Azul period
- ナノ -
外で魔を狩っていたアンジェが戻って来た時にはリオンの聖痕も無事回復し、アンジェの周囲の空気は良い意味で冷えていた。
亡霊の空気を纏って刃が鋭く、研ぎ澄まされている様子に関心しながらもヴァンはリオンとの会話を思い出して肩をすくめる。

──普通の女性ね。
確かにリオンが居ると比較的そう見えるが、彼がいなければシスターにしては墓守のような死霊の気配がする彼女は間違いなく異質である。
そして、彼が居ないからこそ未だに見たことがない信者が勝手に狂っていくという性質も表に現れていないだけで、異質な存在だ。
生まれ持った性。
それはヴァンにも痛いほど分かることであるから、否定をするつもりもない。

「?どうかしましたか、ヴァンさん」
「いいや何でもねぇよ。しかしその様子を見る限り、さっきまで本当に弱体化してたんだな」
「あ、この鎌のことですか?えぇ、これも応急処置ではあるんですけど……すみません、あまり対人ではアテになる力ではなくて」
「アンジェさんはアーツ攻撃の方が得意ですからね。十分力になってくれていますよ。そもそも、こちらに来てくれたというだけでも、本当に」
「随分と俺と扱いが違うもんだな……」
「何か言いました?」

温和そうな表情はともかく、口は基本的に鋭いリオンの気に入っている態度というのは案外わかりやすい。
リオン達を巻き込まない為に身を投げて無茶をした末に死んだという存在しなかったことになっているヴァンの行動にリオンが漸く「出来の悪い弟弟子」として認めるようになった態度もリオンにしては分かりやすかったが、彼女に対しては輪をかけてそうだ。
危機を共にする中で打ち解け始めていたのだが。
扉が蹴破られた音に反応して振り返ると、舌打ちをしながら苛立った様子でこの場所へと入って来たセリスと隠密僧兵達の姿があった。

「上手いこと攪乱しやがって。大したもんだと褒めてやりたい所だが……分かってんだろうが!?逃げ切ることなんざできねえってな」

セリスにとっても本当なら手にかけたくない筈だった弟弟子の不始末を命を絶つことでケジメを付けなければいけないという使命感は彼女の思考を曇らせる。
外法認定されたものを庇うことなど許されないのだ。
殺すことでしかヴァンは救えない──それが守護騎士にとって、星杯騎士にとって当たり前だと言うのに、二人はヴァンを守るように武器を構える。

「アンジェ、お前もリオンが違うこと言ってるって分かってんだろ」
「……はい。私やオルテシア卿との記憶とリオン君の記憶は違います。でも、私は多数決よりも彼の言葉を信じます」
「……チッ、リオンのことばっか言うこと聞いてんじゃねえぞ!」
「私は自分よりも、リオン君の方が信じられますから!」
「アンジェさん……」

それが盲目な信頼であっても、今のリオンにとっては何よりも心強い信頼だった。
無条件で信頼してくれる人というのは、例え身内であっても当たり前のものではないのだから。

庇っても無駄な位にヴァンは救えない行為を冒したのだと改変された事実に呑まれてセリスは大剣を振るう。
アシュラッド副兵長と、彼が率いる大人数のイスカリオ。多重法術陣はオラシオンで見せた以上の規模であり、強がってもこの状況は限りなく詰みに近い。

「聖痕が使えるとはいえまだ本調子では……これはマズイですね……」
「ここを切り抜けんのは不可能だな」

──この人数なら。
ヴァンが気配を察知して笑みを浮かべた刹那、遠吠えと共に飛び出してきたのは導力ドローンのXEROSだ。
そして後方の見えない角度から攻撃をして体勢を崩したのはステルス機能で消えていたグリムキャッツの格好をしたジュディスだった。
裏解決屋メンバーが全員揃ってヴァンを助けに来たのだ。
妨害術式を展開したリゼットの活躍で多重法術も解除され、一気に形勢逆転したが、通信も妨害されて彼らに連絡を取れない中で何故この場所に彼らがたどり着いたのか分からず、アンジェとリオンは唖然とする。

「ヴァンさん、今です!」
「おら、とっとと来いや!」
「ハッ、いいタイミングだ」
「まさかこの状況を……」

ヴァンがメモを救援要請の4spgとして掲示板に事前に張った上でこの地下通路に潜り込んでいたのだ。
前回の死では解決事務所のメンバーと連携を取る方法を思いつかなかったが、彼らの普段の行動が命を救う道筋となっていた。

「セリスさん、また後ほど!」
「くっ……待てやリオン!アンジェ!アークライドも!!」

特にシズナに殿を任せることで無事離脱し、窮地を脱したヴァンはレンによってダミー情報を流してもらい、シャードを張って法術探知をカットしながら車で移動を開始する。

聖痕持ちを侵蝕するまでの改変は、前日にクロガネが改変されたものよりもより強力に、なっているのは明らかだ。
説得にも一切応じない二人に対して、改変の矛盾を突くようなことがあるとするのなら。それはやはり彼らが『バルクホルンがヴァン・アークライドに受けた呪いによって苦しんで死んだことで下法認定を受けた』という事実を覆す事実だろう。
ベルガルド本人が出てくるか――それとも、本人が生きていることが分かる肉声や、それに近しいものが妥当だ。

「今回の改変、ごく最近になって起きたのかもしれないわね。具体的には、今日になってから始まったのかもしれない」
「セリスさんも昨晩通信で話した時まではおかしな所はありませんでした。アンジェさんは、あまり今と表面的には変わらなかったので、セリスさんに言われるまで正直アンジェさんの異変にも僕は気づけなかった訳ですが」
「アンジェさんの異変?まさか、アンジェさんも……!」
「おいおい。でもあの暴走した奴らと違ってこっちに居るだろうが」
「いえ、アーロンさん。私の認識は正直、セリスさんやアシュラッドさんと同じです。そこがまだ崩れている訳ではない」
「でも、改変の矛盾に二人と違って気付いた……?」

エレインの問いかけに対して、アンジェは頷くのではない曖昧な反応を示した。
何せ、アンジェの中でベルガルドが死んだという事実だけは変わっていないし、そこに対してはまだ矛盾を感じているのではない。

「気付いたというより……リオン君を始末してまでお二人が下法狩りを遂行しようとする行為が私にとっては何よりも許容できない行為だった……それが矛盾だったのかもしれません」
「……そういうことだったの」
「んだよ、あいつ等には適用できないのかよ」

昨日までのもので、記憶の矛盾を証明できるものを探し出せば、セリス達の矛盾を指摘できるかもしれない。
だとしたら──ちょうどいい物があるのだ。
リオン達が首都に来た理由でもある手紙だ。イーディス大聖堂にバルクホルンが彼らにあてた手紙が届いており、それが書かれた時期は当然ながら年末よりも後だ。
典礼省の管轄であるイーディス大聖堂に、守護騎士のものが届けられることは本来あるわけではないのだが、大聖堂のオーウェル司教がバルクホルンと懇意にしている縁で、今回手紙を預かってくれている
バルクホルンの人徳だろう。

「なるほどな、それならいい考えがある」

セリスに突きつけるには絶好の品であり、大聖堂が目的地となった中で、ヴァンはとある作戦をひらめく。

――レンのばらまいた情報で攪乱して時間を稼ぎ、セリス達がイーディス大聖堂に辿り着いたのは日も落ちた夜の時間帯だ。
霊視で教会を漸く探り当てたセリスは荒々しく教会の扉を開き、待ち構えていたヴァン達に見据えて苛立ちと焦燥と憐れみの入り混じった感情を露にする。

「まさかここを選ぶとはな。陽動をかけつつ、今回は徒歩で移動……一度諦めた場所だからこその盲点でもある。ハッ、お前にはやられっぱなしだが、観念したってことでいいんだな?」

隠密僧兵も首都に来ている全員がこのイーディス大聖堂に集結しており、この教会内だけではなく、教会外にまで張り付いている状況だ。
正面からまともに遣り合ったら手練れを揃えているとはいえ、互いに無事では済まないだろうが、その前に矛盾を解くための対話だ。

「セリスさんなら見間違える筈ありませんよね。先生の筆跡を」

リオンは緑の封筒に入った手紙を取り出す。それは先生が彼らにあてて書いた手紙だ。
誤魔化しようもない、作りようもない先生本人の筆跡である手紙。
年明けから東方を訪れているといった近況から、セリスに対しては『難しい局面もあろうが直情的にならず、上手く導いてやってくれ』といったメッセージが綴られていた。
リオンに対しては『この機会に何を信じるべきかおぬしなりに見極めてみるがいい』といった鋭い指摘だった。

――先生は本当に良く人の本質を見ている。
先入観で人を判断しがちな自分が、ヴァンによって救われ、こうして仲間の異変に立ち向かう為に味方になってくれている。
そして、アンジェの無償の信頼を知ったと同時に『彼女は本当に自分を守る為ならば法や命令や理性までも無視して命を落としかねない』ということも知った。
どうするべきなのか、何をすべきなのか。
自分なりに考え、見極めるべきなのだろう。

「まあ僕も先生の言葉は少々刺さりますが……セリスさんもそうなのでは?特にこの状況においては」

リオンの決定打とも言える問いかけにセリスの動揺が反映されるように、刻印が強く輝いて揺らぐ。
空間の侵食――聖痕を解放した聖域結界に全員をヴァシュタール城の再現をした空間に呑み込まれた。
守護騎士のみが展開できる、魔を確実に滅するための結界術.
本来であればもう少し限定的な結界の術なのだが、今回は紅黎い侵蝕の力もあって、位相空間を展開しているのだ。

「オルテシア卿の聖域結界……!まさか彼女達と本気の戦いになることがあるなんて……出会ってから、思ってもみませんでしたね」
「後悔してますか、アンジェさん」
「……まさか。私は、リオン君の従騎士ですから」

何があろうとも貴方について行くという強い意志は歪な所は有れども、失いたくないと願うほどの強く温かな恋心であったのだ。
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