Azul period
- ナノ -
セリス・オルテシアの暴走を留め、魔の二日目を防いだ筈の事実はまた時が巻き戻ったことで、下法狩りが行われようとしていたことも、それを正された筈のことも歴史には残らなかった。
正規軍がCIDのキリカ、更にジンが操られてクーデターを起こした結果ソードマスターによって破滅を齎されたという事実さえ消えて、ヴァン達の手によって解決されていた。
しかし、歴史には残らなくとも、中心となった人物達には『そういった歴史があったかもしれない』という記憶は強く残っていた。
それはセリスやリオン、そしてアンジェの中にも当然ながら僅かに『そういう事実があった』と残っていた。

「学藝祭ってこんな風に屋台が沢山出るんですね!新鮮で楽しいです」
「任務に就いているとこういう機会ってあまりないですからね」
「アンジェ、こっちも美味いぞ。食ってみるか?」

首都イーディスに用事があった三人は改めてイーディスを訪れ、丁度開催されていたアラミスの学藝祭を楽しんでいた。
教会の星杯騎士団に所属していると、こうした普通の催しを楽しむような機会は少ない。
それどころか、特にアンジェは外の世界と隔絶された辺境出身だ。
普通の祭り等、経験できる訳もなければ、そもそも悪魔の依り代として生贄となった子供は大人になることさえ叶わなかったのだ。

「ヴァンさん達も楽しんでいたらいいですね。大変なことが続いていましたから」
「……ヴァンさんですか」
「?どうしましたかリオン君」
「いえ。やはり、アンジェさんは悪魔の件もあって随分ヴァンさんに気を許しているなと思いまして。……まあ、僕達と同じく弟弟子ではありますけど」
「分かり易いな、リオン……」

ヴァンに対して甘い所があるアンジェの発言に対して、リオンはあからさまに不機嫌そうに顔を顰める。
しかし、ヴァンという人間性を少し認め始めているからこそ、強く彼を否定しきることも出来ないのか、余計に複雑な感情なのだ。
リオンが感情に名前を付けるのを敢えてせず、アンジェとの関係性を曖昧にしている中で「嫉妬しているのは彼女が好きだからだろう」と指摘する者は誰も居ないが、セリスでさえ気付く程だ。
――アンジェがリオンに無条件な好意を抱いているのも分かり易いし、リオンがアンジェに対して屈折した感情も含めて好意を抱いているのは分かり易いと。

「アタシは一人で回って来るから、リオンとアンジェはテキトーに回って来いよ」
「……余計な気を遣おうとしていませんか?」
「ちげぇよ!」

セリスの嘘は本当に分かり易いと思いながらも、その気遣いをリオンは断らなかった。
彼女の中でぼんやりとした記憶として残っている『思い込みの末に人の説得を聞かずに、使命感に駆られて暴走してしまった』結果、リオンとアンジェを傷付けたという事実は引っ掛かるものになっていた。
そして、セリスはベルガルドの手紙の教えを改めて実感しながらも成長の糧とする教訓にすることが出来たが、リオンに向けて書かれた指摘は恐らく彼自身まだ全て飲み込めていない。
セリスと異なり、自覚をしてしまっているからこそ、それに対してどう向き合うのか未だに折り合いの付け方を考えているのがリオン・バルタザールという人間だった。

セリスがひらひらと手を振ってフランクフルトを食べながら歩いて行ってしまったのを止めることも出来ず、戸惑った様子でアンジェは横に居るリオンを見上げる。

「えっと……リオン君、どうしますか」
「……アンジェさん、折角ならデートをしましょうか」
「で、デート……!?」
「えぇ、偶には水入らずということで」

デートと言う響きだけでキャパシティをオーバーしてパニックを起こしているらしいアンジェの様子に、リオンは満足げにくすくすと笑う。
照れてくれるアンジェが見たいというからかっている気持ち半分、本気半分だ。
アンジェもあくまでもまだリオンに恋心がばれていない、隠し通せている筈だと思っていることもあって、分かり易い動揺を露にしないように本人的には気を付けているのだが。
通りがかる人が二人の様子を一瞬見たら上司と部下ではなく、恋人と勘違いする者も多い雰囲気だろう。
二人がシスターと神父という格好をしている点を除けばだ。

「リオンとアンジェも来てたのか。アンタらが来てるとまた妙なことがイーディスで起きてるんじゃないかって思っちまうな」
「ふふ、用事があったのは確かですがそこまで不穏ではないですよ、ヴァンさん。アニエスさんも生徒会としてこれだけの規模の学藝祭を用意するのは凄いですね」
「あはは、レン先輩の手腕も大きな所ですけど……セリスさんは今日いらっしゃらないんですね?」
「セリスさんとは別行動をしていまして。少し自由行動中ですよ。息抜きもたまには必要ですからね」
「こういうの、なかなか経験したことが無いですけど、楽しいですね」
「楽しんでくださって私達も嬉しいです!ところで、リオンさんとアンジェさんが二人で、ですか……」

アンジェがフィーに尋ねられて白状したリオンへの恋心を知っているアニエスの視線に、アンジェは慌てたように手を振って無言で「ばらさないで下さい」とアピールする。
デートが出来て良かったですね、なんて口にしたら、一応隠しているつもりのアンジェの恋慕はリオンに伝わってしまうだろう。
尤も、そもそもリオンが彼女の恋慕を知っている可能性が高いという話は置いておいてだ。
ヴァンとアニエスに見送られて校舎内を回り始めたが、去り際のヴァンの視線は明らかに「素直じゃねえな」とでも言いたげだった。

「アニエスさんにも、デートしていると思われたんでしょうかね」
「か、からかわないでくださいリオン君……!初めてのこういうお祭りでどう見て行けばいいか分からない私の面倒を見て下さってるのは大変有難いですけど……」
「……」

──そういう納得の仕方をしているのか、彼女は。

本気だと口にしていない自分も悪いことはリオンも自覚しているのだが、アンジェもアンジェでリオンの発言や行動は気の許せる部下だからやっているのではなく、好意が下地にあることを察してくれてもいいのにと感じてしまう。

階段をのぼり、各教室の出し物を眺めていくリオンの足はとある教室の前で止まった。

「へえ、メイド喫茶まであるんですね。意外と名門の高等学校と言っても自由度が高いですね」
「リオン君……ああいう感じ、好きなんですか?」
「メイド喫茶には浪漫がありますからね。アンジェさんならメイドの衣装、似合うと思いますよ。頼んで着せてもらいますか?」
「い、いえ、結構です……!」
「おや、それは残念。長い丈のメイド服、似合いそうなんですけどね」
「からかい過ぎです、リオン君……」

清楚なメイドという衣装には男の浪漫が詰まっているとここにゴッチ監督が居たらつい語ってしまいそうだが。
清らかで真面目な仕事着といえば、メイド服に負けず劣らずアンジェのシスター服も該当するだろう。
だからこそクラシカルメイドな衣装は似合いそうだし、そこにエロチシズムを感じる。
そこまでの癖を言ったら、アンジェは絶対に否定はしないとはいえ少し引かれるかもしれないとリオンは笑顔で言葉を呑み込む。

「クイズがあったり、ハッキングシステムがあったり……凄いですね、学生の催しって。こんな風にドリンクや軽食で出ていると目移りしちゃいますね」
「生徒会の皆さんが出る劇や、夕方にはフォークダンス等も予定されているみたいですよ。その時間まで、折角なら参加しましょうか」
「いいんですか?フォークダンス……色んな方と踊るのは少し緊張してしまいますが」

苦笑いをしながら、代わる代わる色んな人とダンスを踊ることに緊張した様子のアンジェの言葉に、リオンは咄嗟に『色んな人と踊らせるなんてことしませんよ』と言いかけたのを寸前で飲み込む。

「アンジェさんは僕と踊りましょうか」
「えっ……」
「まあ、後はセリスさん位で。シスターと踊れると思われるとイーディスの教会の方にも何か迷惑がかかるかもしれませんし」
「あぁ、なるほど……それは良くないですね。リオン君と踊るのも緊張しますが……お手柔らかに、お願いしますね」

また上手い言い訳を並べて、彼女が色んな人と踊るという機会を無くさせて。
アンジェに向けられる好意も自分からだけでいいと、凍てついた感情の茨を彼女に巻き付けていることを自覚しながら、本心を語ることもなく。
僅かに赤らんで染る肌の白い彼女の手を取り、リオンはアラミスの校舎を歩く。
──人が触れたら怪我をする性質を持つモノクロな薔薇を手に取り、凍らせかねない愛欲を隠して愛でるのだ。
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