Azul period
- ナノ -
我らが女王に魂と怨念を全て託し、注げ。
怨霊は自らの命を捧げ、女王と讃えられた死神は感慨も何も無く作業のように摘み取っていく。
忌まわしき力だとしても、主を守る為ならばその死神にとっては手段など何でも良かったのだ。

タイレル地区からバンを出して高速を走ること暫く。
そこまでは追っ手の姿も無かったから、補足されていないのだろうと慢心していた。
車内で助太刀が欲しいと判断して決事務所のメンバーに連絡を取ろうとしたヴァンは嫌な予感に顔を歪める。

「繋がらない……!?こいつはまさか……」
「……通信妨害、ですか!?」

この状況で局地的な導力波妨害を使う集団というのはごく限られている。
首都全域に隠密僧兵をすでに張っていたということだ。
つまり、捕捉される前に動くも何も──始めから全体的に包囲網が敷かれていたということになる。

瞬間、バンの上からドン、と何かが衝突する音が聞こえてきて、反射的にアンジェとリオンは顔を合わせる。
きっとこれは、守護騎士としてのセリス・オルテシアだと。

「よお、アークライド……ちょこまかとよく逃げんじゃねーか。監督に女優も一緒だったとは意外だが、巻き添えは食わさねーようにすっから勘弁しろや」

狭いバンの中で、炎上でもされたらそれだけでも全員無事では済まない。
それも一般人が二人も乗っているなら車で無茶をする訳にもいかない。
つまり、このバンを補足された時点で詰んでいるのだ。

「動くんじゃねえぞ、アークライド?テメーらもだ、リオン、アンジェ」

待ってくださいセリスさん、とリオンが声をかけても、セリスの耳には届かない。
偶々悪魔の王の核を生まれ持ってしまったという数奇な運命のせいであって、ヴァンという人間自体が悪くないことは理解しながらも、せめて彼を女神の元に送るのならば、自分がケリをつけるしかないという責任感。
それが彼女を突き動かしていたのだ。

後部席に座る三人がセリスの大剣によって貫かれそうになったその瞬間。
ヴァンが扉を開け放つ。
そして高速道路に飛び出してしまったのを目にして、息を飲み、ゴッチ監督はバンを急停止させた。

「ダメですヴァンさん──!」

──自分達を巻き込まないようにするために、彼は。
手を伸ばしかけて、遠くに見えるセリスが大剣を振りかざす様子がスローモーションのように映り。

止めなければ、と息を呑んだ刹那。


「──!」

場所は、地下道を出たタイレル地区に戻る。

記憶に過った体験した筈のない、本当に断片的な写真数枚のような未来の記憶。
しかし、バルクホルンが亡くなっただとかヴァンが下法認定されたという記憶よりも実感が確かにある映像に、現実なのではないかとアンジェは錯覚を覚える。

困惑しているアンジェの横で、ヴァンはゴッチ監督たちが首都高でバンを走らせて大聖堂に送ってくれる提案を「説明のつかない勘」を元に断り、別ルートと案を提案する。
予備のザイファに加え、掲示板へのメッセージも用意をする。
反撃ののろしを上げるために念には念を押して、だ。
ゴッチ監督たちにはそのザイファを後部座席に置いてもらった上で首都高を走ってもらい、ラムダの機能であるステルスモードを使って地下道へと戻るのだった。

「セリスさんは霊視があまり得意ではないとはいえ、今は聖痕が暴走しているため、広範囲も視られるようになっているでしょう。感情が昂っている状態では、最初こそはデコイで誤魔化せるかと思います」
「陽動に食いついてくれないと、私達、死んでしまいますからね」

ヴァンが別ルートとして案内したのは、リオンが聖痕を回復するためにも最低限の調整が行える霊的な場所でもある駅前の地下遺跡だった。
最初にセリスに呼び出された場所であり、ヴァンがアニエスと共に、依頼で最初のゲネシスを見付けた場所でもある。

この世界において聖痕とは絶対的な存在の一つである。本来、ザイファや法術を組み合わせたからと言ってアシュラッドでも封じることは出来ない筈のものだ。
逃げ延びた時は冷静に考察が出来なかったが、ヴァンの浸食という話を聞いた後ならば、リオンにも一つの仮説が浮かんでいた。

──恐らく何らかの未知の力が僕に干渉しようとした際、聖痕が過剰に反応し、その後も本来の状態に戻れておらず、上手く発現できない状態なのだと。

「その何かが今回の侵食なのでしょうね。リオン君だけでも取り込まれなくて良かったです」
「……なあ、さっきの話、深く掘り下げてもいいのか?悪魔らの侵食の耐性って件、同じでは無いとはいえ気になっちまうんだが」
「……はあ、その話をヴァンさんに興味を持たれると思ったんですよ」

心底嫌そうな顔をするリオンのその反応は、アンジェのプライバシーに関わる内容だから彼女のために気遣うようなものではなく。
個人的に嫌がっているように映った。
自分への当たりの強さの理由は特に、バルクホルンという師匠を部外者である自分が手をかけさせた出来の悪い弟子であることにあると思っていた。
しかし、その理由の中にアンジェとの共通点もあるからだと気付いたヴァンは苦笑いをする。

煙に巻くような鋭い毒舌を飛ばしてくるリオン・バルタザールという青年は案外分かりやすい所があるのかもしれない。
道中駆け足で移動しながら、アンジェは決してヴァンにとって他人事では無い自身の事情をかいつまんで話し始める。

「教団関係ではないのですが、私の故郷は本当に外界から閉ざされた辺境地……古くからの慣習を、悪しきものであってもさも当然のように教え込む習わしがありました」
「金のオランピアでもそんな話があったが……そうか、アンタもか」
「えぇ、生まれた場所や生まれ持ったものは選べませんから。その悪魔の1柱である“天使“と呼ばれたものを外典の召喚の義を通して宿そうと試みられ、結果として私は憑依されませんでした。しかし、力は微妙に取り入れてしまっている形になります」
「……だから『教会の死神』か。悪魔由来の力も使えて、その大鎌なんだな」

アンジェはヴァンの問いに静かに頷き、否定はしなかった。あまり受け入れたくは無い異名だが、否定出来ないくらいに事実なのだから。
シスターとしての法術も使いながらも、ベースとして彼女にあるのはやはり悪魔由来の力である。
それも教会が外典として封じ、滅する悪魔の力だ。
悪用する気配のない魔王の力を所持するヴァンでさえ、バルクホルンの掛け合いなしでは外法に認定しかねない教会に彼女が属しているというのは異質なことだろう。

地下道の中で隠し部屋のような広間に辿り着いた一行は、漸く足を止めて息をついた。
リオンが調整するための準備が整ったことを確認したアンジェはそれを見守るのではなく、禍々しくも静謐な大鎌を手にして扉へと戻っていく。

「リオン君が調整している間、見張りも兼ねて周囲の霊を狩ってきます」
「えぇ、気配を感じたらすぐに戻ってきてくださいね」

ぱたん、と閉ざされた扉を見て、ヴァンは調整を始めたリオンに疑問をなげかける。
アンジェの身の回りに茨のように警戒網を張るタイプの彼が、今追われているような状況ですぐ扉の先に居るとはいえ、彼女を外に出すのは危険だと止めなかったのが意外だった。
それも、恐らくリオンよりも怪我が深い状態だ。

「……一人でこの部屋の外に行くなんて大丈夫か?恐らくアンタより重傷だったんだろ?」
「確かにそうではあるんですが……アンジェさんの死神の鎌とよばれているあの武器は、魔や霊を狩る程、力をブースト出来るものでしてね。それを知っている副僧兵長達の法術によって一部祓われてしまった為、本調子ではありません」
「教会の人間なのに、教会の技に弱いのか。それで今狩って調整してる最中だと」
「……あまり、彼女はその様子を見られるのは好きでは無いようでして。何せ、その悪魔の1柱が従えられる悪魔や怨霊が、彼女に滅せられる時もまるで喜んで消滅していくので」

霊が彼女の周りに集まり、無表情でその霊や下位の悪魔を滅するまではいい。
だが、まるで『女王に我等の力を』という声が聞こえてくるような奇妙な熱狂は、理解していない人から見れば恐ろしい光景に映るだろう。

まるで悪魔に魂を売っているシスターに見えるのだから。
悪魔や霊を従え、自らの力として変換させる様子は異端に映っても仕方がない。
だが、アンジェの魂にベールがかかっていて、あくまでもその上に悪魔の気配が乗っているだけで、それに引き寄せられる怨霊が多い。
魂を水だとして、そのベールが油だとするなら、水の上に悪魔の憑依という油を注いでも浸透せず、要素だけ溶かして馴染ませてしまった、というのがアンジェの現在の状態だった。

「憑依も侵食もされていないし、寧ろ、アンジェさんによって力も全て溶かされてしまった……しかし、怨霊達には同一の気配として感じ取られている。まるで、女王蜂みたいなものなんです」
「そいつは……こういっちゃなんだが、寧ろそういうのを危険視するのが教会だろ」
「えぇ、だから彼女は教会に保護されました。派遣されたのは僕ですけど」
「……だからかよ」
「何か言いました?」

リオンの間髪入れない笑顔の牽制に、ヴァンは「なんでもねえよ」と掘り下げるのを止める。
アンジェがその村で神のように崇められて悪魔の依代にされていたのを、救いあげたのは他でもない目の前の青年だ。
そこにどんな事情や過去の詳細があるかは不明だが、だからこそ、互いに性質は異なりながらも依存のような感謝と執着心を抱いている関係なのだろう。

「死神だとか破滅を呼ぶ人だとか色々言われていますが……僕からしたら彼女は、"普通の女性"ですけどね」
「……アンタが居るからそうなんだろうな」
「その言葉、ありがたく受け取りますよ」

──アンジェという人が、自分のいない所では誰かの人生を意図もせず狂わせる性質があることも知っている。
悪魔由来の力からしてそもそも普通の人間では無いことも知っている。
しかし、自分と居る彼女は普通に恋慕ってくれる女性であると確信していた。
彼女は僕といるべきなのだろうとも確信していた。

それを他の人に認められたのは少し、嬉しくもあったのだ。
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