその様子見なかったけど、絶対渋っただろ」
「……よく分かりましたね。上司命令を使って大人しくリバーサイドで待機してもらってます」
「無表情になってるのが目に浮かぶぜ」

青年がくすくすと笑うのを横に、燃えるような真っ赤な髪のセリス・オルテシアは肩を竦める。
メルカバで共和国に入ることが出来なかったために、守護騎士第十一位、リオン・バルタザールが今回連れてきた補佐は一人だけだった。
リオンの補佐である正騎士ではあるが、たまに同じ任務がこうして一緒になるセリスも覚えているほどの実力は折り紙付きの女性だ。
アンジェという、リオンの二歳年下の女性で、付き合いはリオンが守護騎士に就任して間もない頃からだった。
二人の出会った経緯を知っているセリスは、リオンにとってほかの従騎士と比べてアンジェが少々異質で特別な相棒であることも知っていた。

「痩せ狼やCIDが居る中に同伴させるよりはいいでしょう」
「まぁな。刺激が強すぎるのは確かだろうが……けど、アンジェってそういう相手に委縮するって程じゃないだろ」
「そこをつかれると痛い所ですけど」

リオンの温和な態度とは似ていて少し異なるが、寡黙で気性の穏やかな女性であるアンジェは、星杯騎士団としての仕事をせず、普通のシスター服を着ていればシスターらしい人と言えるだろう。
この場に連れて来なかったのは、合理的な考えも半分、リオンの私情が半分だとセリスにも分かっていた。

リバーサイドに戻ってきた二人は、話題の中心のアンジェが待機しているベルモッティが営むカフェ&バーへとまっすぐ足を運ぶ。
カウンターバーでベルモッティと談笑する彼女は、身なりも含めて非常に目立つ。
人が店内に入って来たドアベルの音に反応して振り返ったアンジェはふっと表情を緩めて、立ち上がってから頭を下げる。

「お帰りなさい、リオン君。オルテシア卿」
「えぇ、ただいま、アンジェさん。……置いて行ったこと、怒っています?」
「……そんなこと、ないです」

少しの間があってからきごちなく答えたアンジェに、リオンは苦笑いをする。
補佐である従騎士達と動きを別にすることは、星杯騎士団の中ではよくある事だ。
だが、今回ばかりはリオンの私情が混ざっているのを感じ取ったから自分が避けられたことに気付いていたからこそ、アンジェは複雑な気分のままこの場所で待機していたのだ。

(僧兵庁は従騎士になる前の彼女の引き抜きを検討していましたし)

自分が彼女を見付けて保護したからこそ、封聖省に所属してアンジェは正騎士としての、頭角を現していったが、彼女が就く者によって良くも悪くも染まる無垢な──否、モノクロな人なのだ。
もしも僧兵庁に保護されていたのならそこで頭角を現していただろうし、結社に保護されていたのならそうなっていただろうし、最悪アルマータや庭園に保護されていたのならその色が自分の色だと認識するような人だった。
セリスに宥められるアンジェの様子を興味深そうに眺めながら、ベルモッティはリオンに耳打ちする。

「貴方達が来るまであの子と話してたんだけどなんていうか……彼女と正反対のタイプね。つついたら消えちゃいそうな位儚いというか……暗いとは思わないけど」
「あはは、よく言われます。ああ見えてセリスさんと仲良いんですよ?」


消えそうな位儚く見える。
それはアンジェの外面的特徴を言い表すには的確な表現だと納得した。
アッシュグレーの銀髪の見た目も、雪の中でふっと消えてしまいそうな雰囲気だと言えばそうだろう。
彼女はシスターというよりも、静かな墓地を守る墓守のように見えるかもしれない。

何せ色々な要因があってのことだが、彼女の他人から付けられた渾名は、"教会の死神"だ。
武器も法剣ではなく最も手に馴染んだという身の丈程ある死神の鎌──本人は忌み嫌って、浄化の鎌と呼んでいるが、魂を狩る鎌を操る女性だ。
聖痕を持っていない身ではあるが、悪霊や狩ることに非常に長けている。だからこそ、今回の任務に彼女は付いてきているのだが。
経歴と獲物のせいで、教会に所属しているというのにまるで悪魔崇拝側の人間のような呼ばれ方を彼女は嫌がっている。

「けど……何だか並ぶと彼女の方が歳上に見えるというか」
「それ、セリスさんに言わない方がいいですよ。気にしているポイントですから。傍から見たら……確かにそう見えますけどね」

幼く見える童顔と身長を気にしているセリスを子供扱いするような言葉は禁句であることは、守護騎士にとっては暗黙の了解だ。
そもそも、自分の方がセリスより歳下であるどころか、自分よりもアンジェは更にもっと歳下なのだが──アンジェの方が歳上に見えるという話はセリスには内密にしておこうと肩を竦めた。

セリスとリオンが4人掛けのソファに座り、こっちに来るようにと促されたアンジェはグラスを手に取って移動しようとしたのだが。
カラン、と音を立てて店内に入って来た人物に、アンジェが気付いたと同時にリオンの周囲の空気の温度がぐっと下がったのを感じ取って即座に理解する。

(彼が、ヴァン・アークライド。亡きバルクホルン卿の弟子の一人で……、……)

バルクホルンの弟子は数多く、リオンも彼に師事を仰いだ一人だ。
その中でもヴァンという青年はバルクホルンに異例とも言える半年ほどの長い期間、一対一で稽古を付けてもらっていた人なのだとリオンから聞いている。
その口調から、対抗心のような、冷ややかな感情をヴァンに出会う前から抱いていたことは何となくアンジェも理解していた。

「あん?さっきの連中じゃねぇか」
「本当ですね。普通のカフェにいるのは少し違和感を抱くと言いますか」
「……おや、アークライドさんですか」
「……貴方がアークライド解決事務所の所長さんでしたか。先程あったという会談、お疲れ様でした」
「ん?アンタはさっきの場には居なかったが……」
「なるほどな、そっちのツレって訳か」

入店してきたアークライド解決事務所のメンバーは、シスターや神父の格好をしながらもあきらかに普通の聖職者には見えなかった二人に自然と視線を向ける。
改めてセリス、リオンが彼らに挨拶するものの、やはりリオンのヴァンに対する当たりの強さは誰が聞いても何となく察する程だった。
そのことに関してリオンを咎めるつもりは無いけれど、それでも少々罪悪感は抱く。自分の上司が行っているということであれば猶更だ。
ベルモッティと言葉を交わして店内を出ていく彼らの背中を見送っていた二人だったが、その背中を追うようにアンジェは立ち上がる。


「あの」
「なんだ?さっきの……アンジェって言ったか」
「どうされましたか?」
「いえ……すみません、アークライドさん」
「?えっと、私たち、何か謝られるようなことでも……?」
「いいや、別に構わねぇが……あんたは忠誠的とはいえ主人と同じ反応じゃないんだな」
「私は私ですから。それに、リオン君に貴方が何かをした訳では無い、ですし」

物分かりのいいように聞こえる言葉の裏に隠れたアンジェの一線に、ヴァンはその意味を思案する。
リオンに害をなしたか、なさなかったか。
彼の部下である彼女はそういう判断基準を持っていて、裏返せば“リオン・バルタザールに仇なす者ならば冷徹になれる”という意味ではないかと。
藪蛇のような気がしてならない為か、ヴァンはその点を掘り下げはしなかったが、アンジェがヴァンに冷たく当たらないのはリオンと同様にヴァンについての話の一端をバルクホルンで知っているからだろう。

「それに、私としては……少々、心配ですから」
「あん?」
「……霊視ってやつか」
「えぇ、何となくわかるだけですけど」
「……」

ヴァンとアンジェが一体何の話をしているのか見当がつかない様子のアニエス達の前で、これ以上語るわけにもいかないだろうとアンジェは微笑み、「お気をつけて」と会釈する。
店の外でアンジェが裏解決屋と会話している様子を窓から見ていたリオンのつまらなさそうな表情に、セリスは漸く察する。
彼が今回連れてきたくなかったと言っていた原因を。

「……リオン、お前あれが見たくなかっただけだろ。アンジェ連れて行かなかったの」
「さあ、何のことでしょう。……まあ、面白くはありませんけど」
「……お前、普段からそれ本人に言えばいいのに」
「……守護騎士の運命は安易に、他者を巻き込むべきではありませんからね」

噛みしめる様に呟かれた言葉に、セリスは閉口する。
正直、アンジェがリオンへ特別な恋慕の感情を抱いていることは、余程の鈍感な人間でなければ気付くほどに分かりやすい。
何せこうして本人にも伝わっている位なのだから。
バベルという事件を経てもリオンがその点を割り切れいないのは意外だったが、当人以外が口を出すことでもないだろう。
──でも、リオンに救われたというあの日から、とっくにアンジェはリオンにいい意味で巻き込まれているのだと。

そう、思わずにはいられなかった。
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